【魔界で従者を手に入れました/63話】

ラムリエルの光槍は、僕の障壁に深く突き刺さる。

双方の魔力は、衝撃で火花のように激しく周囲に舞い、闇の世界を彩っていた。

「他愛ない……もう終わりだルシエル! 死ね!!」

勝利を確信したラムリエルの瞳には、爛々とした光が在った。

「――勝利に酔うのは、相手を倒した時にしてくださいね」

一番油断が出てしまいますよ――そう言ってから、僕は障壁へと送る更に魔力を強め、右手にも力を込めた。

武器を練る時間も、その魔力を割く残量も勿体ない。

ラムリエルはとても強くなったのだろう、と思う。

こうして魔界にやってくることが出来て、なおかつこの瘴気の中でもまだこれだけ行動できる。

ただ、不幸だったのは……少し感情的過ぎるところだろうか。

「天使も実力主義な所はありますが、あなたは少し……贔屓目に見られたのでしょうね。
僕に似ているという意味で、きっと期待されたのだ」
「ルシエル……まだわたしを侮辱するのか!!」

彼の槍に流れ込んでくる魔力量が怒りの為に増大する。

「う……」

魔力の矛と盾がぶつかり合い、まるで互いの生命を削って発光しているかのようにも思える。

僕も多大に魔力を送っているけれど、これ以上防御に回すとなると魔力はあっという間に枯渇してしまうだろう。

本当はもう少し、堪えたかったが仕方がない……!

両の指先にまで魔力がいきわたるように高めつつ、障壁へ送る魔力も強めているのだが、やはり……長く続けるには魔力が足りない。

いくらルカさんが膨大な魔力を秘めていたからといっても、僕の聖性を取り戻すだけでかなり消費してしまった。

そこから差し引いて僕に与えられた力は、魔界に落ちてきた頃から比べると……せいぜい3割程度だ。

ラムリエルも消耗しているだろうという事も考慮していたが、やはり純粋な魔力量・聖性は彼のほうが現状ずっと多く保有している。


――やるしか、ない。

勝負は一撃のタイミング。

それを外せば、僕は死ぬのだろう。

……いや。
「僕は、死ぬわけにいかない……!」
「いいや、お前はここで死ぬ!!」

一段と強い魔力が流し込まれ、槍はついに僕の障壁を打ち破る。

それとほぼ同時に、最後に残っていた天使が意識を失って……落下するのを、ラムリエルの背後に見た。

光の槍は、僕の身体……心臓目がけて突き出される。

君にラムリエルを殺す事が出来るのかな、と笑うアザゼルの顔が浮かぶ。

死ぬことも同族を殺すことも恐怖が無いわけではない。でも、僕はルカさんと約束した。

ルカさん、ヴィルフリート、クライヴさん……僕に、力を……!


――絶対に生きて、あなたたちの元に帰るんだ!!

砕かれて宙に舞う障壁の間から、僕もラムリエルの心臓目がけて手刀を繰り出した。

槍の狙いを心臓から外すため身を捻るが、槍は僕の胸を一文字に深く引き裂いていく。

血が吹き出し、魂を揺さぶられるような激しい痛みに目の前が赤く明滅したが、歯を食いしばり……がら空きになったラムリエルの胸に、体当たりするような姿勢で右手を突き刺した。


瞬間、地を揺るがすほどの大歓声が上がった。

それは犠牲となる天使が降ってきたためでもあるし、僕らのどちらかが……いや、どちらも死んだように見えたからだろう。

次の獲物は大きいのだと、誰もが喜んでいる。


「……ルシエ、ル」

自らの身体に食い込んだ僕の腕を力なく掴み、ラムリエルは口から血を吐きながらも僕の名を呼ぶ。

「ラムリエル……許してくれとは言いません。
僕は、あなたを殺す選択肢しか、だせなかったのだから」

胸は深く抉られたため、服は破け、傷口からは血があふれ出ている。

苦しいけれど、この胸の奥の痛みは……傷の痛みではない。

嫌われていると分かっていても、自分の半身と思っていた存在を自分で傷つけるという哀しさに、僕の心は哭いているのだ。

「……わたしは、死ぬのか、な……」
「はい」

ラムリエルが喋ると、口から血液もごぼりと溢れてくるため、言葉が聞き取りにくい。

僕がそうだという意味で頷くと、ラムリエルは……僕の胸の傷に目を落とし、おまえも、と言った。

「おまえも、死ぬの、か」
「……いいえ。死にません。あなたの魔力を吸収して、僕は生きます」

はっきりとそう告げると、ラムリエルは血液と共に息を吐いた。

彼の身体から引き抜いた腕……僕の袖口を死の匂いがする息と血液が汚していくけれど、それを嫌だと思う気持ちは微塵も無かった。

むしろ……彼の死を看取ってあげる事が出来るのは自分だけだと、そう理解しているから。

「おまえに、わたした時の雫、は……にせものなのも、わかっていたか?」
「え……?」

驚いて彼を見ると、なんだ、気づかなかったのか……と笑っていた。

「時の雫なんて、秘宝を我々のようなものに【父】が渡すわけない……。
あれを使う気持ちになっていたら、きっと……ルシエルはわたしの前に立たなかった」
「……では、あの魔力の渦は一体何なのです……?」
「疑問なら、あけてみたら、いい……」

ラムリエルはそういうと、激しく咳き込んだ。

慌てて抱きかかえると、鬱陶しそうに払いのけようとするが、その手に力はあまり入らないらしい。

「早く、開けてほしいな……【父】から貰ったというのは本当なんだ……」
「わかりました……」

ラムリエルを片手で支えながら、僕は懐にしまった時の雫――だと思っていたもの――を取り出すと、その瞬間ラムリエルの顔は悲しげに歪んだ。

「なんだ……そうか……」
「え?」
「懐にしまっていたのか……それなら、わたしの刃は阻まれて通らなかった……かもしれない」
「ラムリエル……」
「最初から、わたしに勝ち目はなかったのかもしれない……【父】は最後まで、わたしを好いてはくださらなかったんだな」

悲しげな声でラムリエルは呟き、僕の掌中にある魔力の容器を見つめている。

僕らは空中に浮いているので、この容器を叩きつける地面(ばしょ)がない。

仕方なしに空中高くそれを放り投げてから、素早く光の剣を作りだすと――落ちてきた容器を断ち切った。


容器からあふれ出たのは光り輝く金色の砂と、膨大な聖性が含まれた魔力。

「なんだありゃ?!」
「ギャアア目が! 光が痛い!!」

下では突然の光に目を焼かれて顔を覆って悶え苦しむ悪魔や、動きを鈍らせる悪魔の姿が見える。

金色の砂粒は、悪魔達のいる地には降り散らず、その場で……僕とラムリエルの側で漂い、静かに瞬いていた。

『――ルシエル。我が誇りある子よ……』

ふと、どこからともなく威厳に満ちた声が届き……僕の身体はびくりと震えた。

忘れるはずはない。この声の主を、僕はきちんと覚えている。

「ああっ……」

息と共に上ずった声が、僕の喉から漏れ出ていく。

「われらの【父】よ……!」

天には未練はない。だけれど、この声を聞くだけで、嬉しさや悲しさ、申し訳なさなどが入り混じって涙が溢れそうになる。

ラムリエルも眼を閉じて、父よ、と呟いた。

『ルシエルよ。
堕天使となった姿でも、一日も欠かさず祈りを捧げる汝の姿……我を呼ぶ汝の声は、遠く離れたこの場所にしかと届いていた。
しかし、運命の試練に打ち勝つ事が出来ず、闇へと下った者を拾い上げる事は出来ない』
「はい……存じています」

僕はゆっくり目を閉じる。

そこには……まばゆい光に包まれた【父】の姿が浮かんで見えた。

【父】は光の存在。ここにはいない。

けれど、その力とお姿は、遠く離れていても感じる事が出来る。

『しかし、ひとときの慈悲を与える事は出来る。
この魔力は、そのために詰めたものだ』

僕らの周りに漂うこの粒子は全て魔力。

ただの魔力ではなく【父】の力の一部ということだろう。


「慈悲、とは」

一体何を望まれているのか。すると、意外な答えが返ってきた。


『汝には最後に天へと届けてもらいたいものがある。
最後にその天上の響きを。
耳に柔らかく、心に甘く溶ける歌を――歌ってくれ』

漂っていた魔力の粒子は、僕の身体に入り込もうとするかのようにぴたりと吸いつき……僕に力を与える。

先ほどルカさんに与えられた魔力も【人間にしては】という前置きが付くけれど、それくらい強いものだった。

しかし、掌状に砂粒すべてが納まってしまうくらいの小さな砂時計から、彼女や普通の天使とは比較にならない程に強い魔力が込められているのだ。

その魔力を、ただ歌うために与えると……【父】は言っている。

「ルシエル……歌うといい……」

咳き込みながら、ラムリエルが僕の胸を押す。

棄てられた子供のような目をしながら、彼は【父】の願いだと呟き、遥か遠い光の園を見通そうとするように昏い色の空を仰ぐ。

「わたしも聞きたい。
そんなに、わたしとルシエルが違っていたのか……どこで、わたしたちは、違えたのかを」
「……」

きっと、と言いかけて僕はその言葉を飲み込んだ。

こうなった以上、もしもも、きっとも、たぶんも――ない。

「僕たちは、違えていない」

そう言った時、ラムリエルはぴくりと眉を動かし、顔ごとこちらに視線を向けた。

「どちらかが死ななければならなかった。
どちらかが悪に堕ち、どちらかが天に残る定めだったのです」

ラムリエルに微笑みかけると、彼も困ったような、悲しむような表情を浮かべていた。

最後に歌うものは、これがこの場に相応しい。

身体に聖性が染みわたる心地を感じながら、僕は瘴気に汚れた空気を吸い込んだ。

天への帰還や、僕の未練――全てを完結するために。



神よ、血と欲に飢えた我が魂が見えますか

祈りと願いは、如何なる者をも救うのならば、なぜ魔界はあるのでしょう

この聖なる翼は、神より与えられたもの

清い歌声は、全てのものに備わるもの

いつかは潰え、消えて無くなるために

正義を持って私の身を砕き、救いの喜びで心を満たし給え

同胞の血肉で体と魂を黒く染め、私は正義より自由を手に入れた

謳えと云うのなら、天使の残虐さを語りましょう

命を捧げよと云うのなら、この身が滅ぶまで白き翼を緋く染めよう

かつての同胞の血で聖杯を満たし、祭壇に白い翼と紅い心臓を捧げよう

神よ、私はもう天上の甘い詩は謳えない

あなたが愛したこの声で、私は堕天使たちと共に笑おう

神への祈りには、仔羊の命を共に捧げよう

贄の魂を、我らが想いを、その御身に捧げましょう

愛しき神よ、堕ちたるこの身に与えたもう慈悲、感謝をここに紡ごう

さあ、天使を此処へ送ってください

全ての魂が、我らが糧になるように



僕の歌声は、天へと届いているはずだ。

【父】……いや、神は、何も仰らない。

じっと僕の歌を聞いていたラムリエルは、覚悟を決めたかのように目を閉じた。

「……聖なる喉で悪を唄い【父】を挑発するとは思わなかった」
「堕天使は、魔界に身を落とした瞬間から――天上は見えないのです。
戻るべき場所はない。それを僕は実感できなかった。
でも、今ははっきりとわかる……我々にあるのは、濁って歪んでしまった渇望(ゆめ)だけなのです」

癒されることのない渇望は、これからも抱えていかなければいけないのだろう。

ラムリエルの首に指を添え、徐々に力を込めていく。

自分がどうされるのかも、彼はとうに理解している。

「あなたの力は、全てこの身体に取り込みます。
魂は、きっと神が救ってくださる」

すると、ラムリエルは圧された喉で低く笑う。

「きっとは、ないんだろう?」
「――……はい。
もう二度と現れぬよう……魂は、砕きます」

さようなら、と呟くと、僕の心には言いようのない悲しみが広がった。

一筋の涙が僕の頬を伝い、彼の頬に落ちて流れた。

ラムリエルは指先でそれを拭うと握りしめるようにして拳を作り、小さく頷いた。

声は出ず、動く唇だけを見ながら――意味を理解すると僕は指先に強く力を込め、魔力を放つ。


ラムリエルの全身から力が抜け、手はだらしなく垂れさがり……僕は、彼の命の灯を消したのだ。

「ラムリエル……!」

僕はその身体をかき抱いた。

謝罪の言葉は出ない。感謝の言葉もあるわけがない。

身体にあるのは、もう使用しないであろう聖性と、膨大な魔力、そして――永遠の別離。


ラムリエルは、最後に僕へこう告げた。

『叶わぬことを願うことが罪になるなら、わたしも既に心は堕ちていた』

彼も僕も、神の忠実な僕になることはできなかった。

魂を砕かれた彼の身体は淡く発光し、徐々に透き通って薄れていく。

彼の全てを自分の中へと吸収しながら、僕は声を上げずに泣いた。



「……おめでとう、ルシエル。
貴方は天使を殺し、試練をクリアした」

涼しげな声の主はクロセルだった。このタイミングで出てくるのなら、一部始終を見ていたのだろう。

彼は屋敷からここまで羽ばたいて来たらしい。僕の目の前に来ると、目を細めて微笑んだ。

「試練……?」
「ええ。とある御方の、後継者候補として相応しいかどうかも――我々によって貴方は試されていました」
「……誰の差し金か分かりませんが、そのために……こんなことを?」
「以前から後継者問題がありましたが、今回天使がやってきたのは予想外だったのです。
ですが、力量を図るという点でも、魔界の安全という点でも……見極めになりました」

勝手な事を言われても、ラムリエルを倒した僕にはもう関係ない。

早くルカさんの元へ帰りたい――先に屋敷へ戻ろうとした僕の腕を、クロセルが掴む。

「ルシエル……わたしと共に来てください。貴方に会わせたい方が……いいえ、貴方でなければならない」
「お断りします。僕は」

すると、クロセルは――僕に会わせたいのだという人物の名を口にする。

誰でも聞いたことのある、その名。

「…………」
「来て、くださいますね?」

本当にその人物が呼ぶのであれば、大変な事だ。

「……わかりました。ですが、その前に」

ルカさんへ、聖性をお渡ししてから――そう告げると、クロセルはこくりと頷いた。



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