学院行事の【クラス対抗戦】……それは、六月だけではなく十一月にも書かれていた。約半年に一度の行事となるようだけど、内容は確か……。
「白兵学科と魔法学科のクラスが、学院に届いた依頼を消化するもの……と説明されましたわね。ですが、対抗という名前が付いている以上どちらの学科も、ライバル学科より数をこなす事を念頭に入れているのでしょう」
『白兵学科?? それは一体どのような……?』
ノヴァさんが小さく手を上げながら質問してきた。
そうか、どうやら魔界と地上の情報のやりとりの一部……特にわたくしと学院に関することは、ほとんど何も入っていないらしい。
わたくしは簡単に白兵・魔法・支援三学科の事を話し、わたくしがそのうちの支援学科に行ったということを話すとノヴァさんは納得し、エリクは『そうですか』と優しげな表情を作った。
『大きく体系が変わる学問ではないですが、薬学も教えているということは……釜を使用しない錬金術かもしれませんね。釜を使用していて、変わった方法を用いているようでしたら教えてください。興味があります』
習い始めたらそう致しますと答えていると、レトは心配そうにわたくしを見つめる。どうしたのかと視線をそちらに向ければ、彼は大丈夫なのかと聞いてきた。
『白兵学科にクリフォードたちがいて、魔法学科にセレスがいるんだろう? リリーは一人になってしまうじゃない。その……変な奴らに目を付けられたり……』
「そういったものを追い払ったり撃退するために、ジャンがいますのよ」
「おれ達以外に、何人か侍女や護衛を連れている奴もいたぜ。伯爵家の人間が護衛を側に置くのも別に変じゃないしな。肝心な王族と公爵の息子どもには護衛もいないようだが」
そういう奴らこそ置いとくモンじゃないのか……とジャンはわたくしに言うのだが、マクシミリアンはともかく、クリフ王子には後日護衛がつくことになっている。
「わたくしもマクシミリアンから又聞きしただけですので、いつだ、という日程は分かりませんが……確か王立騎士団の中から選ばれるとかでしたわ」
「騎士団の中といいますか、王族の護衛専門の隊、近衛騎士隊からだと思います。私にも教会から聖騎士団の護衛を……という話も出ましたが、丁重にお断りしたんです」
セレスくんが補足するようにそう教えてくれた。王族にも教会にも、それぞれ騎士団が保有されているようだ。教会が武力を保有して大丈夫なのかという懸念はあるが、主に敵は神の教えに背くような異端者を対象にしてるだろうから大丈夫だ……と思いたい。魔王様がたにその矛先が向かないことを祈ろう。
『ジャン。リリーはもとより、セレスの事もよろしく頼むよ』
レトがそう懇願するように告げると、ジャンはわかってると短い言葉で応じる。
「――それはいいんだが、クラス対抗戦とやらの時期になると、討伐も依頼の中に盛り込まれる可能性があるぜ。それに御主人が魔物と対話をしても、魔物の許容できる範囲がギリギリじゃ、そっちに連れて行くことも出来ないだろ?」
『……悔しいけど、ジャンの指摘通りだ。人間の成績争いなんかのために、魔物達を見殺しにしたくはない……でも、受け入れてひもじい思いをさせるのも嫌だ』
口調は静かながら、レトは卓上で固く握った拳を震わせていた。このまま魔物達を見殺しにするのも、無理に魔界で受け入れて再び貧しさを味わわせること――どちらも、レトには辛いことなのだ。
特にひもじさについては、本当に本当に……長い期間我が身で味わっているだろうから、余計骨身にしみることだろう。
わたくしがレトと出会って最初に出された食事が、クラッシュゼリーみたいなスライムなのよ? しかも一口食べたら想像を絶するまずさなのに、彼は食感が好きみたいなことを言って美味しそうに食べるのよ。
わたくしが魔界で最初に行ったのは、王族 (と自分のため)の食生活改善だった訳よ。今じゃパンとかお肉とか平気で食べていけるけど、ふわふわの焼きたてパンに魔王親子がどれほど感動していたことか、地上の人々に教えてあげたいものだ。
あのとき、わたくしは魔王親子の笑顔のために頑張ろう、と誓ったのだ。守りたい、この笑顔。そんな標語ぴったりの決意だったのだ。
【焼きたてパンに歓喜する魔王様親子】という宗教画にして祈りを捧げて良いと思ってる。そうだ、魔界に絵師が生まれたら描き上げて貰おうかしら……。
あの頃のレトはとても可愛くて、と数年前の思い出に浸りかけていたわたくしだが、今はそれどころじゃない。魔物の調査はどうなっているかを知っておきたいわ。
「魔物、ええと……昆虫ですとか水生生物ですとか……種類別の大雑把な割合と、その適合環境を教えてくださる? ……そして、畑の収穫など。備蓄は進んでいるのでしょうか?」
すると、ノヴァさんとエリクが卓上に散った資料からそれらしき記述のあるものを取り出したようで、ノヴァさんが教えてくれる。
『おおよその算出ですが、肉食でない植物系の魔物が全体の三割。肉食性の魔物は四割です。そこには肉食性の植物も、陸生生物も、水生生物も含めております。そしてドラゴンですが、まだ彼らは若く、魔力を取り込んで成長している段階ですので、数に含めていません』
残りの割合的には霊的存在が二割、水辺の魔物が一割ほどということだ。
「ありがとうございます……物理的な食料を必要とするのが、おおよそ半数ですか……確かにそれは多いですわね。その中で、昆虫……特に植食性昆虫はどの程度でしょう」
『お待ちください……ええと、ぱっと見て多いのがバッタ、蝶……これだけでかなりの量ですね。植物を利用して共生するものもいますので、これらは除外します』
バッタかー……といいながらわたくしは頬杖をつく。あいつらよく食べそうだものね。
「それで、畑の状況……あるいは周辺で期待できそうな作物はありまして?」
『作付けは増えましたが……収穫量は昨年度の二割増程度です。原因に、虫による対策を怠ったこと、ブルードラゴンの降雹による冷害があります』
よどみなく答えるノヴァさん。みんな真面目に調査書を作ってくれていたことに多大な感謝をしつつ、わたくしはあのブルードラゴンを思う。
あの竜は人をからかうのが好きだからな……よりによって畑に雹など降らせやがったのか。魔王様やレトは叱ってくれたかしら。
――しかし、虫の対策……これはかなり身近に迫った危機になってるっぽい。
いわゆる蝗害ってやつ――イナゴが空を埋め尽くすくらい、ヴワーって飛んでくるアレ――になりかねない。いろんな意味で怖い光景よね。
「植物だけではなく昆虫も増えるのは、虫にとって環境が良いということなのでしょうね……。しかし、増えすぎては対処のしようが無くなります。かわいそうですが畑には網を張って、食べられないよう対策する事が必須かと。捕食者のバランスが崩れている可能性もあります。魔界には両生類や爬虫類……カエルやトカゲのようなものを多く入れる必要がありますわね。あと、受粉などの手助けも兼ねてハチ、コウモリ……それらも」
手元に参考になるものが今はないので、とりあえず虫を食べそうな生き物を多く入れる……くらいしか思い浮かばない。わたくし的には、農薬散布とかそういうことはしたくないのだ。せっかく育っている環境がおかしくなってしまう。
「バッタが多く生育しているところに、ブルードラゴンの放つ寒気を送る……いえ、それでは他の虫まで巻き込みますわね……ううん……爬虫類より鳥類を多くする方が良いかしら?」
『……増えた虫を食べさせるために、鳥を増やしたりするの?』
……レトにとっては民が(あるいは外来種が)民を捕食することになるので、眉根を寄せて難色を示している。当然といえば当然だ。
「お言葉ですが……わたくしだって出来ることなら虫も生かしてあげたい。ですがわたくしたちも、生きるために他の命を犠牲にしていますのよ。地上でもそれぞれが環境の中で食物連鎖を行っているのでしょう。魔界だって虫が大発生して、植物は食べられている。植物がなくなると、虫も、鳥も、獣も数を減らす。虫の割合を減らすために上位の捕食者を増やすほうが良いかと」
決して虫が悪だというわけではない。バランスを整えようといっているのだ。
すると、レトはやはり気乗りしない様子ではあるが……スカウト(?)してきたのは自分だから、一応虫には話しておくと言っている。
数の居る虫たちの文句は四方八方から来そうだな。ついでに畑に入らないようにとか、食い過ぎるなと言ってくれたらありがたいけど……。
『じゃあ、リリーさんは虫を好む動物を魔界に送るため、自分で捕まえてくれるってわけですよね?』
虫たちのことでしょんぼりと肩を落としたレトに憐憫の目を向けながら、エリクがじろりとわたくしを見据える。
「えっ? わたくしが?」
『レト王子に、国民に犠牲になれと強要させるんですよ。彼がどれほど心を痛めるか分かるよね?? リリーさんはレト王子のためなら、鳥捕まえるくらい容易でしょう?』
出た、すぐそうやってレトの味方になる……。
「…………ジャン」「嫌だね」
わたくしが用件を言う前に、ジャンはすっぱりと断る。セレスくんに目を向けても、教会の仕事がありますからと、こいつも非協力的だ。隣人を助けなさいよ。
『リリー……』
あっ、この、悲壮感と孤独さが漂う顔。それはいつもの『僕めちゃくちゃ困ってます』顔だ!
『……俺と痛みを分け合って、魔界を助けてくれないか』
「わたくしに、野山を駆けまわって鳥やコウモリを捕まえろと仰るのね……そんな一人の少ない労力でどれくらい出来ると……」
そもそもいつ捕りに行けば良いの!? 朝と夜、どっちの方が遭遇できるの? コウモリってどうやって捕まえるのよーっ?!
『お願いだ。リリーしか頼れない』
うぐぐ……。そんな切ない目をしてわたくしを見ないで欲しい……。
ああもう、顔から、人の理性を溶かす何かが出てるに違いない……これが魅了の術か何かなのかしら?
おあいにく様ですが、わたくしにはそんなもの、そんなもの……効かないんだから……!
わたくしが理性と感情を天秤に掛けてグラついている間に、もう一押しで落ちるぞ、とジャンが小声で助言しているのを聞いた。あいつなんなの? ほんとひどい男なんですけど……!
『……もう、俺のこと寂しくさせないで……』
「~~~ッ、ッツ……! わっっかりましたわよ!! やればよろしいんでしょう!? あと最後の言葉はおかしいですからね!?」
何が寂しくさせないで、だよ! 何が……ううっ……かわっ……可愛いよォ……半年ぶりの推しが最高に可愛いくて死んじゃう……。ごめんなさい、寂しい思いさせてごめんなさい……! 絶対わたくしクリフ王子と婚約破棄してあなたを幸せにする……!
こんなことで頑張っちゃおうと思えるわたくしも、いささかチョロすぎる自覚はあるが……悔しい……けど、レトが嬉しそうに笑ってくれるから許すわ。
「こんなこと引き受けるの、レトと魔王様にお願いされた時だけですからね!?」
こてんぱんにレトの魅力に負けてしまった自覚はあるが、仲間達にそれを認められるのは恥ずかしい。そんな悔し紛れの言葉を放ったせいで、場の空気が固まる。
「――……ねえ、どうして父上がそこに出てくるわけ? リリーは俺が好きなんだよね? 俺以外はどうでも良いよね?」
「あ、あの、魔王様は上司ですので……」
「俺のはお願いだし、父上だってこんな命令しないでしょ? それとも、リリーは誰かに命令される方が好きなの? へぇ……じゃあ高圧的に命令した方が良かったのかな?」
「いえ……」
仲間が知らん顔をする中、わたくしは急に不機嫌になったレトを宥めるため、この後十五分ほど費やした。