ヴィルフリートに遊ばれたのがかなり悔しくって、怒りが収まらなかった私は、せめてもの……ささやかな反抗として彼をシカトをするという子供じみたやり方を持ち出した。
こんなの大して聞かないとは思……ってたのだけど、どうやらこの男、シカトされるのは嫌なようだ。
服を引っ張ったり、肩を叩いてみたり、いろいろと気を引こうと手を休めない。
今度は妙にルカ、ルカと言って私の周りをうろつき始める。なんなんだ、この変な生き物は。
好奇心に負けてチラとヴィルフリートの顔を伺えば、私の挙動を見逃すまいとするように視線はじっと顔に向けられ、目が合うと黙って私の言葉を待っている。
「……なんで何も言わないんだよ?」拗ねたような口ぶりで様子を伺う彼は、ちょっと可愛い――と思ってしまった私は、ニヤけないように努めるため、笑わないようにと唇の内側を噛んでまで頑張ってしまった。
これというのも、ヴィルフリートが私をからかうからで……。
その元ネタは、私が彼を騙そうとしたからだ、ってのは……持ち出されると弁解しにくいけど、自己保身のためによかれと思ってやった結果がこれだよっ!!
でも、こうして私の言葉を待っているヴィルフリートは、普段みたいに偉そうな所はなくて。
大きな黒いワンコみたいだ。
ワンコ……。そうだね、なんか、ヴィルフリートはワンコっぽい。
いや、言う事聞かない時もあるから、猫っぽいところもある。
それでもずっとシカトを続けていると、さしものヴィルフリートもいい加減我慢ならなかったのだろう。
今度は私の身体に直接訴えて来るという暴挙に出ました。
「ルカ! 身体ばっかり発達して、人の目を見て話すという当たり前のことができない子になってるぞ!」そんなんで俺の主人と名乗るのはおこがましい――と、なんか無茶苦茶な理由を付けてから私の胸に手を伸ばし、がしっと無造作に掴んで下から持ち上げる。
「きゃぁ?!」急にそんなことをするから思わず素っ頓狂な声を上げると、ヴィルフリートはムニムニと掌で寄せ上げた胸を揉みしだきながら、お前が俺を無視するせいだぞ、と自分を正当化し始めている。ホントに、なんて奴なのっ?!
「やっ……、やめてよっ! もうシカトしないからっ!」しかも揉み方が、普通に指先で揉み揉みする訳じゃなくて、掌で押し込んだり、乳房を絞るような力加減や指運びが左右で微妙に違うとか、すごく厭らしい手つきでやってくる。
こんなことをされていたら、またいいように弄ばれてしまう……!
身を捩って抵抗していると、ヴィルフリートが口を開いた。
「本当に無視しないか?」何度も頷いて本当にしないと約束すると、彼は『分かれば宜しい』と鷹揚に頷いて手を離してくれた。
「ばかっ。エッチ……!」ニヤリと笑ってから、帰ったら今の続きしようぜとのたまう従者をガン付けて、早く外行くわよ、と背中を押した。
いちいち相手にしてたら、身体がいくつあっても足りなくなってしまう……。
「いつもそんなところばっかり見てるの? 何考えてるのよっ」ていうか、いつもそんなこと考えてるんだ……気を付けよう……。
自分の胸を片手で覆い隠しながら、奴の行動を警戒するような視線を投げかけると、そんなことを気にも留めないヴィルフリートは、外に通じていたあの扉を開く。
そう、私が初めて異世界へやってきて、ニーナが押し開いた……もとい、蹴り開けたあの扉だ。
軋むような音も立てず、ゆっくり開かれた扉。その隙間から三か月ぶりに覗いた魔界の空は――相変わらず暗い紫色だった。
眼前に広がる荒涼とした大地。あるのは砂と岩だけで、そんな光景がどこまでも広がっている。
「……どうして魔界の空は、こんな色なのかな」私の独り言に、ヴィルフリートは扉を閉めながら『そりゃ太陽がないからだろ』と当たり前のような顔をして答えた。
扉に何か魔法をかけているけど、あれは確か施錠の魔法だ。そうだよね、泥棒入ってきちゃったら困るもの。
鍵をかけ終わり、ヴィルフリートはこちらを振り返る。長い髪がふわっと宙を舞った。うーん、いつ見ても綺麗な髪だなぁ……。
乙女も羨む髪を無造作に後ろに払った後、ヴィルフリートが私を素通りしながらさっきの話をしてくれる。
「太陽自体にも、闇を打ち払う力がある……そう聞いたことはないか?」そんな話は聞いたことがない。
「別にないわ。映画とかの設定でなら観たことあるかもね」正直に言ったところ、ヴィルフリートは非常にがっかりしたように眉を下げ、本当にないのかと呟いた。
「大事なことなの?」そうなんだー、と軽く相槌を打ってみたが……魔界のザコたちは水も光もダメなんて、生きるのも大変なんだなぁ。
「ヴィルフリートは、生まれたときから……えーと、そういうのに耐性……はあったの?」ふーん、と気の無い返事の割に、ヴィルフリートは楽しそうだ。機嫌が良さそうな顔をして、ちょっとだけ教えてくれた。
自分の事聞かれたりするの嬉しいのかな?
それが当たり前の世界なのか、魔界って。ううーん……なんだかすごい世界だ。
「――だが、それが通用するのは自分と同等かその下の奴ら程度だ。あ、そこは人間も悪魔も似てるんだ。ちゃんと暗黙の了解なわけね。
「で、話は逸れたが……俺の事だったよな。俺は生まれたときから上級魔族だった。まぁな、と笑ったヴィルフリートは、どこか得意げだ。
あ。もしかして――……。
「……ヴィルフリートはさ、信頼できる人とか、心を許せる人って少なかったの?」聞いた途端にヴィルフリートの笑顔は消えて、訝しむように私を見つめている。
なんだろ、気に障ることを言ったりしちゃったかな……。
先ほどの機嫌の良さはなくなってしまって、いつもよりテンションがずっと低い。
どちらかといえば、機嫌が悪い時に出ているような声になっている。
「言いたくないなら別にいいわよ。無理に聞きたいわけじゃなかったから……。いない、といったヴィルフリートの顔は、ちょっと寂しそうだった。なんか……悪い事しちゃったな。
無言になってしまったヴィルフリートの手を握ってやり、上から二度軽くその手を叩いて、にこりと微笑んでみる。
「いいじゃない、昔の事なんだから。新しくそういう人作るとかにしてみたら?ヴィルフリートは呆然と私を見つめて、不思議そうに首を傾げる。
「……なんでだ?」とんでもないことを言われてしまった。
普通主従って信頼しないと、成り立たないんじゃないの? 相手の微細まで知っておけば、なんか安心できる感じはあるのに。
だってほら、裏切られたりとかするでしょ。歴史とかだけじゃなく、ビジネスでもよく下剋上があるわけで。
そう説明してみても、ヴィルフリートにはよく分からないらしい。
「言っている意味は分かるんだが、俺とお前は【契約】で成り立ってる。契約内容には抗えないから、こうしているわけだ。別段信用しているわけじゃないぜ」さらりと何でもない事のように言われた、衝撃的な内容。
「なっ……!」頭を鈍器で殴りつけられたような、一瞬視界もぐらりと揺れた……ように感じる。
ヴィルフリートは、どうした? と私に聞いてくる素振りからして、どうやらこれは――からかっているわけではないみたいだ。
「一緒にいるのに信頼が、ないっていうの……?」私の心に更なる傷をもたらすような言葉しか出てこない。
しかも。私なんかショック受けてるし……。それにも動揺を隠せない。
「……そう。別に何でもない事なんだ。別に、私だってあいつのこと好きじゃないし、好かれてないほうがありがたいけど。
じゃあこの数か月、一体なんなの?
――もう、なにこれ。なんだかすごくムカムカする……!
「何怒ってんだよ」
「怒ってない!」
ヴィルフリートから顔を背け、私は特に目的を決めてないのにズカズカと歩き出した。