【魔界で従者を手に入れました/12話】

朝食を済ませ、散歩とはいえ外に出かけるので身支度を軽く整える。

身支度っていっても、デートではないし、人間が想像する甘い雰囲気のお出かけではないわけで。

鏡を見ながら、私は髪を一房摘まんで眺めるとため息をついた。

「髪切りたい……染めたいなぁ……」

魔界に美容師さんがいてくれたらいいけど……。勿論人間専用の。ムリだよね、うん、わかってる。

人間の世界にも行けないわけだし、そんな高望みはできないよね……。

「黒髪だと、なんかもっさもさになっちゃうし……」

いや、黒髪が似合う子だってたくさんいる。

ただ、私はサイドの髪量が多いせいで、このままいくと目立たない、地味な感じになってしまうのだ。

それに、伸び放題に伸びてしまった髪のせいで、毛の色が今までのところと違ってきちゃってる。

軽くブラシで梳きながら、軽くまとめてアップにするとヘアクリップでぱちんと留める。

あ。ヘアウォーターとか整髪料関係も欲しいな。ニーナに頼んで、また買ってきてもらおう。


ここは魔界だから、外は危険がいっぱい。

猿に追っかけられたこととか、思い出すと憂鬱なこともある。

あのときは死ぬかと思った。ホントに。一人じゃなくてよかった。


さて、いい加減に武器とか装備とかしなくっちゃね。


今日の私はパステルピンクのシャツに黒いパンツという普段着(相変わらずヴィルフリートは『ダセー服』というんだけど)を履いている。

……ただ、このシャツ。ニーナが持ってきてくれた服の一つなんだけど、ギャルい服だから丈がやや短めで、ちょっと動くとおへそ丸出しなんだよね。

上からジャケット着ればいいかな。あ、着ちゃったら暑くなるかな? ……今回はやめておこう。

で、ここにブレードベルトを巻いて、と――そう、帯剣用のベルト。これがないと、剣を持ち歩くのには不便だったりする。

意外と剣は重いし、かさばる。このベルトがあると、ホント楽になりましたよ……! という、通販番組のコメントみたいになっちゃうけど、ホントこれは手放せないよ。


あ。

そういえば私、外に出かけるの、初めてじゃないかな?

ヴィルフリートの屋敷に来てからというもの、外には一歩も出ていない。

今まで練習や訓練は、城の地下にあるガランとした広間で行っていたからだ。

外に出てまで練習する必要は特になかったわけ。


でもね、この練習。今も毎日行ってるんだけど、すごく辛くて……。

絶対どっかの軍隊にいただろ、みたいな鬼教官ヴィルフリート大先生がビッシバッシと容赦なくしごいてくれる。

『全力で走れ! チンタラやってんじゃねぇッ!』
『こんな細い剣が持てないだと!? お前は命が要らねぇってのか、このゾンビ野郎! とっとと墓に帰れ!』

いつもこんなこと言われて、最初は泣きながら訓練してたわけで。

勿論、刃向うと練習量が増えたり、暴言が十倍、百倍になって返ってくるので、鬼教官モードのヴィルフリートには逆らわない。

イエス、サー。上官の命令は絶対であります!

……その練習が終わった後は、自分でも反省するのかどうなのか……

傷の具合診てくれたり妙に優しいんだけどね。いや、診るっていっても治してくれたりはしない。

せいぜい消毒液とかをつけたり、軟膏塗ってくれるだけ。いや、十分なんですけどね。

『回復魔法にも、いろいろ条件があるんだ。俺たちが回復魔法を唱えても、お前を癒してやれない。悪魔は悪魔の傷しか治せねぇんだよ』

とか、残念そうに言っていた。

そういえばあの人普段何してんだか知らないけど、この間は(中身は教えてくれなかったけど)栄養剤作ってくれたり、月のアレが来たときには(毎日あんなことしなくちゃいけないから、ちゃんと来るとすっごく安心するんだよ、これ……)、痛みを取ってくれる鎮痛薬まで作ってくれた。


そういえば、翠涙石とかいうモノを作れるのはヴィルフリートだけらしいし、なにげにそういう……私にはよく分からない不思議なモノを作るのは得意なのかもしれない。

理科学室みたいに試験管とか、冷却管とかいっぱいある部屋で、スポイト片手に難しい顔をしているヴィルフリートを想像して、一人でくすくす笑ってしまった。

「……何笑ってんだ。早く出かけようぜ?」
「ひゃっ?!」

飛び上がりそうになるほどびっくりして、後ろを振り返ると……いつの間にか、私の部屋なのにヴィルフリートがそこにいた。

全く人の気配もなかったので気づかなかった……。あー、ビックリしたぁ……。

「い、今装備整えてるところ。だいたい、いつからそこにいたのよ。入ってくるときには入るって言いなさいよ」

一人でうふうふ笑っている自分を、後ろから冷ややかに見られていたのだと思うと恥ずかしくなる。

しかし、ヴィルフリートは『髪を梳く前からいた』と平然と言うし、勝手に私のベッドの上へ涅槃像のように転がっている。

さらさらの黒い髪がベッドの白いシーツの上へ広がって、なんだか色っぽい。

しかも、今日は赤い詰め襟の上着。全体的にカッチリしつつもすっきりとした服装なんだけど、着る人を選ぶ赤い色をすんなり着こなせるのは格好いい。


しかし、こうしてベッドの上に寝転がられてしまうと、日課の情事を思い浮かべてしまうというか……。

今日だっていきなりヒドい目にあったし……うー、そういっても凄く……気持ちは、よかった、けど……


違う違う。何考えてるんだ、私。


「なんだ?」
「……なんでもないわ」

本当になんでもない。

だいたい、ヴィルフリートに悟られたら、絶対ニヤニヤ笑いを浮かべて『出かける前に今からヤってもいいぜ』とかいうに違いないんだから。

そして今回は、うまく誤魔化せたようだ。

「水とか持っていくから、落とさないでね」
「自分で持てよな。その水、嫌いなんだよ」

私が飲むんだからいいじゃない、と言いつつ革製の鞄にタオルと500mlのペットボトルを入れて……と。

ついでデジカメも入れると『それは要らないだろ』と冷静に指摘された。まあ、確かに要らないけどさ。初めての外出だし、必要になるかもしれないじゃない……。

で、私の飲料水は――ヴィルフリートたちが使っている、草の魔物で中和したモノじゃなくて、唯一ニーナに人間界からペットボトルのお水をどうにか持ってきて貰っている。

まぁこれがね、今のヴィルフリートみたいに凄く凄く嫌がるんだよ……。

『ヴィルフリート様のような上級魔族が飲みたがらないものですのに!! あたしみたいな悪魔は、触っただけでも低温やけどしちゃうんですから!』

プンプン怒っていたっけ……。綺麗な子が怒っても可愛いけど、ああみえても悪魔だから注意しないと。

ニーナにも悪いことをしているとは思うけど、私にはここの水は飲めないし、水道を引くなんて専門的な事はもっとできないんだからしょうがないじゃない。浄水器とかあってもムダみたいだし。

考えてみたら、私は十分恵まれている。

ヴィルフリートはお金持ちだし、それなりに優しく扱ってくれるし、ニーナも時々来ては用件をだいたい叶えてくれる。

他の人間がどういう扱いかは分からないけど……労働力として考えられているなら、こんなに優遇はされていないのかも。

悪魔の暮らす魔界で、人間が生活していくには……私には想像を絶する妥協と節制、諦めが必要になるようだ。

鞄を手に持って、ベルトに剣をねじ込むようにして固定すると……暇そうにしているヴィルフリートのほうを向く。

「お待たせ」
「マジで待ったぜ。たかだか髪をセットして鞄にモノ入れて、剣を装備するだけなのになんで時間かかるんだよ」

不満たらたらの様子なヴィルフリートは、のそのそと起き上がって髪を指で一度梳いたあと、あくびを一つ。

「こら、口に手を当てないと行儀悪いじゃないの」
「あん? 別に男はいいんだよ」

何それ。男尊女卑じゃないの?

でも、ここで時間を無駄に食ってるとヴィルフリートのご機嫌がまた下がってしまう。

じゃあ行こうか、と声を掛けると、ヴィルフリートは返事をして私のカバンをひったくるようにして持つと、先に歩き出した。

「あっ……それ水が入ってるよ」
「知ってる。きっちりキャップ締めたんだろ? 零れなけりゃ問題なんかねぇよ」
……うん。ほんと、基本は優しいんだよね。
「ヴィルフリートは、割と紳士的なんだよね。だからけっこう……モテたりしない?」

赤い絨毯の敷き詰められている階段を一段一段降りながら、私はヴィルフリートに興味丸出しで聞いてみた。

「女って、悪魔も人間も、そういう話は好きだよな……」

ちょっとげんなりしたような顔をするヴィルフリートだったけど、確かに女に不自由はないと答える。

「やっぱり。遊んでそうな感じするもん」
「昔と違って、今は遊んでねぇよ!」

別にムキにならなくたっていいのに、ヴィルフリートは眉を吊り上げて怒り出す。

その眼に、やっぱり怒りの色も浮かんでいた。何がそんなに気に触ったんだろう……。

「……ルカだって、嫌だろ。俺が他の女抱いた後で、また抱かれるのは」
「…………えーっと……」

な、なんだろう。急に真面目な顔でそう言われると、なんか困る。

じっと見上げてくるヴィルフリートの目を見ていると、なんだかこっちが照れくさいというか恥ずかしいっていうか。

私の返事がないので焦れた様子のヴィルフリート。それを聞きたいらしく、とんとんと段を上がってきて、私の腰に手を回して引き寄せる。

「答えろ、ルカ。どうなんだ?」
「ど、どうって……! そんなの、あなたの勝手だしっ……」
「……本当にそうなのか?」

うう、なんか恥ずかしいな、無駄にドキドキするんですけどっ……!

「えー、えっと、やっぱり、ちょっとダメかもっ……! ちょっと汚い感じがする!」

みんな綺麗にしてるのは分かってるよ! でも、ほら、人の使った後のハブラシを使う勇気があるかっていうか……!

私にとってはそれくらい要求されてるってことなんだよっ!

アウアウしている私を見つめ、聞きたかった返事を貰えたらしいヴィルフリートは、満面の笑みを向ける。

「だろ? だから、お前以外の女は今必要ないんだ」

そうして、私の頭を胸に埋めさせた。

どうしよう、どうしよう。なんかドキドキする。

ヴィルフリートが人間とかだったら、確実にコロっといっちゃったかもしれない!

悪魔だから、好きになっちゃだめだからって思っているから割と……スルーできてたんだけど……!

どうしたらいいか分からなくなっている私の頭を抱えたまま、ヴィルフリートはくつくつと笑い出した。

そうして、私の耳元で、こう言った。


「――チョロすぎだろ、お前。こんな小手先の口説き文句でどうこうなっちまいそうになるのか?」

……え?

バッと顔を上げると、非常に人を馬鹿にした笑いを浮かべているヴィルフリートの顔が間近にあった。

「なっ……!」
「朝の御返しだ。俺を騙そうなんて考えるから、俺も仕置きを考えていたんだぜ? 効果的だったようで何よりだ」
――とっくにバレてた。

ていうか。

「悔しい……! もう頭にきた!」

騙されて馬鹿にされた恥ずかしさと、迂闊さで顔が熱い。多分……私すっごく真っ赤なんだろう。林檎を超えるくらいに。

「お前が悪いんだろ? 逆切れとかはクールじゃないぜ?」
「そこに座んなさい! 鉄拳制裁よ!」

お断りだね、と言って、ヴィルフリートは私の身体を離すと階段を駆け下りていく。

「待ちなさいよ!」
「バーカ」

言うに事欠いて……子供か、あいつは!

「バカっていう方がバカなんだってば!」
「おお、怖い怖い。俺のルカ様がそんな顔したら、悲しいなぁ?」

言いながらニヤニヤして……かなり、馬鹿にされている。

もう、ほんと怒った!
「こらっ! もう許さないわよ!」

怒り狂った私も彼を追いかけるようにして、階段を駆け下りていった。



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