――……翌日。学院はカレンダー通りに週末や祝日はお休みなので、今日は登校しなくて良い日だ。
わたくしは朝から魔界へとやってきて、当然のように皆で食事を済ませると、術を発動させる現場に向かう。
傍らにはレトがいてくれるし、二人でこうして行動を共にすると……ようやく今までのようだなという感じがして嬉しい。レトへそう正直に話すと、彼は満面の笑みを浮かべて『うん!』と同意してくれる。
この、うん、が可愛いと以前からわたくしは密かに思っているし、とにかく眩しい笑顔を向けられたわけで……今日も魔界の太陽は尊い。
守りたい、この笑顔……。よし、昆虫がなんだ。今日も頑張ろう。
わたくしはまるでジャングルの奥地へ向かうように、背丈ほどもある草むらをかき分けて進む。道中、あの巨大バッタさん達が草をかき分けた瞬間に顔を出すので、ご挨拶も一応しておいた。至近距離に突如出現するので心臓に良くない。
とはいえ、こちらは彼らのお食事タイムを邪魔してしまっているので、ごめんあそばせと言いながら進む。
ようやく開けた場所に出ると、そこには以前作ったゴーレムくんたちがおり、指示通りに周辺の草を刈り、土を軟らかくしてくれている。
見れば、まだ植えたばかりの広葉樹の若木などもあり、ノヴァさんやゴーレムくん達は手分けしてこちらの活動も進めてくれたようだ。
刈った草は土の上にそのまま投げ出されているのだが、これでいい。
「それじゃあ……下準備だけ始めよう。リリーは精霊石を置いたあと、できるだけたくさんのバッタたちに集まるように言ってくれるかな」
レトが『来い!』と呼びかければ、種類ごと……この場合、あの巨大バッタもたくさん集まるのだが、魔界中に集合をかけることになることと、招集中は手をかざして魔力をずっと消費し続ける。
しかも、招集している時は他のことに集中できないようなので、無防備かつマルチな作業をこなせないようなのだ。
なので、レトは地面に魔法陣を描くため、わたくしに呼びかけを行わせるようだ。ヘリオス王子にはまだ出来ないようだもの。
わたくしは了承の返事をすると、なるべく大きな正方形ができるように結界石を四隅に置いていく。
「まだ、魔法で閉じなくてもよろしいのでしょう?」
「そうだね。このまま閉じられると、俺が外に出られなくなるから。石は置いておくだけで頼むよ」
「ええ――魔法陣はどれくらいの時間で描き終えそうですの?」
「材料は揃えてあるから30分くらいかな」
既に作業に取りかかっているレトの邪魔をしないように、わかりましたとだけ答えて、また来た道を戻る。
再びバッタさんたちに出会うと『魔界のために姿を変えて生きて欲しい』と、直球で頼んでみた。
「チガウ姿? 何ニナル?」
「分かりませんわ。ただ……あなたが今よりも小さい生き物になることだけは、分かっておりますの。食べ物も新しい物になると思います。抵抗はあるでしょうが、どうか――」「オウ。イイゾ」
まさかの快諾に、わたくしは思わずバッタさんの顔をまじまじ見つめてしまった。彼の黒い目には、わたくしの輪郭がぼんやり映って見える。
「魔界ノタメ、ナル。ソレニ、葉ヲ食ウノ飽キタ! リリー早クヤレ」
妙にやる気になっている。ありがたいけれど、早くやれと来たか。そんなに葉っぱ嫌いだったのかしら。
もう少し待ってください、と言うと『早クシロ』とゴネられる。なんとか説得しようとしていると、別の場所からバッタBが現れた。
「リリー、オレサマタチ、何ハナシテル?」
そういえば、既にわたくしはバッタさんたちに呼び捨てにされている。それどころか、こっちも今わたくしをリリーと呼びましたわよね。既に周知されているというのかしら。なんだか分からないけれど、虫のネットワークは凄いようだ。
「リリーハ、オレサマヲ、新シイ生物ニスル! ダカラ新シイ食ベモノ、食エル」
「スゴイ! リリー、オレサマモ、新シクシロ」
「えぇ……? それは、こちらとしてもお願いしたいところではありますが……なぜ新しい生き物になりたいのか、理由をお伺いしてよろしい?」
聞けば……魔界にやってきたのは良いが、地上より体と植物の生長がとても早いというのは、彼らも気づいていた。
そして、草も本当はもっと地面に近く柔らかい、太陽の日差しをいっぱい浴びたものが食べたいのだという。
魔界には魔力と日差しがあるものの、まず魔力を吸い上げた草が生長しすぎて日を遮る。伸びた草だけが太陽を独占することになるため、そういった草はバッタさんたちの間でも人気のもの。
実は、食べ物を巡ってバッタさんたちの種族だけではなく、他……すなわち別種のバッタや昆虫でもケンカがよく起こっているらしい。
「つまり、草食性も飽和状態であると。確かに、捕食者もおりませんものね」
「レトゥハルト殿下、オレサマタチ、大事ニスル。ソレ、ウレシイ。デモ……チャント、生物ノ理、守ルベキ」
表情を変えずにそんな難しいことを平気でいってくるバッタさん。
生物の理、ときたか。
わたくしは昆虫という存在をたぶん……心の奥底でバカにしていた節があったので、教えられる部分をひしひしと感じながら、彼らの知能の高さに衝撃を受けた。
レトも『魔族だからと過保護になって環境を作り変えないで欲しい。自然界の掟を遵守した生活のほうが我々は幸せだ』などと虫に言われたら、かなり驚くことだろう。後で教えておこう。
「つまり、鳥さんやカエルさんに食べられても当たり前だと」
「ソノ通リダ! ニンゲンガ、オレサマタチ、踏ンデモ……ソレモ仕方ナイ」
「強イモノ、賢イモノ、適応デキタ者残ル。ソレ、アタリマエ」
「……お見それ致しましたわ。その通りですわね」
なんだかバッタさん、あなたたち可愛くて賢そうな顔に見えてきたわ。
そっとバッタさんの背中を撫でると、我も我もと虫たちに取り囲まれる。
ざらざらした背中を流れ作業のように撫でていると、遠くでレトが呼ぶ声が聞こえた。
「ここです! もう終わりましたのー?」
声を張り上げると、レトの声が聞こえなくなった。そのかわり、ガサガサと草をかき分ける音が聞こえるので、多分彼だろう。
「もう終わっ――な、何してるの!?」
そして、予想違わず草の間から顔を出したレトは……わたくしがバッタさん達に囲まれているのを見て、瞠目した。当然だと思う。
「リリー、オレサマタチノ、背中ナデル、ウマイ」
「えっ……リリーって呼び捨てにしていいのも、リリーを撫でられるのも俺だけなんだ。お前達はだめだよ。リリー様とか、リリーさんと言いなさい」
そうして叱っている独占欲丸出しのレトは可愛いのだが、リリーと時折呼び捨てにしているのは確かジャンも同じだ。だが、水を差すことになるのでそんなことを指摘する必要はない。
「じゃあ、バッタさんたち。魔界の生態環境を整えるため、協力してくださる昆虫たちの一部を呼んできてくださいな。なるべく早めに」
「ワカッタ」
そう言ってバッタさん達は四方八方に飛んでいく。それをまた、ぎょっとした顔で見届けるレトは……何を言ったの、と怪訝そうに聞いてきた。
わたくしがバッタさん達から教わったことを伝えると、レトもわたくしと同じように……ああ、と感嘆の声を発してから頷いた。
「民達自らもそういう事を考えていたなんて……とても偉いんだね」
「全員がそういう考えをお持ちかどうかは分かりかねますけれど、わたくしも教わって衝撃を受けましたわ」
草むらのあちこちが騒がしくなってきた。
わたくしとレトは、魔法陣の周辺まで移動する。
「……しかし、たくさん入ったら陣の文字が消えてしまうなどは……ございませんこと?」
わたくしは後方の魔法陣をチラリと見つめた。
結界石の中に、紫色の塗料……これは魔石を砕いて作ったものかしら……で描かれた、難しい陣形と細かい魔法の文字。
「描いて、定着の印は結んだ。全部終わったら解除すれば良いだけなんだけど、途中で壊れたりはしない」
レトが自信たっぷりに言うので、わたくしは疑うことなく信用し、彼らがここへ仲間を連れて来るのを待つことにした。