【魔界で従者を手に入れました/49話】

※最終話はほぼ全編ルシエルの視点でお届けします。


「……我が父に、祈りを……」

心からの祈りを捧げても、僕の犯した罪は消えない。

天へ戻る資格もなくなった僕が、朝夕の日課としている神聖な時間。

この魔界で、誰一人として【父】に祈りを捧げるものなどいないのだろう。

祈りを終えて瞼を開くと、職人の手には遠く及ばない出来映えであっても、自らが心を込めて作成した祭壇が眼前にある。

これは大悪魔であるヴィルフリートの居城の一室を利用し、許可も得ず勝手に改修をしてしまったけれど、ヴィルフリートは文句を言っても撤去しろとは言わなかった。

輝かしく偉大なる【父】を模して作った偶像を見つめると、心が痛むと同時に天での暮らしを懐かしくも思う。

もう、僕には戻ることのできない場所なのに。


祈りを済ませ立ち上がると、毎回の事ながら寂寥感が湧いてくる。【父】の像を見つめ、再び過去を思い出した。

【父】は、僕をお作りになってから、とても深い愛情をくださった。

人間たちがいう愛の在り方ではなく、過酷な試練を授けられたり、時には血や涙を流すほど苦しい出来事もあるような、存在を成長させ見守る愛だったのは分かっている。

僕がこの魔界に足を踏み入れてから今日に至るまで、本当に様々なことがあった。


その結果、僕は天へ帰還する権利を失い、愛する女性……ルカさんを得て。

この魔界にいて、命を狙われているかもしれないというのに、不自由はほとんどと言っていいほど感じていない。

僕は自らの翼を広げ、羽に手を触れて灯りに透かしながら見つめた。

羽の根元はまだ薄い灰色だが、先端に向けて徐々に黒くなってきていた。

堕天使とはいえ僕の翼は完全に黒化したわけではない。残り少ないとはいえ、まだ天使である部分も残っているようだ。


これが闇を纏うような黒になったのなら、僕の何かが変わるのだろうか。

そんな事を考えている僕は、自分でも滑稽な存在に思えた。

きっと、羽が黒くなってもこうして祈りを捧げることは止めないし、ルカさんを愛することも止めない。

僕は相変わらず中途半端な存在のようだ。


『ルシエル……』

突然僕の脳裏に、何者かが語りかけてきた。

しまった、まさか敵だろうか。存在を悟られ、語りかけられるほどに僕の心に隙があったという事だろう。

「――誰だ!!」

羞恥を押し隠し、僕は姿形を見せぬ者へと問う。


この感じはヴィルフリートではない。もっと、別の存在……そう、天使に……いや、もっと大きな存在だ。

『ルシエル、武器をしまいなさい。戦いに来たのではありません』
「……だれ、だ?」

僕は先ほどと同じ言葉を呟きながら、聞き覚えのある声の主を記憶から辿る。

『ルシエル。わたしを忘れてしまったのですか? ラムリエルです』

――ラムリエル。

僕はその名に懐かしさと親しみを覚え、ラムリエル、と口に出した。

そう言われてみると、この声は僕の記憶の中にあるラムリエルのものに相違無い。


ラムリエルと僕は、同じ日に【父】より生み出された天使。いわば……兄弟にあたるものだ。

生まれて暫くの間は生活を共にしたが、やがて僕らは別々の任へとつき、あれ以来ほぼ顔を合わせていない。

堕天した場合、その天使は神々の敵として認識されるため、天界にはすぐに堕天使の情報が伝わる。

だから、僕の事も当然敵として認識されているはずだった。


「本当に久しぶりですが、一体なぜ魔界に? もしやあなたが直々に任命され……僕を消しに来たのですか?」

僕が考えたのは、本当に安易だけれど一番考えられる事。

僕に語りかけてくるラムリエルの神々しい気配は、城外より感じる。

流石に大悪魔のいる城内には入ってこられなかったようだけれど、外にいるほうが多数の悪魔に気取られて危険なはずだ。

そんな状態で、ラムリエルは僕へ『重大な用件があるのです』と返す。

僕を消すのではなく、他に用事……?

先を促す僕の気配を感じ取ったようで、ラムリエルは話を続行する。


『貴方は堕落の道を歩みました。ですが、その身が汚れようとも、心からの祈りと懺悔は天へと届いたのです。
我らの【父】が貴方の罪を赦し、その穢れた身体を新しく作り替え、再び天使として戻ることを許可する、というのです』

青天の霹靂とはこのことだろう。

ラムリエルが淡々と口にした内容はとても衝撃的で、僕の思考を奪うには十分だった。


「……天に帰る資格を失った者を戻す……? そんなこと、今まで【父】がお赦しになっただろうか。ラムリエル、君は本当にそう言われたのですか?」
『【父】のお言葉を、信じられないというのですか、ルシエル』

咎めるでもなく、純粋な疑問としての響きを乗せてラムリエルは尋ねてきた。

どうして信じないのかと。


「……僕は、姦淫をしてはいけないという【父】との約束を守ることができませんでした。
そして、今現在も淫らな行いは欠かすことなく続けられているのです。
そればかりではなく、悪魔とも同じ城で暮らしています。しかも……僕はこの暮らしが嫌いではありません。
そのような僕を、【父】が赦すとは……到底思えないのです」
『ではルシエル。貴方は、【父】より、この魔界で、穢れた魂を持つ者たちをとるというのですか……!!』

すると、ラムリエルは何故なのですかと僕を責めるように告げる。

きっと、僕がラムリエルの立場であれば、同じように憤ったはずだ。何故戻ろうとしないのかと。

「……僕は、人間を愛したからです。例えその女性の魂が穢れても、僕は寄り添って共に歩み続けたいと思っているのです」
『目を覚ましなさいルシエル!! 貴方にはそのような事など必要ありません!
人間を導くのは他の天使の役目です。人間は、自身に共感を寄せる者に好意を持ちます。つまり貴方ではなくともいいのです!!』

――僕ではなくても構わない。

その言葉は、誰に言われなくとも自分がよく理解している。

ルカさんには、人間の悪いところも良いところも理解しているヴィルフリートがいる。

クライヴさんも、同じ人間としてよく理解してくれるだろう。

この中で人間と一番関わりがなかったのは、僕だけなのだから。

『いいですか、ルシエル。人間は、愛する家族と共に過ごすことが一番良いと思います。
かつて、悪魔を求めた人間は星の数ほどいます。利害関係があるとして悪魔と結ばれた人間も多いでしょう。
では、天使はどうなのでしょうか。
天使と障害もなく結ばれた人間はいるのですか? 人間と貴方は、深くは理解しえな――』
「――もうやめてください!!」

ラムリエルの言葉を遮るように、僕は大声で拒絶の意を示していた。


ぴたりと押し黙るラムリエル。礼拝所には、怒りと悲しみに肩を震わせ、荒い息を吐く僕しか感じられない。


「……そんなことを言われる筋合いは、もうありません。僕は堕天使です。悪魔の一員です……」

『……ルシエル。今日の貴方とはこれ以上話し合いが続けられないようです。また、日を改めて来ます』

僕の返事を待たずに、ラムリエルは一方的に告げて帰ってしまったようだった。

気配が消えた後、僕はその場に膝をついた。

祭壇に祈りを捧げようとしたわけではない。僕の胸中には、無力感や絶望、そして……困惑が混ざりあい、自分でも抑えきれそうになかったのだ。


どうしてほしいとも考えられず、どうしたいのかも分からずに声を押し殺して、僕は泣いた。



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