【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/29話】


 クリフ王子はわたくしを鋭く睨みつけたままこちらに近づくと、アリアンヌの肩を掴んだ。彼女の長い金髪に視線を移し、ほどけかかったままのリボンがついているのを見ると、ほっとした表情を浮かべた。


 あの、と言い募ろうとする彼女を自分の方へ引くようにし、一体何が何だかよく分からないままのわたくしを忌々しそうに冷たい目で睨む。今日は一体なんだというのかしら。


「……このリボンは、僕が彼女に送ったものだ。貴様、それを無理矢理奪おうとしたな? 昨日も僕がアリアンヌと王宮に行ったのが気に入らなくて、マクシミリアンに泣きついて陛下と自分の両親に文句を言ったんだろう? 自分で言いに来れば良いのに、やり方が陰湿なんだ! そんなにアリアンヌが羨ましかったのか?」


「…………」


 ちょっと何言われているのかよく分からないので、わたくしは思わず真顔になってクリフ王子をまじまじ見据えてしまった。どうやら、クリフ王子にはわたくしがアリアンヌをいじめ、リボンを奪い取ろうとしているように見えたらしい。


 勘違いの上、朝っぱらからこんな大声を発してクラス内外の注目をいやというほど集めた後、婚約者を怒鳴り散らすという……びっくりするくらい軽率な態度でわたくしと向かい合っているのだ。呆れて二の句が継げない。


 たくさんの驚きが一度に襲ってきたせいで言葉を発せずにいると、クリフ王子がなんとか言ったらどうだと更に言葉を重ねてくる。


 とっさに出せるのは『バカじゃないの?』って言葉しか浮かんでこない状態なので、これをもう少しやんわりとオブラートに包もう……などと考えていると、アリアンヌが『違います!』とクリフ王子の手を振り払ってわたくしの前に立ち、彼と向かい合う。


「クリフォードさま、お姉様は私をいじめたりなんかしていません! 朝、支度が遅れて……急いで来たから髪が乱れたままだったんです! リボンの結び目に髪を巻き込んでいるとお姉様が教えてくださって、直していただこうとしていただけで……本当なんです!」


「そうです、殿下。リリーティアは昨日のことだって、不平を言うことなどありませんでした。二人が無事に戻れば構わないとまで言っていたのです。手紙はむしろ俺が勝手にやったことです。処罰なら俺が受けましょう」

 マクシミリアンとアリアンヌが、必死にクリフ王子へ違うのだと弁明しようとしているのだが、頭に血が上っている王子様は二人の説得に耳を貸さない。


「ふん、この二人に口止めまで行っているとはな……マクシミリアン、アリアンヌ……大丈夫だ、僕はちゃんと分かっている」


 むしろ二人がわたくしの味方をするので、逆に懐柔されていると思っているらしい。二人とも首を横にめっちゃ振ってるでしょーに。全然分かってないじゃん。


 まったく、なんっ……て、なんて、バカなのかしら!!

 仮にいじめるなら人目につかないところでやるに決まっているし、懐柔しようとしたなら、品行方正なマクシミリアンは絶対ブチ切れてわたくしが文句言われているはずだ。


 だというのに、聖人みたいな顔をし、二人に『分かってるよ』オーラを出すクリフ王子が滑稽すぎて、怒っていたはずなのに次第に笑えてきてしまった。


 噴き出すのだけは堪えようとしたが……、あ、だめだ。笑いそう。


 顔を背け、声が出ないよう口元を押さえたまでは頑張ったが、肩の動きは制御できない。ふるふると小さく震わせてしまった。

 アリアンヌたちを許しても、わたくしの些細な行動を許してくれるようなクリフ王子ではない。その動きにも、当然彼は反応した。


「ふん、泣いて許して貰おうと思っているみたいだが、貴様が嘘泣きでうやむやに誤魔化そうとしているのはお見通しだ!」


 泣いてない! 泣いてないの、面白くて笑っちゃってるだけなの……!


 もうクリフ王子何を考えてるの? 王子であることを止めて、エンターテイナーでも目指しているのかしら。


 そんな的外れなことばかり言って、わたくしを笑わせようとしているなら、『ふぅん、ただのつまらない奴かと思ったけど、なかなか面白い男ね……』と、乙女ゲーの攻略男子みたいな台詞を放ってさしあげたいところだ。


「おっ、お姉様……!」


 わたくしが泣いているのではなく笑っているのだという異変に気づいてくれたのはアリアンヌだ。もしかしたらジャンも気づいたのかもしれないが、彼はまだ動こうとしない。


 アリアンヌはわたくしの肩に手を置き、クリフ王子の視線から隠すように回り込むと、堪えてくださいと耳打ちした。


 きっと、この様子はクリフ王子から見れば、意地悪をしたわたくしを慰め、許している優しい義妹……にも見えることだろう。


「……クリフォードさま、お姉様を許してあげてください。私もクリフォードさまの優しさに甘え、お姉様に配慮をせず……傷つけてしまいました。だから、お姉様の責ではありません」


 そうよ。もう許してちょうだい。笑いのツボに入ったら、しばらく戻ってこられない気がするわ。


 ようやく落ち着いてきたわたくしだが、笑いを堪えている間に、目にうっすらと涙が……。ちょっとばかりぼやける視界でアリアンヌとクリフ王子の様子を探ろうとしたが、二人は息を呑んで、わたくしのほうを見ていた。


 二人だけではない。教室中がしんと静まりかえって、息を潜めつつも全員がわたくしたちに注目している……のが感じられる。


「お、ねえさまっ……!」


 アリアンヌの様子がおかしい。

 なんでわたくしを、子猫でも見るようなきゅんきゅんした顔で見つめているのだろうか。


 クリフ王子も、まだ文句でも言おうとしたらしいのに、指を突きつけたまま何も言わない。


「リリーティア、涙を拭くといい。朝から驚かせてすまなかった」


 マクシミリアンがハンカチを差し出してくれたが、ああ、泣いていると思われたのだなと気づいて……自分のがあると断ると、目元を拭った。


「……悲しくて泣いたのではございませんの。どうか皆様お気になさらず」


 だいたい、今のやりとりのどこに悲しいことがあったというのだ。

 しかし、クリフ王子は急に大人しくなり……怒鳴って済まない、などと謝罪までするではないか。


「えっ……え、ええ……もったいないお言葉、です……?」

「つ、次から気に入らないことがあったら、次はマクシミリアンではなく僕に直接言いに来るんだ。いいか、分かったな!」


 わたくしがこくりと頷くと、それで話は終わったというようにクリフ王子たちは別の席へと向かっていく。さすがにこの状態で、アリアンヌの横には座りたくなかったのだろう。


 わたくしに視線を向けるマクシミリアンが、口パクでまた『すまない』と言っているのが分かって、首を横に振る。あなたもご苦労様ですこと。

 おや、よく見れば……クリフ王子の後ろを、赤い腕章を付けた男が歩いているじゃないか。


 腕章をつけた背の高い……ピンク髪の男は、わたくしを一瞥した後、軽く会釈をし、教室の中央くらいに移動していった……クリフ王子の隣に座る。

 ジャンと同じように佩剣(はいけん)していることから……剣士、なのか……?


「……あいつが護衛か?」


 ジャンが小声でわたくしに確認してくるので、そうだという意味を込めて首肯すると、名前は、と続けて質問が来る。


「アルベルト・メラス……のはずです。マクシミリアンがそう教えてくれました……けれど……」


 ただ、わたくしの知っている設定や情報とは大きくかけ離れている。無印版では髪もピンクじゃなかった。それに、剣なんか使ってなかった。


――だって、彼は。


 魔術師だったのだから。




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こめんと

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