「リリーティア様。よろしいでしょうか」
放課後、別のクラスにいるはず(どこなのかは知らない)のイヴァン会長がやってきて、わたくしに戸口から声をかけた。
銀の髪に赤い瞳という、その筋の人をすぐに虜にするであろう特徴的な容姿の美青年が現れ、美少女であるわたくしに声をかけたのだ。まずはイヴァン会長にクラスの視線が集中し、次いでわたくしのほうへ視線が集まった。
体も弱いので仕方がないかもしれないけど、相変わらずイヴァン会長は線が細い。日差しの強いところを歩いていたら、倒れてしまうのではないかしら。
急に別のクラスへ名指しでやってきたのだ。わたくしが一体どうしたのかしら、とでも考えている……とご推察した様子の会長は、このクラスだということは知っていましたのでと理由を教えてくれた。
わたくしに手を伸ばしかけた会長を前に、座っていたジャンが立ち上がって、わたくしと会長の間に割り込む。
今までこういう場合、ほとんど動こうとしないジャンが行動を制止したので、そこでも皆――特にジャンが流し目を送った子――は、緊張感を抱きつつ小さく息を呑んだ。
息も凍りそうなくらい冷たい会長の目と……ジャンの剣呑な瞳が交錯し、そこで第三者には見えない戦いが起こっている……かのようにも感じるのだ。
「――……ご挨拶をするだけですよ」
「失礼。急に手を出そうとしてきたからな。王子様の御前で、なんかあっちゃマズいだろ?」
そう言うと、ジャンは顔だけを教室の中央に向ける。
そこではアリアンヌと話していたらしいクリフ王子がいて、見てなかったけど何かあったのか、というような顔でこちらを見ていた。
今のやりとりにもまるっきり興味がなかったらしい……のは誰の目にも明らかで、マクシミリアンだけが目を伏せて軽く首を振っていた。心中お察しする。
そして、イヴァン会長は――……それらを一瞥するとフッと笑って、再びわたくしに向き直る。
「ただ貴女に用件を伝えに来たというだけでしたが、どうやら貴女のみならず、周囲の方まで驚かせて申し訳ありません」
「い……いえ。それで会長……その、用向きというのは……?」
何かイヴァン会長と接点があっただろうか。それとも、ジャンやセレスくんが言うように……気をつけなければいけない案件なのかしら?
すると、イヴァン会長は『本のことですが』と言う。
「本……?」
「ええ。先日、リリーティア様は王立図書館で本の貸し出しをご希望でした。その返却期限が明日までですので、もしやお忘れではないかと……」
――おお、そうだ。虫を別の生物に変異させるために、参考書としてそういった本を借り、今日までずーっと居間の棚に置きっぱなしだ。
「そ……そうでしたわね。申し訳ないことに、すっかり忘れておりましたわ。お知らせいただき感謝致します。本日すぐに返却しに参りますので……!」
「やはりそうでしたか。お知らせしておいて良かった……では、お待ちしております」
イヴァン会長はにこりと柔らかく微笑み、ジャンにも会釈した後、スッと教室を優雅な足取りで立ち去っていった。
この一連のやりとりが終わると、教室内はゆっくりと……氷霜が陽光で溶けゆくように、じんわり空気が和らいでいく。
イヴァン会長の背を、見えなくなるまで睨むように見つめていたジャンだったが、こちらに顔を向けると『なんで返してねーんだよ』と毒づいてきた。
「あんなもん読んだらすぐ返しとけ。あいつと関わるような面倒事が減る」
「今回たまたま忘れただけです。これからすぐ寮に戻って返しにまいりますわよ」
口を尖らせつつ言い訳を述べると、どうだか、という不機嫌そうな声が返ってくる。イヴァン会長の事をいけ好かないにしろ、わたくしにあたらないでいただきたい。
急いで帰り支度をしていると、アリアンヌが不安そうにわたくしの側へとやってくる。
「あの、お姉様……今の男性は……?」
「イヴァン生徒会長代理です。オリオール学院長の息子さんですわ」
「――……そうなんですか。もうお姉様ったら、あんな素敵な男性と一体いつお知り合いになったんです?」
言葉だけを聞くなら、抜け駆けしてずるい~! と言っているようにも聞こえるのだが、アリアンヌの表情は謎の期待感に満ちあふれていた。何か楽しいことでもあったのかしら。
「王立図書館でお目にかかりましたの。あちらはわたくしのことをご存じのようですが……」
教科書などを鞄にしまいながらそう説明すると、アリアンヌは首振り牛の置物みたいにうんうんと頭を上下に振る。
「クリフォードさまの婚約者であり、美しいお姉様のことをみなさんが知っているのは当たり前です! 何も不思議じゃありませんよっ!」
「そういうものかしらね……」
わたくしが過敏すぎるのかしら。そう思い直して、アリアンヌにそれではと別れを告げようと彼女の顔を見て……アリアンヌが、可愛らしく頬に手を添えて首を傾げていた。
「……でも……なんか、引っかかりますねぇ……」
「引っかかる? 何がですの?」
「ん……うまく言えませんけど、少し無遠慮だったような……ほら、お姉様はクリフォードさまの婚約者で同じクラスです。そこにやってきて、お姉様の手をいきなり握ろうとされるなんて……」
ましてや貴族のお嬢様に、礼もそこそこに触れるなんてよろしくない。
アリアンヌは一生懸命言葉を選びながら言っていたが、要するに『どう出るか探りを入れようとしたみたい』だ、ということだ。
「言いたいことは分かる。エロガキのくせによく見抜いたな」
「……うふふっ、それは褒められてるって思って良いんですか? 私、お姉様の周辺のことはいつも見てますから!」
お任せくださいと胸を張るアリアンヌに、クリフ王子が近付いてくる。
また叱られるの面倒だから、今日はとっとと帰ろう。
「おいリリーティ」「わたくしすぐ帰らなければ。ごきげんようクリフ王子、アリアンヌさん」
クリフ王子の言葉を途中で遮り、わたくしは会釈をして二人の前から足早に去る。おい、とかまた聞こえた気がしたけど、追いかけてはこなかった。
寮の自室に戻って、本棚から借りた本を数冊マジカル鞄に押し込むと、制服から気取らない外出着に着替え、いざ出かけようとしたところでレトが自分の部屋から出てきた。
「リリー……? 学院から戻ってきたと思ったら、またどこか行くの?」
「ええ。図書館に本を返却しないとなりませんの。わたくし、すっかり忘れていて……」
「そうなんだ……」
レトはわたくしの上から下までをじっと眺め、可愛いから気をつけてね、と謎の褒め言葉をくれる。
「……ジャンもついて行ってくれるんだろう? 荒事の心配はそんなにしていないけど、リリーを気にしている男の側に行かせるのはちょっと嫌だから、早く戻ってきて」
なんともこちらの心にきゅんとくる一言と、切なげな表情を見せるものだから……わたくしは萌えと嬉しさのあまり、ちょっとクラッときた。
「ええ! 置いて即戻ってまいりますからね。ヘリオス王子とお二人で、よい子にしていてくださいね?」
「うん。ヘリオスは今魔界に戻ってるけど、俺はリリーが戻ってくるまでここにいるよ」
いってらっしゃい、と言うレトに軽く手を振って、わたくしはジャンを伴い図書館へと出かけた。