【魔界で従者を手に入れました/54話】

軽い食事で腹ごなしをした僕らは、解決の糸口を探すとはいえ――……一体どこへ向かってみるのかを話していた。

食事中に話をするのは少々行儀のいいものではないけれど、今は時間が惜しいということで、背に腹はかえられず効率を重視している。

「……あまりよく知らないのだが、エスティディアルという魔王を訪ねてみてはどうだろう」

パンを小さくちぎってオリーブオイルに浸しながら、クライヴさんはあの女性のことを口にする。

ヴィルフリートの元恋人であり、現在もなお復縁を願う妖艶な美女悪魔である。

この一帯は彼女を含めて数人の魔王がそれぞれのエリアに被ることなく統治していて、エスティディアルさんはこの城に関係あるエリアを管轄しているようだった。

「エスティディアルさん……ですか。
僕にほとんど面識はないのですが、彼女は若い頃の僕を知っているんですよね……」
「若いと言っても見た目は全く変わっていないだろうし、既にそれほど若くはないのでは……」

クライヴさんが年齢や外見に対する細やかな指摘をしてくれたのですが、そう言われた所で僕も自分が何歳だったのかはとっくの昔に忘れてしまった。


『罪を悔いなさい。この業火に魂ごと焼き尽くされるのです。
いずれ、貴方がたが【父】によって赦されるその日まで――』
――300年前といえば。悪事に関わる人間や魔族を、煉獄の炎の中へと叩き込んでいたあの頃の事を思い出す。
『……本当に、あのルシエルだわ。こんな子に骨抜きにされているなんて、信じられない』

それと同時、ヴィルフリートの関連でこの城にやってきたエスティディアルさんが、僕を見るなり嫌悪の表情を見せたあの時の事も。

地上に降り立つことがあった頃の僕は【父】のご意思に逆らう者全てを葬り去ることに、何の疑念も抱かなかった。それどころか、何故彼らが【父】の御心に背くのかが理解できなかったほどで。

『【父】のお言葉を、信じられないというのですか?』

数日前に現れたラムリエルと同じことを、僕は一体幾度人間たちへと問いかけたのだろうか。


そうか……ラムリエルは……以前の僕と同じなんだ。


【父】の言葉が彼の思考を支配し、【父】の御心が絶対の正義であるということ。
「――ルシエル」

考えに没頭していた僕へ、クライヴさんがそっと声をかけてくれる。

はっとして顔を上げると、どこか心配そうな面持ちでクライヴさんは僕の表情を見つめていた。

「具合が良くないのか?」
「いえ……すみません。考え事をしていて、また上の空になってしまいました……」
「またネガティブな考えに戻っていたのか? 心配はいらない……とはいえ安心してくれ、とも言えないけれど、一人で抱えなくていい」

たった一人で行動するわけではないのだという事を告げ、クライヴさんは席を立って食器を片付け始めた。

僕も手伝おうとして席を立ちかけたが、クライヴさんは座っていてくれと言う。

そろそろと座り直し、僕はなるべく大きめの声で自身の考えを述べてみた。

「……エスティディアルさんの事ですが、僕らが行っても協力をしてくれると思われますか?」
「自身へのメリットが無ければ、きっと無理だと思う。
ましてやルシエルは魔界でも名の知れたセラフだったから、死んで欲しいと願う者は少なくない」

皆の事を冷静かつ客観的な立場で見ていたクライヴさんらしい意見を述べながら、彼は食器を洗っている。会話の間に食器用のスポンジがこすれて、キュッというひときわ高い音を立てた。

「……エスティディアルは我らの主人を恨んでいるのだから、ルシエルがいなくなるという事は主人の損失につながる。
それは周辺にも魔界全体にも絶対的な得であり……その絶好の機会をフイにするようなことはまずありえない。
貸し借りも無いのに、好きこのんで有益になるような情報をくれるとは思えない――」

そこでクライヴさんは、ほんの小さな逡巡を見せる。

「――が、やはりウァレフォルをダシに使うのが、最も有効かと思う。
ただ、それを行うなら交渉の可否に関わらず、エスティディアルかウァレフォル、主人の誰かに半殺しにされるだろうな」
「そうですね……ルカさんはいい顔をしないでしょうね」

ルカさんの場合に至っては、成功も失敗も関係なく『行った』というところで怒られてしまうとだろうと推測できた。

しかし、それ以外に頼る手段というのは僕には思い浮かばない。他の魔王に当たってみたとして、お世辞にも交渉術に長けているとは言えない僕らだ。

無事に帰還できる確率も、情報を入手できる可能性も、さらに低い事のように思う。

かといって、このまま何もしなければ、僕は……ルカさんを悲しませたまま、ここを離れてしまうことになる。

ヴィルフリートにも、まだ何の礼すらしていないのに。

「悩んでいる時間なんて、僕にはもうありませんね……」
――行ってみるしか手立てはない、か。

そう思った矢先、食器洗いと片づけを終えたクライヴさんは、神妙な顔で僕の名を呼ぶ。

「……城内にウァレフォルの気配が感じられない。主人のも、だ」
「え……?」

慌てて気配を探ってみるが、確かに感じない。それどころか……ルカさんらしき気配すら、この城内のどこを探っても見つけることが出来なかった。

「僕の探知能力までが劣っているとは思いたくないですが……ルカさんも、いない……ようです」
「そうだな……二人で出かけたと考えるのが妥当な所か。何かウァレフォルから聞いているか?」

クライヴさんの質問にも、僕は黙って首を横に振る。

僕が何も知らないのだと分かると、クライヴさんはやれやれと言いたげに銀の髪を掌に握り込み、天井を仰ぎ見る。

「……ここにいれば話を付けたり相談も出来たのにな。まぁ、いないものは仕方がないか……こちらも出かけるのだし。
何かあったときの場合に備え、書置きでも残しておこう」

冷蔵庫の扉にマグネットクリップで押さえつけてあるメモ帳を一枚とると、クライヴさんは留守にする旨をさらさらと書き写していくのだけど……言いにくい事に、彼の文字に少々独特な……癖があって、読みづらい。

「あ。『エヌティディマル』になってますよ、クライヴさん」
「ちゃんと『エスティディアル』と書いてる! 字は……昔から綺麗じゃないんだ」

指摘が恥ずかしかったらしい。むくれた様な顔をして書いた文字をガシガシと鉛筆で塗り潰すと、空白部分に先ほどより丁寧に『エスティディアル』と書いていた。

ただ、書き直したとしても先ほどとは差がない……などと言ってしまったら、今度は怒られてしまいそうだからやめておくことにした。

書置きをテーブルの上へと置いたクライヴさんは、僕に『行こう』と声をかけ――行動することにした。



城から一歩出ると、外は相変わらず紫色に濁っている。いつもと変わらぬ空の色だ。

白いトレンチコートの襟を立てて、クライヴさんは『嫌な風だ』と呟いた。

確かに瘴気はいつもより濃く、息を吸う度に喉に絡みついてくるかのようで、割と不快だ。

「グリフォンを呼べるか?」
「ええ、呼べると思います……」

僕は唇に指を当て、強く指笛を吹く。数秒の間が空いた後、僕らの上に黒い影が落ち、突風と共に舞い上がる砂粒。

目に入らないようにと瞼を閉じるが、僕らの耳は上空から近づく力強い羽音を捉える。

ずしん、という重い音と共に……顔は鷲、身体は羽の生えたライオン、という……あのグリフォンが僕らの前に現れたようだ。

「ピィ?」

グリフォンは僕の顔を見ると一声鳴いて、不思議そうに小首を傾げる。僕の魔力の質が以前と違うことに気付いたのだろう。

「……エスティディアルさんの城までお願いしたいのですが、可能ですか?」

彼らに確認するが、グリフォンは僕の言うことに反応してはくれない。どうやら――彼らよりも格下に見られるほど、僕の魔力は下がってきているらしい。

こうなれば、彼らは言う事など聞いてくれないだろう。

諦めて徒歩で行くか、クライヴさんを引っ張りながら飛ぶしかないかと考えた矢先……僕とグリフォンの側で、突如青白い炎が燃え盛る。

「ピッ!?」

驚いて羽をばたつかせたグリフォン。僕も身構えたけれど、この炎は……嗅ぎなれた、聖なる匂いがする。

「……聞こえたか。わたしたちをエスティディアルの城へ、と言った。
時間が無いんだ。返事が無いならば次は体毛に投げつけるぞ」

なんと、クライヴさんは僕がいつぞや作っておいた聖水結晶を地面へ投げつけたらしい。

そもそもあれは、ルカさんがエスティディアルさんの城に出向くときに僕がいくつか渡したものだったけれど……そうか、力を失ってただの人間になった今のクライヴさんでも、聖水結晶を所持することや使用することは可能なんだ。

クライヴさんの無表情もさることながら、聖水結晶での脅しが効いたらしい。グリフォンは何度も了承の合図を送り、背を僕らに見せて『乗れ』というそぶりを見せた。

「ありがとうございます、クライヴさん……」
「礼を言われることでもない。これを作ったのはルシエル自身だし、何より『備えあれば憂いなし』と諺にもある」

フッと笑いながらさらりと告げるクライヴさんは、なんだか頼もしい。

きっとルカさんだったら……クライヴさん格好いいよ、イケメンすぎるよ! と、はしゃいだだろう……。

グリフォンの背へ跨りつつ、僕はふと……あの二人がどこへ行ってしまったのか、心配になった。

ヴィルフリートの性癖をどうこう言うわけではないけれど、こんなときにルカさんの心と身体を慰めるために出かけたとは……考え――

「――ッ……! いけない……!」

僕は、大事な事を失念していた。一瞬の恐怖と戸惑いが僕の心を乱す。

「どうした、ルシエル……! 大丈夫か!?」

自身の羽を握るようにして抱きしめる僕を、ただ事ではないと捉えたらしいクライヴさん。

駆け寄ってきて、僕の肩を掴むと数度前後に揺すった。

「ルカさんが危険です……」

ルカさんの名前が出たことに、クライヴさんは一瞬『なんだ』というような顔をして僕から手を放す。

「ウァレフォルがいるだろう。そんなに心配は要らないのでは」
「違うのです。ルカさんは、あの身体に僕の呪いを受けています。僕が近くにいなければ、瘴気の吸収が早くなります」

すると、クライヴさんの表情すらも険しくなる。

実をいうとクライヴさんも、このままでは無事でいられない。

今までは彼自身も人間離れした能力を持っていたおかげで、瘴気が異常に濃密でなければ支障なく行動することも出来ていたようだけれど、もうその身を守るほどの魔力や抵抗力は無い。

そして、僕自身も長時間の行動は身体の不調が出てくるだろう。

ルカさんはヴィルフリートのお陰で多少は持ちこたえる事が出来たとしても、身を守る術を持ち合わせていないのだから――……。

「ルシエル、二つの事を同時にこなす余裕はないぞ。今は主人らの事よりも、情報を仕入れる事だ」
「ですが……」
「ウァレフォルたちはルシエルの事を考えて出かけたわけではないかもしれない。
良く考えるんだ。ウァレフォルが側にいれば多少は軽減できるだろう?
それに、この瘴気が多少薄れたとしても、我々の体力は徐々に削られていく。そちらのほうが深刻だ」

確かにその通りだ。僕のわがままで、これ以上クライヴさんを困らせたくはない。

「……わかりました。でも、エスティディアルさんの城から無事に帰還し、ルカさんたちがまだ戻っていなかったら……その時は――」
「分かった。余力次第で考える事にしよう。
全く、君らに出会ってからというもの、わたしも苦労ばかりだな。白髪が生えてくるのも近そうだ」

生まれつき銀色の髪だというのに、クライヴさんはそう言って僕の肩を軽く叩くと出発を促す。


ようやく僕らを背に乗せたグリフォンは、立ち上がって地を蹴ると翼を強く大きく羽ばたかせ、この先にあるエスティディアルさんの城へと向かって行った。



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