【ルフティガルド戦乱/56話】

各所から詳細な報告を聞いたルエリアは、目を閉じ深く考え込んでいた。

もしくは、失態からくる全ての重みを受け止め、心が乱れるのを落ち着けているかのようにも見える。

「まんまと……してやられたものだ」
「申し訳ございません」

女王の前で片膝をついたままヒューバートとユムナーグは深く頭を垂れて謝罪をし、すまないで済むことではないという女王の言葉を黙って受けている。

「客人は奪われ、アニスも負傷し創造法具も略奪された。敵の目的を見誤ったのが敗因だな」

城下よりも城への攻撃が格段に少なかったのが陽動の一環だと気づいたときには、相手の目的がほぼ達成されていた頃だった。

街の被害拡大を抑えるため人員を割いた事は間違っていたと思わない。

ただ、襲撃の先導者カリュプス――魔王の近衛隊のひとり――の操る力を見誤った事が最大のミスだった。

その結果、兵士だけではなく一般人にも多数の死傷者・行方不明者を出すような惨状となったのだ。

「……アニスに、カリュプスと因縁があったとは。ユムナーグ、知っていたか?」
「いいえ。アニス様とわたしは『里』が違いますから。魔族による滅びがあった……と聞いた程度です。
そこでカリュプスによる破壊があったとは聞き及んでおりません。
ましてや、アニス様はその里における片手で足りるほどの生存者……他者にそんな酷い話などしたいものではないでしょう」

それもそうだなとルエリアは答え、落ち着かない様子のレティシスに視線を向ける。

「口ばかりの役立たずめ」
「くっ……」

冷たい叱咤に反論の余地もないレティシスは、奥歯をぎりりとかみしめる。

自覚があるだけに、ルエリアの失望混じりの言葉は腑を焼くほどに染みるだろう。

ヒューバートは微動だにせず、自身の顔が映り込むほど綺麗に磨かれた白い床を見つめたままだ。

「――カイン皇子の剣が、アイオラの胸を突き刺した。僕らは確かにそれを……見ました。そこから流れ出る血液、肉体が存在し精神も感じた。
だというのに、アイオラは死ななかった……そんなこと、生身の人間にあり得るのでしょうか」

レティシス達の後方で、女王に対して礼の姿勢をとったままのレナードが思い出しながらそう報告すると、ラーズが口を開く。

「確かに倒した『はず』……そう思います。だが、彼女はいにしえの魔術師。
例えば旧い血筋には神の祝福があります。ティレシア王家にも祝福があるやもしれません。
あれが魔法や偽体ではなく……肉体があり、血液も流れると剣士達がそう確信を得ているなら――アイオラには我々の知らぬ不死の魔法、あるいは条件があるのではないでしょうか」

不死の条件について、ラーズは思いを巡らせる。

自らの身体をも対象とする延命効果か、魂の保存。

どちらの可能性もある。

「――どちらにしても、殺す算段が見つからないとして。それをあちらに看破されれば、これまで以上に大胆な攻撃を仕掛けてくるだろう」

魔族との戦いは数多く経験していたリスピアも、市街地に大きな痛手を負った。

魔族に対し、制裁を加えよとの声も数多く上がるだろう。

そして、何より――……。

「アルガレスの皇子とイリスクラフトの娘が連れ去られたとか。我が国に痛手は無いが、アルガレスの関係者が絡んでいる。国民感情は刺激されるだろうな」

ルエリアはそう言いながら足を組み替える。

アルガレスとリスピアの国交は可も無く不可も無いといった感じではあったが、取引をしている商人達にとってはやりづらくもなるだろう。

三国同盟を破棄させるのであれば、わざわざこんなことをしなくてもいいはずだ。

アルガレスの孤立を狙ったものだろうか?

だが、アルガレスの国益が損なわれるのであれば、おそらく皇帝自体が早急に手を打つ。

そこは心配していない。

「……あの魔女、シェリアだけじゃなくカインも大事だって言っていた。よく分からないけど、もうあいつの企てが軌道に乗って……二人が必要になったんじゃないか?」

レティシスがそう言えば、フィーアはそんなことさせませんわ、と憤慨した様子で口にした。

「かといって……ここからわたくしたちに出来ることは、ルフティガルドへ乗り込むだけですけれど……あの魔国へ到着するまでかなりの日数を要するでしょう。
エリス様の結界がシェリア様に効いているとはいえ、魔に蝕まれていくのは早いはず。間に合うかどうか分かりません」

殺せない魔女と、それに心の奥深くで恐れを抱く皇子。

魔に染め上げられていく女。

最悪としか言いようのない状況だろう。

「……それでも、行くしか無いでしょう。わたしはカイン様とシェリアを助けなければなりません」

重い空気を払うように、ラーズははっきりとそう口にする。

「それに、ルフティガルドに渡るには船以外の方法が……ないこともありません。
先ほどアイオラが使用した転移魔法を見たでしょう? まだあの陣が残っているはずです」

血液で描かれた陣。

所々消えていたとしても、それを補修し書き加えれば、使えるはずだ。

「ただ、補修や解読には時間を要します。陣を理解し繋げることが出来れば――移動は無いに等しい」

時間的猶予などもはや残っていない。

かなり難しい作業になるでしょうとラーズは付け加え、フィーアとレナードにも協力を仰ぐ。

こくりと頷くフィーアと、逡巡した末にわかりましたと同意したレナードに笑みを向け、ルエリアへと離宮での作業を改めて申し出た。

「どうせ修理は必要になる。離宮など城内や街の修復が終わるまでは手が回らん。好きに使っていい」

半ば投げやり気味な女王の返答であったが、ラーズは深々と礼をして、早速作業に入りましょうと立ち上がる。

「俺はどうしたら……?」
「レティシスは、ヒューバートさんたちにお願いして街の手伝いと剣術の稽古に励んでください。頼りにしていますよ」
「え、えぇえ……? あいつと? 嫌なんだけど……」

露骨に嫌そうな顔をするレティシスに、ぼくも嫌ですねえ、でもイリスクラフトさんのお願いですからねと微笑むヒューバート。

「手足のようにこき使っても構わないのであれば……」
「ええ、どうかお気の済むように」
「ちょっと……二人とも、俺のこと何だと思って……」

ラーズとヒューバートの間で道具でも貸し借りするかのように決められているのを見ているしかないレティシスに、レナードがふんと鼻を鳴らす。

「足手まといにならないようにしてくださいよ。クラーレシュライフさんの名もかかっているんですから」
「なんでウチの爺さんが……まあ、ともかく力仕事できるの俺しかいなそうだもんな。あんたヒョロヒョロだし」
「……魔術のほうが出来ますので」
「シェリアのこと嫌いなくせに、都合のいいときだけイリスクラフトの魔術師ヅラして……」
「……貴方の恋人気取りよりは恥ずかしくありません。わざわざ道化でも演じているのですか?」
「ぶふっ……!」

辛辣なレナードの言葉に、フィーアはこらえきれずに噴き出す。

その様子はレティシスにばっちり目撃されていた。

何がおかしいのかと唇を尖らせたままの彼からじろりと睨まれたが、フィーアは女王の前で爆笑しそうになるのを抑え、ブルブルと身体を震わせるばかりだ。

「あんた笑いすぎ」
「真実って、とてもつらいものですね……んんっ、失礼……取り乱してしまいました。ともかく、わたくしたちは一刻も早く作業を開始しましょう」

咳払いをしながらフィーアも真面目な顔をして言葉を重ねていく……が、まだ所々声が震えていた。

「キョウスケはどうするんだ?」
「ぼく? ……そうだね、特にお声が掛からなかったらレティシスと一緒に手伝うよ。星見もするから、毎日一緒には出来ないけどね」
「星見って、たまに占い師がやってるやつだろ? 占いとかしてたっけ?」
「魔術師も星見をする者だっていますよ。ですが、キョウスケが言っているのは――未来に起こることを探る一環でしょう?」

不思議そうな表情のレティシスへ、ラーズが恭介の代わりに答える。

しかもその言葉は正鵠を射ていたらしい。

黒髪の青年は言葉少なに頷いた。

「ぼくには、もう……以前の方法で君たちに未来を告げることは出来そうにないからね」


レティシスやヒューバートと別れ、再び離宮に戻ってきたラーズ達。

先ほどの戦闘が残した痕跡は大きい。

尤も、建物に与えたダメージはアイオラの攻撃よりもラーズ達のほうが多いようだが。

ラーズは魔法陣が発動した部分に迷いなく歩み寄ると、陣を踏むようなことはせず外側で屈み込み、注意深く文字を眺めている。

フィーアやレナードも同じように陣の文様や文字の描き方などを調べてみたものの、自分と同じ様式ではないものを解読するのは難しい。

「……文字は随分古いもののようです。
少なくともイリスクラフトで使っていません……よね?」

レナードはラーズへ確認するかのように話しかけてみたが、ラーズはそうですねと彼のほうを見ぬまま応じる。

「知っているとおり、精霊は精霊界を通じ、この世界に出現している。
扉は無限にあるとも言われており、実際精霊はどこへ行っても存在しています。
イリスクラフトはそんな世界構築の一員である精霊と契約し、魔法を行使していた。
精霊のバランスが偏るアルガレスに居を移した先祖は、精霊世界だけの力ではなく大気に多く含まれている属性にも目をつけた。
異界から借りずともそこに存在する四大属性の力を組み合わせ、少ない魔力の発動でより多くの効率を引き出すべく魔法形態を独自に発展させていった……それが、現在使用している我々の術です」

ラーズの言わんとすることがよく分からず、フィーアは『つまり?』と先を促す。

「これが判別できるか出来ないか、ということをお伺いしたいのですが」
「出来ます」
「では……!」

あっさりと答えたラーズへ、期待感に目を見開いたフィーア。

しかし、ラーズの表情は暗い。

「文字の可読と、そこに記された意味を理解することは違いますよね。
要するに言葉の羅列が描かれていますが、発動させるには恐ろしく困難です」

ラーズはそうして、円の頂上――術師から見て正面――の文字を指す。

「捻れば強く糸は撚れる。
偽の歯車、紡手はひとり。
踊り明かせば」

指が文字を追うように動き、それに伴ってラーズの言葉は発される。

再び指が初めと同じ場所に戻ってくると、フィーアとレナードに顔を向けた。

「……何かの物語かしら。それとも抒情詩? どちらにしろ、ラーズ様の仰るとおり……読めたところで、意味が分かりませんね」
「十中八九、彼女の魔法は誰でも発動の『鍵』さえ分かれば扱えるのです」
「――その『鍵』がすなわち詠唱部分かつ、答えであると仰るの?」
「間違いなく。ただ……この言葉全ての納めの言葉になる気がします」

すると、フィーアは悔しそうな表情を見せる。

「では、この言葉が何を意味するのかが分かったとしても……正確に唱えられなければ発動どころか暴走を?」

ラーズも再び魔法陣に目を落とし、はい、と呻くように肯定した。

「この陣だけで、大きく魔力を引き出せている。いわば準備が『出来ている』状態ですね。
違う詠唱を試みて、別のところに飛ばされるならまだしも……肉体や精神を消失する恐れがあります」

基本、詠唱は『求めに応じて力を貸せ』というような意味を用いられることが多い。

歌うことによって発動する魔法もあるのだが、それはまた特殊な系統のものだ。

この陣の術式は、かなり簡素に描かれていた。

シンプルであるということは、それ以上の効果を上乗せせずとも構わなかった事を意味している。

そこから導き出されることは、この転移先は必ずアイオラの目的を達成できる場所。

絶対にルフティガルド――それも魔王の居城――であるはずだ。

発動可能な状態で残されている陣。

隠された力量の高さはもちろんのこと、魔女の挑戦を見誤るほど、ここにいる三人は愚かではない。

「読めたとしても発動の『鍵』がなければ使用できない。だから平然と残していったのでしょう……しかし、この言葉。何を意味しているのか……」

様々な形態に置き換えようと考えるラーズへ、レナードはベルクラフト、と呟いた。


「……僕は、この前半の部分で似た言葉を聞きました。そう、あの人が自分の胸を突いて倒れたとき……ベルクラフトが転移魔法を唱えた……」

レナードは苦い顔を銀の兜で覆ったままラーズの側にやってくると、頂上を指す。

「ベルクラフトは『憂いは螺旋のさだめ。捻れば強く糸は撚れる』と呟いていました。
その言葉が転移の発動だった。『捻れば強く糸は撚れる』は同じ言い回しです。魔術系統が同じなら、同一の流派……いえ、その術もアイオラが作ったと考えるべきでは?」

すると、ラーズの表情は疑念と戸惑いに曇った。

「どういうことなんだ……指輪を渡したのは父だ。ベルクラフトは父と繋がっていたのでは?
まさか、父も、ベルクラフトも本当はアイオラとも繋がっている……? ではカイン様も必要だというのは……?」

早まった結論を出してはいけないと自戒しつつ、ラーズはシェリアが所持していた指輪の存在を思い出す。

あれは結果的に彼女を縛めるものとして持たされていたが、ベルクラフト達の中に、指輪を持っていた者がいたのなら。

「……レナード、シェリアが連れ去られたときの事をもう少し詳しく覚えていませんか?
連れ去った者は……ベルクラフトは、道具か何かで発動を補っていたのではないですか?」
「持って……? いえ、確か……何も持っていませんでした。ああ、でも言われてみれば装飾品をしていたかも――」

長男は無惨に殺され、三男は父親の手に掛かり……ギルド内の牢獄で、当主と次男は怪死していた。

仮にヒントになるようなものが刻印してあったとしても。もう誰一人として残っていない。話を訊くことは出来ないのだ。

ランシールが自らを犠牲にし、シェリアは忌まわしい運命を受け入れようとし、カインも自らの呪いに抗って感情を見せるに至ったあの一族との関わり。

「手がかりが消えてしまった……のですか?」

レナードがそっと問いかけると、ラーズは暫し押し黙る。

それが肯定であるかのように。

しかし、ややあってからギルド、と口にする。

「……彼らの活動に関する調書はなくとも、死因の調査はしていた。
無論身体についていた外傷や魔力の反応、所持品もくまなく調べた記載があるはず。あれから日数が経過しています。
ベルクラフトの屋敷内にも調査の手を入れている可能性がありますから、わたしはギルドに話を伺ってきます」

そう説明しながらラーズは懐中から筆記具を取り出し、陣の言葉と形状を模写した。

「この部屋で時間を潰すのも嫌ですが、どなたかが入ってきて掃除をされても困りますわね。
レナードさん、貴方はここに残っていなさい。わたくしも、あの高貴な猫ちゃんを探しに行くとします」

アイオラの事を追っているであろうルァンならば、彼女の意図するところが何か分かるかもしれない。

ラーズが魔術のことを探るのなら、フィーアはアイオラの過去から探ろうというのだ。



たった一行の『鍵』を拾い上げるために。



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