【魔界で従者を手に入れました/55話】

魔王エスティディアルさんの城までの道のりは、グリフォンたちも熟知していたようだ。

大きな翼をはためかせ、迷うことなく空を駆けて進んでいく。

そういえば……今日は空を飛ぶ魔物などは、ほとんど見かけない。

僕らを見て襲い掛かってくる魔物もいるのではないか――とクライヴさん共々警戒したけれど、襲い掛かるどころか遭遇することすら無いのは運が良かったのかもしれない。

しかし……問題はまだ続きそうだ。第一に、僕らは無事にエスティディアルさんに面会することができるだろうか。

女性であれ、彼女は【魔王】だ。彼女に心酔する者もいるだろうし、召使のようなものも……ないはずはない。

ヴィルフリートのように一人で大きな城に住んでいるのは、極めて稀な部類のはずだ。

念のため僕の魔力を銃弾として撃ち出すことのできる銃も持ってきたけれど、その魔力も薄れてしまった今、威力は期待できない。

いざという時の護身用として、力を籠めても一発くらいにしか撃てないという気休め程度の物。

クライヴさんの事もそうだ。もう無理はさせられない。

交渉の材料も手元にないのに、僕はうまくやれるだろうか――いや、やるしかない。

「あの城が、魔王の城のようだな」

思案することに没頭して一切口を開かなかった僕へ、クライヴさんはグリフォンから身を乗り出すようにして眼下に見える尖塔の多い城を指す。


まだ真新しさの残る城は魔界に似つかわしくない、というか……少々ここにあるのは勿体ない、と思わされる美しい城だった。

天使からすれば、鼻持ちならない悪魔が作った城、ということで毛嫌いする事も出来なくはない。

しかし、この城は正直な感想を述べるならば建物として『完成』されている。

悪魔的なおどろおどろしいものが感じられにくい。

そう、人間の美意識を取り入れたような、左右対称で繊細な造形なのだ。

エスティディアルさんが人間界で過ごしている間に、こういった建物に興味を示したから出来たものなのか、城を建てる際に協力した悪魔の中に、美意識が発達した者がいたのかは定かではないのだけれど。


ゆっくりと高度を下げて、砂地へと降り立ったグリフォンは、僕らを降ろすと一瞥すらせず慌てるように飛び立っていく。

徐々に小さくなっていく背を見つめていると、クライヴさんが何かを感じ取ったようだ。この間ニーナさんに買って来てもらったばかりの細剣を引き抜いて、身構えた。

「――何か、強大な力を持った者が……来る!!」

彼が言い終わらぬうちに、魔王城の扉が音も立てずに開かれ、中から姿を現したのは――女性一人。


「……穢れた身体でわたしの城に足を踏み入れないでちょうだい。
今のあなたたち程度なら城内の魔物を仕掛けて、始末に向かわせても良かったけれど……わざわざ出向いてあげたことに感謝するのね」

菖蒲色の髪を掻き上げ、魔族にしては大変珍しい青い瞳をこちらに向けたのは、あのエスティディアルさんその人だった。

並大抵の男であれば、たちまちのうちに心を奪われてしまいかねない程に凛としていて麗しく、初めて彼女と出会うであろうクライヴさんですらその美しさに声も出ないようだった。

「エスティディアルさん。あなたのご厚意に大変感謝します……しかし、僕はあなたと戦うためにここへ来たわけでも、殺されに来たわけでもないのです。
少しでいい。どうか、話を聞いてくださいませんか」

僕が一歩前に進み出て、彼女に敵意が無い事を告げたが、エスティディアルさんの眼は憎々しげに細められた。

「戦うために来たわけでもない……? よくも白々しいことを平気で……。堕ちてもその性根は天使そのものね」

苛立ちを隠すことなく声に乗せた彼女の物言いが良く分からず眉をひそめる。

しかし、その態度も彼女には面白いものではなかったようだった。

「元熾天使ルシエル、あなた――わたしたちの同胞を数え切れぬほど殺したでしょう?
戦いを挑んだものはおろか逃げる者も、罰を受けようとする者も、はたまた人間も。
そんなあなたは、死にたくないと命乞いをするのね」
「…………そうです。僕は心底卑怯なのだと思います。
自分が楽になりたいために、ルカさんもヴィルフリートも傷つけてしまいました……」

僕にはもう何もないのですよと言った後、クライヴさんは僕に心配そうな顔を向けたけれど、僕は彼へ向けて心配しないようにという意味で微笑んだ。

「きっと、僕は魔界で死ぬべきだったのかもしれません。
でも、こうして一度は……ヴィルフリートにも目こぼしで救って貰った命です。
それに――焦らずとも僕にとっての【死】と同義なものは、もう数日後に迫っています――誰かの知恵を借りなければ、回避することはできません」

そこでいったん言葉を切って、エスティディアルさんの顔を見つめた。

相変わらず汚いものを見るような眼で僕の姿を捉えているけれど……知っているわと口にした。

「何回か天使が来ていたわね。
そちらは随分情報に疎いようだけど魔界中の噂なのよ……いよいよ、最後の審判がくるのか、それとも試練か、ってね」

最後の審判、とは、いわゆる悪魔と天使の最終戦争の事であり、人間たちの宗教観においても多少解釈が違うので詳しい説明は省くけれど――悪魔も天使も大規模な争いをし、巻き添えとなる人間はほぼ息絶えるであろうと、人間たちの聖なる書物にも記されて恐れられている。

確かに、この魔界へ絶対といってもいいほどに見ない高位の天使が降り立ったのならば、そう思っても不思議はない。

もしかすると、僕がこの魔界へ初めてやってきたときも、そう思われたのかもしれないけれど。


「ねぇ、ルシエル……」

エスティディアルさんが、薔薇色の唇を薄く開き――僕の名を艶めかしく呼んだ。

「あまり長い時間顔を合わせていたくもないし、本題に入りましょう。つまりわたしと取引がしたい、と言いたいのでしょう?」
「……その通りです。出せるものなど、今の僕には何も――」
「――あるじゃない。とびきりのものが」

くすくすと可愛らしく笑ってから、彼女は嬉しそうに僕の胸元を指す。

「懐に『時の雫』……っていう素晴らしい秘宝を持っているでしょう? それをわたしにくれるのなら、手を貸してあげてもいいわよ」
「ッ……」

時の雫の事を、彼女も既に知っているのか……!

あの城にも雑魚悪魔は多いので、もしかするとそういったモノたちを使い魔として使っているものもいるのかもしれないし、何より魔界は情報の共有が早いようだ。

しかしこれを……渡してしまったとしても、彼女に使用することができるのだろうか。

「一度きりだとしても、使用した者の人生を巻き戻し、記憶を持ったまま……つまり未来を視てきた状態を保持したまま、過ちを犯す前にやり直すことができる。素晴らしい秘宝じゃない」
「しかし、これは悪魔にも使えるものなのでしょうか」
「あら……お馬鹿さんなのね、ルシエル。それは悪魔だろうと人間だろうと、天使であろうと関係ない。
使用者は感情や記憶を持っていれば誰だって。ただ、学習能力が無いなら同じ人生を歩むでしょうけれど」

なるほど。天国にあるというだけで、誰にでも使えるものなのか……。

「――待て、ルシエル。彼女が本当に手を貸してくれるのかは分からないぞ」

クライヴさんが僕の肩を掴んで小声で囁くように告げたが、エスティディアルさんは耳がいいらしく、その会話も聞こえているようだ。

失礼ね、と憤慨したように言って豊かな胸の前で腕を組む。

「悪魔は人を騙すけれど、天使と違って嘘はつかないわ。わたしが手を貸してもいいと言ってるのは本当よ。自分の名前に誓ってもいいわ」
「……それは失礼した。しかし、それなら――取引は成功報酬が妥当ではないだろうか」
「なんですって?」

クライヴさんとエスティディアルさんが互いの腹の内を探り合うようにしながら睨みあっている。

「あなた、ちょっといい気になりすぎてないかしら? わたしはあなたたち二人を殺してから時の雫を奪ってもいいのよ……自分が手を下さずに、ね」

彼女の後方の暗闇には、無数の赤い瞳がギラギラと輝いている。

耳を傾ければ、魔物たちの興奮した息遣いまで届くほどだ。

血気盛んな魔物たちを押しとどめてから、彼女は自ら出向いてくれたというわけだ。

これも一つの圧力材料となることも知っているわけで、今の僕らに対し十分な脅威となっている。

「死ぬ前にこちらも、あれを使う事が出来る……というのを忘れない方がいい。
できるだけ使わずに事を進めようとしているだけなのだから、自分の目の前で、万能成就できるものをドブに捨てる交渉をする事も無いと思うのだが」

一歩も引かないクライヴさんだったが、こういうことは僕が本来交渉しなければならないのだ。

懐にある時の雫を服の上より確認して、エスティディアルさんの名を呼ぶと……彼女は不機嫌そうにクライヴさんから僕へ視線を移した。

「クライヴさんの仰る通り……出来れば、成功報酬ということでお渡ししたいです。
あなたがどうしても……ヴィルフリートとやり直したいと願っていたなら、ルカさんを良く思っていないのなら……働きに十分な対価はあるのでしょう?」

すると、エスティディアルさんは気まずそうに僕らから視線を外す。図星だったのだろう。

「…………生意気ね。ヴィルを引き合いに出してくるなんて」
「ですが、実際そうなのでしょう。あなたが時間を巻き戻したいと願っている理由は」
「そうよ。好きな人の側にいたいって思って何がいけないの。
過ちをやり直せるなら、それにすがりたいと思うのは当然じゃない……」

好きで魔王になんかなったんじゃないわ、と言った彼女に、僕は少なからず同調してしまいそうになる。

愛した人の為なら全て無くしてもいい――という健気な彼女に。

「……僕も、やり直せるならと考えたりもしました……あなたにとっては過去が、僕にとっては魔界に来てからが最高なのですね」
「ふん。理解してもらおうなんて思ってないわよ」

つん、と顔を背けたエスティディアルさんは、魔王というよりどこにでもいそうな一人の女性に見える。いや、女性ではありますけれど。


「そこで、エスティディアルさん。僕らと一緒についてきてください。
僕が無事に乗り切ることが出来たら、時の雫をお渡しします」
『はぁ!?』

僕の思い付いた提案に、クライヴさんもエスティディアルさんも素っ頓狂な声を上げた。

本当に二人とも驚いているらしく、眼を真ん丸にさせて僕を注視していた。

「……このままあなたから有力な情報を伺ったとしても、道中で命を落としそうです。
一応クライヴさんは人間ですし、欲しいと思う悪魔も多いのでは?」

自分の名前が出たことに、殊更ぎょっとするクライヴさん。さらに僕は話を続けた。

「僕も、恨みだけはどうやら沢山もらっているようですから……僕を欲しいという者もいるでしょう。
僕らには護衛も欲しい。エスティディアルさんは時の雫これが欲しい。
でも、これはそう安い代物じゃない。きっと、ヴィルフリートの作る翠涙石より価値があるものでしょう?」

翠涙石は、エネルギーの塊のような……一時的にだが、能力を大幅に強化してくれるものらしい。

ただ、悪魔にしか効果が無い事、生成にかなり時間がかかる事、作り手は『ウァレフォル』の名を継ぐヴィルフリートだけなので、需要に比べ極めて流通量が少ないらしく、気が遠くなるほど高価な代物のようだ。

自分にはその翠涙石五つ分の価値があるらしいとルカさんは笑っていたけれど、この魔界でどれほど人間が貴重なのか、というのは――推して知るべし、というところか。

エスティディアルさんは黙って僕の話に耳を傾けていたが、その柳眉はきゅっと寄せられていて……様々な感情をこらえつつ、話が終わるまでは待っていてやろう……というところなのだろう。彼女は割と人格者でもあるようだ。

「僕がこれをお渡しする条件として、事が終了するまで僕らの護衛と、知恵を貸していただきたい。
契約の完了は、僕が無事に……当面の問題を解決する手段を見つけ、手にすることができるか。
あるいは……三日後に、ラムリエルが僕を連れ去ろうとするまでです。どんなに長くても、三日で終わります」
「……ラムリエルって、最近あなたの後釜に座った熾天使でしょう? そんな子があなたの事必要なの?」
「あ、そうなんですか……僕とラムリエルは、同じときにつくられた天使ですので……いわゆる兄弟です。
【父】が、僕の歌声を評価してくださっているようですので……」

そうなんですかって、そんなことも知らないの? とエスティディアルさんは僕に毒づいたが、天界の情報が僕に届くわけもない。

しかし、エスティディアルさんは何でも知っている。

そうか、ラムリエルが熾天使になったなんて……考えてみれば、同じ能力を持っているだろうからそういう事になる……のも当然かもしれない。


……なのに、僕の歌は必要なのか?

僅かに、僕の心の中で疑問が生じ始めた時、エスティディアルさんは小さく息をつく。

「よりによって天使と交渉とはね……」

エスティディアルさんは、先の交渉内容に小さく唸る。

もう僕は天使じゃないですと言おうとしたけれど、問題はそこじゃないと感じたので、彼女の思考を妨げぬよう口を挟まないようにしておこう。

「……嘘をついたら、あなたの主人共々八つ裂きよ」
「その前に、多分僕はヴィルフリートにボコボコにされてしまうので、余裕があれば構いません」

意味分からない、と再びエスティディアルさんは吐き捨てるように言ってから……大きく、それはそれは嫌そうに溜息を吐いた。


「――いいわ。やってあげる。
よりによってあなたたちというのが最悪だけど、労働した後の喜びはひとしおだものね……。
手に入れたらあの娘の前で使ってやろうかしら……うん、それ、なかなかいいじゃない。
止めてって泣き叫ぶところを踏みつけてやりたいわ」

ふふふ、と愉しそうに妄想をし始めるエスティディアルさん。加虐性癖もお持ちのようだ。

それにはあえて触れないようにしながら、僕はクライヴさんへとほっとした表情を向ける。

「なんとか、彼女の協力を得ることに成功したようです」
「……後が怖いぞ、ルシエル。事が成功してもウァレフォルの怒りに触れるし……」

それに、と辛そうにクライヴさんは一旦言葉を切った。

「ラムリエルという天使は、君よりも実力があるかもしれない。
きっと、再び姿を見せる時には……君を連れ戻す事を妨害する者たちに容赦などしない。
拒絶するなら、君に対してもかなり強力な攻撃を仕掛けてくるだろう」

そう。まだ、僕らは問題解決へ向けての一歩を踏み出しただけだ。

以前と同じくらいの力を手に入れられる保証はない。でも……やれることはやっておきたい。

「大丈夫です。僕は、まだ諦めません」

何の自信も無いけれど、不思議と落着きだけは胸中にあった。


「……で。そろそろいいかしら。出発したいんだけど」

エスティディアルさんから不服そうな声が聞こえてきて、僕らがそちらの方に視線を向けると、彼女は先ほどのドレス姿からうって変わって、随分と軽装になっていた。

膝丈の赤いレザーのワンピースの裾に、シフォンのようなレースがついていて全体的に可愛らしい。

若草色のジャケットを羽織っていて、本当にその辺へ出かける、というような格好だ。

僕はファッションなどには疎いけれど、これは多分ルカさんには似合わない部類のものだろうな……。

「なかなか可愛らしい装いですね。もう少し派手なドレスがお好きなのかと思っていました」
「わざわざ外に出るのにドレスは汚したくないもの。動きやすいし、これで十分なのよ」

長い髪は結んだりしないようだが、僕が気にかける事でもない。

「ええと……これからどこへ向かうのですか?」

出かけると言っていたから、彼女が何とかしてくれるわけではないようだった。

すると、僕の顔をじっと見てから気づくことはないのかと聞いた。

「堕天使って、元は天使だったのでしょう? なぜ堕ちたの?」
「それは……父に創られた存在でありながら、その意思に背いたものであるため、天へ戻る事を許されなくなった者たちです」
「そうよね……で? 自分たちの意志で離反した者はいないの?」
「勿論いますよ。遥か昔、人間に魅了さ――」

自分で何を語ろうとしたのか、というより、エスティディアルさんが僕に重大なヒントをくれたことに対し、全身が粟立った。

「さ、続けて。遥か昔のお話を」

エスティディアルさんは、言いたい事など済んだというような顔だったが、目的をクライヴさんに教えるためだろう。僕に先を促した。

「人間を監視するために、200人ほどの天使が地上に遣わされたのです。
その天使たちは、人間の女性に心を奪われ、あろうことか情欲を抱いたばかりか……彼女たちとの間に子を設け、人間に天界の様々な技術まで教えてしまったことがありました」

その話は天界でも大変な騒ぎとなったし、人間の聖典にも大洪水のいきさつとして記載されている。

大いに人間世界の秩序を乱したため【父】は大いに怒り、彼らを堕天させると同時、四人の大天使を向かわせて魔界へと追いやったのだ。

「……気づくのが遅いわね、ルシエル。知識は使わないと錆びつくっていうのは本当のようだわ」
「返す言葉もありません」

僕が苦笑すると、エスティディアルさんは何故か満足げに微笑み……次いでクライヴさんに視線を移した。

「人間を愛したのはルシエルが初めてじゃないわ。
蛇の道は蛇、とかいう諺があるでしょう。同類の事は、同類が解決法も含めて一番よく知っているのよ」

同類と言われると、自主的であったかそうでないかで少しばかり事情が違うから恥ずかしいのだけど……。

「……まぁ、その先輩方といいますか……自由意思にて堕天した200名の天使たちは【エグリゴリ】という監視役の者たちでした。
だから、そのエグリゴリの面々に、これから会いに行くのでしょう……?」
「その通り。もしかしたら、知っている人がいるかもしれないわよ」

アザゼルとかね――と、遠くにそびえたつ黒い山々を見つめたまま、エスティディアルさんは歌うように告げた。



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