王立図書館に到着し、その足ですぐ受付カウンターに向かう。
この間応対してくれた受付のお姉さんがいたので、こんにちはと声をかけ、鞄から本を取り出すと……イヴァン会長が奥から姿を現した。
「――リリーティア様。本当にすぐおいでになったのですね」
爽やかな微笑みを浮かべるイヴァン会長は、受付のお姉さんの前からわたくしの返却する予定である本に手を添えると、わたしが引き受けますと告げ……右側のカウンターへとわたくしを案内して、対面に置かれた椅子に座らせる。
ジャンはわたくしの後方に立って、何事もないか見ているようだった。
「この本は、お役に立てたでしょうか?」
返却処理なのだろう、本の一番後ろに刻まれている魔法文字を、イヴァン会長は目の前にある青い球体にかざす。一瞬その球が光ったかと思えば、イヴァン会長が手にしていた本は消えていた。
「こうして返却し、元の棚に戻すのですよ。棚にジャンルの違う本を見つけたときも同じです。とても便利でしょう?」
「確かに、この膨大な蔵書では……棚を把握するのも大変ですわね」
思わず側面に顔を向け、びっしりと並ぶ本棚たちを見渡してから……再びイヴァン会長に視線を戻す。彼はうっとりと目を細め、わたくしを見つめているではないか。
「……あの? どうされました?」
「ここに収められている書籍は国中、いや、世界中から集められたものです。気が遠くなる程の蔵書……。探すのも把握するのも頭が痛くなる、などと評判があるくらいです。リリーティア様は本がお好きなのだなと、司書として嬉しく思い、感心していただけですよ」
「まぁ……。ありがとう存じます」
淀みなく答えるイヴァン会長に、わたくしも微笑みを送る。
「どのような本がお好きなのですか?」
「えっ?! そ、そうですわね……最近は、錬金術を習い始めましたので、そういった書籍や……珍しい出自の本など、を……探そうかと」
適当に言葉を濁して、学術的なものを求めてしまった。
研究熱心なのですね、などと嬉しそうに褒めていただいても、魔術や錬金術の書は必要だから読むだけで……軽めで怖くない小説くらいしか読まず、重度の読書好きというわけではない。
「それでは、本日も何かお探しでしょう? ご案内しましょう」
「い、いえ――……今日は本を返しに来ただけで……」
「そう、ですか……。残念です。せっかく本がお好きな方とお話が出来ると思ったのですが」
うわ、しょんぼりさせてしまった。イヴァン会長は本当に本がお好きなのだな。
「あっ、それでは――……?」
やっぱり何か借りていきます、と言いかけたところを……とんとん、とジャンが背を指でつつく。
振り返ると、小さく横に首を振られた。よけーなことすんな、ということだ。
その判断をくれたことに少しばかりほっとしつつ、イヴァン会長ににこりと微笑みかけようとしたが、彼は無表情でジャンと見つめ合って……いや、にらみ合っていた。
普段温厚そうで、穏やかな笑みを浮かべていたのに、今こうしているイヴァン会長はどうしてか別人のように見えてしまう。
「――……失礼、ぼぅっとしておりました」
イヴァン会長がわたくしの視線に気づき、すみませんと謝ってくれるのだが、わたくしは今の違和感を拭い去れず、ぎこちなく頷くだけ。
なんだか……ジャンを見る目は怖い印象だった。憎しみを抱いているかのような、目だけが昏く冷えた感情で揺らめいていた……ように思う。
「それでは、わたくし……本日はこれで。どうもありがとうございました」
挨拶もそこそこにわたくしは席を立ち、あ、と小さい声を上げたイヴァン会長に会釈をすると、後ろを振り向くことなくまっすぐ出口に向かう。
――……なんなのだろう。イヴァン会長の視線が背に絡みつくような気さえする。
背だけではない。髪、腰、指先や足首にまで感じる……。
わたくしが変に意識しすぎなのかもしれない。でも、目に見えぬ耐えがたい不快感が、わたくしの体にまとわりついている。
だから、王立図書館から出て少し歩いたとき……わたくしは、大きく息を吐いて、自身の腕を抱くようにして体をさする。
「……寒いのか?」
「いえ……なんだか、こう、絡みつくような、視線? よく分からない感覚が……」
「そりゃそうだろ。最初からじっと見られてんだから、ようやく気づいたのかって感じもするけどな」
平然と答えるジャンに、わたくしはジャンはどういう視線を受けているのかと問う。彼は何でもないことのように、憎悪というか殺意に近いんじゃねーか、と言った。
「あいつはマジモンの危ない奴だぜ。術を展開されちゃ、抵抗できないおれは真っ先に呪い殺されるかもしれねぇな」
「…………」
どう答えて良いのか言葉が出ない。
ジャンが冷静に告げているのは紛れもない危機のようだし、わたくしが感じたなんだか分からないものも、もしかしたら術の一部なのかもしれなかった。
だけど、イヴァン会長が……ピュアラバ無印版で体が弱いことを嘆きつつも、アリアンヌにまっすぐな愛を向けてくれるあのイヴァン会長が、そんなことをするようにも思えない。しかし最初からわたくしを知っているのはどういうわけだ。
そうだ、レトも待っているし、一刻も早く帰るべきだ。
「とにかく、急ぎ帰って、話し合いましょ――……う?」
その広い道路をわたくしは歩き出そうとし、すぐ近くを金ぴかの装飾に覆われた、二頭立ての豪華な馬車が横切った。
しかも、その馬車に乗っているのはとても見知った顔。
制服姿のクリフ王子と――着飾ったアリアンヌだ。
馬車がすれ違う瞬間、確かにクリフ王子とわたくしの目が合った。
そして、クリフ王子はつまらないものでも見たかのようにわたくしを睥睨し、すぐにアリアンヌに笑いかけていたのだ。そして彼女はこちらに気づいていない。
馬車は止まることなく、速度を落とすことなくまっすぐ城へと進んでいく。
悔しいとか悲しいとか、そういった気持ちは微塵もない。
むしろアリアンヌは頑張っているし、クリフ王子が好きなら応援する気でいる。
だけど……。
婚約者とその護衛が呪い殺されるかもしれないのに、なに女口説いて暢気してんだとか、馬車停めて挨拶くらいしていけとか、そういうことは確かにちょっと思ったけど……そういうことじゃない。
「……最低」
思わず、ぽつりと漏らした言葉を耳聡くジャンが拾い、わたくしの様子を横目で見ている気配がする。
「大丈夫ですわ。ショックを受けたわけではございません。さ、参りましょう」
そう言いながらも、お腹の中では重い感情がぐるぐると渦巻く。
わたくしのことは別にないがしろにしてもいい。わたくしもクリフ王子に同じようなことをしているのだからお互い様だ。
だけど……きっと今回もまた、マクシミリアンは止めたのだろう。
それを振り払ったのかと思うと、なんだか悲しいような申し訳ないような気持ちになる。
彼もわたくしにまた説明するのは心が重いだろう。すまないと頭を下げるマクシミリアンを見るのも忍びない。今日は食堂に顔を出すのは止めておこう――……そういうことを考えながら、帰路についたのだった。