影と死体を操るカリュプスの元に、徐々に騎士達が集まりつつあった。
剣を向けつつも一定の距離を保ちながら包囲しているが、カリュプスが腕を振るうだけで一定範囲内に立ち入った者は影に貫かれ、屍兵となってカリュプスの手駒となる。
例え生きていないとしても、見知った仲間を斬る事も躊躇われた。
「ひっ……、やめろ、来ないでくれ!」年若い騎士は、自分に迫り来るかつての友人の変わり果てた姿に愕然としていた。
もはや戦意というものはそこにない。
来るな、と叫びながら数歩後じさる。
それが合図となったか、数人が弾かれたように城に向かって駆け出した。
「ハッ。嘲笑されて、一瞬歩を止めたものもいたようだが……全ては遅かった。
「ガッカリなんてもんじゃねえ。勢いよく振るわれた手から影が疾り、緩慢な動きをしていたはずの屍兵も生者へ駆け出す。
影に身体を引き裂かれ、先ほどまで共に笑っていたはずの同僚に噛みちぎられる。
絶望と恐怖に塗れた悲鳴と緋色の血飛沫が上がり、リスピアの地を染める。
「まったく、このままじゃ暇すぎて飽きがくるってもんだ……隠れた街の奴らでも引っ張り出すか……?」戦火の中でひとり佇むカリュプスは、ゆっくりと指先を動かす。
屍兵は再び立ち上がり、生者を求めて徘徊し始めた。
死ねば死ぬほど手駒は増える。
それが人間だろうと魔族であろうと関係は無い。
死体さえあれば状態が悪かろうとなんでも――構わないのだから。
そしてカリュプスも移動しようとした矢先、強大な魔力の膨張を感じる。
反射的に飛び上がり、屋根の上に着地した刹那。
「弔いの鐘」眩いばかりの光が――そこを歩いていた屍兵を飲み込み、濁流のように大通りを埋めた。
光の帯が収まると、そこには安らかな顔をした死体が転がっているだけ。
再び屍兵として起こそうと手を振るうものの、もう影は死体に入り込まない。
カリュプスの口角がつり上がって、魔法を発動させた人物を注視する。
青い長衣に身を包んだエルフ――黎明の魔術師、アニスが姿を見せたのだ。
「なるほど……ようやくのお出ましか……神格魔術師さん」アニスは悲しげに兵士達を見やり、この術は、と呟いた。
「この術は……以前ウィーフランズで見ました。当時を思い出すようにアニスはそう口にすると、カリュプスは合点がいったように、ああ、と頷いた。
「テメエはエルフ村の生き残りか。青い宝珠がついた杖――リスピアの創造法具・マリヌフの杖――を因縁の相手へ向けるアニス。
その宣戦布告が気に入ったのか、カリュプスは面白そうに喉奥で嗤い、向けられた杖を眺めた。
「……いいぜ。テメエの屍は、さぞ使い勝手が良さそうだなあ」示し合わせるでもなく、二人は同時に攻撃を開始した。
カリュプスは影の鳥を飛ばす。
ツバメのように地を滑空し、刃のように鋭い羽と嘴でアニスの身体を裂かんとする。
今――アニスが使った術の効力が完全に消える数分の間程度――は、この範囲内にカリュプスの手駒となる兵がいない。
相手の攻撃も影しか無い事は予測済みだ。
しかしそれもまた、幾分弱体化している。
アニスが杖の柄で地面をこつんと叩くと、魔力壁が現れ影の鳥をかき消す。
「光の矢!」アニスの口から術が紡がれ、彼女の杖から巨大な光矢がカリュプスに向かって放たれる。
「そんなもん……当たるか!」カリュプスはふわりと上空に舞うと危なげなくそれを躱し、上半身を反らせてから思い切り両手をアニスへと振り下ろす。雨のように細い影が無数に降り注いだ。
彼女も術壁を展開してそれを防ぎながら、攻撃に転じるための術を唱えている。
「地に落ちよ!」上空に浮いているカリュプスの真下に、赤い魔方陣が浮かび上がったかと思うと……カリュプスの身体はぐんと地面に引きずり落とされた。
「がっ……!」地面に衝突した衝撃と、身体を押し潰すかのように働く重力が彼の動きを著しく低下させる。
しかし、重力に反し起き上がろうとするカリュプス。
「強く」アニスは更に術の威力を強める。
ずしん、という地響きと共に、カリュプスは自身の骨が軋む音を身体の中から感じる。
ふと、明るかった視界に影が差す。彼の眼前にアニスが立ったのだ。
「あまり時間はかけられません。ここであなたを無力化します」地に這いつくばるようにして押さえつけられている男へともう一歩近づき、アニスは杖を差し向けながら冷たい宣告を言い渡す。
「光は満ちよ」アニスがそう唱えると、光の帯がカリュプスに降り注ぐ。
無論、これは柔らかい光では無く高い熱を発し、相手を焼き尽くすものだ。
身動きの出来ぬ相手への、近距離からの攻撃。
それは魔法であっても多大な効果がある。
むしろ、攻撃魔法にとっては最大に効力を発揮するといっても過言ではないだろう。
いかに魔王の近衛であろうとも、ただではすまないはず――だった。
「……!」アニスは背後に恐ろしい殺気を感じ、勢いよく振り返る。
すると、彼女の背後には巨大な影が立っていた。
彼女の背丈の二倍はあろうかという大きさで板状の図体をし、そこに三つ鉤の細い手がついている簡素な影。
中心には赤い眼だけがついていて、ぎょろりと彼女を見下ろしていた。
緩慢な仕草で小さな腕を振り上げたため、咄嗟に影から離れようと地を蹴ったが、それを追うように彼女の足に黒いものが絡みつき、地面に引き倒されてしまう。
「く、うっ……?! な、んで……!」足をぎりぎりと締め上げるものに目を向ければ、それはアニスの――影から男の腕が飛び出ている。
それが彼女の足首を掴み、行動を封じたのだ。
「やっと捕まえられたなあ……神格魔術師さん。ぬるぬるとアニスの影から這い出したのは、先ほどまで動きを封じていたと思っていたカリュプスの影。
驚愕する彼女へ、楽しそうな笑みを浮かべる。
「影と死体を操るだけだと思ったろう? 実際その通りさ。カリュプスはアニスの胴を足で地面に押しつけたまま掌を腹部に添え、影を打ち出す。
身体が貫かれるたび、アニスは大きく身を震わせ、唇から多量の血を吐き出す。
「憎い男にカラダを貫かれるのはどうだ? 言葉も無ェか?」短く荒い息をつき、アニスはカリュプスを憎しみのこもった瞳で睨み付ける。
だが、重傷を負った彼女にカリュプスは底冷えするような目を向けるだけだ。
「テメエ自体にハナっから用はねえ。あるのは――その杖だ」カリュプスが視線を投げた先に転がる、マリヌフの杖。
使い手の精神の消耗を軽減し、術の威力を増大させる法具。
かつてエリスがハークレイとその仲間達に作り与えたとされるものの一つだ。
「あの女から、奪えって言われてんだよ。動けないアニスから離れると、カリュプスは彼女の眼前でその杖を拾い上げ、まじまじと眺める。
そのまま腕を振るってみたが、杖が反応する様子も恩恵も感じられない。
「かえ、し……、なさい……!」地面に手をつき、ゆっくりと上半身を起こしたアニス。
彼女の身体からは止めどなく血液が流れ、青い長衣をどす黒く染めている。
「死んでろ」そしてカリュプスは、アニスに向けて片手を広げた。
掌から影が射出される瞬間、カリュプスに向かって放たれた黄金の矢。
金の軌跡を描きながら彼の腕を易々と貫き、腕先を消し飛ばす。
「なに……!?」信じられないという面持ちで淡光の元を視線で辿れば、そこには光弓を引き絞る男の姿があった。
緑髪のエルフは、光り輝く弓に金の矢を番え、再びカリュプスに狙いを定める。
「光の弓キルクリエス……まさか――」ユムナーグか、と発した声に応えず、男は再び矢を放つ。
カリュプスは自身の影の中に待避して一撃をやり過ごすと、そのまま影を何十羽もの鳥の姿に変え、その場から飛び立つ。
逃げるつもりだろう。
エルフの男は、弓の弦を一度指先で弾く。すると光の粒子が矢となり、落ち着いた様子で指を添え、引き絞るともう一度射かけた。
すると、一本の矢は無数に分裂し、影鳥の胴を的確に穿って光矢が闇を打ち消していく。
更に追撃を試みようとしたが、男は眉を寄せて攻撃を止めた。
矢を放つ瞬間、数羽の鳥の中から何かがこぼれ落ちるように抜け出したのを見た。
今から追いかけても、もうそこには何もいないだろう。
撃退したとも言い難い結果だが、弓を下ろすとアニスの側へと駆け寄る。
「アニス様……! なぜお一人で行動されたのか!」言いながらゴホゴホと噎せ、血を吐くアニス。このままでは命も危ない。そっと抱え上げ、ユムナーグは駆けだした。
「ユムナーグ様、いけません……! カリュプスに、杖が……っ」痛みに呻くアニスに、もう喋るのはおよしなさいとだけ言って、ユムナーグは遅れてやってきた兵を見つけるとアニスを医務室に運ぶよう命じて引き渡す。
「なんという惨状か……」城下の至る所に屍が転がり血臭が漂う。
建物は崩れ、まだ消火作業が滞っているため、彼方此方に火の手が上がっていた。
もう少し早く着く事が出来ていれば……と忸怩たる思いを感じずにはいられなかった。
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