「ジャン。先に食事に行ってください」
授業が終わってお昼休みになるが、わたくしは先生とお話しすることになっているので……昼食を満足にとれるか分からない。
今ジャンのお仕事は護衛とはいえ、剣を一日たりとも抜いていない日のほうが多い。ただでさえストレスが溜まっているかもしれないのだ。食事くらいは自由にさせてあげたいと思うじゃない。
案の定、わたくしがそういった配慮を持っていることなど知らず、なんでだよと口にした。
「あの水色メガネはこの学科にいねぇんだぞ。あんたの側を離れて一人で飯食えって言われてもな、おれは何しにここに来てんだってコトになるだろ」
「先生と少しお話をするのです。長引くかも分かりませんから」
そう説明すると、ジャンはちらっとイスキア先生を見て、ふぅん、と一応納得してくれたようだ。
「じゃあ、教室の外にいる。なんかあったら叫ぶか椅子ひっくり返せよ」
と、わたくしの側を離れていった。終わるまで食事は摂らない様子だ。
そうして――生徒も皆教室から去り、わたくしとイスキア先生だけが残っている。教卓の上に置かれた木箱の中には……各生徒達が錬金術で作成したポーションがぎっしり入っている。
ただし、ひとつのポーションだけは……木箱には入らず、イスキア先生が手にしていた。
「……これは、リリーティア様がお作りになったものよ。ご自分でも分かりますね?」
と、小瓶に入れられたポーションを見せるのだが……まあ、わたくしが作ったものであろうと他者が作ったものであろうと、申し訳ないが手を抜いて作ったものだ。しかも離れた場所からではちょっと……よく分からない。
「わかりかねますわ」
正直に首を傾げると、イスキア先生は『もう……』と、困ったように笑った。
「リリーティア様、ちゃんと出来るはずなのにどうして手を抜いたの? 先生悲しくなっちゃうわ」
「手を抜いたなんて……真面目に作りましたのよ」
その釜が初めてだっただけですのよ。それに、キラリンって成功音もなかったし。そういえば……最初の頃は、合成成功の音が頭の中で聞こえるようだったが、いつの間にか気にならなくなったわね。
イスキア先生はわたくしのポーションも木箱に入れると、誤魔化さなくて良いのよ、と口の端をつり上げる。
「……貴女の錬金術の腕前。もう人に教わるようなレベルではないことくらい……先生分かっています」
「……何を根拠にそのような……買いかぶりすぎではございませんの?」
やばい、先生がすごいのか勘が鋭いのか、わたくしが錬金術を出来るということが見抜かれている……!
どうしよう、適当な言い訳を考えておかなかった……!
内心ドキドキしながら先生の言葉を待っていると、だって、と赤い唇が動く。
「――……先生、ディルスターに住んでいたのよ。エリクは子供の頃から知ってるわ。リリーティア様は、エリクに錬金術を習ったでしょう?」
なんと、イスキア先生はエリクの幼馴染……!
ディルスターというのは錬金術師の村の名前で、わたくしとレトの錬金術の先生でもあり仲間でもあるエリクの出身地だ。
割とよそ者には閉鎖的な村だったのだが、たまに顔を出すわたくしたちはそれなりに村人と接していた。
当時わたくしは12歳という子供だったから……ということもあってか、道具屋さんでも商品を売ってもらえるようになったり、畑でとれたお野菜を貰えたり、良くしていただいたほうだ。
「……そうですか。イスキア先生は……ディルスターの」
「そう。リリーと名乗っていた貴女のことも、先生知ってるわ」
「いやだわ……覚えていなくて申し訳ございません」
「いいのよ。村にいたとき先生ったら全然化粧もしていなかったし、髪もこんなに伸ばしていなかったもの。先生の方が変わっちゃったし、名前も知らなかったでしょう?」
ああ、良かった。先生は知り合いだったんだ……。
確かにこんな感じのしゃべり方をしたお姉さんがいたのは覚えているが……すっごく申し訳ない。
「――では先生、お願いです。わたくしが錬金術を習得していることを、どなたにもおっしゃらないでくださいまし。成績は基準値ギリギリで、なんとか学院に残っている……というところを目指したいのです」
「な……なんて勿体ないことを言うの……!」
絶句する先生に、お願い致しますと頭を下げる。
とんでもないもの(=極めて高品質なもの)を作って、目立ったりしたくないのだ。
「リリーティア様。なにかそうしなくてはいけない理由でもあるの?」
「……申し上げづらい個人的な理由ですわ」
まさかクリフ王子と婚約破棄するための理由付け(リリーティアはバカだが、アリアンヌは極めて優秀! アリアンヌすごい! と思わせるため)として、などと口が裂けても他者に言えないだろう。
他人から見れば、次期国王となるクリフ王子の婚約者などとてつもなく羨ましく、名誉なことでもあるのだから。
まあそんなことで、理由を言わぬわたくしに先生は、聞きだしちゃおうかな~、と、可愛らしく詰め寄ってくる。
「言わないと人前でリリーちゃんて呼んじゃうわよ? 先生に教えてくれる?」
「よっ、呼んで困るのは先生じゃございませんか。フェーブル先生も貴族には注意されているようですわよ? それに、誰かに知られると困るので……!」
「じゃあ当てちゃおうかしらぁ。あのすっごく仲良しの赤い髪の子と一緒になるために、婚約破棄したいから?」
「ぐっ……、先生、お分かりでいらっしゃるなら……聞かないでくださらないかしら?」
「あらっ! 本当なの~? 当時から、あの子リリーティア様のことしか見てなかったものねぇ……フォールズ王国的にはマイナスだけど……卒業するまで頑張ってくれるなら協力してあげてもいいかしらぁ……そのかわり」
のほほんとした笑みでわたくしをからかっていた先生が、急にギッと眼光鋭くわたくしを見据える。ヒッ、何かしら。まさか本当によい子が見てはいけない本みたいなことを斡旋されるんじゃ……!?
「――……授業で調合したものを三日以内に、リリーティア様の技量に合わせて作成し直して、先生に渡してちょうだい。それが条件よ」
「え。それで、というかそんな簡単で良いんですの?」
「……授業でわざと下手に作ったものでも構いません。その出来と、授業態度次第で成績評価は付けます。でもね、貴女はエリクのお弟子さんなのだから……技量をさび付かせてはだめよ。だから、居残りでもなんでも良いから……ちゃんとしたものを作って、実力を見せて」
目を瞑ってくれる条件が、そんな優しくて良いのだろうか。先生は女神様かな。
「ありがとうございます、イスキア先生……!! では、ポーションも三日以内に持ってまいりますわ!」
「ええ。お願いね。楽しみだわ……そうだ、エリクは元気?」
「はい。今は昆虫の羽を素材にして、何か作っているようですけど……」
大量の良質素材が降って湧いたようなものなので、エリクはここ数日ずっと何か作っている。顔を見るのは食事の時くらいしかない。
その食事中も、基本錬金術の愚痴とか喜びを話すので、ジャンが虫の話をしながら飯食うの止めろと文句を言うくらいだ。
「虫? 相変わらず変わった人なのね……でもいいわ、それくらいのほうが彼っぽいし。よろしく伝えておいてね。それじゃ……あら。もうお昼結構過ぎちゃったわね。午後の授業に備えて、食堂に急いだほうが良いわ」
先生はそうしてわたくしとの会話を終え、教科書などを木箱の上に置くと、にっこり笑った。
わたくしが教室から出ると、ジャンの側には……なんと女子生徒が数人おり、彼を質問攻めにしているところだった。ペリースは黒だけ……ではなく、なんでブルーも混ざっているんだ。
「リリーティア様の彼氏さんですかぁ?」
「どんな女性がタイプですか?」
……一応婚約者がいるのに、ジャンが彼氏なワケないだろうと突っ込みたかったが……アーチガーデンでもモテていたが、久々にこういうの見たな。
ようやく姿を見せたわたくしに気づいたジャンが、こちらに視線を向けると……フッと笑う。
――あ、これ、またろくでもないこと考えたやつだな。
「お嬢さん方には悪いが……おれは一応御主人のものなんだ。他の女に、身も心も捧げるわけにいかねぇんだわ」
と、わたくしに近寄って自分の左手を胸に添え、軽く礼を取る……という、普段絶対やらないことをわざとやってくれる。
そして、うまくやってくれよと言わんばかりに目を細めた。
すぐこうやって周囲をかき回してヘイトを高めるんだから……。でも、わたくしのアドリブにいつも付き合ってくれているから、こちらもたまには合わせてやるか……。
「…………」
わたくしが軽く頷いたのを見ると、お嬢さん達は羨望と軽い嫉妬を混ぜ込んだ目を向けてくる。つらいのでそんな目で見ないで欲しい。
「……ごきげんよう、皆様。くれぐれも、ジャンの毒気に当てられてはなりませんわよ。これは親切な忠告……だと受け取ってくださいませ」
うちのクラスで『あの人の婚約者さ~、あの子より妹のほうとめっちゃ仲良くしてんのウケる~(意訳)』してくれてたあのお嬢さんは、あれからたまにジャンを熱っぽく、目を潤ませて見ているから……もう毒にやられたのかもしれんぞ。恐ろしいことですよ。
アルベルトが『カルカテルラ一族と相対すれば必ず死ぬと言われている』と教えてくれたが、この男は……ちょっと流し目を送るだけで(女を精神的に萌えさせて)殺すという技も持っているのだ。男も女もいろんな意味で殺されるとかどうなってるの。
レトがそれを上回る魅力を秘めていて心底良かったと思わざるを得ない。そのおかげで、他の男を見てもわたくしの感覚的が麻痺しているのかもしれないもの。
改めてレトって凄い子だなと思いつつ、腹減ったなとぼやくジャンを連れて食堂に向かっていった。