クライヴさんが、私の夢に出てくるのは――
……彼が私の夢に入り込んで、吸血鬼から守ってくれているからだとルシさんとヴィルフリートは予想を立てていた。吸血鬼は俗に【夢渡り】と呼ばれる――対象の夢の中に現れて何らかの行動を起こしたりすること――はほとんどしないらしい。
そうするのは夢魔であり、人一倍プライドの高い吸血鬼にとって、下等である夢魔と同じ行動などプライドが許さないからやりたがらないとか。
それが本当だとすると、クライヴさんは私を狙う吸血鬼の手口があらかじめ分かっていたということになる。
――夢で私を呼ぶ声が、本当に吸血鬼のものであるならば、という仮定の上で、だけど。そこで気になるのが、クライヴさんのメリット。
確かにクライヴさんは責任を感じたのか、あの変態吸血鬼を倒すまでは私たちに協力し、この城に居候することになっている。
実際、私の首に浮かび上がる、吸血鬼を呼び寄せる蛇の痣は結構な効力があるらしい。
一週間足らずの間にも、おびき寄せられた吸血鬼を数匹、クライヴさんが狩ったとルシさんが言っていた。
……吸血鬼の数え方って、匹でいいのかしら。まあいいか。クライヴさんの私への無関心と無口ぶりからして、彼から直接情報を引き出すのは無理そうだ。
「……寝ないのもアリかなー……」そうだ、一日くらい寝なければ、もしかしたらクライヴさんの苦労も薄れるかもしれない。
ちょっとした名案だと思ってソファから立ち上がると、丁度クライヴさんが無表情のまま居間にやってきたところだった。
「あ。おはよ……」そっけない挨拶だけど、これでも返してくれてるからいいかな。
あ。またこの人朝風呂したんだな。髪の毛、まだ濡れてるし。
しかもちゃんと身体拭いてない。シャツに水が染みて、所々水玉になっている。
割と不精なのか、身だしなみは左程気にしていないのか。
クライヴさんは冷蔵庫からミネラルウォーターの500mlペットボトルを取り出すと一気に半分ほど飲み干す。
「……何だ」
私の視線に気づいていたらしい彼は、淡々とした口調で聞いてきた。
「あ。えーと、身体、ちゃんと拭かないと風邪ひくかなって……」うう、朝一ツンしかないクライヴさんはキッツイなぁ。凹むなぁ。
「……あのー……さ……言いたくないならいいんだけど……」私が言い淀んだ事を的確に返してきたクライヴさん。
クライヴさん、先読みスキルが高すぎないか!
「うん……。ヴィルフリートもルシさんも、クライヴさんが守ってくれてるって言ってて……」あれ、あっさり肯定してくれた。
クライヴさんは、綺麗なオッドアイを私に一度向けた後、すぐに視線を戸棚に入っているクラッカーに戻した。
そういえば、いつもクラッカー食べてるな。
「……パンとか、あるけど……食べないの?」クライヴさんは、どうやらハンドトスよりクリスピータイプのピザを好むんだろうな。と、わりとどうでもいい推察まで行ってしまう私。
でも、質問にもちゃんと答えてくれてるし、私が思うよりずっと……優しいのかも。
「今日は寒いねー」話題を逸らすために言ったのが、何か気に障ったみたいだ。
クライヴさんの貌には、いつもと違う、憤りのような何かが見えた。
「わたしは――雪など大嫌いだから一粒も降らない魔界にいる」それだけ言い残し、クライヴさんはクラッカーを箱ごと掴んで、いつもよりずっと乱暴に居間を出ていってしまう。
それを呆然と見送るだけの私。
……なんか、すっごい悪いことを言ってしまったらしい。いわゆる、地雷ってやつか。
もしかしたら、私とクライヴさんは前世とかでもすごく仲悪かったんじゃないの? 何かにつけて気に障ってるみたいだし。
男の人は、本当によくわからない。
ルシさんが入ってくるまで、私は暫くの間、ぼーっと戸口の方を見て纏まらない考えをぐるぐる巡らせているだけだった。
その日の夜。
「……この世界のこと、ですか?」私は、思い切ってルシさんにこの世界のことを聞いてみることにした。
「うん。ルシさんは、一応……こっちの人だよね?」堕天使になっても信仰心はあるらしいルシさん。
私が訪ねてくるまで読んでいた聖書を閉じ、小首を傾げる。
「……ルカさんが仰りたいのは、ニーナさんのように異界を繋ぐ力が僕になく、この単一の世界の住人か、ということですよね?」ごめん、よくわかんなかった。
どうやらよく分かってないことを沈黙でルシさんは察してくれたらしく、嫌みのない笑みを向ける。
「この魔界の上に地上があり、僕はその空……天界の住人かと聞いている……で、合っていますか?」すると、ルシさんは困ったようにどうなんでしょうねと口にする。
「僕らも正確には、どの世界の住人かは分かりません。じゃあ、ルシさんは単一の存在ってことなんだ。
「……もし、僕が単一でないのであれば。説明しているルシさんの表情が、陰ってくる。
ヤベッ、また新たな地雷を踏んでしまった。地雷処理班かよ私。
「あー……その節は、まことに申し訳ない……デス……」頭を下げたルシさんを、ぎゅっと抱きしめて背中をさする……けど、手が羽に当たってうまくさすれなかった。
ド下手なスキンシップでも、ルシさんははにかんだ笑みを向ける。うう、かっわいいなぁ……。
「……話の腰を折ってしまいましたが、この世界のどのような事が気になったのですか?」そうですよとルシさんはあっさり認める。
「空がありませんからね」そーか。確かにそうだわ。
「雪を降らす魔法とかは?」ルシさんでもやらないというのだから、それはとても有力な発言だ。
「よくわかったよ。それでね……。ご質問には答えられません、と残念そうに告げるルシさん。
「……しかし、ルカさん。今日は異様にクライヴさんを気にされていますね。ご執心のようですね、なんてチラリと私の表情を伺うルシさん。
また、このクソビッチとか思われてるのかな! それはイヤだー!
「違、違うよ……っ、私、クライヴさんが怒ったんなら謝りたいけど、なんで怒ったのかよくわからなくて!がっかりしたような顔のルシさん。ああ、もう私地雷しか踏んでない……!
もういっぱいいっぱいで、アウアウしている私をじっと見ていたルシさんは噴き出す。
「――すみません。つい、クライヴさんが羨ましくてルカさんを苛めてしまいました。私を抱き寄せて膝の上に座らせると、頬にキスしてくれるルシさん。
許してください、なんて上目遣いでいわれると……くっ、もう許しちゃうよ私。この顔は反則だよ……。
「こっちこそごめんね……。クライヴさんの事ばかり聞いちゃって。 恋人に異性のことを言われてばかりは、イヤだよね」あ、この間のことを覚えてるんだな、ルシさん……。
でも、超嬉しそうで可愛いからそれでもいいや。
「ん。そうだったね。婚約したんだ」首に抱き着いて、ちゅ、とルシさんの頬に軽くキスを返してあげると、照れたように笑ってくれている。
「……認めてくださってすごく嬉しいです――でも、ルカさん。後ろを振り返ってください」言われたとおり、ルシさんの指さす方向に首を向けると――……。
「こわーい悪魔が羨ましそうに睨んでますから、この話はここで止めたほうが身のためだと思います」私たちを凶相で睨んだまま、口はへの字に結んで仁王立ちをしているヴィルフリートがそこにいた。
やばい、なんか超怒っている。
「……どこに行ったのかと思ったら、とぉーーーっても楽しそうだなぁ、お前等」さらりとルシさんが言ったことに、ヴィルフリートは腹を立てたのか、だん、と強く足を鳴らして反抗した。
「……あんたら、なんで覗きあってんの? そういうのしないって話じゃなかったっけ」よくないだろ。少なくとも私が捨ておけないよ。
「だってさー」「あー、とにかくなんだ。クライヴの話だったな?」強引に私の話を打ち切り、どこから聞いていたのか分からないけど……ヴィルフリートは話を元に戻す。
その話に、私は思わず食いついてしまう。
「え。それって――」そっと戸口を伺ったヴィルフリートは、ルシさんに念のため消音結界をと命令する。
僕はあなたの従者じゃないですけど、と不平を漏らしながらもルシさんは言われたとおりに結界を施したようだ。
あ、私にも、部屋が見えない何かで覆われた感じは分かったぞ。
これが結界っていうものの効果なんだね~。
私が一人で感心している間にも、ルシさんとヴィルフリートはサクサク話し始めていた。
「それは……いくらなんでもクライヴじゃないだろうとは思うぜ。結界が施された部屋にいても、ヴィルフリートは声のトーンを落として話し続ける。
しかし、クライヴさん20代なのか、やっぱり。
見た目だけなら、この二人も十分同年代だよ。
「ん? でも、クルースニクって、人間だけど吸血鬼と対等に戦えるんだよね? 子供のころはどうなんだろう?」話しながらヴィルフリートは虚空から椅子を出してその上に座り、長い足を組んだ。
そのまま、ルシさんの膝の上にいる私に手を伸ばして、頬を一撫でする。
さらっと指の背で撫でるだけだったけど、くすぐったくて身じろぎすれば、ヴィルフリートは目を細める。
「……人間を殺したクルースニクは、吸血鬼とみなされてもおかしくはありません。そんな私を、きゅっと胸に抱き寄せるルシさんは、ヴィルフリートと睨みあっている。
また水面下で激しいの罵り合いが始まっているらしい。
結構真面目な話をしているってのに、この子たちは本当にもう……。
「ま、他のクルースニクだと考えるのが有力なのかな?」ヴィルフリートもそこで話を打ち切って、一度動きを止めると天井を見上げた。
「……クライヴが、また戦ってるみたいだぜ」今度は二匹か、とヴィルフリートが呟くと、ルシさんも『圧倒的ですね』と同意している。
「え、二人共分かるの? 凄いね」私にはさっぱり分からないんだけど。
すると、ルシさんが私の額に指を置いて、意識をここに集中してください、と微笑んだ。
「見せて差し上げます」ぱあっと私の顔に喜びの色が浮かんだのを見たルシさんは、それはもう柔らかくて優しい笑みを向けてくれた。
言われたとおりに、私はルシさんの指が添えられた額の中心あたりに意識を、集中する――。