【ルフティガルド戦乱/51話】

思い出せないと聞いたシェリアは、驚いた顔のままカインを見つめていた。

そんな表情を見ながら、カインは胸の痛みを覚えた。自分がシェリアの立場なら、とても……強い衝撃だろう。

「覚えているのは……死にかけたオレにアイオラが接触したこと。
それははっきり覚えている。むしろ、一番古い記憶かもしれない。
オレとお前が出会った……幼い頃の記憶もない」
「……!」

シェリアが目に見えて狼狽したのを見て、カインはすまないと目を伏せた。

「オレが死の淵から目覚めたとき、父のことも、イリスクラフトの事も誰のことも分からなかった。
勿論、自分自身のことも……。
だから、強い衝撃で記憶喪失になったのだと思われたんだ。
国の一大事だ。顔見知りであろうと親しい仲であろうと、面会を許可することなど出来ない。
治療を許されていたイリスクラフトや医師は、自らの知っている範囲でだいたいのことを教えてくれた。
国のこと、ラーズのこと、シェリアのこと。
自分が誰か。
もしかするとその中には……多少の偽りや誇張もあるかもしれない。
いろいろ聞いても、暫くは実感もなく、素直に受け入れることが出来なかった」

自分は本当にカインという人間なのだろうか。

そう尋ねたこともあった。

すると、皆口々に『そう思うなら、お父上に光剣ウィアスを貸して頂くと良いでしょう』と言う。

「オレの父だという人は、黙ってウィアスを差し出した。
それを受け取ることができなかったら、自分は違うのだと証明されるに違いない。
そう思った。だが、オレはウィアスを――しっかりと握ることが出来た。
それがアルガレス王家の血を継ぐ者の証拠であると、そしてオレが自分の息子カインであると、父はそう言った。
自分の息子を見間違うはずもない。
その言葉は、その後オレが親になって初めて分かる重みでもあったが……当時は信じがたかった。
オレを知る人全て、誰かがオレをカインではないと……そう言って欲しかったような……そんな期待もあった」
「……それほど、空虚があなたを追い詰めてしまったの……?」
「記憶がないというのは、本当に怖いんだ。
何も分からない。
思い出せない。
だが、今までと同じように暮らさなければならなかった。
オレは『カイン』という人物を人づてに聞き、形成しようと思った。
貴族より民のことをよく考えていて変わり者だったと。でも、イリスクラフトの娘を大事にしていたのだと。
その通りに、オレは生きようと思った。
書物を漁り、町や村を視察に行き、民の心に添いたいと。
……そしてシェリアという少女にも、多く時間を割こうと思った」
「……」
「会いに来ることが増えた、とか少し無愛想になったと聞かされたとき……オレは内心焦った。
この少女の中で、オレはもっと違う人間に見えていたのかと……一番齟齬があってはならない存在に、そう見られたのか、気になった。
出会った日のことも思い出せないのに、お前達兄妹は過去のことを良く口にする。
だが……知らないと、覚えてないと口にすることは出来なかった。
そんなこともあったなと言うのが精一杯で、話を合わせるだけだった……」

カインの言葉に、シェリアは胸が締め付けられる思いだった。

「……なんとなく、覚えてないんじゃないかと思うことはあった。
私のピアス、これは……夜祭りでカインがくれたものだったんだよ。
自分の目の色に似たものは魔除けになるから、シェリアに渡せばきっと自分がいないとき守ってくれるって。
だから、私は自分の目に似た黄色の石をカインに渡したの。
カインは大事にするって、ペンダントに……」

思わずカインは自分の胸元に手を置く。

だが、そこに当然……石などない。

「違う、責めたんじゃないの。
ルァン様の祝福と石がカインの命を守ってくれた。私はそう思ってる。
……記憶がないって、正直に言ってくれてありがとう。
誰かに話すのも怖くて辛いことを……言わせてごめん」
「シェリア」
「……どう言っていいか、私も分からない。
カインの記憶が……戻ったらいいのか、戻らなくても良いのか……そう言われたら、困るかな……。
大事な思い出だったし、楽しかったこともある。
カインに意地悪を言われて、兄様の影に隠れてめそめそしたことも覚えてる。
だけど、カインにだってきっと……忘れたくなかったことだって、思い出したくないこともある……と思う。
昔の記憶が戻って、今の記憶を忘れちゃったら……そっちのほうが私は悲しい」
「……最初は、きっと強迫観念があったんだ。
こうじゃないといけないと。
事故後初めてラーズに会ったときも、シェリアに会ったときも、好意的に振る舞おうと思った。
勿論今は本心から接している。
確かに必死だったことは認める。皆が知っている『自分』であろうとしたかった。
だが……シェリアを愛したのは、偽りからじゃないんだ……誤解しないで欲しい。
今更信じろと言っても苦しいかもしれない。でも、そこだけは嘘じゃない」
「……うん」
「本当に……偽りじゃないんだ」

手を握って、祈るようにカインは自らの額にシェリアの手を導いた。

シェリアはカインを抱きしめると、信じるよと囁くように言う。

「……カインは、優しいんだね。
だから、誰かの落胆を見たくないから頑張ろうとした。
頑張ってきたのは、アルガレスの人みんな知ってる。
カインが来たら、村の人は出迎えて歓迎してくれたこともあったでしょう?
手紙だってよく来てるよね。カインはそれを楽しみにして、返事を書いてた。
リエルトが産まれたときも、あなたはずっと一緒にいてくれた。
私……あなたに出会えて良かったって思ってる。
記憶があってもなくても、カインはカインで、今一緒にいてくれる。
私やリエルトを大事にしてくれている。それだけで充分幸せだよ」

そうしてシェリアはカインの額に口づけて、はじめまして、と笑った。

「出会いが思い出せないなら、初めましてをもう一度しよう……?
私は、シェリア。イリスクラフト領、ルドウェル・イリスクラフトの娘です」
「……オレは、カイン・ラエルテ・アルガレス。
アルガレス帝国の皇子だが、政治事より遠乗りに出ている方が好きな、変わり者だ。
こんなオレでいいのなら――命が尽きるその日まで、共にいてほしい」
「はい。
魂が消えるその瞬間まで、たとえ距離は離れていても、心は常にあなたのお側に」

二人の他に、誰にも聞かれることはなく、誓うべき神もここにいない。

それでも、カインとシェリアは見つめ合う。

「……今だけは。
自分が何だとか、これからどうだとか、そういう事を全て忘れたい」
「……そう、だね……ほんの少しだけでいい。
私も全てを忘れて、あなたといたい」

互いの体と心が溶け合うことが出来るなら、良かったのに。

そうしたら離れることもなかったのにとシェリアが言うと、カインも頷く。

「オレもずっとこうしていられるなら、そう願う」

別れの前の、残された貴い時間。

互いに抱擁し合いながら、二人は目を閉じる。

その温もりを、愛おしみながら。



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