【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/25話】


 魔界。それは魔物が本来住んでいるはずの、人間達が住む世界の地下に広がっている――もうひとつの世界。

 地上には様々な国があり、それぞれを各国の王が治めているけれど、魔界は全ての土地が魔王様のものになっている。つまり、魔界は一つの国しかなく……統治者は魔王様ただお一人のみ。


 地上に広がっている土地よりも広いであろうその魔界は、恐らく全てを探索し終えていないのだと思う。現存する資料もないので不明確だが、わたくしが魔界にやってきた初期の頃は、どこまで行っても赤い荒野と岩が広がる大地が広がっていた。


 そこからわたくしたちは魔王城の周囲から手を加え始め、畑を作り、家畜を飼い、植物の苗を植え……エリクの成長促進剤を与えた結果、植物が芽吹き、木々は生長し始めたのだ。


 そこからドラゴンを連れて帰り、植物型の魔物を誘ってみたり、と様々な頑張りの甲斐があって、現在は魔界も民が増えて賑わってきたようだったが――……。



 わたくしの携わっていない、この半年という期間で魔界は……随分と変わっていた。


 様々な生命を育てるために開発した疑似太陽は時限式で、夜になると光量と熱量を落として月に変わる……のだが、月は目に見える範囲で四つ出ていた。


 一つ一つが大きめのバランスボールくらいの大きさのものを空に浮かせている。照らす範囲などにも限度があるのは分かるけど……なんだか不思議な光景だわね。


 魔王城の前方に作ってある畑……の先には、グリーンドラゴンの巣がある。

 彼らの身体から放出される【魔素】という、魔界の環境によりよく働く力のせいか……魔王城の周囲に生えている草木はわたくしの背を優に超え、手入れも追いつかないのか、伸び放題でほぼジャングルのようになっていた。


 畑の近くにまで雑草……といっては失礼だけど不要そうな草も生えていて、今わたくしが履いているようなかかとの高い靴では歩くのも大変だ。

「…………」


 わたくしは周囲を見回してみるものの、草の壁に阻まれて遠くまで見渡すことが出来ない。


 取り急ぎ、皆に会って挨拶しようと魔王城の方へ歩いて行くと……目の前をサッと黒い影が横切った。


「きゃっ?!」


 思わず悲鳴を上げてしまったが、横切った何かを見ると……猫くらいの大きさのコウモリ? だった。


「……おや、失礼」


 コウモリみたいなものがそう喋って、わたくしがぎこちなく頷くと、彼? 彼女? ……は怪我もなく大丈夫だと思ったらしい。


 飛び跳ねるようにしてまたジャングルに飛び込んでいく。一応謝ってもらったけど、あれも魔物……魔界の民なのね。羽があるのに飛ばないのかしら……? そもそもコウモリでいいのかしら?


 いろいろな疑問を抱きながらしばらく魔物が消えた方向を見つめていたが、気を取り直して歩を進めると魔王城に入る。

 水晶で見たとおり、城内は変わっているところもなさそうだ――と、ほっとしたのも束の間。

「……!?」


 真っ黒な靄みたいなものが……城のあちこちに蠢いていた。


「レト、レト……? あの、黒いモヤモヤしたものはなんですの……!」

 もしやオバケじゃないかしら!? 彼の腕を引っ張ってそれらを指し示すと、レトは何でも無いことのように『シェイド』と答えた。


「闇の精霊だよ。最近、環境が変わってきたから精霊も増えてきた。暗いところが好きみたいだけど、いたずらするわけじゃないから放っておいて大丈夫」


 そう言われても……夜中見たらびっくりしてしまいそうなのだけど……。

 ジャンなどは、先程から剣の柄に手を置いたり離したりと忙しい。

 頭で分かっていても、反射的に置いてしまうのだろう。


 ふと、廊下の先からなんだか良い匂いが漂ってきているのに気づく。

 夕食中のようだ。みんなが集まっているのを期待してキッチンに顔を出すと……ノヴァさんとエリクが静かに食事を摂っていた。


「――おや、リリーさん? ジャンニまで」

「ちょうどあちらで夕食を終えたところでしたの。今日は多分誰も部屋を訪ねてこないので、魔界に戻ってきたのですわ」


 ダイニングの空いている場所は、いつもわたくしたちが使っていたお決まりの席だ。埃をかぶることなく、きちんと掃除されているのも嬉しい。


 懐かしさと嬉しさを持って見つめていると、何か召し上がりますか、とノヴァさんが聞いてくれた。


「食事は不要ですわ。でも、明日の朝食はこちらで……皆と一緒に、摂りたいです」

「ええ。お待ちしています」


 ふわっと微笑むノヴァさんの表情は優しく、エリクも食事中なので頷いただけだが、二人から歓迎の意思が感じられてわたくしも笑みを返す。


「それでは、魔王様にご挨拶をして参りますわね」

「ええ。きっとお喜びになると思いますよ」


 すると、ジャンはおれはここにいる、と言って元々自分が使っていた椅子を引いて座った。ご挨拶は強制ではないからそれでも構わない。


 ヘリオス王子を連れてこなかったが、彼は疲れたので寝ると言っていた。

 小鳥の姿で長いこといたようだし、食事もままならなかったりしていたのでは心身共に疲弊してしまうのも無理はないだろう。


「ノヴァ、後でちょっと時間作れ。地上が平和すぎて、身体と感覚が鈍ってくる」

「それはこちらもですよ。喜んでお相手致しましょう」


 ああ、なるほど。二人は手合わせしたいわけだ。この半年連れているままだったから、余程退屈だったんだろうな。


 わたくしはごゆっくりと告げ、レトと魔王様の居室――といっても目の前の扉を開ければそこにいるのだが――に向かった。


 魔王様の居室……執務室兼、魔王様の寝室兼、居間である。つまり魔王様の生活の場がこの一部屋に収まっている。


 つまり毎日だいたいここで引きこもっている。半年ほど前に、ようやく廊下を歩いたりする魔王様を目撃した。最近もちゃんと外に出たりされているのだろうか。


「父上。リリー、ジャンと共に帰還致しました」


 レトが片膝をついて、モコッと膨れたベッドのほうへ声を掛ける。

 魔王様がベッドで丸くなっているのは……拗ねて寝ているわけでも具合が悪いわけでもなく、この状態が魔王様のデフォルトなので気にしないで欲しい。


 レトが声を掛けると、ポコッとベッドの中から顔だけ出して、魔王様がじっとわたくしを見つめた。


 外見は三十代後半くらいだろう。レトと同じく赤い髪に金色の目。

 お父様だけあって、やはりめちゃくちゃ格好良いのだが、この寝起きみたいな体勢では三割くらいしか魅力を引き出せていない。


 立ち上がるだけでイケメン度が上がるなんて意味分からない……と思うかもしれないが、普通に外見を整えるだけで目を開けているのがつらいくらい格好良いのだ。それを今日見せてくれないのは残念である。


「――やあ、リリちゃん。久しぶりだねえ」


 のんびりしたお声。ほわっと微笑まれるだけで、わたくしは嬉しくて頬が上気してしまう。


「魔王様。お久しぶりでございます……! ご連絡できず大変申し訳ございません」

「いいんだよ。それより、ペンダントのこと伝え忘れちゃってたから、本当にごめんねぇ。年を取ると忘れっぽくなっちゃうのかなあ……」


 やれやれと言いながらベッドから身を起こす魔王様。外見は若いのだが、多分見た目の倍以上は生きていらっしゃるはずだ。


「もう魔界に帰ってきてくれた……わけじゃないんでしょう?」

「はい。レトに……いえ、レト王子に連絡を取ったことがきっかけで、本日いろいろなことが……」


 レト王子という呼び方も懐かしい気がするねと魔王様は微笑み、今日あったことは先程レトたちが戻ってきたときに、既に報告をもらっていると仰った。


「レトゥハルトとヘリオスが押しかけてしまうことになってすまないね。二人ともリリちゃんの側にいたいから、我慢できなかったんだろう」

「そこは魔王様がお止めになるところだと思うのですが……」


 すまないと思うのなら、マクシミリアンくらいには諫めたり止めたりしてほしいものだ。

 だが、魔王様は――どうして? と、本当に分からないといった顔で聞いてくる。

「ぼくとしても魔界としてもね、リリちゃんが早く帰ってきてくれた方が都合が良いんだ。君の魂は異世界人なのかもしれないけれど、ぼくらにとっては【魔導の娘】そのもの。今は地上に行ってしまっているでしょう。婚約者がいるとかいないとかは、魔界から出なければ全然問題ないのに……けじめとして、っていう君の個人的な都合でお役目を中断している事……忘れて貰っちゃ困るんだよ?」

「はっ……、も、申し訳ございません……」


 優しいモノの言い方だが、魔王様は静かに怒っておられるのが分かる。

 わたくしはこのままくびり殺されないために、土下座すべきなのではないだろうか……。


「リリちゃん全然帰ってきてくれないんだもの。いっそのこと既成事実を作って貰ったほうが、即婚約破棄で家も追い出されるだろうし、魔界の復興も進むし……こちらとしては良いことずくめでありがたいんだけどねえ。そう思わない? レトゥハルト。なにをぐずぐずしてるの?」

「い、いや、父上……そう期待のまなざしを向けないでいただけませんか」


「できないの? そんなに奥手だと、リリちゃん他の奴に狙われちゃうよ!」

「わ、わかりました――」「もう! なんて話をなさっているのです! ふしだらなのはいけませんわっ!」


 どう答えようとしていたのか、顔を赤くしてしどろもどろになっているレトを問い詰めて言質を得ようとする魔王様。


「……魔王様のお気持ちはよく分かりました」

「そう? じゃあ話は早いねえ。すごい媚薬作ってあげようか?」

「そんな怖いもの要りません。間違えてジャンやアリアンヌさんが飲んでしまったら大変なことになりますので」


 なんだよ『すごい媚薬』って。そんなCERO様レーティングにダイレクトアタックしそうな薬作ろうとしないで欲しい。ピュアラバは全年齢なのだから、するとかしないとか明言されても困るのだ。


「間違いないようにレトゥハルトに持たせておくね!」

「もう一度言いますけれど、要りません」


 再びきっぱり断ると、とても残念そうな顔をされた。


 こうして息子さんのことになると、ちょっと強引な手段を執ろうとしてくる魔王様……普段ただ寝ているだけのようにも見えるけど、洞察力や能力はとても高い。


 わたくしが異世界人であるというのも見抜き、全てを吐かせられた上で……魔王一家はわたくしを認め、レトもわたくしを受け入れて好意を示してくれるわけだ。


 そういうありがたい境遇なので、わたくしは誰に強制されたわけでもなく魔王様に忠誠を誓っているし、魔界の礎になっても良いと思っている。


 だが、魔王様の仰るとおり、わたくしの都合で今はお役目を中断している状態なので……たまにはちゃんとお役目をしなければいけないわ。 


「とにかく……魔王様。わたくし媚薬とかそういう話をしたいわけではなく……そう、今しがた城門前を見ましたが、大変な雑多ぶりで驚きました」

「ああ、そうなんだよね。みんな仲間は有能なんだけど、リリちゃんがいないせいか……魔界のバランスが異常なんだ。バッタの話は聞いた? なんか通常のより巨大なんだよねぇ」


……巨大? 大きさについては聞いていなかった。


「……バッタ、わたくしの考えているのは……せいぜい5センチ位と思っていたのですが……」

「とんでもない。20センチくらいあるよ」


 自分の手で大体の大きさを作って、魔王様に視線を向けると、魔王様も『それくらい』と頷く。


 まさかの巨大バッタの大量発生。ビジュアル的にも、環境的にも恐ろしい問題であると再認識した途端軽いめまいがして、額に手を当てた。



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こめんと

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