【魔界で従者を手に入れました/36話】

私の部屋のベッドに足を組んで座っているヴィルフリートは、その場から窓の外を見やりながらどうするのかと聞いてくる。

「それで? いつ出かけるんだ?」
「そうねぇ……早いほうがいいかなぁ。うん、今から出かけるわ」

すると、案の定不満気な声を出したヴィルフリート。すぐに振り返り、嫌そうな顔をして窓の景色から私の方へと顔を向けた。

「今からかよ……?」

早すぎるだろ、まだ殴られた腫れも引いてない――と思い出したのか頬をさすりながら文句を言っている。

あまり、気が進まないみたい。殴られてすぐに引き返して会うのは嫌だよね。その気持ちは分かるけどさ。

だとしても――いつ相手の気が変わるかわからないじゃない?


ヴィルフリートの元カノとはいえ、魔界の偉い人に会いに行くんだから、シャツとジーンズは流石にNGだよね……。

着替えないといけないか。

「早く終わらせないと、私安心して眠れないもの。あと、着替えるから部屋出てって」

ヴィルフリートに背を向けてクローゼットの中身を物色していると、にゅっと私の後ろからヴィルフリートの手が伸びてきて、クローゼットの服に触れている。

「選んでやるよ」
「い、いいよ。自分で――」
「昔の女に自慢の主人を見せるんだぜ? ダセェ服着られると俺が恥ずかしいんだよ」
――ぐ。またダセェ服って言われた。私が気に入ってる服も多いのに……。

服の趣味がそもそも違うんだからさ……変な露出高い服とか着せられてもこっちが恥ずかしいよ。

私の心配をよそに、ヴィルフリートの指先がクローゼットに納まっている服を滑り……やがて、一枚の服を引っ張りだした。

「これでいいか。というより、マトモそうなのはこれしかなかった。有事の際に動きやすいほうがいいだろ」

そう言って手渡されたのは、なんだ、普通のグレーのパンツスーツだ。


普通とはいえ、中に着る薄いピンクのブラウスはボタンの合わせや袖口にレースとかビラビラがついていて、なんともフェミニンな……。

それでも、私の知っている『ヴィルフリートの好み』では無さそうなので、真剣に見繕ってくれたらしい。

「ま、スーツならいいか。ドレスとか変な服出されないでよかった」
「ふん、ドレスはまだ成熟していないお前には似合わないからだ。身体は申し分ないが、中身が未熟なんだよ」

という余計なことを言って、再びベッドに戻っていくヴィルフリートの背中を睨みつけた私は椅子の背もたれにスーツをかけてシャツを脱ぐ。

確かに、今回は何かあったら困るし、着たことがないものを無理に着る必要はないかもしれないけどさ。

ドレスは、女の子の夢なんだよね。一度くらい、ちゃんと着てみたいじゃない?


中身はこれから教養を身に着けていけば――……って。ヴィルフリート、一向に出ていく気配がない。

「いつまでここにいるわけ? 私着替えるんだけど」
「着替えくらいすぐに済ませりゃいいだろ?」

だから出ていって欲しいと訴えてはみたものの、彼はだからどうした、という至極当たり前な顔をしたまま私の着替えをどうぞと促す。

「……あのね。出ていって欲しいって言ったでしょ? 出ていかないつもり?」
「裸だって見られてるんだぜ? 下着姿くらい今更見られても恥ずかしくはないだろ?」

いくら……いくら裸を見られているにしても、平気かどうかといわれたら、私だって年頃の女の子だし。

「そんなの……恥ずかしいに決まってるじゃないの!」
「だったら服を着ればいいだろ?」

どうやっても、出て行かないようだ。それに、ああ言えばこう言うし、口では敵いそうにない。

最後の抵抗に嫌味っぽく大きなため息をついてからピンクのブラウスに腕を通し、ジーンズも脱いだところで、後ろから機嫌の良さそうなヴィルフリートの声が聞こえた。

「中々色っぽくていいぜ」
「……厭らしいわね。変なこと言わないでよ」

ったく、誰のせいで城に出向かなくちゃいけないんだっていうの。お気楽なんだから……。


スーツに着替えた私は、鏡の前で軽く髪を整えて薄く化粧を施し(ニーナがいないから、自分でやるしかなかったわけで)、ブレードベルトを装着しようとする私の行動を、ヴィルフリートが止めた。

「――今日は持っていかなくていい。精々、護身用の短剣程度をスーツの胸ポケットに入れておけ」

交渉には、武器をちらつかせたら良くない、などと悪魔らしからぬことを言うヴィルフリート。

「どうせ、私の腕じゃ魔王に傷ひとつ負わせることは出来ないし。
でも、あなたには彼女に怪我させたくないっていう気持ちもあるみたいだから、持っていくのはやめる」
「…………」

あ。割と図星だったみたい。ヴィルフリートなら何かしら言い返してくると思ったんだけど……。

沈黙が支配した空間は、瘴気を無効化しているのに息苦しさが残った。

出かけるのに財布も鞄も剣も持たないのは非常に落ち着かない。

それに……ああ、せめて、mp3プレーヤーなんかがあればなぁ。気分を少しは上げることが出来たのに。

今度、ニーナに買ってきてもらおう。CDもいくつか。

私の部屋に戻ることが出来れば、今聞きたい曲なんかも用意できるのに……。

ないものをあれこれ考えてもしょうがない。ヴィルフリートに目を向け、出発しようと声をかけた。

「……行こっか。道案内よろしくね」
「ああ」


城を出る時、心配そうなルシさんが玄関まで見送ってくれて、いつぞやの(……かはわからない)グリフォンを呼んでくれた。

危なくなったらこれを使うようにと、十円玉くらいの大きさがある変な石をいっぱい持たせてくれた。

それをヴィルフリートに持たせようとすると凄く嫌がるので、私は数個ずつ空いているポケットへ、不恰好にならない程度に押し込むと、残りを返却して出発したのだ。


グリフォンにお任せして10分も経たないうちに、細身の城が見えてくる。

幾つもある尖塔は高々とそびえ立って、綺麗だけど威圧的でもあった。

「この城って、何日で作ったのかしら……?」
「さて、な。少なくとも、一週間前にはなかったはずだぜ? あったら、クライヴを迎えに行く際に見つけているはずだからな」

そう。まだクライヴさんがウチに来てから一週間程度しか経っていない。

だから、この城はその間に完成しているから……四、五日で作ったってこと……?


「魔法で作ってあるのかな」
「建築が得意な悪魔もいるからな。兵や魔法を駆使すれば、数日で出来るだろ」

魔法って、本当に人間の労力が及ばないものまで作ってくれるから凄いよね。

グリフォンから降りて、逃げるように急いで飛び去っていく魔獣を見送り、城門の前に立つ。

ヴィルフリートが易々と門を開け放って、城に一歩足を踏み入れる。

「――……ご丁寧に、人払いがしてあるぜ。誘導灯まで点いて、便利なもんだ」

ヴィルフリートの指し示す方……何らかの明かりが、城の奥へ奥へと連なっていた。

人払い云々と言っていた通り、人の形をしたものはおろか……猫の子一匹いなかった。

スッとヴィルフリートは私の盾になるという意味でも先に進み、私も同様に行こう、とは思うんだけど……。

胸にこみ上げてくる正体不明の不安が、私の足を進ませるのを拒絶する。

この先には、ヴィルフリートの元カノ……いや、魔王がいて。行きますって偉そうに言ったはいいものの、私は何も策がないままでやってきて――どうしようというのだろう。

条件は呑まない、嫌だ、という気持ちがまだ抜けない。そんな理屈は通じないのに。


「どうした? 早く行こうぜ」

ヴィルフリートが私に手を差し伸べ、歩みを促してくる。

不安を気取られないように無言で頷くと、小走りに近づいてその手を取った。

「ビビってんのか? 大丈夫だ、俺が守ってやるよ」

妖しげな灯揺らめく通路をゆっくり進んでいると、ヴィルフリートがそう言ってくれた。

私の手を握る指に多少の力が籠る。そこから温かさが伝わって、ちょっと嬉しいのと……泣きたくもなって、困る。

ぐっとこみ上げそうになる感情を堪えて、先へと進む。

通路に渦巻く瘴気は、ヴィルフリートの城に満ちているものよりもずっと濃い。いくら私がルシさんの贖物とはいえ……。体力、持つのかな……。

「この瘴気、濃いみたいだけど私の身体大丈夫かな……」
「ルシエルが居ないせいで、多少は多く吸収しちまってるだろうな。ここに居られるのも、六時間が限度ってところか」

それ以上居ると、いくらヴィルフリートの精を受けているからとはいえ……この間みたいに身体が重くなるばかりか、頭痛や吐き気という症状も出てきてしまうだろう。

なんとしても、それ以上の滞在は勘弁してもらいたい。魔王の力って、こういう瘴気の中にも現れるみたいだし。

そうして私達がたどり着いたのは、思ったより質素な……扉の前。

ヴィルフリートが丁寧に調べているけど、魔力式の扉ではないみたい。私でも開けられるように、軽くて何の仕掛けもない一枚板の扉だ。

今までの扉は、鉄製で魔力解錠式が多かったけど。これは配慮なのか、それとも……罠の一部なのか。

「俺が開ける。いいな、俺から離れるなよ」
「うん……」

私の腕を握ったまま一呼吸置いて、ヴィルフリートは短く息を吐いてから勢い良くドアを蹴り開ける。

その衝撃に耐え切れずドアの蝶番が破損して宙を舞い、ドアは大きな音を立てながら石床に打ち付けられて破砕した。


「――もう少し、穏やかに開けてくれない? ノックもしないなんて、随分乱暴になってしまったのね」

後で請求しちゃうわよ、と部屋の奥からクスクス笑う女性の声が聞こえた。

親しみと優しさがある声の主に、ヴィルフリートは肩をすくめていつもみたいに軽口を叩く。

「さっき通された謁見の間とは違うじゃないか? 派手好きなお前が、こんなしみったれた部屋で話すのは嫌なんじゃねぇのか、エスティ……?」

なんと、声の主はエスティディアルですと。


じゃあ……当然部屋にいるのは元カノ魔王様なのだろう。どうしよう、いきなりボス登場だよ。

怖いもの見たさというか、どんな人なんだろうという興味から、ヴィルフリートの後ろに隠れながら、顔を出してこっそり伺うと――ちょっときつめの美人さんが立っていた。

美人って言葉じゃ足りないくらいの……絶世とか傾城傾国とか、そういうものがついた美人さんだ。

紫色の、太ももくらいまである長い髪はサラサラストレート。

耳にかかる程度のサイドのゆるふわカールの髪が、また女性らしさを強調している。

深いスリットの入った黒いドレスは、ちらりちらりと太ももが見えて……女の私でもドキドキするくらい色気がある。

しかも、またこの人スタイルが抜群にいいんだ。出るところは出て、キュッとしてるところは細い。

さ、さすが……ヴィルフリートの元カノ。二人並んだら、すっごいお似合いなんだよ……!!

その美女、エスティディアルの視線は既に私を捉えていて……私も彼女を恐々見つめた。


じっと、見つめられること体感で数分。

エスティディアルは、信じられないと小さく呟いて頭を振った。


「…………ヴィル。まさかと思うけれど、それがあなたの『大事な主人』だって言うんじゃないでしょうね?」

う、なんか眉まで吊り上げちゃって、あからさまに不機嫌そうだ。ヴィルフリートを愛称で呼んでいるのに、私『それ』呼ばわりだし。

そりゃぁ、エスティディアルくらい非の打ち所のない美人だったら、私みたいなのは比べる価値もないのは分かっているけどさ……。

分かっていてもぐさりと傷つくわけで。

「ああ。俺が身も心も捧げた主人だぜ。お前よりは美人じゃないが、俺には……我が主人が誰よりも愛しい」

ヴィルフリートはそう言って、私を自分の胸に抱き寄せて誇らしげな顔をする。

満足そうな元彼の表情に、エスティディアルは悔しそうにその綺麗な顔を歪めたけれど、すぐに気を落ちつけたようだった。


――あ、違う。


平静を装っているけれど、きつく拳を握っていて……それが小刻みに震えている。

「そうなの? 満足できる仕事と主人を得られて喜ばしい事ね、ヴィル。
――でも、ヴィルは貴女に不釣り合いだわ……そう思わない?」

にこやかな笑顔で、エスティディアルは私に話を振ってきた。ちょっと……よりによって私にそれを言わせようとするのか。

「……言っている意味がわからないわ。何をもってして、釣り合うとか合わないと言うの?
……ああ、ご挨拶が遅れたわね。私はヴィルフリートの主人、ルカ。どうぞよろしく、魔王エスティディアル様?」

話を逸らす、曖昧に誤魔化す、慇懃丁重かつ無礼というのは日本人の身体に脈々と流れる血が教えてくれるんだからね。

それに、私は可愛げのある子じゃないから遠まわしに突いてどうにかなるなんて思わないでよ。

窮鼠猫を噛むとか言うけど、たとえポメラニアンだって、ドーベルマンの鼻先くらいには噛みつけるんだから! ……後先考えなければ。

すると、エスティディアルは一瞬黙った後で『バランスが悪いのよ』と言い、一歩近づいた。

「見ての通り、ヴィルは誰しも認め羨望するほどの実力と美貌の持ち主だわ。それは、貴女にもわかるでしょう?
それなのに、貴女……見たところ隙だらけ。美しさは女にとって力でもあるのに、それが薄いわ。
どう贔屓目に見ても、ヴィルを使いこなせる力は持ちあわせてなさそう。
不甲斐ない契約のせいで彼も思う存分手腕が振るえず、才能を持て余しているんでしょうに……」

要するに『貴女実力も美貌もないのねププーッ!』てことなんだろうか。

ちょっと腹立たしいけど、そこに関しては完全にエスティディアルのほうが比べるまでもないくらい優っているので、劣っているこちらからは何も言い返せない。

しかし、何も言わない私に代わってヴィルフリートは『そんなことはない』と、力強く言い切った。

「確かにルカはお前より美人じゃないし、頭も良くない。が、この身体には多大な魔力を秘めているぜ」

使い道は今のところないんだが、などと言いつつも――身体の相性もいいしな、なんて言ってしまった。

「毎日つい激し――」「うわぁぁ! バカ! こんなところで何言ってるの!? 変なこと言わないでよ!」

セクハラ発言中のヴィルフリートの腕を引いて、やめろと言うのだけど……エスティディアルには、それがじゃれあっているように見えたようだ。

キッと私達を睨んで、黙りなさいと一喝した。

「……ほんっと、空気の読めないバカな主従ね。
300年前のヴィルはもっと格好良かったのに、人間がダメな方向に引っ張るから、だんだんおかしくなってきちゃったのよ……!
人間にさえ関わらなければ、わたしたちは……幸せに暮らしていたのに……!」

バカな主従とひとくくりにされてしまったけれど、エスティディアルの言葉に、ちょっとだけ私はムッとしてしまった。

人間は確かにバカなところもあるけど、人間ばかりが悪いんだろうか。

「……人間が嫌いなのは別に構わないけど、全部人のせいにするのはおかしいんじゃない?
人間を惑わせるのは悪魔でしょう? 悪魔が人間のせいで、って怒るのは、悪魔としての実力がないってことにならないの?」

すると、エスティディアルは顔を朱に染め、ヴィルフリートは大笑いしたいのを抑え、私の身体を抱きしめて肩に頭を乗せる。

「はは……。ルカ、なかなか良い物言いだぜ。確かに、惑わす方が惑わされちゃ、商売上がったりだよな」

ウケてる場合じゃないよ、ヴィルフリート。なんか、エスティディアル超怒ってるっぽいけど。

バカにされたと思ったのかもしれない。内心ヒヤッヒヤの私を睨みつけ、ついには笑いを堪えきれなくなった空気よめない子ヴィルフリートにも『何がそんなにおかしいのよっ!』と怒りをぶつけた。

まぁ、しょうがないよね。怒られるよ普通。

「――ヴィルを連れてきたようだから穏便にと思ったけど……貴女はどうやら、わたしにヴィルを返すつもりはないようね」
「悪魔に何度も騙されてきた私はね、穏便に済ませる、という意味をどうしても信用出来ないよ。
大体、ヴィルフリートだけ欲しければ、それだけ寄越しなさいで終わる。
こうして私を連れてくるようにって言う事は、無事には帰れないってことでしょ?
ねぇエスティディアル、あなたにヴィルフリートを渡したとして、彼をどうするの? どういう関係を築きたいの?」

悪魔に騙されたのは自分の不注意なんですけどね。ちょっとだけカッコつけちゃったよ。

ついでに、思っていたことをエスティディアルに尋ねてみると……彼女は、決まってるでしょ、と吐き捨てた。



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