【ルフティガルド戦乱/54話】

小型のドラゴンや天馬に跨がった騎乗士達が空を駆ける。

街の上には多数の有翼種が空を旋回して攻撃の機会を見計らっているようだった。

「させるか……!」

愛竜の横腹に軽く蹴りを入れると、魔の群れに向かって速度を上げる。

敵の数は多いが、大きくはない。

仲間と連携して取り囲めば迎撃も容易いだろう。

まずは、自分たちの存在を奴らに知らしめなければ。

手頃な一匹に近づき、まずは串刺しに――と、長槍を突き出す。

しかし、トビウオのような形をした魔物はその穂先をするりと避け、柄の周りをくるくると泳ぐように飛ぶ。

「チッ……!」

苛立ちとともに悪態をつき、騎乗士の男は腰の短剣を手にすると、槍を引き戻しながら魔物目掛けて短剣を振り下ろした。

鈍い衝撃……仕留めたという確かな手応えが剣を通じ、男に伝わる。

が、それも一瞬の小さな喜びだった。

剣を突き立てられた魚は、ぐにゃりと身を曲げたかと思うと男の両手に紐のように伸びて絡みつき、動きを縛り付ける。

「なんだ、これっ……!」

焦った騎乗士が引き剥がそうともがくも、にかわのようにしっかりと張り付いた魚はびくともしない。

そして、男がそれに気をとられている間に――魔物の群れが一つの巨大な球体に姿を変える。

「――あ……」

はっと顔を上げた男が見たものは、中心部分までぱかりと割れた、球体の……黒い断面。中も黒いのだから断面であった、というのがかろうじて判別できる程度。


ばくり。


そういった擬音語がふさわしいような仕草で、男に噛みついて球体は閉じる。

その玉からはみ出た竜や男の身体の一部が、血しぶきをまき散らしながら空中から地上へと降っていく。

そして、その肉片を追うように――球体から元の魚のような姿へと、一匹、また一匹と姿を戻し、地上へと下る。


「光或るところに、影もまた或り……光が強ければまた、影も濃い、ってなァ」

リスピア城下町で、カリュプスはその光景を見つめながらぼそりと呟いた。

奇襲には慣れている。

そして、自身の能力がそれに優れている事も分かっている。

城に入れた一匹も、アイオラに似せたもの。

それは上手く目的のものを『釣れた』ようだった。

そして、その後をアイオラ本人が引き継いでいる。

そちらに抜かりはない……だろう。

いっそわざと失敗し、アイオラを放置する事も考えたが、あの女はカリュプスを信頼してはいない。

脱出策くらいは既に幾つも持っているに相違なかった。

それに、わざわざ魔王の不興を買う事はない。

成功しようが失敗しようがどちらにしても――カリュプスの望みにはならないのだから。

そして自分に与えられた任務がある。

だからこそこうしてリスピア騎士団に分かるよう姿を晒し、魔物を操っている。

奴らリスピアは、こうして街が襲われれば必ずや兵を向けるだろう。

そうして救援を呼び、更に兵が増える。

「……早く来い……」

カリュプスはそう呟くと、多数の足音を察知して振り返る。

「魔族を操っているのは貴様か!!」
「我らリスピア騎士団が相手だ!」

四、五人の一団が武器を片手にやってきたかと思うと、カリュプスを取り囲むように展開する。

それらを見たカリュプスは、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「待ってんのはテメエらじゃねえよ……雑魚は死んでろ」

ぱん、と指先をはじくと、彼らの影から細長い棘が幾つも噴射される。

それは本体である人間の身体を易々と貫き、恐怖の悲鳴を口から絞り出すまでもなく命を刈り取る。

「……動け。適当に人間倒してこい」

面倒くさそうに呟くと、影は骸となった人間の身体に入り込む。

光を失ったはずの瞳に、昏い色が灯った。

全身を揺らしながら一歩一歩とゆっくり踏みしめ、生きた人間を求めて彷徨う元兵士達。

それを一瞥した後、カリュプスは指先でリスピア城を指し示し、早く来いよと呟いた。


「結界を張る意味が、無くなっても知らねえぜ……?」


「――あら」

アイオラが扉に手をかけ、開けた瞬間。

目の前に立っていたのは――シェリアではなかった。

見覚えのない煤色の髪の青年と、見知った赤毛の青年が剣を構えて立ちふさがっている。

「なんかカインの様子がおかしいと思ったら、またあんたか。しつこいな。
嫌われてんだからちょっかい出すなよ」

赤毛の青年……レティシスはぞんざいな口調でアイオラに投げかける。

しかし、女はお互い同じでしょうと返す。

「貴方もいい加減にしたら? 次に邪魔すれば消すって言ったばっかりでしょう。
言葉がわからないの?」
「はいそうですか、って、引き下がるくらいなら最初から俺はいないさ。
最後まで自分で決めたようにやるんだ」

レティシスは迷いなくそう答えると、隣のヒューバートが実力はまだ見合って無いですけどと付け加える。

「あんたもいちいちうるさいな!」
「僕に小さい事で突っかかっている場合ではないよ」

涼やかな顔でレティシスをやり過ごすと、ヒューバートはアイオラの後方で荒い息をついて起き上がろうとするカインの様子を確認する。

ざっと見た感じ、負傷の様子はない。

だが、カインの心はひどく乱れていた。

怒りだろうか。違う。そうではない……いや、それ『だけ』ではない。

恐怖か――それも違う。

「……?」

識別しようとすると、濃霧の向こうに隠れてしまうように……カインの感情が、読めない。

確かにところどころ、彼の感情や思考は読み取れぬ時はある。

魔術の中にも思考を盗み読むための高度な術もある。

だが、読まれぬ訓練を積んだとしても、ヒューバートの『眼』には効かないのだ。

――カイン皇子は極度の興奮状態にあるのか?

このアイオラという女とカインの関係は知らないが、彼を突き動かす限りなく強い『何か』があるのだけは分かる。

「カイン……!」

様子がおかしいと気づいたのか。

部屋の中央で、ラーズとフィーアの間から呼びかけるシェリア。

カインはシェリアに顔を向けず、平気だ、と聞こえるかどうかというくらいの声で呟いた。

「もう、終わらせ、る……から……!」

言うや否や、カインは腕に力を込めて立ち上がると剣を再び握りしめ、アイオラ目掛けて走った。

それに呼応するように、レティシスとヒューバートも動く。

「レナード、この周囲に結界を張りなさい!」

ラーズは補助魔法をカイン達へと唱えながら、レナードに指示を飛ばす。

言われたとおりにレナードも結界を張り、銀の銃を手に取るとアイオラへ向けた。

これを使うのも久しぶりだな、と弾を込めながら思っていると、じっと自分を見つめるシェリアの視線に気づく。

「……なんですか? 気が散るので見ないで欲しいんですけど」
「……」

自分から視線をそらすシェリアが、何かを訴えたかったのは分からない。

しかし、どうせ人を撃つなとか、この状況下でもそういったくだらない事に違いない。

しかし、自分のせいでこうなっている事が分かっているから何も言えないでいる、というのならまだ物わかりがいい方だろう。

そうして再び狙いを集中すると、フィーアから尻を蹴られた。

バランスを崩して前につんのめるところをぐっと踏ん張る。

「痛っ……危ないでしょう! 貴女までこんなときになんですか!!」
「鈍感すぎて腹が立ちましたのでつい」

苛立ったレナードに対し、つんと顔を横に向けたフィーア。

なんなんですかもう、とぶつぶつ言いながらレナードは再び銃を構える。

小さな照準からのぞき込むと、アイオラは剣士三人を相手に全く慌てる様子はない。

それどころか、ラーズの魔法攻撃ですら確実な対処をする。

本当に恐ろしい敵だと再認識せざるを得ない。

暫し攻撃のタイミングを見計らっていたが、ラーズの魔法を魔法壁で防ぐ瞬間、レナードは銃の引き金を引いた。

軽い炸裂音が室内に響き、アイオラが展開した魔法壁は粉々に砕け散る。

「チッ……!」

思わず舌打ちして苦い表情をつくるアイオラ。その僅かな好機を見逃さず、カイン達は一斉攻撃を仕掛けた。

隙を見せてしまったアイオラだったが――再び術を素早く紡ぐ。

かの者の術を打ち消せ(ヴズ・キャス・アウル)!」

ラーズもまた、術の発動を阻む魔法を唱え杖を向ける。

アイオラの周囲に膨れあがっていた魔力は霧散し、今度こそアイオラは無防備な姿を晒す。

高速詠唱が出来たとしても、迫る刃に対応して術を展開することはもう間に合わないだろう。

「全ての企みも、ここで断ち切る……!」

カインが憎々しげに呟き、アイオラの胸に剣を突き刺した。

ヒューバートの双剣は胴を深く切り裂き、レティシスの幅広の剣は女の細い腹を貫いた。

「……こんな、ことで……終わる、なんて――」

アイオラは一同を見渡し、最後にカインを睨むとごぶりと血を吐いた。

真っ赤な血は剣を伝い流れ、カインの手を濡らす。

その血の温もりが、怨念となって身体に染みてきそうでカインは不快感に呻いた。

ずるりと身体が傾き、自身に倒れ込んできたので……カインはそれを肩で押し退けつつ剣を引き抜いた。

「……やった、ん……だよな?」

確認するようにレティシスが言えば、カインはアイオラをじっと見つめたまま『ああ』と頷く。

無念そうな顔をしたまま、目を見開いて倒れた女の姿。

あれほど憎んでいたのに、討ち果たしてしまえば――寂寥感が胸をよぎる。

そこに安堵はなかった。

「カイン……!」

シェリアが駆け寄ってきたので、カインは怪我はしてないかと聞いて血脂を振り払うと剣を納める。

「私は何も……」
「それならいい。無事で良かった」

胸に飛び込んでくるシェリアに微笑むと、血塗れの手で抱き寄せる事を躊躇ってマントごしにそっと触れる。

ようやくこれで、自分も解放される。

そう思いながらもう一度アイオラの骸に目をやった。


「なっ……?!」

言葉を詰まらせ、瞠目しているカインの様子にただならぬことを感じた一同は、同じようにアイオラに視線を投げる。


「――あっけなくこんなことで終わるなんて、思ったの?」

憎しみを露わにして事切れたはずの女の顔は――嗤っていた。

ごぼごぼと血の泡を吐きながら、アイオラは再び言葉を発して身を起こす。

その眼は再び、カインと……シェリアに向けられていた。

カインはシェリアをしっかりと抱き寄せながらも、剣をもう一度向ける。

シェリアもまた、恐怖を感じながらもアイオラから目を離さない。

「そうよ……『それでいい』のよ。よくやってくれたわね」

幼子を褒めるようにアイオラはカインに声をかけ、小さく言葉を呟いた。

途端、彼女の流した血液は滑るように動き、カインの周囲を包囲する。

回り込んで飛びかかるわけではなく、血液は何かの陣を描き始めた……!

「くっ……シェリア、逃げ――」

カインの腕に流れた彼女の血も、するすると伸びてカインとシェリアの二人を縛り付けた。

「ダメよ『皇子様』……貴方に与えられた『お役目』は【シェリアを貴方から逃がさない事】なんだから」

アイオラがそう声を発すると、カインはびくりと身体を大きく震わせ、動きを止めた。

「……カイン?」

怪訝そうなレティシスの声。

シェリアも、カインの様子を伺うように顔を向ける。

カインは、自分が何をやっているのか分からないという顔のまま……シェリアの身体を抱きしめたままだった。

「……このままじゃいけない……!」

良くないものを感じ取ったヒューバートは、腰のポーチから聖霊石を取り出すと、アイオラの血液陣に向かって投げ込む。

エリスの祈りが込められているガラス玉のような石は簡単に弾け、血液の中に転がり込む。

じゅわじゅわと蒸気を発しながら溶けるように消える血液陣の一部。

カインとシェリアの縛めも、所々綻んで解かれたようだ。

その切れ目に向かって、ヒューバートは手を差し出す。

「今のうちに、お早く――!」

しかし、彼に差し出されたのは手ではなく……鋭い銀の閃き。

即座に剣で弾いて防ぐヒューバートは、それを繰り出したカインを睨んだ。

「……どういうおつもりか」
「……違う、これは……」

力弱く否定したカインだったが、確かに彼は剣をヒューバートに向けている。

自分が何をしたのか、カインですら信じたくないようだった。

その間にも再び陣は元のように繋がれ、淡く発光する。

術が――完成したのだ。

「カイン! あんた、どうしちゃったんだ!」

レティシスが駆け寄って魔方陣の中に手を入れようとするが、硬い空間に阻まれて手を入れる事も進入する事も出来ない。

助けを乞うようにラーズを振り返るが、彼は悔しげに眼を細めた。

発動してしまえばラーズでも対抗する術がないというのか。

「ッ……フフ、アハハハッ!! 結局足掻くしかできない貴方たちを見下すのは、最高に気分がいいわ!!」
「ふざけんな……! なんかわかんねえけど、その変な術を解けよ!」
「ダーメ。大丈夫よ、安心してちょうだい。
これはね……転移魔法よ。
直接書いたものだからちょっと発動が遅いけれど……シェリアにとっては運命の再会が待っているんだもの。
ああ……どんなことになるか、その瞬間が楽しみだわ」

言い終わるや否や、カインとシェリア……そしてアイオラの姿は瞬時に消える。

目の前で守るべき者も倒すべき対象も消えてしまったレティシスは、声にならない叫びを上げた。



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