欠片から溢れでるすべての光を纏ったような、強い聖光を放つクライヴさんの剣。
渾身の一撃はクドラクの心臓を易々と貫いて、悪鬼の背を貫通していた。
クライヴさんはどこか悲しげにそう呟くと、剣を引き抜いて、クドラクから一歩離れた。
彼の眼前には、滅びを迎えるだけの、ひとの形をした『死』がある。
体にできた大きな風穴に手を添えて、クドラクは笑おうとでもしたか、口角を上げる。
だけど、そこから出たのは笑い声ではなくて、青い血だった。
その血ですら、砂のようにこぼれて消えていく。
「終の祈りを唱えるために、堕天使の力を借りるとは……愚かなものだな、クルースニク」そう言ったところで、クライヴさんは突如その場に膝をつき……倒れた。
「クライヴさん!!」いったいどうしたんだろう。どこか怪我をしたんだろうか?
「終の祈りは、本来一人で行うものです。と、クライヴさんの変調を平然とした顔でルシさんは告げていた。
……ううん、平然じゃない。ルシさんも、若干顔色が良くない――私が羽を指せば、彼は少々悲しげに頷いた。
「我々も人間ほどではありませんが、神に聖なる祈りを捧げるときには力を消耗します。じゃあ、今までルシさんの羽が白かったり、聖水なんかを作ることができていたのは、その力があったから――?
自分の羽を撫でながら『僕の方はいいのですけれど』と言い、ルシさんはクライヴさんたちの方へと顔を向け、眉を寄せる。
言い終わると同時、クドラクの体が乾いた土のように砕け、さらさらと砂になり――その砂も、消えていった。
それよりも。
クライヴさん……。
うつ伏せに倒れているクライヴさんに歩み寄り、ルシさんがそっと抱き起こす。
外傷はないのに、クライヴさんは体を動かすことすら満足にできないみたいだ。
「すまない……ルシエル。君の力を借りなければ、あの吸血鬼を滅ぼすことはできなかったかもしれないんだ……」クライヴさんの謝罪を、ルシさんは構いませんよと笑って許している。
その笑顔に、クライヴさんも僅かに頷き、良かったと口にした。
「――ようやく……何もかも終えることができる……」安心しきったような声で、クライヴさんは呟いている。
「だめだよ! そんな――」私が傍らにやってくると、クライヴさんは困ったように私の顔を見つめ、迷惑そうに眉を寄せる。
「……君に、言われると困る」半べそをかきはじめた私の頭を、なんか髪の毛が風に煽られてぐっちゃぐちゃになってるヴィルフリートが撫でる。
「別に君を嫌っているわけではなかったが。クライヴさんは静かな口調ながらも遠い日を思うように、語り始めた。
クライヴさんは、ハンターの家に生まれたんだ……。
「だが、当時からクドラクは小賢しく、父が気づいた時には、既に村人を数人魔眼で魅了し……その僕に加えていた。奴ら、っていうのはクドラクとその下僕って事かな?
すごい、あの無口な人がいっぱいしゃべってくれているよ。
当時の記憶は、まだクライヴさんの心に深く残っているんだろう。
十数年経った今でも、当時を思い出して彼の表情は、苦痛に歪んだ。
目の前で、そんな悲劇が起こっていたなんて……。
「そこで、クドラクは母の血液を吸い、父や村人が駆けつける前に姿を消した。クライヴさんは、そう言って唇を噛みしめる。
「――殺せなかった?」クライヴさんの言葉から予測をしてみると、彼は『ああ』と同意した。
「父の苦しみはわたしでは推し量ることはできない。その時の事を鮮明に覚えているらしく、クライヴさんは記憶を振り払うようにゆっくりかぶりを振った。
「結果、父はクルースニクとして自分の妻だった女を、僕と化した村人たちを屠った。まだ、陰鬱な話があるみたいだ。
クライヴさんの目には、悲しみが宿っていた。
その剣は、クライヴさんのお父さんの……形見みたいなものでもあったんだ。
クドラクのやつ、そんな酷いことを昔っからやってたんだね。なんだか、怒りがフツフツと沸いてくるよ。
おお、よかった。ずっと指名手配犯みたいな逃亡生活じゃなかったんだ……!
「それって、クライヴさんが何歳くらいの時なの?」げっ。超子供じゃないか。そんな小さいうちから苦難の連続とか……それ朝のテレビドラマ化されたら、日本中の奥様の涙を誘うよ。視聴率50%越えてしまうよ。
そんなテレビドラマ怖くて朝から見たくないのはともかくとして。
やばい、子供クライヴさんの笑顔って絶対かわいいんじゃないの。
今がこんな風になっちゃってるからよけいに貴重っぽい。
クライヴさんのお姉さんともども、見たかったな……どんな人なんだろ。この弟さんを見た感じ、姉も美人っぽいよね。
と、クライヴさんはそこで何かの痛みを感じたのか、顎をのけぞらせる。いっぱい喋ってたし、無理をさせてしまったかも……!
「クライヴさん、もう喋らないほうが――」動揺する私を見て、クライヴさんは何かを諦めたような、哀愁ある表情になる。
「――わたしの最たる願いは成就したんだ。でも、ルシさんやヴィルフリートも何も言ってくれない。なんで、クライヴさんはすぐ命を投げ捨てるかな……!
「だったら、もうこれからは何かに縛られることなく生きていけばいいじゃない! 死んだら許さないから!」私の怒ったような声に、クライヴさんは寂しげに笑った。
「懐かしいな、その言葉。姉と最後に交わした言葉が、それだった」じゃあクドラクが、クライヴさんの家族を全て奪ってしまったんだ……。
私が黙ったのを見て、クライヴさんは再び話してくれた。
目が合えば殺されるかもしれない。それはさぞ恐ろしい光景だろう。
「幼いわたしには、どうすれば村人たちが落ち着くかなどわかりもしなかった。誰だとか、逃げようとか、そんな些末なことはその恐怖の衝撃で一気に吹き飛んだと、辛そうに語るクライヴさん。
今はこんなに勇敢なのに、というか、そんな小さいうちでは臆病でもしょうがないよ。
「わたしは、恐ろしくて振り払おうと、剣を振るったんだ……しかし――父は、身勝手なわたしを死してなお許さなかったのかもしれない。混乱の中、弟が立ち尽くすのを見つけたお姉さんは、クライヴさんと一緒に逃れるために近寄ったのだろうか。
それなのに、不幸な事故が起きてしまった。
「泣きながら何度も姉を呼ぶわたしに、彼女は大丈夫だと微笑んだ。クライヴさんがそんな重く悲しい出来事を淡々と語っている。
雪が嫌いだと語ったのは、大切な誰かが死んだ日を思い出すからなのかも。
守るべきものもなくなって、憎悪だけでクライヴさんはここまで……雪の降らない魔界にやってきたのかな。
「――魔界で、姉の面影をみるとは、思わなかった。魂の質。
また難しい単語が出てきたけど。
「詳しく説明してやってもいいが、ざっくり言うとオーラだ」私が困りきった顔をしているのが分かったようだ。
黒髪を指で梳きながら答えるヴィルフリートの言葉は多分説明をものすごく省いているん、だよね。
なにそれ。クライヴさんのお姉さんって――……。
「姉に魂の質が似ていると言っただけだ。姉はもっと慎ましい」すると、ルシさんとヴィルフリートは、それはさしたる問題ではないのだと言った。
「魂は次元を越える。それに、こっちの世界でお前がこうして生きていられるのは、この世界にお前がいなかったからだろ?」前聞いた理屈じゃそう、いう、ことに……なるんだろうけどさ。
「……急に私より年上の弟ができても……」クライヴさんが語気を強めて反論したが、急にがくりと体が揺れ、ルシさんの腕の中に倒れ込んだ。
「すまない……。もう、限界のようだ……」弱々しく答え、クライヴさんはルシさんやヴィルフリートに、ありがとうと告げた瞬間。
クライヴさんの愛用していた剣が、粉々に砕けてしまった。
衝撃で飛び散った破片は砂粒のように細かくて、きらきらと白く輝きながら宙を舞う。
まるで、それは――雪のように。
フッと笑ったクライヴさんは、少しずつ瞼を閉じていく。
「ちょっと、クライヴさん……!」やだ。死なないでよ!
慌てて彼の手を握ると、ほんのわずかだが、その手を握り返してくれた。
クライヴさんは瞼を閉じたまま、そう告げて――……。
ずるりと、その手から力が抜け落ちた。
私が大きな声を出すと、ルシさんは人差し指を自分の唇の前へと持ってきて『シーッ』と私を宥めた。
何言ってんの! シーじゃないよ! クライヴさんが死んじゃっ……――た、わけではなかった。
小さな、寝息が聞こえた。
凄い死亡フラグ出しといてクライヴさん――生きてる?
「死んだわけではないです。クルースニクの力を失ってしまったんですね。力を出し切って、疲れて眠ってしまったようですよ」その言葉に安堵と疲れがどっと押し寄せてきて、私は大きな息を吐きつつ、すやすや眠るクライヴさんの肩に頭を乗せた。
「びっくりさせないでよ、もう……本当によかった……」間近で見たクライヴさんの寝顔は、とても穏やかで。
「クライヴさんにとっても、憑き物が落ちた、みたいな感じなのかもね」と、ヴィルフリートが私とクライヴさんを交互に見つつ、また居候も増えたなと肩をすくめた。
クドラクを討ち果たした私たち(ていうかクライヴさんの手柄なんだけどね)は、日々それなりに穏やかな日々を過ごしている。
クライヴさんは、終の祈りを使ってしまったのでクルースニクとしての力を失ったらしく、動物に変身できなくなったと言っていた。
つまり、普通の人間になったという事。
彼の時間はクドラクに噛まれる前に戻しているんだから、クルースニクっていう仕事? も、そのまま継続になるのかと思っていたんだけど……戻している時点から怪我をしたり、力が増えたり減ったりしたらその通りになってしまうらしい。
じゃあ、クライヴさんがまた噛まれたりしていたら、お手上げだったって事なのか。
それはとても危なかったんじゃないか。
で、変身できなくなったクライヴさん、残念ながらというか当たり前っていうか、能力もパワーダウンしちゃったようだ。
筋力や瞬発力だけではなく、五感が全体的に下がってしまったらしい。
あの聴力が落ちたのはありがたいけど、本人にしてみたらかなり遠くまで見えていたものが少し遠くまでしか見えなくなったり、吸血鬼のニオイも嗅げなくなって不便なんだろうな……嗅ぐのかは分からないけど。
で、私の首筋にあった刻印も消えたため、野良吸血鬼が襲いかかってくる心配もほぼ無い。
あったとしても、ヴィルフリートの名前はこの辺では有名だし、クルースニクがいるという噂も既に広まっていたようだったから、それが防犯の役割になっているみたい。
ようやく平和という名の【暇】が訪れたクライヴさんにとって、人生っていうのは復讐という目的を果たすための時間だったので、それを終わらせた今、やることがない。
定年まで働いてきたおじさんみたいに、目的意識が無くて困っている。
専ら暇をつぶすこと――家の掃除をしたり、時々私の食事作りを手伝ってくれたり、訓練に立ち会ってくれたりと、何かと世話を焼いてくれる。
ただ、調子に乗って『お姉ちゃんって呼んでもいいんだよ?』って言うと、クライヴさんは私を殺しかねない恐ろしい形相をする。
あれは何人か殺してる顔だよ。
それ以外は結構素直にお願いを聞いてくれるし、私やみんなに前よりは心を許してくれたように思う。
ご飯もちゃんと食べてくれるようになったけど、お陰様で少し太ったと言ってあんまり変わっていないと思われる上半身を鏡に映して見ていた。
どうせあれでしょ。クライヴさんの太った、は体脂肪率が数パーセント上がった程度なんでしょ。
それを見ていたヴィルフリートが『明日は霜降り肉の分厚いステーキにしようぜ』といってクライヴさんをからかって遊んでいる。
ルシさんも、僕はお魚の方がいいですとか言って……まぁ、こんなふうに日々を過ごしていたりもする。
スキンシップなんだよと言って、つっかかるクライヴさんに笑顔を向けるヴィルフリート。
お母さんも、お父さんも今何してるんだろう。
私がいなくなって探し回って、疲れて泣いたり、してないかな……。
私のせいで喧嘩したりしてないかな……。
両親の顔を思い浮かべると、なんだか息が詰まりそうになる。
ルシさんが椅子に座ったまま、私を注意深く見つめていた。見られていたことにも気がつかなかった私は、今更ハッとした顔でルシさんを見つめ返す。
大好きなルシさんの紫色の目は、いつもこうして私のことを見つめている。
でも、こういうときに私を見つめるルシさんは、私の心の内を探るようで……苦手だった。
「んー? そだね、か……家庭的、で楽しい」家族みたいだ、と言ってあげたかったけど、ちょっと言葉がすんなり出てこなかった。
ほんの一瞬ルシさんは悲しそうな顔をして……全くですね、と、いつもみたいに笑ってくれた。
私はルシさんも、ヴィルフリートも、クライヴさんも大好きだよ。ずっと一緒にいたいって本気で思う。
だけど、やっぱり……親とも、友達とも一緒にいたかったよ。
そして、また私たちに大問題が降りかかってくるなんて、このときはこれっぽっちも思わなかったのだ。