【ルフティガルド戦乱/53話】

「なんだ、もうへばったのか……自分からやりたいと言っておいて情けない男だ。
ほれ、もう一度立て」
「くっそ……」

レティシスは埃まみれになったまま立ち上がる。

リスピア王宮内の練兵場で、ルエリア女王が呆れたようにレティシスを促し続けているのだ。

レティシスの相手をしているのはあのヒューバート。

彼は練習用の剣を鞘に収め、ほぼ棒立ちのような体勢で床に倒れ込んだレティシスを見つめている。

「もう、終わりでいいですか?」
「まだ……まだだっ……!」

警護なら、この国にも優秀なものが居るためそれに任せる……その女王の意見に、レティシスは『自分がシェリアの剣となり盾となる』と告げた。

カインはシェリアを守れなくなる。

そして、自分はこの国に残ってカインの想いの分まで彼女を守るとレティシスはそう己に誓ったのだった。そのための訓練ともいえるが――まあ、結局フィーアも残ることになったのだが。



『なんであんたも一緒なんだよ!? 国のアレコレとかでカインと一緒に行くとか言ってただろ!?』
『確かに言いましたが、わたくし、魔法に関してできることがさほどありませんもの。
回復・支援はレナードさんが行うでしょう? 攻撃はラーズさんにお任せできますし……』
『戦える人数は多い方がいいんじゃないか』
『それについてはキョウスケさんが同行する他、リスピアから強力な支援があるのです。
ですから、わたくしはシェリア様のお世話を。カイン様の憂いを払って差し上げるのも婚約者としての務めですわ』

しれっと言い放つフィーアと、それに納得がいかないレティシス。

だが、フィーアがここに残るようになったのはルァンの言いつけだ。

そのルァンもカインのことを依然として気にかけているものの、蝕のことを放置しておく訳にはいかない。

より多くの人間を救わねばならない。ルァンはエリスと共にリスピアに残り、蝕の到来を遅らせることにしたようだ。

『それに、シェリア様。
先日の件で大層わたくしにご立腹なのでしょう? 酷い目に遭わせてやりたい、そうお思いになられていますでしょう?』
『えっ? いつ……? 全然そんなこと……きゃっ!?』

突如話を振られたシェリアは思い当たる節がないので一瞬言葉を鈍らせたが、フィーアが抱きついてきたので身をすくめた。

『一秒でも早くシェリア様と仲直りがしたい。
そればかり考えて眠れぬ毎日を過ごしておりましたの…………ああ、ようやく贖罪ができそうです。
わたくしに、さあ、罰を! お好きにして良いのですよ?』
『ほ、本当に怒っていませんから……むしろ驚かせたのは私で、フィーア様が気に病むことなんか何もないんですから』
『いいえ、いいえ……! 内気で思ったことも素直にいえないシェリア様。
甘っちょろくて愚かなところが大好きです、ああ、いい匂い……』
『匂い以外は褒めてないよな……』
『彼女なりの愛情表現……だと思います。本心がだだ漏れてる気もしますけど』

フィーアに抱きすくめられているシェリアを見ながら、レティシスと恭介は辟易した顔でそれを眺める。

『カイン……止めなくていいのか』
『自分の全身の骨が砕ける音を聞くのは避けたい。
それに、実際フィーア王女はシェリアをとても気にされていた。少しくらいはいい』
『まあ、美形でもよく知らない男二人に囲まれて生活するシェリアさんもいやだよね……って、そろそろ戻ってきて、フィーア様』

シェリアを愛でるフィーアの指の動きがだんだん怪しくなってきたので、恭介はフィーアを引き剥がすとレティシスに向けて微笑む。

『リスピアの支援はすごい人が来たんだ。一騎当千なんてものじゃない。
あのユムナーグさんなんだよ』


ユムナーグという人物を、リスピアの神格騎士でリスピア史上最強の武を持つエルフ族の男……という以外にレティシスはよく識らない。

だが、神格騎士ユムナーグの事は国外であっても広く知られている。

エルフという森の精霊族でありながら、恐ろしいまでの強さを持つ剣士であること。

そして、ルエリアの父……ハークレイの事を影ながら支えた仲間の一人であるとも言われている。

純エルフなのか混血なのかはわからないが……ユムナーグの事よりは、シェリアを置いていかなければならないカインの心境のほうが、自分が想像するよりも辛く苦しいものだというのは理解できる。

ましてや――自分が一番嫌いな男を、一番愛しいものの側に置かなければならないのだ。


――俺だって、あんたが羨ましいよ。

神の祝福を得た血筋のなせることなのか、常人を越えた身体能力と涼やかな面立ち。

剣を振れば、その太刀筋は流星のように速いのに一撃が重い。

公私ともに深く信頼し合える親友が居て、何より……深く愛し合う仲の女性が居る。

そのどれもが彼の努力無く成り立ってきたことでは無いことも分かっている。

羨ましいと思っても、彼が持つどれかひとつも……自分にはない。

そして、自分にはまだ力が足りない。

カインと自分を比べたからといって何になるのか。

仮に勝るところが一つでも多くあったとして、だったらなんだというのか。

その虚しさに潰されそうになる。

ヒューバートと手合わせしたい……そう申し出た事に、僅かな興味で心動かされたルエリアはレティシスとヒューバートに許可を出したが――。

四撃以上の打ち合いは一度もなかった。

「そんな腕で今まで良く死ななかったものですね。本気を出すまでもありません」

つまらなそうな口調でヒューバートは己の鉄剣を見つめる。

その目にレティシスは映っていないようだ。

「くっ……」

つまるところ『相手にならないほどに弱い』といわれている――この揶揄は彼だけではなく仲間全体に含まれているものだ。

それに気づけぬほどレティシスも愚かではない。

「確かに、まだまだ俺は弱い。
たまに剣を合わせるカインにだって勝てたためしがない。
だけど、悔しいからこそ……強くなりたいって気持ちは大きいんだ!」

練習用の剣を再び構え、レティシスはヒューバートめがけて幾度目かの剣を振るう。

通常であれば騎士に剣を向けるなど到底許されることではないし、ヒューバートもこれ以上相手をしてやることなどもない。

ここで繰り広げられている全てが異例で、全てが異常のはず……なのだ。

だが、遠巻きに見ている兵士や騎士達は羨望・または嘲笑に満ちた目をレティシスへ向けるだけで止めようともしない。

それもそのはず、この国では稀にルエリア自身が兵達に手合わせをしてやることもあるからだ。

定期的ではなく、本当に気まぐれで突発的なもの。

例えばルエリアの機嫌が良くなかったり、多少時間を持てあましていたり、などなど。

そうはいっても彼女も暇ではない。

決められた時間の中、執務を行い、カイン達のような他国の要人を相手にしなければならないし、国教にも出席せねばならない。

女王がこうなのだから、騎士が練兵場で誰と手合わせしようと問題ではないらしい。

寧ろ、多少の娯楽ですらあるようだ。

「もう見飽きた……余は戻る。適当に切り上げろよ」

ルエリアは髪を掻き上げると興ざめした顔で立ち去っていく。

その背にヒューバートは一礼し、剣を構える姿勢ではない。

「……くっそ……」

悠然と去って行くルエリアの背を睨むように見つめていると、騎士は僅かにレティシスの視界へと移動し、仕方がないですよと告げる。

「こんなことを言うのは自慢のようになりますが、僕も数年ユムナーグ様に剣を教えていただいた身です。
そうそう後れを取るわけに参りませんよ」
「ユムナーグ……神格騎士のユムナーグ・キルクリエス」

レティシスが記憶を呼び起こしながら口にすると、騎士はこくりと頷いた。

「もう引退されてしまいましたが、数年前まではこの国で女王の守護騎士として活躍されておりました。
その後里へ帰られたが……その直前まで教わりました。
恐らく現在もあの方の腕前は衰えていないでしょう。それはいいのですが……どうします?
女王からはあなたと手合わせはもう切り上げろと言われていますが大丈夫ですか?」
「心配いらないさ。いつでもかかってこい」

すると、騎士はフッと小さく笑った。

「――勘違いされているようですが、あなたの心配をしているわけじゃないですよ。
あなたがまた一撃も浴びせられず砂まみれになる悔しい思いをするだけなので、大丈夫かなと」

その言葉を聞くや、レティシスの顔にみるみる怒りと羞恥がこみ上げる。

「……面白いじゃないか、あんた……」
「恐縮です」
「じゃあヒューバート。
本当に強いか、もうちょっと教えてくれよな――!」

言い終わらぬうちに地を蹴ると一気に間合いを詰め、レティシスはヒューバートに肉薄した。

平時と同じように、微笑をたたえた表情の……ヒューバートの顔が間近に迫る。

レティシスの速度は彼の想定以上だったのだろうか。

あるいは、たかが一般の剣士と油断をしていたのかもしれない。

腕を下ろしたままのヒューバートは、まだきちんと剣も構えていないのだ。

胴めがけて剣を振りながらも、レティシスは直感的に『勝てる』と確信した。




「……絶対『勝てる』と思ったんだ……」
「負けた人は必ず後でそう言いますよね」

苦笑いする恭介に、そうじゃなくて、とレティシスは悔しさを滲ませながら訴える。

「隙だらけだったし、剣でのガードに移行するとしても遅すぎるなって思ったんだけど……剣の振りが視認できないくらい速かったんだ」
「……? 練習用の剣ですよね?」
「だから、剣も下ろした状態で、こう……『とった!』と思ったらあいつの剣が俺の剣を受け止めてたんだ」

ヒューバートが取った動きを真似るように、レティシスはその時の状況を身振り手振りで恭介へと伝える。

「居合い、みたいなものなのかな……」
「いあい?」
「ええと、納刀……鞘に剣を納めた状態のまま、相手が自分の間合いに入ってきたときに、剣や刀を抜いて斬るっていう……ぼくもあまり知らないけど……」

説明しながら恭介もたどたどしい身振りで応じ、それを見ていたレティシスも彼の言わんとすることは伝わったらしい。

練習用の剣だから鞘とかはないけど、そういう感じのやつ、と頷いていた。

「ふーん……『いあい』かあ……いろんな剣術があるもんなんだなあ」
「でもすごいね。流石名を轟かせるリスピアの騎士団だ」
「うん。ミ・エラスにもリスピア王国騎士団の名は知られてるからな……。
それより、ルエリア女王の側に居るって事は、あいつ次代の神格騎士なのか?」
「どうだろう? 自己紹介の時も騎士、って言ってただけで、それ以上の肩書きは知らないね……でも強いんでしょ?」

そう話を振ると、レティシスは憮然とした顔で膝を立てて椅子に座った。

「……まあ、ちょっとは強いんじゃないの?」
「ふふ、悔しかったんだね」
「……最近カインとも少し打ち合えてきてるし、いいところまで行けると思ったんだ」
「……そうなんだ……」

もしかしたら、その人はカイン皇子より強いかもしれないじゃない。

という言葉は飲み込んだ。



「何から何まですっかりお世話になりました」

シェリアもエリスの結界によって守られており、カインは多大な世話になっていることをまずルエリアに告げ、深く感謝の意を示した。

「……我々は旅立たねばなりません」
「そうだな、時間は少ない」

カインは小さく頷き、シェリアを頼みますと深く頭を下げた。

「ほう。随分素直になったな」
「……自分達以外は信用ならぬと、頑なにそう考えていました。
だが、ここから先は厳しい戦いになることは明白。
大事な者は自分で守りたい、今もその気持ちに偽りはありません」

けれど、とカインは言葉を濁し、ルエリアはカインが再び口を開くのを待つ。

「……シェリアを一日でも長く……人の側に留まらせたい。
もう、人間でいるのは難しいのかもしれない。それでも……生きていて欲しい。
アイオラを倒し、魔王と停戦できたなら。どこか静かなところで暮らせるような場所を探します。
誰に認められずともいい。二人で密やかな式でも挙げます」
「そちらのほうが難儀そうだが」

それに対し、苦笑しながらカインは確かに、と同意したが、自身の懸念についてもルエリアへと伝える。

「そう……ルドウェル・イリスクラフトにはお気を付けください。
あの男は何度も執拗にシェリアへ策を巡らせていた。
フィーア王女の機転でシェリアは瀕死だと伝えられているはずですが、オレと共に行動しないと知れば、今回も何かを仕掛ける可能性があります」
「ふむ……もはやアルガレス的には、あの娘と縁が切れれば生死は厭わぬのだろう?
仮にイリスクラフトが寄越せとやってきたところで、余の客人を一介の魔術師がどうこう言ったところで関係ない。
知らぬ存ぜぬと追い返して構わんだろうさ」

それでどうにかなるような男ではないかもしれぬが、とも付け加え、ルエリアは玉座の背もたれに身を埋めた。

「ご武運を。カイン皇子」
「ありがとうございます。
ルエリア女王、王国の益々のご発展を」

そうしてカインは立ち上がり、玉座の間を後にする。



出立前にシェリアや仲間に最後の挨拶をしようと離宮へ向かって歩いていると、通路の先……柱と柱の間に黒い衣が翻るのを見た。

「……ん?」

思わず視線をそちらに向けて注視すると、女の姿がある。

目深のフードを被っている女の表情は見えないが――そこから見える長い黒髪は間違えようがない。

「アイオラ……!?」

身体に緊張が走り、知らず手は剣の柄に添えられる。

「……ふふ……」

射貫くような視線に気づいた女は振り返り、カインのほうを見つめながらうっすらと笑みを浮かべたではないか。

なぜこんな所にいるのか、なぜ誰も侵入者を気にも留めなかったのか。

なぜ、自分の前に姿を見せるのか。

疑問は尽きないが、あの女は確かにここに……いる。

カインの視線に小さく笑みを向け、ゆったりとした足取りで渡り廊下へと進んでいく。

その後ろ姿を暫し見つめてから、カインはその先にシェリアが滞在する離宮があることに気づき、まさか、と全身が粟立つような感覚を覚える。

「――待て!!」

鋭い怒号とともに駆け出すカインを、数人の兵士が見ていた。

しかし、その視線の先に気づいた者もない。

カインは駆け出したにも関わらず、どういうわけかあの女に追いつくことが出来ない。

「……なんだ?」

違和感を覚えたカインは、周囲の様子をいぶかしんで足を止める。

待て、と叫んでいるはずなのに。不審者がいるはずなのに。誰一人として声をかける者も、そこから動こうとする者もない。

これはもしや幻術の類いなのか――そう疑ったときのことだ。

周りの景色が、ぐらぐらと歪む。

「くっ……!?」

額に手をやり、軽い目眩を抑えようとしたカインは、低い地鳴りを感じた。

そして、自分も揺れていることに気づいて、これは地震だと認識する。

その直後どこかから爆発音が響き、にわかに城内は慌ただしくなった。

「一体何が……! あの女がやったのか!?」

まさか、シェリアを力ずくで奪おうとしにきた?

そう考えたカインは、懸命に走る。

シェリアが無事であればそれでいい。

再び爆発音が響く。だが、今度のは近い。

石造りの回廊は、細かい石を天井から散らした。どうやら階上で何か起こっているようだ。

女たちの悲鳴。兵士の怒号。

そこに構わず、カインはシェリアのいる部屋をまっすぐに目指した。



「――シェリア、いるか!?」

離宮に着いて、入り口の扉を叩こうとしたが、カインは謎の力に阻まれ、手を弾かれる。

魔法の類であろう、というのは理解したが、その解除の仕方を知らない。

「なんだ……? シェリア!! 返事を!」

まさか既に、アイオラはこの中に……? カインの心に恐怖と焦りが浮かんだ。

「カイン……?」

だが、その心配も杞憂だったようだ。シェリアの声が扉の向こうから聞こえる。

「シェリア……! ああ、そうだ。オレだ。
よかった……そこにいるんだな? 怪我は?」
「私は平気だよ……どうしたの? 何か凄い音が……」
「オレも何が起きたかは分からない。
だが、何か……事件が起きたのではないかと思ってまずはシェリアの様子を……」

そう言いながらも無事で良かったと告げたカインは、扉に額をつけて安堵の息を吐いた。

その時だった。


「――扉を開けてくれないか。顔を見て安心したい」

自分の声が、自分の『後ろから』聞こえた。


反射的にカインが振り向くと……先ほどどうしても追いつけなかった――あの女の姿があった。

「な……ッ!?」

絶句したカインを見下ろしながら、女の口元は歪む。

開けてくれと言ったのは、この女が自分に似せて発した声。

そんな芸当まで出来たとは――!

「早く――」
「黙れ!」

自身の声音を真似て開けてくれと催促するアイオラを睨みながら、カインは素早く剣を引き抜くと、容赦のない速さでそれを振るう。

その剣は確かに女の胴を切り裂いた。だが、斬った手応えがない。

そのままゆっくりと倒れ込む――はずの女は、胴を斬られても平気な顔でまだそこに立っている。

「扉を、早く開けてほしい」

そして扉を開けろと何度も繰り返す。

何かがおかしいと気づいたカインはもう一度、女の頭頂からまっすぐに剣を振り下ろしたが、その剣にはまるで手応えがない。

素振りのように何の感触もなく、女の身体を滑り抜ける。

よく見れば、女の姿は影絵のように黒と白の二色しかない。

からくりがどうであれ、間違いなく――何か良くない事が起きている。

この扉の中に入れさせるわけにはいかない。

しかし、がちゃりという錠の開く音が聞こえ、カインは肩越しに扉を見る。

ゆっくり押し開かれていく扉を見て、急いで背中ごとぶつかって押し戻す。

「カイン……?!」
「開けるな!!」
「えっ? でも、開け、って……」

困惑しているシェリアの声。

違うんだ、と言葉を重ねるカインの声に、また偽の声が重なる。

「ありがとう。入るぞ」
「やめろ! オレじゃない!!」
「な、なに? どうしたらいいの?」
「鍵を閉めなおせ!」
「待て。今入る」
「えぇ……?」

開けろ閉めろと言う声は、様子の見えぬシェリアには全てカインのものとして聞こえるだろう。実際困惑した声が上がっている。

アイオラのような姿のものは切り払う事が出来ない。

こうして扉を背にしても、この状態はいっこうに良くなりはしない。

どうしたものか。

そう逡巡するカインは、ふふ、と女が笑うのを見た。

「皇子様……もう貴方のお役目はそろそろ終わりよ」

白と黒の薄っぺらい女の影が、徐々に質量と色を持って現実味を帯びてくる。

「魔法を使うと、誰かに見つかりそうだから結界を解除してくれるのを待ってたのよ……襲撃と同時にして、こんなに簡単にいくとは思わなかったわ」

その唇から漏れる笑いは、不気味さを一層際立たせていた。

「……」

声を出そうにも、カインの喉は音を発さない。

それどころか、身動き一つとる事が出来ないのだ。

威圧感……とは違う。カインの心はこんなにも憎悪を覚えているのに、同じくらいに逆らえぬような何かが彼の心に満ち始めようとしていた。

女――今度こそアイオラである――が、掌をカインに向ける。

すると、カインの身体は大きく扉の前からはじき飛ばされた。

「さて、暫く誰も来ない。事は早く済ませましょう」


時を同じくして。ルエリアは玉座で、駆け込んできた兵士から状況の説明を受けている。

突然の爆発音。それも複数回だ。

「何事か!!」
「はっ、物見からの報告によりますと、突如西の方向より魔族の大群が現れ、上空より魔法によってリスピア城と城下へ攻撃を放ってきたとのこと!」
「アニスと空いている魔術師に、急ぎ街へ結界を張らせろ!」
「はい!!」

慌ただしい報告を受けながら、ルエリアは指示を出す。

「ユムナーグの到着は聞いたか?」
「まだ……門番より報告はございません!」
「遅いな……仕方がない、一大事だ。
各ギルドへも通達をかけろ! ガルデル、ギルドと騎士らへの指揮は任せる」
「承知致しました」
『ルエリア』

突然玉座の間に走り込んでくる羽猫を何人もの腕が追う。

それを巧みに躱しながら、ルァンはルエリアに話しかけてきたのだ。

「……よい、その羽猫は神の化身だ。控えよ」

ルエリアからそう指摘を受け、慌てて腕を引っ込める兵士。

左手を胸に当て、失礼致しましたと謝罪をする。

「にゃーん」

そんな彼らにルァンは一声鳴いて、ルエリアの前に座る。

『魔族は夜の方が活動しやすいはずだ。
こんな日暮れも待てぬ内から、姿が丸見えの奇襲……ましてや、大群で現れたとか。
おかしいと思わぬか? 空を覆うほどの大群を瞬時に転移する術式など展開できるはずもない』

巨大な陣を描くのは技術さえ有れば可能だ。むしろ、難しくはないといってもいい。

だが、尋常ではない魔力が対価に必要となる。有能な魔術師がいたとしても、それこそ、イリスクラフト級の魔術師でも10人は必要だろう。

その疑問に答える間もなく、ルエリアの前にまた一人女性が姿を見せる。

「陛下……!」
「おお、アニス。一体何事か」
「魔物がリスピア城を迂回しながら次々と街に上陸し、破壊活動を始めたとのことです」
「なに……? 城に攻撃を放っておきながら主な目標にしてはいないと……?」

思わぬ報告に、眉をひそめたルエリア。

だが、聞き間違えでもないらしい。

アニスは表情を引き締めたまま、こくりと頷いているのだ。

「城を囲む魔物は、まだ少数です。
魔術兵団でも迎撃できると思いますが……街へ流れ込む数が……っ!」

そこへ響く破砕音。

城じゅうを揺らすように鳴る音は、本当に少数でなせる事なのだろうか。

「悠長に話をしている暇がない。
全く、リスピアという国は本当に魔族との戦いばかりだ……そういえば、ヒューバートは」
「あの方なら離宮に。
とはいえ、カイン皇子のお仲間とうまくやっているかはわかりませんけれど……呼びましょうか?」
「いや、あれは離宮にいたままで良い。そのために置いてあるからな」

ルエリアは髪をかき上げ、ため息交じりに空を見上げた。

「……街の結界は展開できそうか?」
「……聖騎士四名と配下の兵が入り込んだ魔物の掃討に向かっております……けれど、数と戦闘場所の問題が。
市街の被害を考えると武具の力を解放できず、かなり手こずるかもしれません」
「そうか……だが、城も手薄にはさせられぬ。
ガルデルに出せる部隊を聞き、連携して防衛にあたらせろ」


前へ / Mainに戻る / 次へ



コメント 

チェックボタンだけでも送信できます~

萌えた! 面白かった! 好き!
更新楽しみにしてるよ