紆余曲折あったけど……。
クルースニクでいる事の代償(?)に、私の側にいてくれることとなったクライヴさん。
しかし……ヴィルフリートの手口が、本人的に納得できない所もあるせいだろうか。
以前にもまして私の顔を見ようとしない。
確か、副作用で私を性的に意識してしまうから……だとかヴィルフリートから聞いたけど、本当なんだろうか。
それが例え全てウソだったとしても。
クライヴさんが自分から不幸な最期を迎えようとしなくなった事――それは嘘偽りなく嬉しい事だった。
私が居間に入ると、既にクライヴさんは窓の側に腰かけていて、吸血鬼の気配を探っているらしかった。
笑顔でクライヴさんに挨拶したけど、やっぱりクライヴさんは私を見ようともせず、『心配はいらない』と答えた。
「身体の重さや不調は感じないんだ」クライヴさんがクドラクにつけられた傷は、首輪の仕組みによってその日に回復できたけど、無理して良いってわけじゃないと思うし。
「睡眠時間は確かに減ったが、不思議と疲れや眠気はない。と軽い冗談……だろうか。お昼寝の話を持ち出してきていた。
「クライヴさんも冗談を言えるんだね」ぷくっと頬を膨らませていると、クライヴさんは目を細めて小さく微笑んでいるような顔を見せた。
私に笑いかけたよ! これは魔界を揺るがす大事件だよ!!
クライヴさんの笑顔は、ルシさんのように安らぎのあるものではなく、ヴィルフリートのように自信たっぷりのものでもない。
新緑のそよ風みたいに爽やかで、儚げな笑みだった。
つまり――思いの外かっこよかった。
いや、クライヴさんは格好いいよ! すごいイケメンだってわかってるよ!
ツンがなくなって……いや、デレてなかったにしても、突然の笑顔なんて見せるから不意打ち過ぎてドキドキしてきた。
「……?」私の反応が変なので、クライヴさんは小首を傾げて不思議そうに見つめてくる。
やばい、この人は警戒心がないと、こうも……こうも、ギャップ萌えを意識させる達人だったとは……!
「なんでもない! 気にしないで!」頬が赤らんでいくのを実感しながら、何も言われていないのに両手を前につき出すと、ぶんぶん振りながら後退していく。
後方確認なんか当然していなかったので、自分の背中へ何かがドスッとぶつかる。
「わっ……」よろめきながらも振り返ろうとする私の肩へ、誰かの手が伸びてきた。
「人が目を離すとお前ってヤツは……この浮気者」若干不満そうな声の主はヴィルフリート。
私の肩に置かれた大きな手に、少しずつ力がこもってきている。
浮気じゃないよと否定したところで、私自身後ろめたい気持ちがあるのはなんでなんだろう。
「それに、こうしているクライヴは忙しいから邪魔するなよ。別に話をするくらいどうという事はないと言った後で、クライヴさんは再び窓の外を眺めていた。
また吸血鬼は襲いかかってくるだろうから、クライヴさんは気が抜けないようだ。
ルシさんが三人分のティーセットをテーブルの上に置き、クライヴさんに声をかけた。
私の肩を抱いたままテーブルに近づいたヴィルフリートは、カップの数を確かめる。
「……一ツ、足りなくねぇか?」当たり前のように笑顔で答えたルシさんに、おい、とドスの効いた声を出しているヴィルフリート。
「じゃあ俺も紅茶でいい」今日はルシさんの毒舌が冴え渡っている。
きっと、昨夜ヴィルフリートがルシさんの『番』を無視したせいだ。
「あ、クライヴさんは窓辺ではなく、こちらに来て座ってください」この人、ルシさんには素直なんだよなぁ。
確かに、ヴィルフリートとルシさんと私だったら、ルシさんを信用するのはしょうがないところだけど。
いや、この場合は……ルシさんに逆らってはいけないと判断したからかもしれない。
私でも、ヴィルフリートとルシさんとクライヴさんだったら……だいたいの割合でルシさんの言うことを聞くけどね。
ティーポットからカップに注がれていく紅茶を見つめ、クライヴさんは気持ちだけありがたく受け取ると付け足した。
「……クライヴさん。僕は前から伺おうと思っていたのですが」ご丁寧にミルクやシュガーポットまで並べながら、ルシさんはクライヴさんをちらちらと上目遣いで盗み見る。
可愛いけど、男にそんなふうにするんじゃないよ、ルシさん……。
私にも時々してくれるけど、その顔でお願いされたりすると断りにくいし。
クライヴさんだって、きっと悪い印象を持っていないだろうから……って。
決して嫉妬した訳じゃ……ないと思う、よ。
私がそんな事を考えているなんて、二人とも露ほど思っていないんだろう。
当然のように、何か、という顔でクライヴさんはルシさんへ視線を向けると、ルシさんは口を開いた。
孤独。確かに、一人でいたい……というより、関わりを求めたくないとするような態度や発言もあった。
すると、クライヴさんは『それは』と言葉を探すようにしつつ、ヴィルフリートの様子を探っている。
その内情もこの悪魔は知っているのか、そうでないのか……。
ヴィルフリートはクライヴさんの視線を受けつつも、角砂糖を指で摘んでは角砂糖の上にひとつ、またひとつと積み重ねていた。
自分は感知しないという姿勢なのかな。
再びルシさんのほうを見つめながら口を開きかけたクライヴさんだったが……『汚い!』とルシさんの叱責が飛ぶ。
堕天使様がヴィルフリートの手を叩いた衝撃で、建設中の角砂糖タワーはガラガラと崩れていった。
「あっ!」話を切り出すタイミングを失ったクライヴさんは、二人のやりとりを無言で見つめている。
「んっ、……んー……ごほん」私がわざとらしい咳払いをすると、ルシさんは理解したらしく頭を下げ、クライヴさんを促した。
「……わたしはクルースニクとして生きているし、人と関わる術を知らない。と、無表情でなんだか寂しいことを言う。
それには、ルシさんも僅かに眉を顰めた。
クライヴさんは、いったいいつからこんな風になっちゃったんだろう。
いわれのない罵声を受けたかもしれないし、逆に言うことを鵜呑みにしたのかもしれない。
「……クライヴさんは、そう言うけど……ふつーは変身しないけどな、というヴィルフリートのつっこみは無視する。
「人間……?」だが、クライヴさんの目はいつもの鋭いものに戻ってしまった。
「君は、わたしを人間だと思えたか?」確かに、そう言われてしまうと……きっと気づけなかったと思う。
返事がないことを無言の肯定と受け取ったらしい。クライヴさんはそういうことだと言った。
「知識がなければ気づきはしない。そんなだから、誤解されるんだよ。
物言いたげな私(実際あるんだけど)の顔を睨むようにしながら、クライヴさんは『無理だ』と言い放つ。
驚きに目を見開く私。それを見たクライヴさんは視線を背ける。
話は終わりというような態度で席を立ち、また窓辺に寄り添った。
クライヴさんの表情は、座っているこの場所からでは見えない。
きっといつもの無表情なんだろう。というのは予想できる。
だけど、クライヴさんの心境は穏やかではないのではないだろうか。
それに……クライヴさんは今……人殺し、とはっきり口にしたよ。
ヴィルフリートなら、クライヴさんの事情を知っているはずなのに、ここでも何も言わないつもりなの?
そんな私の言いたいことを見て取ったのだろう。
ヴィルフリートは、背もたれにだらりと寄りかかりながら、勿論知ってるぜ、と言い切って紅茶を飲み干した。
「だが、俺の口からは教えてやれねぇな。そのうち分かるだろ」ルシさんは理由を知っているのか知らないのか、あるいはいろいろ弁えているのか……
クライヴさんを心配しているようなのに、この話には乗ってこない。
そして、私はハッとした。
前に、ヴィルフリートが言っていたじゃないか。
『数十年前に、人間を殺したクルースニクがいる』って。それは、幼い頃のクライヴさんだった……って事……?
否定しようと思う気持ちと、何か薄ら寒くなる気持ちが入り交じって、私は急に言葉が出なくなる。
確かに私の住んでる時代なら……たいした意味もなく人を殺すって事件もあるけどさ。
事故とか、理由があったに違いないよ。本人が言わないんじゃ確証もないけど、私はクライヴさんを信じたい。
と、淹れてもらった紅茶を飲みながら自分の気持ちを整理したところで、なんとも微妙な空気になってしまったな。と思う。
ヴィルフリートが立ち上がって私へと投げかけるが、今日はまだ体もだるいしさぼりたい。
「今日は体がだるいから、少し軽いメニューにしたい……むしろ休みたい」正直に言ったのに、ヴィルフリートはじろりと睨みつけてくる。
いやだわ、怖いわ! この人特訓大好きすぎるよ!
「だって……。あんなにみっちり毎日しごかれ続けてるんだよ!うぐぐ、ぐさっとくる。
「大丈夫です。体力を付ける為にも重要な鍛錬ですよ」ルシさん、悪びれもないのが時折辛い。
「や、やだ! もうちょっと寝たい! あんまり寝てないし……」何言っても無駄だわぁ……。がっくりとうなだれた私を引きずるようにして、ヴィルフリートは鍛錬場へと連れていくのだった。
あ! 私……まだ、ご飯食べてないよぉ……!!
あれから数日。クライヴさんは朝に吸血鬼探索を行い、昼はクドラクの寝床を探し、夜は私の夢に入るというスケジュールをこなしている。
自主的とはいえかなりハード。これ仕事だったらブラックすぎるでしょ。
おかげさまでクライヴさんの寝る時間は、やっぱり……ほとんどない。
また倒れるんじゃないかと思いきや、クライヴさんは不思議と顔色も悪くない。
彼曰く『血さえ貰っていれば割と大丈夫なようだ』とは言うものの、本人でさえよく分かっていないらしく、自分自身でもなんで大丈夫なのかと不思議そうにしていた。
そう、血をあげるため。
今日初めてクライヴさんの部屋に入ってみたけど、本当に簡素極まりない。
仮住まいのつもりだったのもあるんだろうけど、部屋の中には荷物を殆ど入れていない。(以前はこの部屋倉庫みたいに使っていたけど、それは違う部屋に搬出したんだよ)
寝るためのベッドと、荷物や多少の着替えが入ってるクローゼット……あとは小物を置く机しか使っていないみたいだ。
で、私は机に備え付けの椅子、クライヴさんはベッドに腰を下ろしている。
「……通販で何か発注すればよかったのに」まぁ、クライヴさんは『モテたい!!』とか関係なさそうだもんね。
ちゃんとオシャレすれば今よりずっと格好良くなりそうだってのに。
勿体ないわーこんなにイケメンなのに……。まじ勿体ないわー。
「……今度、なんか見繕うよ」普通のシャツとブルーのボトムなんだけど。ニーナが大型安売りチェーンで買ってきてくれたやつ。
「今日の服ではなく……ウァレフォルが君に買うだろう」クライヴさんが指摘したのは、いかがわしいコスプレ衣装の事だ。
胸元が大きく開いた、パイロット風CAさんとか、裸にネクタイのセクシーなポリス服とか。
厭らしい、とルシさんにすらディスられてたけど、そういうルシさんは私に修道服を着せるのがお好きなのだ。
あれもコスプレという事を知っているんだろうか。
あれはルシさんやクライヴさんの認識では別なんだろうか。別なんだろうな……。
あーあ。ヴィルフリートのせいで、余計な誤解を生んでいたじゃないかよ。
私は必死に、あれはヴィルフリートのイカレた趣味であって、決して私の趣味ではないというのを説明した。
クライヴさんにとってはどっちの趣味だろうがどうでもいい事らしく、適当な返事をするだけだったけど。
と、そんな事より……クライヴさんへ儀式を行わなければ。
私が安全ピンを取り出し、恐るおそる指に刺すのを見ていたクライヴさん。
「こうした方が痛くない」サクッと刺さるピンに驚いたけど、確かに痛くはなかった。
「これは痛いと思うから、頭で痛みを思い出す。針は細いから、さほど痛くないんだ」なるほど。注射も想像しているものより痛くないことが多いから、それはあるかもしれない。
ベッドに座ったままのクライヴさんへと近づき、例のチョーカーに指を近づけた。
チョーカーの珠に血を垂らすとき、クライヴさんは苦しそうな顔をする。
「……血の匂いのせいか、気を張らないと精神がざわざわする」まるでクドラクみたいだ、と吐き捨てるクライヴさん。
こんな少量の血でさえ、分かるみたい。
「吸血鬼倒す時には、血の匂い大丈夫なの?」あ、黙っちゃった。
ついでに、沸き上がる欲求(性欲って言うのかな)すら、押し隠そうとしていた。
なんで分かるのかって? だって、急にクライヴさんの体温が上がるんだよ。息遣いも荒くなるし。
……あっちも、その、反応してるから。またそれが気まずくて。見るなとか言われるし。放っておいて収まるならいいけど。
と、強情な姿勢を見せる。本当に嫌なんだなぁ。
でも、こうして血をあげるのとエッチなことするのって、なんかワンセットみたいなんだよね……。
血を与えたばかりの珠を指でなぞると、クライヴさんが顎を仰け反らせて呻いた。
反射的に手を引っ込めてしまった私は、思わずクライヴさんの様子を注視する。
シャツのボタンはかっちり留められているわけではなく、ふたつくらい開けられていて、呼吸をするたびに胸が大きく上下している。
細いわりに筋肉質な身体は、既にうっすら汗をかいていた。
「急に触らないでほしい……」クライヴさんは、私に恨みがましい事を言って、視線を背ける。
うっすら開かれた唇からは、切なそうな息が吐き出されていた。
……なんていうか、すごく色っぽい。ヴィルフリートは……ワイルドな男性の色気というか、そういうものがあるんだけど。
ルシさんは、その大いなる包容力と慈愛の心……そして時々豹変するやべーギャップがある。
でも、クライヴさんは彼らと違って……儚さが。ルシさんとは違う清らかさがあると思う。
ルシさんは、そうだなぁ……神聖過ぎて触れちゃいけないものだった感じがあった。
クライヴさんは触れてみたいけど、触れたら消えてしまいそうなんだ。
「ああ……クライヴさんは、雪みたいなんだなぁ」思わずそんな感想を述べると、彼ははっとして目を伏せた。
「雪は嫌いだと言ったはずだ」ぎこちなく笑いかけると、それに反応することなくクライヴさんは目を閉じた。
忘れたい出来事。クライヴさんの過去は、私には想像もつかないほど辛かったのかな。
処理はしないでいいのかな。
私が示唆した事がわかったのだろう、クライヴさんは不要だと首を振る。
「そういう気分じゃない」きっぱり言い放つクライヴさん。
自分の意志と関係なく性欲を持て余しているのに、すごいな、この人。どっかの誰かに見習わせてやりたいよ。
それじゃあ、とクライヴさんの部屋を出て、自室に向かう廊下を歩いていると……。
ドアを勢いよく開け放ち、剣を握って怒りの形相で出てきたクライヴさん。
何があったのかと思えば、私に近づいてきて腕を掴んだ!
「ひっ!?」そのままクライヴさんは、私を自身の胸に抱き込んできた!
「わたしから離れるな……!」耳元で囁かれる真剣な言葉に、私は急に心臓の鼓動が速まるのを感じた。
ちょ、ちょっと積極的じゃないのクライヴさん……!
「クライヴ!」すると、目の前の床からヴィルフリートがこれまた恐ろしい顔つきで現れた。
「クライヴさん、ルカさん!」階下からも、ルシさんの声が聞こえるし、あわわ、また修羅場が……!!
ルシさんに刺されて、ヴィルフリートにくびり殺される惨殺エンドを脳内に思い浮かべていると、クライヴさんがヴィルフリートとルシさんに『わかっている!』と声を荒げていた。
「いやああ、殺さないでください~!」情けない声を出す私に、落ち着けとクライヴさんが言い聞かせ、クドラクの気配が間近にあると説明してくれた。
あ、そっちだったんだ。私自意識過剰すぎるんだろうか……もうだめだ、穴があったら入りたい……。
がばっと顔を上げた私に驚いて、クライヴさんが反射的に上半身を反らす。
目の前には、クライヴさんの顔があって……そうか、そうしないと、キスするみたいな体制になっちゃうからか。
「……な、なんだ? 近すぎないか?」何急に困ってるんだよ、もう。それどころじゃないよ。
「クドラク、どこ?」今探しているというクライヴさんだが、チラチラ私を見ては眉を寄せる。
「……気が散る。ウァレフォル、引き取ってくれないか」ぐっと私の肩を引き寄せるヴィルフリート。
私を引っ張ったのはクライヴさんからじゃないか。
不満そうな私に落ち着けと言い聞かせてから、ヴィルフリートも目を閉じた。
これは、探知をしているのかな。
「……あの野郎……! よりによって!」カッと目を開いたヴィルフリートは、憤りながら行くぞとクライヴさんを煽る。
私の手を痛いくらいに引っ張って、走りながら向かっていったのは……。
私の部屋だ。
クライヴさんは思い切り扉を蹴りつける。
分厚い扉のはずだったけど、クライヴさんの必殺キックには耐えきれなかったらしい。
破砕音とともに蝶番は留め金とともに外れて宙を舞い、ドアは蹴りを入れたところを中心にして『く』の字に折れて吹き飛んだ。
修理、してもらわないとな……。
壊れたドアを踏みしめ、クライヴさんは地の底から響くような声で(まぁここも魔界だけど)凄んだ。
私がその後ろからのぞき込むと、私のベッドの上には……そう、あの変態電波吸血鬼、クドラクが足を組んで座っていた。
「ちょっ、あんたなに人のベッ……モガッ」ルシさんが素早く私の口を手で塞ぎ、ヴィルフリートと一緒に部屋の外へ引っ張っていく。
「だって、ベッドに~……汚れるっ!」激昂する私の頭を、優しくナデナデしてくれるヴィルフリートは、ハァとため息をついて『どうせ部屋はブッ壊れるから』と言った。
えええ……。ちょっと、せっかく買ってもらった洋服とかそういうの、全部なくなるの?
「また、買い揃えましょう……」悲しげな顔をする私に、ルシさんも同情してくれたようだ。
そうしてクライヴさんは剣を抜き放ち、構えた。
すると、クドラクは大仰に肩をすくめた。
20年前って……。
「え!? クライヴさんとこいつって、そんなに昔から知り合いなの?」すると、クドラクは私を見つめてニヤニヤし始めた。
……いつもの事だけど、相変わらず気持ち悪いな。クライヴさんが言ってたことと、内容はそう変わらないようだ。
「人殺しのクルースニク……という呪われた運命。