【魔界で従者を手に入れました/62話】

僕の声と態度は、ラムリエルの精神を十分に刺激したようだ。

紫の眼は怒りによって血走り、その形相たるや、悪魔よりも恐ろしい。

――僕も、昔はこんな形相で戦っていたのだろうか……。

そんな感想が脳裏に浮かんだが、真剣勝負をしているときに余計な事を考えている場合ではない。

ラムリエルが手を頭上に掲げれば、天雷は魔界に降り注ぐ。

天国と魔界の中間に存在する地上は、今頃突然の嵐で大騒ぎしているに違いない。

無論魔界の住人達とて、このまま無数に降り注ぐのを黙っているわけにはいかないだろう。

その証拠に、というか当然ながらというか……どこから来たのか、ちらほらと魔族が集まってきていた。

頭上で争う僕らを指差し、口々に何か会話している。

「わたしたちの戦いを観戦しようというのかもしれませんね」

ラムリエルもそれに気づいたようで、上空から地を見下ろし――とはいえ魔界に空は無いのだけど――チッと舌打ちする。

「早く終わりにしましょうか……皆さんそれを望んでいるのでね!!」

プラチナブロンドの長髪を振り乱し、全体が光輝く槍を手にして無数の突きを繰り出すラムリエル。

彼の攻めは苛烈だったが、僕だって色々な敵とやりあってきた。

素早い突きを正確に避けながら弦に指を番えて魔力矢を弾き飛ばす。

「くっ!」

ラムリエルも瞬時に身を引いて矢を躱すが、避けられる事は見越していた。

すぐに右上の羽を狙い、もう一度射る。

それだけでは終わらない。ほんの僅か……数瞬という時間をずらし、再度ラムリエルの左側、耳元あたりに速めの矢を撃つ。

そしてもう一撃は足下へ向けて放つ。

羽は無数にあれば、魔力は増えるが――実は視界も覆うし何より戦の邪魔になる。

ラムリエルは6枚の羽根のうち、右上……僕が狙った方が射抜かれるのを防ぐため、右以外の方向に逃げるか矢を無力化するしかない。

天使は自分の身体が汚れる事を極端に恐れる。

矢に力はさほど籠めていないとはいえ、避けられるなら受け止めるはずはない。


「っ……!」

推察通り彼は素早く左に避けようとして、向かってくる矢の存在と速さに気付く。

当然避ける事を第一に考えたようだけれど、矢は今までのものより速かった。

矢がほぼ同時に左右の羽に届くようなタイミングで狙っていた事を理解し、ラムリエルはどうすればいいかを瞬時に思案している。

彼は足元にまで矢が迫ったのを見ると、槍を横に構え、腕を前に突きだして魔力障壁で防御することにしたようだ。

矢は瞬時に出来た、光の膜のような障壁にひとつ、またひとつ……と吸収されて消えていく。


――それならば。

ラムリエルの自信と実力を確かめるまで。

僕は先ほどより大きく弓を引き、指に送る魔力を増大させた。

光矢はもはや『矢』という大きさを越えて槍のように長い。

更に弦を絞ると、全て光で出来ている弓は細い三日月の様に丸へ近づこうとしなっていく。

「ラムリエル……! あなたの力が大きいか! 僕のほうが強いか……このまま撃たせてもらいます!!」

障壁を展開したままのラムリエルにそう告げると、彼はそんな僕を疎ましく感じたのだろう。不快そうに眉を顰めた。

彼が悪態や何かを言う前に――僕は矢を射る。

空を切り裂くような音と、風を共に纏って……ラムリエルの身体を射抜こうと矢はまっすぐに飛んでいく。

ラムリエルの柔らかい光の壁と接触すると、双方の魔力がぶつかり合う。

「この程度でッ……! わたしに、勝てるとでも! 貴方は本当におめでたい人に成り下がったものだ!!」

熾天使を馬鹿にしているのかという意図を込めたラムリエルの怒号。

彼の眼前で互いの光が爆ぜる。僕の放った矢は、彼の障壁に食い込んだままだ。

しかし、僕は焦ったりすることも無く、弓を持ったままそれを見つめているだけ。

「……ルシエル?」

妙に落ち着いた態度を取っている僕が奇異に映るのは当然の事だろう。

「なんでしょうラムリエル。
まだ僕の放った矢は消えていません……それを消し去ってから、あなたの仰りたい事を伺います」

ただ、それができれば――そう告げた途端、彼の自尊心を大きく刺激したようだ。

「ふざけるのは大概にしてもらおう!! わたしがこんな矢など――」

消せないはずはない。その言葉と同時に、力を一気に解放したであろうラムリエル。

それで本来は消えるはずだ。

彼の想定範囲では。


「……なに?」

訝しんだ声を出したのはラムリエルのほうだけ。

僕は手にしていた弓を両手の中で転がすように左右へと移動させながら、様子を見ているのみ。

矢は、ずぶずぶと障壁をこじ開けつつも内側へ向かって突き進んでいたのだ。

「馬鹿な……!」
「……そのままだと、心臓を突き破りますよ」

狼狽し、さらに力を送り込んだラムリエルだが――矢は消えもしなければ止まることも無い。

僅かずつだが、確実にラムリエルの肉体に近づいていく。

「なぜ……! なぜだ、こんなこと……! わたしのほうがルシエルより魔力は高いはず!」
「ええ。きっと――僕は完全に力を取り戻したというわけではないのだから、あなたのほうが魔力の質も量も高いでしょう。
しかし、僕は色々な存在と戦ってきたのです。色々な経験も戦法も、あなたより多くあるに決まっていますよ」
「その、わたしを見下す態度をやめろぉおおッ!! ルシエルーーーッッ!!」

ラムリエルの怒号が僕の耳から心に入り込み、記憶を刺激して心に痛みを与える。

こんなふうに戦わなければならない日が来ると思わなかった。

しかし――ラムリエルは、昔から僕が好きではなかったという。

もしかすると、こうして戦う事も、有り得ると思ったのかもしれない。

力任せに打ち破ろうとしているが、確実に――このままでは僕の矢を消すことはできないだろう。

「――もう一本、撃ちこんでもいいでしょうか?」

僕がそう言って再び巨大な矢を番えた時。

明らかにラムリエルは仰天したような顔つきで僕を注視した。

「ルシエル……」
「勘違いなさらず。そのままじわじわ自滅されるのを待つ時間がもったいないほか、魔力の補給みたいなものですよ」

言うや否や、僕は先ほどとは力の使い方を変えて、今ラムリエルが対処しているものと同じ程度の矢を放つ。

顔をひきつらせたまま、ラムリエルはその矢が自分に到達するのを見ていたが……僕の矢同士が接触した際、強く目を瞑るのが見えた。


僕の放った矢達は、互いの力を開放するようにその場で硝子が割れたような高い音を鳴らしながら砕ける。

その拍子にラムリエルの障壁を一部引きちぎるように消してしまったのだけれど、それは織り込み済みの事だ。

ぱぁっと散る魔力の粒子は、そのまま一粒残らず僕の元へと帰ってきて……全身に纏わりついて、体内へと戻っていく。

「……吸収した……!?」

自分の胸を押さえながらラムリエルがあまりに驚くので、僕はその様子が面白くて、つい噴きだしてしまった。

「1本目をどうやって抜くか分からなかったみたいでしたから……不憫に思って消しました」

小ばかにしたようにも見えるだろうけれど、僕の放った小手先の矢が熾天使の立場で抜けないなんて――他の天使に知れたら恥ずかしいのはラムリエルのほうだろう。

しかし、彼にとっては幸運な事に……側にいる天使たちは、瘴気にやられて既に意識も朦朧としている状態だ。

羽ばたきは僕らにとって呼吸のようなものだから意識せずともできるけれど、羽ばたき出来ない程になれば、死は目前だ。

ましてや、下には見物に来た悪魔達が、天使が降ってくるのを今か今かと待っている。

落下した先は、死よりひどい待遇で延々生かされるかもしれないし、死までの時間は流血と痛みを伴うかもしれない。

そんな事にも若干胸を痛ませつつ、ラムリエルにもう一度視線を戻せば、彼は怒りに身を震わせながら僕を睨みつけていた。

「消した……? 情けをかけたというのか、ルシエル……! どこまでもふざけたマネを」
「乱暴な言葉は使わない方がいいですよ。熾天使の品位が問われます……失礼、からかっているわけではないのです。
あなたに向けて撃った矢は、相手の属性を利用する矢。
僕は光で矢を撃った。そしてあなたも光の障壁を張った……光の属性同士がそこに存在している。
あの矢は、あなたの力を自らの力として加算し、障壁の中を進んでいったのです」

すると、ラムリエルはハッとした顔をしたが……瞬時に高まった気を抑えるように瞼を閉じる。

「次に、今しがた僕が撃った矢は――」
「……同属性の魔力を、吸収する矢か……」
「その通りです」

僕が首肯すると、ラムリエルは唇を噛んで視線を外す。

どうやら、そういうものがあるとは知っていたようだ。

思い出せなかったか、僕が使うと思っていなかったか……どちらであっても、それ以外だとしても、ラムリエルの油断でしかない。

「小手先の事で、わたしに恥を……!」
「槍術でも、突き刺すだけでは敵に勝てませんよね。
魔力も同じ。出し方に様々な技術がいるんですよ……僕が教えてあげればよかったですね」

あえて意地の悪い言い方をすると、ラムリエルの顔は屈辱のため、みるみる紅潮した。

「ルシエル……気が変わったよ……。
やはり貴様は生かしておけない。わたしが殺す!!」

ラムリエルがそう告げた瞬間、御付きのひとりが限界を迎えたらしい。

白い羽根を宙に舞い散らせながら、地へと落ちていく若い天使がいた。

地に落ちるよりも早く、巨体を持つ悪魔が天使の身体を無造作に掴んで――そのまま握る手に力を込めた。

砕かれた天使の四肢や臓腑は悪魔達の頭上に降り注ぎ、瘴気に汚れた血を浴びては、歓喜の声が沸き起こる。

主を失った白い羽は深紅に染まり、毟られては空へ向かって投げて……次の獲物を、と催促しているようだ。

「呼ばれていますよ、ルシエル」
「……いいえ。僕ではない」

僕は一度手酷く拷問を受けた身ですがこうして生き永らえているので、と返す。

「残酷な事を承知で言えば……次に死ぬのは、彼らでしょう。もう長くはないかと」

可哀想だ。本当に。

だけれど、僕は彼らが息を呑むさまを見て、なぜか……くすくすと、忍び笑いが零れてしまった。

「ラムリエルに従わなければ、死なずに済んだというのに……いたたまれません」
「ルシエル……き、着様、そんな恐怖心をあおって天使たちを裏切らせようとでもいうのか!?」
「まさか。あなたがたは天を裏切らないでしょう? 僕とは違うのですから……もしや、あのように殺されるのは怖いのですか?
大丈夫ですよ、恐らく意識が無い状態なら痛みを感じる前に、全てが終わっています」

僕は忍び笑いを止めようとしたのだけれど、何故か愉快に思えてしまって止まらない。

「ラムリエルも怖いですか? 大丈夫です。僕が殺して差し上げます。
その魔力も、聖性も頂くので……安心して良いですよ」

なるべく安心させようと、笑顔を作ってそう言ったのに、逆効果になってしまったようだ。

ラムリエルは闘気をさらに振り絞り、覇気で僕を圧倒しようとする。

「その病んで堕落した思想! 害である他に救いようがない……! すぐに殺してやる!!」

天使がまた一人、地へと落ちていくのを助けようともせず……ラムリエルが槍を手にして僕へと迫る。

流石に接近戦になっては弓は打ちにくいけれど――弓はもう必要ない。

下で再び悪魔達の歓声が沸き起こる中、僕は弓を霧散させると、ラムリエルの突きを障壁で受け止める。

また僕が何かを行ったかと警戒したラムリエルは、魔力障壁がどういうものかを瞬時に探る。

だが、先ほどの様に魔力を利用することや吸収するものではない、純粋な障壁だと気づき、防御魔法を割るため更に槍を押し込んだ。



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