「――リリーティア!」
自室に向かっている最中、後を追ってきたのかマクシミリアンがわたくしを呼び止めた。若干焦りを浮かべながら、わたくしの目の前で立ち止まると『申し訳ない』となぜか彼が謝罪する。
「殿下がアリアンヌ嬢を気に掛けているのは、その……将来義妹になるからであり……今から関係を良好にしたいとお思いになられているだけであって、他意は無い」
必死に言い訳を並べて安心させようとしているマクシミリアン。
わたくしは全く気にしておりませんと……今度こそ、ちゃんと笑っていたと思う。
「まぁ。あなたが気に病むことではないでしょうに……むしろわたくしのほうこそ、いつもあなたに迷惑をお掛けしておりますものね。クリフ王子からお小言をいわれていたら申し訳ないわ」
「ああ、俺も大丈夫。殿下は少々言い方は冷たい印象を受けるが、本来慈悲深くお優しい方だ。慣れるまでは誤解されがちではあるがな」
マクシミリアン……わたくしもクリフ王子には慣れているし腹立たしいだけだから、誤解とかは大丈夫だぞ。
しかし、あの二人を見てわたくしが気にしたのかと思ったらしいし、他意は無いはずだと言いにわざわざ追いかけてきた。その用件が済んだら、あっさりマクシミリアンは戻っていく。
真面目な人だなあ……と感心しながら、階下に降りていくその背中を見つめた。
「……彼、苦労性ですわねえ」
「補佐ってのはそんなもんじゃねーか?」
あんまり興味なさげなジャンだが、補佐というか……確かにいろいろ任せっきりのノヴァさんも真面目だものね。全体の統括とかは何かを考えていることを苦にしない人向きなのだろうし、そういうものかもしれないな、と思った。
わたくしにあてがわれた寮の部屋は、四階の角部屋。しかも全部で五部屋しかなくて、確かアリアンヌがわたくしの隣の部屋、その隣がクリフ王子、の隣がマクシミリアンだった気がする。
一番奥の部屋に誰がいるかは知らない。空いてるかどうかも知らない程度だ。そういえばセレスくんの部屋ってどこなのかしら……聞いておけば良かったわ。
他階の部屋は分からないけど、下の階に行くごとに部屋数が多くなっているようだ。建物の形も急に大きくなったり狭くなったりしていないので、純粋に部屋の大きさが違うのだろう。
それぞれの部屋には軽い防音処理もなされているとか。四階は、大きな部屋と部屋の間には従者用の小部屋もあり、彼らにもプライベートが保たれる仕組みだ。とりあえず、学院も……結局のところ、身分と財によって部屋もランク分けされてるようだ。結局格差社会ね……。
「そういえば、家具とか雑貨は何にも買い足しておりませんでしたわ……」
がらんとした自分の部屋を見て、わたくしは額を押さえた。
必要なものは会議が終わった後で買えばいいや……と思っていたのだが、久しぶりの再会と、魔界の話に夢中になりすぎるあまり、日が暮れかけるまで教会の一室にいたのだ。
もうちょっと遅れていたら、門限に間に合わなくなるところだったんだもの。
しかし、わたくし専用の部屋、ねぇ。
入学式が終わって部屋を割り当てられても、すぐ出て行ってしまったからちゃんと確認していなかったので、机の上に置かれた書類に目を通してもいなかった。
四階をだいたい五人で使いきる……っていうくらいの部屋割だから、一部屋しかないと思っていたが、こうして立っている居間・浴室・寝室……そして物置と思われる何もない部屋が二部屋ついている。どれも無駄に広い。
お手洗いも当然あるけどそれとは別に洗面所……まあ身だしなみを整える小部屋もついている。
そして浴室なんかは、足を伸ばしてゆったりくつろげるバスタブなんかも置いてあるし、シャワーもついている。自分で使っていたバス用品などは持ってきたけど、それを浴室においてもまだ広い。
でも、お湯っていっぱい使って大丈夫なのかしら? 学院も結構人数いるわよね。あっという間に水不足になったりしないの? うーん、エリクに頼んで水の循環装置でも送って貰おうかしら……。
ある程度のものをお風呂場に置いて、今度は寝室に向かう。
備え付けの良質そうなベッドは、わたくしが四人並べそうなくらい大きい。
手のひらで押すと、分厚いマットレスが軽く軋んで、ほどよい弾力で押し返してくる。
大きめなのでドレスも余裕で収納できそうなクローゼットを開くと、替えのシーツが何枚かきちんと畳まれて入っている。
小さいキャビネットやガラガラの本棚は、自分のものを入れて良いように空っぽのままだ。
あっ、魔法の力でモノを冷やせる箱……いわゆる冷蔵庫もある。
部屋にいくつか飾り気のないシンプルな照明が置かれているし、これは好きなところに配置して良さそうだ。うん、生活用品は買い足す必要はあるが、備え付けのものは新品でとっても綺麗だし、こだわらなければそんなにお金を掛けなくて良いかもしれない。
「……内装もきれいめだし……自由に使える高級ホテルだと思えば良いのかしら……うん、そうね」
ただ、この大きい部屋を自分で掃除しないといけないと思うと大変だ。掃除道具も……ああ、ないわね。買わなくちゃいけないわ。明日もマクシミリアンに外出許可を貰おう。
買ってきたものや持ってきたものを鞄から取り出して、それぞれ棚などにしまっていると、扉が軽くノックされた。入って良いかとジャンの声が聞こえたので、どうぞと声を掛ける。
「――風呂、借りるぞ。おれの部屋には付いてない」
「あら、そうなのですか……どうぞ。あちらの奥です」
教科書などを棚に入れているので、ジャンを見ぬまま腕で奥を示すと、ジャンは小さく返事して、そちらの方向に歩いて行った。
…………あっ!?
数秒の間があってから、わたくしは重大なことに気づいた。本を取り落としつつ、奥の扉に駆け寄って開けようと……して踏みとどまる。
恐らくもう脱衣所で脱ぎ始めていることだろう。
そんなところに踏み込んだら、わたくしのバッドエンドは学院初日でジャンに殺されるか、レトか魔王様にくびり殺されるかである。初日に仲間に殺されるエンドがあるなど、誰も気づきはしない隠しエンディングなんじゃないかしら。スチルとかあるのかしらね。
しかし……い、一緒のお風呂、使うことになるなんて、気づきませんでしたわ……!
お風呂上がりの姿を互いに見ることになる? のよね?
「いやいや……相手はジャンだし……そういう意識は互いにないし……」
誰に対して言ってるのか自分でも分からないが、口にして平静を取り戻す。
そもそも階下の大浴場行けよと思うが、そこにいたら護衛の役目をこなせないから、こうするしかないだろう。あと、多人数でお風呂って、なんかジャンは嫌がりそうだもんね。
そろそろと後退し、わたくしは再び鞄の中身を収納する作業に戻ったが、シャワーの水音が時折大きく聞こえるたびに、びくんと身体が跳ねてしまう。
わ、わたくし気にしすぎ。大丈夫、ジャンの腕とか顔とかは見慣れてるでしょう? わたくしはジャンのことより鳥の捕獲についてを考えなくちゃ。そうよ鳥やカエル……コウモリ……。
しばらく小動物の捕獲方法を模索することで意識を逸らすことが出来たが、小物の片付けが終わったところでバスルームの扉が開き、ジャンが姿を見せた。
彼の不潔ではない長さの灰髪は、水を吸って黒にも見える。ちゃんと拭き切れていないようで、毛先から滴がぽたぽたと垂れ、首に掛けた白いタオルと毛足の長い絨毯の上に落ちる。
普段素肌をあまり人に晒さない服装なのだが、風呂上がりもあって、半袖のシャツを着ている。やっぱりあんまり拭かずにシャツを着ているっぽいが、黒いシャツなので水滴は目立たない。普段服に隠れて見えない二の腕は存外に逞しい。
「先に使って悪ィな」
「あ……い、いえ。よろしいのですわ、わたくし片付けがまだ残ってましたもの」
髪をタオルでぞんざいにガシガシと拭いている。風呂場でやってほしかった。
……待てよ。なんか、ふわっと漂ってきた匂い。これわたくしの石けん……?
「……自分の石けんや香油、持ってきてないんですの?」
「ああ。向こうでも風呂場にあるものを使ってたからな。香油は行動するときに匂いが残ると困る。使ってねぇ」
「石けんも無香料のものを用意しましょうか」
「ああ、あると助かるが……」
湯上がりの上気した肌がうっすら赤くて、なんというか……男の野性的な色気を感じさせるというか……なんかすごくジャンの周囲がキラキラしている。いや、桃色っぽいというか、これはいわゆるイベントスチルなのだろう。
ジャンは勝手に冷蔵庫を開け、先程入れたばかりの水を手に取ると、瓶を開けて飲み始めた。
……なんなの? 急にそんなわたくしの前でくつろがれても……。
非常に眼福なのだが、急に気恥ずかしい。
すると、ジャンは水を飲みながら風呂場を指す。
「おれがいる間、風呂入ってきて良いぞ。湯は出しておいた」
「…………まあ、効率的にそれはありがたいですけれど……ええ、そう致しますわ」
全く、どっちが部屋の主なんだよ。
そう悪態付きたいところだが、風呂上がりに妙な色気を放つジャンを見ているのも、なんか精神上よろしくない。お風呂道具を手早くまとめて、わたくしは脱衣所に入って鍵を掛けた。
「あー……。なんか、少し精神を削られましたわね」
ジャンは確かにイケメンなので観賞用にはとても優れているのだが、レトとは違う方向……つまり危なげな男の色気路線 (?)で女の子を惑わせることができそうだ。きっとリメイク版は、優しいレトよりジャンのほうがキャラ人気がありそうである。
でも人気があろうとなかろうと、そんなものはどうでもいいの。レトはわたくしのレトだもの……。
脳裏にちょっと甘い顔で笑うレトを思い浮かべ、ああ、好き……とニヤつきながら自分のブラウスに手を掛け、脱衣籠を見ると……黒い服がゴチャッと入ったままになっている。
「……そういやあいつ荷物持ってなかったわね」
わたくしが入るっていうのに脱ぎっぱなしなのは良くないのでちゃんと畳んでおきなさいと文句を言おうと脱衣所の扉を開ける。
「ちょっとジャ――……」
すると、なぜか……廊下に続く扉が開いており、ジャンは首にタオルを引っ抱えたままこちらを見て、廊下に立っていたアリアンヌが赤い顔であわあわしているのが見えた。
なんでアリアンヌが……と思っていると、ぴゃああ、みたいな声を出して、彼女は自分の両頬を押さえた。
「すっ、すみませんっ……! お姉様とお話でもしようかなって思ったらっ、ごめんなさいっ、やっぱりただならぬ仲だったとか誰にも言いませんから!」
「おいクソガキ、妙な妄想力成長させてんじゃねーよ。どこをどう見たら、おれがアレに欲情すると思ってんだ。四階から突き落とされて死ぬか? 呪い殺されてぇか? あ?」
アリアンヌの頭を瓶底でゴツゴツとそれなりの痛さで叩きながら、ジャンは低い声で凄んだ。ただ、ジャンの意見はわたくしの意見とほぼ同じなので、妄想を口にしたアリアンヌを止めてやることはできなかった。
「どっちも嫌です! でもあんな綺麗なお姉様に数年経っても欲情しないなら心身ダメ男に決まってますううう!」
「――あんたは四年前から既に脳がダメだな? どう死にてぇんだ?」
「ジャン、アリアンヌさん、おやめなさい。まったく、誰かに聞かれたらどうしてくれるのです……」
しょうがないので部屋に招き入れると、ジャンに服はちゃんと持って出て行くように伝えた。洗濯まではしてやらないからな。
「アリアンヌさん、従者用の小部屋があなたのところにも割り当てられているはずですわね。あの小部屋、お風呂がないのですって。だからわたくしの部屋の浴室を――」「あっ、じゃあ私の部屋にもどうぞ! 遠慮無く!」「おい、こいつ話聞いてんのか?」
呆れを通り越して引いてる節があるジャンが、一歩アリアンヌから下がった。
ジャンを引かせたのはセレスくんが世界平和を語ったとき以来だ。やべーやつだと直感が訴えたのだろう。
「アリアンヌさん。ジャンはわたくしの護衛なので、あなたの部屋に向かわせるなんてできるわけがないのです……それに、あなたはかわいらしい女の子なんですから、そんな誤解を招きそうなこと……警戒心もなく無防備すぎますのよ!」
「……警戒心もなく無防備と、あんたがよく言えるな」
「わ、私も、お姉様にだけは、言われたくないですね……」
わたくしがなんでやべーやつ二人に引かれてるわけ? こんなに隙が無い女子だっていうのに……。なんかショックだわ……。
「……お風呂、とにかく……そういうことなので……」
「それなら、私もお姉様のお風呂場使います! 自分で浴室洗うの面倒ですから! お姉様とお風呂入りたいです!」
ヒエッ……この子清々しく何言ってんの?
「せっかく友好的になったんですから! お風呂くらいいつか一緒に入りますもん!」
「……ジャン、ちょっとマクシミリアン呼んで……」
「ここにこれ以上誰か踏み込ませちゃ、収拾が付かないぜ……」
「えっへへー……だから、お風呂、お風呂っ!」
あっ……この女、わざとやってんのか。こ、怖ぁ……いろんな意味で怖い……。
なるほど、やり遂げようとする意志の強さが……これが戦乙女の力の源なのだろうか。どうかしている。才能の無駄遣いだ。
「時間遅くなると大変ですから、早く入りましょ!」
そのままわたくしは背中を押され、アリアンヌと一緒にお風呂に入る羽目になったのだ……。