【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/38話】


 一週間ほど前、昆虫を様々な土壌生物などに変異させるという一大作業を終え――……まあほとんどやってくれたのは魔王様とレトなのだけど……――わたくしは、自分の『魔界計画表』と書いた水色のノートを取り出し、たまりに溜まった記入項目の追記を続けている。

 これは誰かに頼まれてやっている、というわけではない。

 けれど、いつかわたくしがいなくなったり死んでしまったあとに……後世の遺産となれば良いなと思って記載している。


 だって、魔界には過去の資料となるようなものがほとんどない。

 どんな家系なのか、歴史は、そして設計図や秘宝とかがあるのか……そんなこともわからないのだ。


 持ってきた植物や、今回のように魔物の一部を変異したこと、魔物から聞いたことなど……少しずつ溜まってきた情報(これ)を、初心を忘れないようたまに見返すことにしよう。

 暇を見ては書き、を繰り返し……溜めていた分の記載をほぼ終えたのでノートを閉じると、自分のマジカルな鞄の中にしまっておく。魔界にいない間はここに入れておけば、誰の目にも触れることはない。


 魔界のことだけではなく、学院のことも両立しなければならないのだから大変になりそうだ。

 軽く伸びをして、時刻を確認する。卓上の時計は、もう夜の十一時を指していた。そろそろ寝ないと明日に差し支えるわね。


 先程おやすみなさいと言ったから、もうレト達も寝る頃だろう。


 もう一度顔を見ておきたい……とも、わたくしの心に眠る乙女心的なものが控えめに訴えてくるのだけど、ドキドキして眠れないことになっては困るので――……今日はこのまま寝ることにした。

◆◆◆

 学院も始まり、もうそろそろ二週間ほど経とうという頃だ。


 クラスの皆様も、最初は貴族や教会の人と同じクラスだったということもあって、緊張したり遠巻きにしていたようだが――さすがにある程度は慣れてきてくれたらしい。


「お姉様っ、おはようございます!」


 だいたい皆座る場所が決まっているので、ここがわたくしの席……となっている場所に来ると、既に登校していたアリアンヌが声を弾ませながら、わたくしに笑顔を見せる。


「ええ、おはようございますアリアンヌさん」


 別に挨拶を無視するほどわたくしもひどい人間ではない。きちんと挨拶をしてくださったのだから同じように返すと、アリアンヌは……なぜか満足そうなため息を吐いた。


「今日もお綺麗ですね……」

「ええ。あなたも、充分かわいらしいかと」


 いただいた賛辞は素直にいただく。

 アリアンヌは相変わらず、クリフ王子にいただいたという緑色のリボンを髪に付け、愛用しているようだ。


「リリーティア。またアリアンヌに難癖を付けているのではないだろうな?」


 ヌッとやってきて、威圧的にわたくしに詰め寄ってくるクリフ王子。

 面倒くさいのであからさまに無視をすると、おい! と、いつもの怒気を孕んだ呼びかけが降ってくる。


「わたくし、朝のご挨拶も出来ぬような方とお話しすることなど……これっぽっちもございませんわ」

「貴様ッ……!」


 クラスの皆様も、クリフ王子がわたくしに何かおっしゃるときには大きめの声を出すことも分かってきたようで、そのたびに好奇の目を向けたり、ぎょっとされることも少なくなってきた……が、さすがにこれは人目を引いてしまったようだ。


「…………おはよう、リリーティア」


 挨拶するだけなのに、なんでそんなに嫌そうな顔で言われなくてはならないのだろう?


 わたくしがそんなに嫌いなのだろうか。何かひどく嫌われるようなことを……した気もするからしょうがない。


 どうせ婚約破棄をするんだ。好かれるよりは断然いい、むしろ予定通り好感度は下がっていくと割り切っておきましょうか。


「ええ、おはようございます。クリフ王子、あなたは最近短気ではありませんの? すぐ怒鳴るようでは――……」「うるさい。僕に指図するな」


 おっと、クリフ王子のご機嫌を速攻下げてしまったらしい。

 わたくしは軽く椅子から立ち上がり、失礼致しましたと謝罪しながら簡易的ではあるが軽く膝を折り、礼の姿勢を取る。


 それでもわたくしが比較的素直に謝罪したのを見て、うむ、みたいに大仰に頷き、アリアンヌの隣に座った。いや、そこ座んのかよ。他に行って欲しいんですけど。

 座ろうと思って椅子を引き、ちらりと周囲を見れば、通路を挟んだ席にあのアルベルトが座り……わたくしと隣のジャンの顔を見た後、立ち上がって頭を下げた。


「――……リリーティア・ローレンシュタイン様ですね。ご挨拶が遅れまして、大変失礼しております。俺……いえ、わたしはアルベルト・メラス。メラス男爵家の三男です。フォールズ王国近衛隊の所属であり、今回クリフォード王子の護衛を任されました。どうぞお見知りおきをお願い致します」


 あらあら。護衛のかた、ご主人様よりきちんと挨拶が出来て、よほど好感が持てるというものだわ。


 わたくしも一つ頷いて、簡単な自己紹介と、ジャンの事も自分の護衛だときちんと紹介する。


 するとアルベルトは、カルカテルラ、と呟いた。


「――確かカルカテルラ一族は八年前の戦いで……」

「……疑おうが構わねぇが、一戦交えてみりゃ分かんだろ? 気にするならいつでもいいぜ」


 ジャンは獰猛そうな目を向け、アルベルトに威圧的な態度を取る。

 その視線のせいか、いつもより機嫌が悪そうな声のせいか……アルベルトはジャンの何かに怯んで、ぺこりと頭を下げる。


「気に障ってしまったのなら大変申し訳ない。それに、お恥ずかしながらわたしは剣術があまり得意ではないので……できることならカルカテルラとの一戦は避けたいです。相対すれば必ず死ぬとも言われておりますからね」


「……あら。近衛の所属でも剣術が苦手なかたもいらっしゃるのね」


 わざとそのように尋ねてみると、アルベルトはぎこちなく作り笑いを浮かべて頷く。


「ええ。わたしはどちらかといえば魔術のほうが得意で。そちらの努力を買われ、近衛に所属することになりました。クリフォード殿下の剣術の腕前はわたしよりずっと高いですよ」

「僕はずっと騎士団長に指導を受けているんだ。近衛にだって引けを取らないね」


 すると、話を聞いていたクリフ王子は当然だと胸を張る。勝手に会話に割り込んでくるなよ……とは思ったが、確かにクリフ王子の剣術の腕は無印版から高いことを知っているので、黙って聞いておいてあげよう。多分アリアンヌが褒めてくれる。


「お姉様、クリフォードさまって、本当に剣術がお強いんですよ? 国で行われていた剣術大会でも上位に勝ち上がってるんです。私、また今年も拝見したいです!」

「任せておいてくれアリアンヌ。優勝を君に捧げることを誓うよ」


 目の前でいきなりそんな大胆発言が飛び出した。いいぞアリアンヌ……と思っていたら、後方から咳払いの声が聞こえてきた。


「殿下。リリーティアの気を引こうとしているのは分かりますが……そのように目の前で他者に、というやり方は感心致しません」


 声の主はマクシミリアンだった。諫めるのもどこか疲れたような声音なのだが、気持ちはとてもよく分かる。


「なっ……、マクシミリアン! 僕がこんな女の気など引こうとするわけないだろう! 適当なことを言うな」


 わたくしを指差し、失敬だなと憤慨しているが、どっちが失礼だと思うか、その指を逆の方向に折りながら問い詰めてやろうか……というのは想像だけに留めておく。


「じゃあクリフォードさま、私とお姉様のために、次は優勝を捧げてくださいね!」

「あ……ああ……アリアンヌが、そう言うなら……」


 きゃるんっ、という謎の擬音語が入りそうなくらい、あざとげな仕草でクリフ王子におねだりするアリアンヌに、クリフ王子もニヤけそうになる頬を押さえて頷いた。

……いつも、ジャン達はわたくしとレトを見るときこんな胸焼けに似た気持ちなのかなあ。と、我が身につまされる……。


 マクシミリアンはやれやれといった感じで苦笑いしながら、目だけでわたくしに済まないなと訴えかける。あなたのほうこそ、いつも大変ですわね……という目を向けておいた。




前へ / Mainに戻る /  次へ


こめんと

チェックボタンだけでも送信できます~
コメント