【魔界で従者を手に入れました/14話】
「おい。どこ行くんだよ」
「その辺。散歩しないと、城の位置とか周囲が分からないでしょ」

あてどなく魔界の荒野を進む私に、ヴィルフリートが後ろから声を掛けてくる。

私の態度が豹変したことに戸惑っているようでもあり……ちょっと様子見といった形で、近寄ってこなくなった。

怒っている人に近づくとロクな事がないというのは、私でさえ知っている。色々な事に敏感な悪魔がそうしないわけがない。

「位置って……だいたいお前、地図も持ってないんだろ? 何があろうが結局それじゃ――」
「……いいよ、別に分からなくったって。どうせ見渡す限り何にもないもの」
「さっきから、お前の言ってることは矛盾していておかしいぞ。俺が何かお前の気に障る事でも言ったのかよ?」

彼は彼で、ご機嫌斜めの主人を気遣ってくれているような素振りはある。

道の事も、モヤモヤする心情もいろいろ矛盾しているって事は、私だって感じていた。

でも、どうすることもできなくて、だからといって――ヴィルフリートの手は借りたくなかった。

「おい――」
「もう! なんでもないったら……しつこいわね!」

ざっ、と強く蹴りつけたはずみに赤茶けた砂が風に乗って、履いている真新しいブーツの表面を汚す。

しつこいと言われたヴィルフリートの表情がみるみるうちに歪められて、そうかよ、と吐き捨てると視線を外された。

ヴィルフリートにしてみれば、どうしてこんな扱いをされているのかわからないといった具合なんだろう。

さっきの事だって、嘘はつかずに『信頼関係はないのが普通だ』と言ってくれたし。

だとすれば、その価値観は魔界での常識。私はそこに慣れていないから、未だ自分の価値観しか持ちあわせていない。

私は――あの瞬間まで自分でも気づかなかったけど、彼を結構信頼していたみたいだ。

だから、なんでもないことみたいに言われて、胸に痛みを覚えた。実際……ショックだったから。

それに、そんなヴィルフリートにも昔は信頼出来る人が居たらしい。

もう過去のことだったとしても、未だにあんな寂しそうにさせるってことは――特別な人だったはず。

その事実も、面白くない……の、かな……? そこまでは、私自身まだ整理がつかないからわからない。

嫌なら、自分も信頼しなければいい。

そうしたら彼と同様に義務と思えばイイわけだし、傷つくこともない。

――とか……そんなすぐに、割り切ることなんかはできない。

彼が悪いわけじゃない。それはちゃんとわかってる……!

「――ほんっとに、何もかも最悪……!!」

文句を言ってブーツの表面の砂を軽くはたくと、やりきれない苛立ちを乗せてどかっと砂山を踏みしめる。


でも、それは砂山なんかじゃなかった。ぐにゃ、という柔らかい感覚が足裏に伝わってくる。


やばっ……なんか変なの踏んだ!? まさか……動物のアレとかじゃないよね? ないよね!?

「……ぅ……」

うめき声と共に、足の裏でモゾモゾと何かが……蠢いたっ!!

「ひっ――何!?」

思わず一歩下がりながら腰に下げていた剣を引き抜くと、その物体を凝視する。

砂の下に何か潜んでいたみたいだ……!

「――ルカ!」

私の前にヴィルフリートが飛び出してきて、謎の物体と私の間に立ちふさがってくれた。

「ヴィ……」

最近常に一緒にいたせいか、習慣的にヴィルフリートの手にすがりつこうとしていた自分にはっと気づいて、そのままヴィルフリートをぐいぐいと押しのけた。

「……ちょっと邪魔よっ!」
「邪魔ってのはあんまりだな。お前が襲われたら危ないからやってるだけだろ?!」
……こんな優しいこと言ったって、ただ契約義務だからやってるくせに……!

でも、ヴィルフリートは契約義務とはいえ、しっかりやっているわけだし――普通に評価されるべきところだ。

そんな私の心境などお構いなしに、砂に埋もれていたその物体は……その姿を現した。

「あ……そこの方……」

物体だったものが喋った。

「……み……ず……を、ください……」

おや、綺麗な顔立ちの男の人だ。水をくれといって、また砂の上に倒れた。

金髪、だと思うんだけど……砂で随分髪が汚れてしまっているから、正直綺麗なんだかどうなんだか良くわからない。

コート……いや……とりあえず教会とかで神父さんが着用しているああいう詰襟の祭服キャソックだった。

その下はまさか生足か、と思ったが……普通に同色のパンツ(ズボンね)を穿いている。ああ、よかった……って、当たり前か。

ただ、このキャソックはシンプルなスタイルではなく、首、腕や足、腰の部分……そういったところに革のベルトがついている。

普通にぴったり身体にフィットしているような服なんだけど……まぁ、腕はなんとなく分かる。ずり下がってくるもんね、袖とか。

リストバンドだと思えばまあ……袖がちゃんと締められている祭服には不要そうだけど。

腰もわかる。普通につけるからね。ローブなら……そうしたくなるのもわかるけどやっぱり不要そう。

しかし、やっぱりどう考えても……太もも辺りには要らないだろと思う。でもついているってことは、必要なんだろうか。

あ、あと首の部分にもついている。そこは断言してイイ。完全にムダ。

ただ、一番目を引いたのが……背中に生えている、大きな三対の翼。やっぱり砂やら血? みたいなので汚れてしまっている。

ヴィルフリートは、まるで汚いものを見ているかのような目をしていて、チッと舌打ちした。

「なんでこんな所に天使がいるんだよ……クソ忌々しい」

今、天使って言った?

「……天使!? この人!?」

わお。悪魔も数カ月前初めて見たばっかりだっていうのに(今横にいるけど)、今度は天使!

人類が求めて止まなかった天使?! 私は急いで剣を収め、ヴィルフリートに手を向けた。

「ヴィルフリート、鞄頂戴!」
「……どうすんだよ」
「写真撮る!」

そこは水じゃねえのか! と思わず突っ込んだヴィルフリートだったが、写真なら別にいいと思ったようで、素直に私へ鞄を握らせる。

まー水もあげるけどさ。写真写真っと。良かった、デジカメ持ってきておいて。

電源をonにして、電池は……と、よーしよし。まだ残量は十分。カメラを構えて、二、三枚違う角度から撮っておいた。

ニーナにお願いしてコンビニとかでプリントアウトしてもらおう。あ、パソコンがあれば問題ないのか。あとプリンタ。

「用事が済んだなら早く行こうぜ? そいつ、側に寄るとクセェんだよ」

すっごいイヤな顔をして、倒れたままの天使を指さすヴィルフリート。

汚れているけど……臭くはない。

顔を近づけて匂いを嗅いでみるけど……ああ、ほんの少し血と汗のニオイがする程度だ。

梅雨や夏場の満員電車で感じる、ムワッ! ツーン! ……とかではない。

「やーめーろー! 嗅ぐな! 放っとけよ。天使なんか面倒極まりないんだぞ!」

ヴィルフリートが私の手を引こうとするが、私は乱暴に振りほどき、鞄からペットボトルを取り出してキャップを外す。

「天使さん、大丈夫? ほら、お水……」

口元に近づけてみたが、反応がない。

では、と唇にちょっとお水を零してみると、天使さんはびくりと体を震わせて反応した後……

私の手をガッチリ握って、ペットボトルに吸い付くようにゴフゴフと音を立て、勢い良く飲み始める。そ、そんなに慌てなくても大丈夫だよ……!?

「あっ、テメェ……!」

ヴィルフリートが問答無用で天使さんに蹴りを入れて私から遠ざける。

力任せにそれを行ったせいでペットボトルも手から転げ落ちて、溢れた水は乾いた砂上に吸い込まれていく。

「あぁ……!」

蹴られた天使さんは引きつった声を上げつつも、ペットボトルの落ちた場所へ這いながらやってくると、砂を掻き毟るようにしてペットボトルを拾い上げた。しかし、可哀想だが当然中身は殆ど無くなってしまっていた。

うーん、天使も水は必要なんだね。

「……だ、大丈夫? とりあえず、生きているみたいで良かったね」

話しかけてみると、ヴィルフリートが『天使なんかと話すな』と言いたげな目で睨んでくるけど、気づかないフリをして天使さんに笑いかけてみる。

「…………」

乱れた髪の毛の間から覗く紫色の目。瞬きもせずじっと私の顔を見つめて――かすれた声で、あなたは、と呟いた。

「あなたは、人間……?」
「そうよ。この世界の人間じゃないところから連れてこられちゃった、異世界のかわいそうな人間よ」

異世界の人間……とオウム返しに呟いた天使さん。そうか、天使さんでも珍しいのか……。

「あの……」

何か喋ろうとした天使さんの身体を、横合いから蹴りつけたヴィルフリートは、倒れた天使さんの胸にどかっと片足を乗せて力を込めた。

「汚ねぇ天使風情が……俺の主人に気安く話しかけてんじゃねぇよ。ぶっ殺されてぇなら、望み通りそうしてやっても構わないぜ」

踏みにじるようにして徐々に力を込めていくヴィルフリート。

主に痛みのためであろう苦しげな悲鳴をあげ、羽根をばたつかせる天使さん。

彼の周りに砂が舞い上がり、翼から抜け落ちた羽が地を滑る。

このままじゃ、ヴィルフリートに殺されちゃう……!

「――待ちなさい、ヴィルフリート! 殺さないで!」

ヴィルフリートの足首を掴み、上に押しつつ足を離せと命令すれば、彼は命令に従うことを拒んでいた。

「正気か? こいつは天使で、俺は悪魔だぞ? しかも一人。ここで殺しておけば――」
「殺させないわよ! 悪いことしてないじゃない!」

してる、してないの問題じゃねぇ――とヴィルフリートは怒気を孕んだ口調で続ける。

「どうせ、こいつはセラフだ。おおかた悪魔を殺しに来たんだろ。
で、捕まったかなんかで力を抑える拘束具も付けられている。隙を見て逃げてきたみてぇだが――」
「ちょっと待って。いいから足退けて」
「……嫌だ」
「退けなさいよ。命令してるんだけど」
「…………助けるつもりか?」

その声も、目も――敵を見るそれに近い。

言葉に詰まって、唾を飲み込むと……そうだ、と自分でも驚くくらいに細い声で言った。

「こんなところに一人じゃ、辛いよ」

ひとりぼっちで、悪魔に胸を潰されて死ぬなんて、可哀想すぎる。

ヴィルフリートは殺意を込めた目で、荒い呼吸をしている天使を見ていた。

その表情は、今まで見た中で一番恐ろしくて――私も色を無くすほどだった。


「……お前が何を考えてるのか、俺には全く分からねえ。理解しようとも思わないが……
手のひらを返されないように気をつけろよ」

天使さんから足を退けたヴィルフリートは、私をじろりと睨みつけてから――天使を庇うなら俺はお前の手助けを控えるからな、という捨て台詞を吐いて、ヴィルフリートは踵を返す。

「ちょっと、どこに――」
「帰る。こんなくだらねぇ事に付き合ってられるかよ」

私に背を向けて、ヴィルフリートは元来た道を戻っていった。

ヴィルフリート、と呼んでも返事をしない。

――……なんで、だろう。

私は、ただ……目の前で殺されそうになってる人を、助けたかっただけだ。

それがたまたま天使だった、ってだけ。それでも助けるって言ったらヴィルフリートは私に愛想を尽かせて帰っていった。

でも、呆然としているのは、私だけじゃなかった。

「あの……危ないところを助けていただいて……感謝の言葉もありません」

胸を押えつつ立ち上がった天使さんは、とりあえず礼をしたいらしく『ありがとうございます』と私に頭まで下げてくれた。

「……気にしないでいいわよ。目の前で天使さんが死ぬのはちょっと、寝覚めが悪そうだし。ごめんね、乱暴で」

私がヴィルフリートの代わりに謝ると(どうせアイツは一生謝らないに違いないけど)天使さんは首を振った。

「よくあることです。それより……貴女は人間でしょう。どうして魔界(ここ)に?」

不思議そうな天使さんだが、どうやら今まで傷めつけられた身体が痛むらしく、胸を押さえたままだ。

「あ……っ、と。もし良かったら……城に来る? 少しくらいなら休ませてあげられるかも。
私の城じゃ、ないけど……なんとか隠すようにしてあげるから」

傷が癒えるくらいまでなら、きっと大丈夫だろう――と、思う。

「よろしいのでしたら、是非お願いしたいところです……!」

ぱあっと表情を明るくさせる天使さん。あ、なんか喜んでくれてるみたいだ。

「じゃあ、一緒に行こうか。歩ける?」
「大丈夫です」

こくりと頷く天使さんを引き連れ、私はもう姿の見えなくなってしまったヴィルフリートの事を思いながらも……城へと戻ることにした。



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