わたくしは部屋に戻ってくると、はぁ、と大きな息を吐いてソファにどさっと音を立てるようにして座る。
この所作にはしたないところがあるとは自覚しているが、何の危険もなく、他者の視線を意識せずともよい、自分の部屋というものはとても落ち着く。
ジャンも剣を椅子に立てかけながら、疲れたと珍しく述べた。
「……今日は女に囲まれるわ、あんたのストーカーに会うわ、最後には辛気くさいツラした水色メガネときた。厄介ごとの大売り出しかなんかか」
そんなジャンの言葉に頷ける部分もあったが、わたくしは苦笑いしつつ顔にかかった髪を後方に払いのけ、再びソファに身を委ねる。
「その中に混ぜ込まれては、マクシミリアンも大変ですわね~」
「おれにとっちゃ、どれも同じくらい面倒だったぜ」
知らない女の子のことと、イヴァン会長の事を同列で考えられるのは……心に余裕があるのか、トラブルという点では大小関係ないのか……判断つきかねる部分もあったが、軽い頷きを返したところで、レトが自分の部屋から顔を出し、お帰りと言葉をかけてくる。
「どうしたの? 二人とも随分……疲れたみたいだけど」
「ああ……気疲れみたいなもんだ」
ジャンは心配するなとレトに告げ、イヴァン会長のことも話していない。
レトに心配かけないようにしてくれたのか、あるいは……レトが相手に何をするか分からないと感じたからだろうか。
レトは自分の魔具を掲げて、戸口に誰もいないことを確認すると……先程までマクシミリアンがいたと教えてくれた。わたくしも出会ったので知っている。
「マクシミリアン、リリーが戻ってくるまで三十分近く、部屋の前で待っていたんだよ」
「あら……そんなに……待っている間、辛かったでしょうね」
そうなのだ……結局、今日は食堂に降りず、マクシミリアンを避けておこうと思ったが……そのマクシミリアンは既に部屋の前で待っていた。
前回と同じく、クリフ王子が彼女を連れて行ったこと。そして、今回は……わたくしにも一応声をかけてくれるはずだったことも。
どうやら、教室内で声をかけようとしていたことがそうなのかと聞いてみれば、マクシミリアンは少し考えて、そうかもしれない、なんだかうまくいかないものだなと……眉根を寄せて泣き笑いのような表情を見せる。
そう考えると、馬車の中からわたくしに見せた侮蔑の表情というか、冷たい視線も分からなくもない……。
マクシミリアンがうるさいから誘ったのだろうけど、いろいろと周囲の方が気にしてやりづらいったらないわ。
「レト、魔法防御用の道具ってなんかあるか? 今後必要になるかもしれねぇ」
「……作ろうと思えば、種類がいろいろと豊富なんだ。どういうものに特化したらいい?」
今後必要になると言ったことで、レトの表情が少し曇る。真剣にジャンの話を聞こうとするのだが、ジャンは顎に手を添えてしばし考え、飯食うときでもヘリオスにヒントでも貰うわ、と立ち上がる。どうやら自分の部屋に帰るようだ。
「え、なんでヘリオス……?」
それを目で追いながら、レトは当然のように聞き返す。
すると、ジャンは目を細め『執着してる奴のことは、執着心が強い奴の方がよく分かるからだ』と言い捨てて小部屋に戻っていく。
そんな、不穏な捨て台詞を吐いていなくなるのはやめて欲しい。
レトは少しの間閉じられた扉を見つめていたままだったが、リリー、と低めの声音で呟いた。
「……何か、されたの?」
「いえ……されたわけではございませんの。ただ、時折……イヴァン会長はジャンに強い負の感情を向けるのです。それが少し恐ろしいと感じました」
「……そう。それなら確かに、ヘリオスに聞いたら良いのかもしれないね」
一体ヘリオス王子はお兄さんや仲間から、どういう立ち位置に思われているのだろうか……とてもかわいそうだ……。
レトはわたくしの横にやってきてこちらを向きながらソファに座ると、そっと手を差し出して、わたくしの髪を梳く。じっとわたくしを見つめる目は優しいけど、すごく心配そうだ。
「……抱きしめていい?」
「ええ。もちろんですわ」
にっこり微笑むと、レトの手はそっとわたくしの背を包み、互いの体が密着するように触れあう。
自然だけど少しだけ緊張した仕草に、こちらもなんだか気恥ずかしいものを感じ、そっとレトの背に手を回した。
とてもあたたかくて優しくて、安心できる。ほっとしたからなのか、泣きたいくらいに彼が愛しくなって、甘えるように彼の頬に自らの頬をすり寄せた。
「……リリー……そういうことされると、困る」
「あっ……、そ、そうですわね、ごめんなさい……!」
慌てて離れようとしたが、レトはわたくしを胸に押しつけるようにして抱き込み、嫌じゃないからだよ、と告げる。
「普段全然甘えてくれないのに、そんな風に甘えられると……もっとして欲しくなっちゃう。その気にさせたかったのなら、ぜひそのままお願いしたいんだけど」
「ちっ……違いますわ!! けっしてやましい気持ちで、その……行ったのではございませんのよ!」
からかわれて、じたばたと彼の腕の中でもがいてみたものの……全然その手は離れない。
彼が男性だからか、魔族だから力に差があるのかなんて分からないけど、こんな状態が続いていると……緊張と恥ずかしさと、期待のような何かがわたくしの心の中でせめぎ合っている。
つぅ、とレトの指がわたくしの頬を滑り、唇に触れる。
「……がさがさしてなくて、柔らかい」
熱っぽく囁かれる言葉が耳朶に響き、何かを言おうとしたらレトの指が口の中に滑り込んできそうで、唇を引き結んだ。レトが止めるまでぷにぷに触れられ続けるのをただ耐えるだけだ。
「……ほんとうに、どうして……リリーはこんなに可愛いんだろう。そしてどうして、きみの周囲には……厄介な奴ばっかり来るんだろうね……!!」
最後の方は吐き捨てるようにして、レトは何かを引きちぎるような仕草――わたくしの体のやや上あたりのなにもない空間を握りこみ、手を思い切り横に引っ張る――をした。
何をしたのか分からないけど、一瞬身体がふわっと軽くなったような、見えないものが振り払われたような気がする。
自分の体に何があったのかと確認している間に、レトはすっとわたくしから離れ、こちらに背を向けてぼそぼそと何事かを呟くと……ボッ、と青白い炎が彼の手から立ち上り、一瞬で消える。
「な、何をなさったの……?」
「蜘蛛の巣がついていたから、払っただけ。リリーは確かに魅力的だけど獲物じゃないから、捕らえられるわけがないのにねぇ……悪い蜘蛛にはちょっと仕返ししておいたんだ」
「……仕返し?」
「秘密。たいしたことじゃないんだけどね」
レトは自分の唇に人差し指を置き、内緒のポーズを取る。
それがまた、あざとくもかわいい。イケメンは何をしても似合うものだ。
「さ、リリー。夕食まで少し時間があるし、ジャンも少し休んでいるだろうから二人で他愛ないおしゃべりでもしていよう。俺はこの時間がとても嬉しくて楽しいんだよ」
好きな人からにっこり微笑まれて、嫌がる奴などいないだろう。
それはわたくしも同じ事で、ヘラッと間の抜けた笑みを零してしまったかもしれなかったが、少しの間レトと一緒に過ごす。
とはいえ、抱きしめられたりドキドキさせられたりと気の休まる暇はなかった気がするが、彼とのふれあいはわたくしの恐怖心を拭い去って、穏やかな時間を過ごさせてくれた。