本日の学びが午前中で終わると、自分の席の後方に座っていたセレスくんが、リリーティア様と声をかけてきた。
普段は『リリー様』と呼んでくれるのだが、学院ではよそよそしさが互いにアップしている。わたくしも学院で彼を『セレスくん』とは呼ばず、司祭様だったりセレスティオ様だったりしているのでお互い様だ。
「あら司祭様。ちょうどお伺いしたいことがございますの」
「私に分かることでしょうか……?」
目つきと口が悪いジャンとは違い、セレスくんは声も顔も穏やかである。
どうしましたか、と表情で促してくるので、図書館の場所を聞いた。
「王立図書館でしたら、ウォルテア市場の近くにありますよ。この間、案内しそびれてしまいましたね……もし、リリーティア様がこの後予定がないようでしたら……ご一緒させていただいても良いでしょうか」
「ええ、こちらこそお願いした……あっ……マクシミリアン様に、許可をいただいてきます。お待ちを」
最近リリーティアは市街をふらふらしているので、クリフ王子のご機嫌次第では、出かけるのを禁じられてしまうかもしれないのだ。
クリフ王子はクラスの女生徒と何やら話しているようだし、マクシミリアンは鞄に筆記用具をしまっている。今がチャンスだぞ。
「――……失礼、マクシミリアン様」
「ああ、リリーティア。どうした? ……その顔は、またどこかに出かけたいという顔だな」
用件はまだ言っていないのに、マクシミリアンはずばっと指摘する。
わたくしが頬を片手で押さえながら、よくお分かりですわねと言えば……彼は『君が終了後に話しかけてくるのは、それ以外ほぼ無いから』と小さく笑う。
「今日はどこに行くつもりなんだ?」
「セレスティオ様に、王立図書館を案内していただくのです。今後、調べ物をするとなるとお世話になるでしょう? どのような書籍が収められているのか楽しみです」
すると、マクシミリアンは違和感を覚えたような表情で、そうか、と頷いた。
「半年前から思っていたが……君はずっと勉強も本を読むのも嫌いだったのに、随分勤勉になった。将来のためという自覚が芽生えたんだろうか」
「ま、まあそんなところですわ! そうですわね、将来、ね……」
残念ながら、わたくしが将来を考えて横にいる相手はクリフ王子じゃないのだけど……言った張本人のマクシミリアンですら、目は笑っていない。
なんとなくわたくしがクリフ王子のために勉強しているわけではない、というのは気づいていそうなんだよな……。
「――まあいいだろう。さすがに連日、急に決まる行事などない。門限までには戻るように」
「ええ、ありがとうございます。本日は食事も不要ですので、食堂には降りませんけれど……必ず時間までには戻ります」
「わかった」
マクシミリアンの視線を背中に感じながら、再びセレスくんのところに戻ると大丈夫だった旨を告げる。
セレスくんもにっこり微笑んでから、わたくしの肩越しにお目付役のマクシミリアンに会釈した。お任せください的な意味合いだろう。
わたくし達がクラスから出ようとすると、待て、と鋭い声がかかり……なぜかクリフ王子がこちらにやってくる。
「僕に挨拶もせず、勝手にどこへ行くつもりだ!」
「えっ? ああ、そうでしたわね……これは失礼を」
マクシミリアンに挨拶しておいて、クリフ王子にはしない……というのも確かにおかしな事だった。
わたくしは制服のスカートをほんの少しだけつまんで深々と礼をし、ごきげんよう、と告げるとくるりと踵を返す。
「では」
「――おい。挨拶すれば良いとは言っていない!」
「市街で食事をし、図書館に行くのです。それでは」
「おい!」
おい! おい! ……って、うるせーわね。オタ芸職人かよ。アリアンヌの前でサイリウム振ってろっつーの。
「なんでしょう?」
いかにもめんどくさいという顔をしてしまったが、言いたいことがあったら早くお願いしますよ。
「なんでしょう、って……。たまには僕とお茶でもしたいと思わないのか?!」
「…………は?」
クリフ王子の口からわたくしにそんなことを言ってくると思わなかった。
しかも、わたくしがあいつにお茶したいと思うのかよ。して欲しいの間違いじゃないのか?
あまりにびっくりしたので、間の抜けた声が出てしまい……わたくしに提案してきたクリフ王子の顔に、さっと朱がさす。
「ぼ、僕は一応貴様の婚約者なんだぞ? たまに時間を割いてやらないと、アリアンヌにまた今朝のような仕打ちをしかねないからだ。お茶を共にしてやってもいいと言っているんだ」
「申し訳ございませんが本日は辞退させていただきます。アリアンヌさんとお楽しみくださいませ。ごきげんよう」
てっきりわたくしが頷くものだと思っていたらしいクリフ王子は、わたくしが即座に離れていくのを見て、ぎょっとした顔をしていたが……慌てて追いすがる。
「なっ、僕がいいと言ってやったんだぞ?! 素直に――」「クリフ王子。わたくし……教会の方と先約がございますの。この意味がお分かりですわね? ごめんあそばせ」
いくら王家とはいえ、特別な権威を持つ教会とは対立したくはない。
ましてやセレスくんは、人の素質が分かるという特異な能力を得ていることもあり、教会の寵児ともいえる存在なのだ。
「…………」
クリフ王子は不機嫌そうな表情を浮かべ、セレスくんとわたくしを交互に見て、勝手にしろと言い捨てて教室へと戻っていった。
再び歩き始めたわたくしに、一部始終を見ていた周囲の視線が刺さる。
決して好感の持てる視線ではなかったけれど、教会が優先ではしょうがないよな、というような生ぬるい視線も感じる。
「なんか……よかったんでしょうか」
「ええ。クリフ王子も彼なりに今朝のことを気にしたのでしょうが……まあ死ぬわけではな――いや、三年後死ぬかもしれませんわね」
――思い出したわ。断罪ポイント(仮定)を。
実装されているかは定かではない、わたくしが勝手につけた隠しポイントのことだ。
無印版では、悪役令嬢リリーティアが……アリアンヌに行った数々の仕打ち(※実際やっていることプラス虚偽の上乗せ)をクリフ王子に断罪される『不正発覚』というイベントがあるのだが、ここでリリーティアは総スカンを食うのである。
んでもって、その後学院に魔族が襲撃してきて、リリーティアは黒い獣の爪に引き裂かれて殺される、というようなナレ死。
この黒い獣、リメイクで昇格してレトになったんじゃないかなーって思ったりもしているのだが……もちろんご本人の耳には入れておらず、わたくしの勝手な紐付けだ。
で、断罪ポイントとは何かということだけど、クリフ王子の意にそぐわない行動をすると、それが貯まっていって……最後にわたくし処刑されるんじゃないかと思っている。
しばらくその存在を忘れていたが、ここ数日の間に割と貯めてしまった気がする。
嫌だけど、アリアンヌを誘って三人でお茶でもしましょうかね……。でも、貯まったポイントってそういう時に減ったりは……しないわよね、きっと。
そんなことを考えつつ学院を出て市場に向かうところで、ジャンが腕章を外す。
「学院に入るときや提示を要求されたら、出しゃいいだろ」
「わたくしも制服を着たままですものね。学院の生徒だというのは分かりますし……着替えてからだと、出かけたくなくなりますもの」
すると、セレスくんが聞きましたよ、とにっこり微笑んだ。
「あのお二人、ご一緒にいると」
「……ええ。親御さんは大手を振って大歓迎の姿勢を見せておりますのよ」
誰とは口にしないが、わたくしたちの中では意思疎通できている。
セレスくんの部屋にもメモリーストーンを置くといっていたけど……あ。
「そういえば……セレスくんはどの階に?」
「四階の一番奥の部屋です。リリー様の反対側ですね」
「――ああ、やはりそうなんですのね。じゃあ互いに近くてよろしいこと」
「そういうわけにもいきませんよ。私が特別な用もないのに、令嬢のお部屋を訪ねるわけありませんからね。理由付けに必死になっちゃいます」
それもそうか。セレスくんとの外向きの間柄では、用事など学院でこなせる程度……顔見知りくらいの近さだろう。
「先に……お昼、何をいただきましょうか」
「お魚料理の美味しいお店がありますよ。家庭的で、値段も良心的なんです」
「あら、良さそうですわね。そちらに致しましょう」
わたくしとセレスくんは頷き合い、とりあえずお昼ご飯にしながらいろいろと情報を共有しようという運びになったのだった。