【ルフティガルド戦乱/46話】

「我が母であり、月の女神エリスよ。
どうか我が声に応じたまえ」

カイン達と別れてから、ルエリアはルァンと共に月の女神エリスを喚び出すため祭壇の前に佇み、祈りを捧げている。

ルエリアの横にはルァンがおり、祭壇に祀られた月長石をじっと眺めている。

ルエリアの祈りが届いたか、天窓から月光が石に降り注ぎ、その輝きは徐々に強くなる。

一層強い光が室内に溢れたと思った瞬間、光は収束し、ひとの姿を形成する。


「――ルエリア。こんばんは」

銀色の光を纏う女性は、うっすらと微笑みをたたえ、ルエリアに声をかけた。

が、その横に足を揃えて座っている羽猫を見て、まあ、とエリスは驚きの声を上げる。

「ルァン……あなたまでここに? 創造神より任を受け、下界にいるとは聞いていましたが」
『うむ。その任の途中ではあるのだが、少々こちらも厄介なことになっている。早速で悪いが話を聞いてくれぬか』

ルァンの声の固さに、深刻なことであると感じ取ったエリスは黙って頷いた。


『アイオラが、魔王カリヴンクルサスとやらと一緒になってこの世界の均衡を乱していることは知っていよう。
あの女は重罪人だが、今までは人の世のこととして、我ら神族は関与しないつもりだった。
だが、エルティアの抑止力が機能しなくなっていることに時の神が気づいた。
その原因を調べていくうちに――』
「貴方の守護であるアルガレスの王家と結びついてしまった。
アイオラは現皇帝アレス6世に、【亡国の呪い】をかけた……そこは知っています」

エリスも把握していると頷き、ルァンは大仰に頷く。

『アルガレスへの呪いは、息子を失った憎しみからだ。
だが……それで済んでいたのならまだ関与など考えなかった。
王家に関係がなかったはずの一人の娘に、アイオラ・アルガレス・出自した一族の忌まわしい因縁が複雑に絡みついてしまった。そこから再び、運命の差異が生じ始めた。娘から延びる糸は無数の分岐を見せ、撚ることもかなわぬ』
「……ルァン様。運命の差異、というが……その娘は、運命を変える力、あるいは抑止力を無効化するのか?」

話を静かに聞いていたルエリアは、思わず口を挟む。

話の腰を折られて怒ることもなく、ルァンは静かに首を振った。

『その娘にそんな力はない。
彼女とカインの間に出来た息子、リエルト……彼ともう一人、異世界よりやってきた青年が運命を変える力を持っている』
「皇子に息子がいるというのは聞いているが、まだ赤子だと聞いたが……?」
『正確には現在のリエルト皇子ではない。
解れた糸の一つ、即ち未来より転移してきたアルガレスの滅びを知るリエルト皇子。
レナードという偽名を使用しているのと『リエルト』といえばこんがらがるだろう。ややこしいので説明では『レナード』としておこう。
今日彼を顔見せしなかったのも、ルエリアの前に来ては我の祝福付きだというのも分かるし――それ以上のことを指摘されては困るからだよ』
「それは……隠すほどのことですか?」
『ヒューバートとやらに視られても困るのだ』
「……あいつも口は硬いのですが、真実を知るものは少ない方がいい。ということでしょうか」
「ルエリア」

それ以上は止めなさい、というようにエリスが口を開き、ルエリアも口を閉ざす。

『未来のリエルト皇子……レナードの他、異世界でこの世界の歴史を知った恭介という黒髪の青年がいる。
この恭介には抑止力の干渉を軽減する力があると睨んでいる。
運命を変えようとしたリエルト皇子と、周囲に及ぶ抑止力を和らげる恭介という青年。二人の力で、運命は大きく変化しているのだ。結果……本来の形が歪められ、降り注ぐはずの抑止力だったものは行き場を失い、蝕を引き起こそうとしている』
「蝕……!?」

エリスとルエリアはそう呟いて息を呑み、互いに顔を見合わせた。

「確かに、空に凶星の兆しがあるとアニスも言っていた。しかしルァン様、蝕は創造神が起こされるものだろう?
そして、人が変えられる範囲の因果など、世界を揺るがすほどには……」
『我もそう思っていた。だが、厄災の種子ともなり得るシェリア。
この世界を変える要因であるレナードに恭介……そして野心のために国を滅ぼし、世界を憎む魔女アイオラ。
創造神の生み出したものではない魔王カリヴンクルサス。当初は、この全てを封ずる覚悟だった』

そうして、ルァンは物憂げに小さく息を吐く。

本来の姿であれば、それは本当に憂鬱に見えたことだろうが……今は猫が軽く欠伸をしたようにしか見えない。

『カインと恋仲の娘、シェリアはリエルト皇子の母親だ。
彼女は先日クライヴェルグで【グラナトコープス】に汚染された。じきに魔族として変異が明らかになる。
だが、そんな娘をカリヴンクルサスは必要としているようだ。その謎が解けない。
そして――カインにも、不可解な点がある』
「……確かに、あの皇子には違和感があったな。魔王が必ず会談に応じてくれると信じていた様子だ。
ただの世間知らずであれば笑い話で北方(アルガレス)に帰すが、何か妙に引っかかる」

ルエリアも同意し、年若い皇子の事を思い返す。

「……ともかく、蝕が起こるというのは……」

ヒューバートにも読めぬ彼の思惑は何なのか。それがはたして善いことなのか、不吉なことなのか。

ルァンとルエリアが黙りこくってしまったため、エリスは頬に手を置いて『ともかく』と口にする。

「……蝕が起こるというのは……確実なのですね?」
『ああ。エリス、そなたに力を貸して欲しい。我の力とそなたの力で、蝕の訪れを遅らせることができよう』
「主神にはなんと……?」
『無論奏上する』

きっと許可をくださるだろう、と話すルァンに、エリスはゆっくりと頷いて目を閉じる。

「……久しぶりに【グラナトコープス】という呪いを聞きました……。
人間の手で創り、負の力が増幅された悲しい秘術。シェリアという娘はそれに汚染され、どの程度経つのですか?」
『……一月近く経つ。イリスクラフトの家柄だ。魔力の質も量も最上のはずだが、現在は【グラナトコープス】によって枯渇する程に吸収されている』
「まあ……」

エリスは悲しそうに呟き、首を横に振る。

「では、彼女の身体には既に大量の闇が……。無理に取り除こうとすれば覚醒を早め、死を呼ぶだけでしょう」
『うむ。負の感情を与えても同じ事だ。魔族化して、どれほどの能力があるのかは分からぬ。
だが、遅かれ早かれ……封ずるか、殺すしかあるまい』
「……本人は理解しているのですか?」
『口には出さないが、毎朝血液を採取されて怯えている。いつその血に青が混じるのか。完全に変化するのか。
人と距離を置きがちで、夜中はよく一人で泣いている』

本人が一番恐ろしいだろうと言いながら、ルァンはシェリアの様子を脳裏に思い浮かべた。

カインと共に居る時間も減らし、採血時に自分の血が赤いことに多少の安堵を感じつつ、個室で過ごすことが増えた。

食事の摂取量も少なくなってきている。

恐らく――身体が人間の食事をあまり受け付けなくなってきているのだろう。

それだけではなく、もしかするとシェリアの身体に新しい命が宿っている可能性も考えたが、触れてみてもその反応はなく【グラナトコープス】が蠢くざらついた反応が返ってくるだけだ。

精神に触れただけで不快に思う感覚なのだから、当の本人はよく持ちこたえているものだと感心する反面、哀れに思う。そう感じても命を絶ってやることは出来ない。

「我は、頃合を測って封じることを最良と判断し……もう一つ注意しなければならぬ存在があるのを分かっていながら、不憫だと……危険性が低いと感じて見逃していた。
だが、その存在は世界の歪みを受け、自ら枷を壊そうとしている。
もはや真に危険なのはシェリアではない――カインだ』

神であるとしても、情が全くないわけではない。自らが守護する一族……親友ラエルテの子孫に、悪い感情を抱いているはずがない。

その甘さが、大惨事を引き起こそうとしている――と指摘されればルァンも弁明できようがなかった。

二人は危険な存在だ。【どちらかを】殺す事は可能だが、【二人の】命を絶つ事は未来の影響を考えると出来ないことだ。

だが、もしもシェリアを【間引く】とすればカインが――……。

「……ルァン様。この国に、わたくしの力で留めましょう」

考えに没頭してしまっていたルァンに、エリスがそう提案するが、待って欲しいとルエリアが入り込んでくる。

「エリス……留めるとはどこに……?
余が国民とアルガレスに、厄を隠しておけというのか」

女王であるルエリアが反論したが、エリスはそうです、と厳かに頷く。

「わたくしが浄化の力を持っているとしても【グラナトコープス】が根深く巣くっているのならば取り除くことはできません。ですが、シェリアに回復遅延の術を施し、わたくしの側に置くのならば進行をかなり抑えることが可能です」
「そうかもしれんが、それは『いつまで』だ? 覚醒を遅らせるとしても……いつまでもそうしておけるわけではない。
どのみち、封じるか殺すかを選ばねばならないならば、我が国には……」
「……神がひとりの人間に情をかけてはならないというのは、過去にアイオラが起こした事件からわかります。
でも――わたくしも神でありながら人間を愛した身です。愛する者を失う辛さは知っています。
そして、彼女を即座に排除してしまうと、また何かが……運命が狂うのでしょう?」

先ほど考えていたことをエリスに悟られたように思えて、ルァンは勘が鋭いなと言いながら小さく唸る。

シェリアをどうにか救いたいという気持ちで、カイン達はここリスピアを訪れているのだ。

もう進行を留めることは出来ない。

だからせめて人としての時間を延ばしてやるだけ――その間に、カイン達がルフティガルドを目指す他ない。

きっとエリスの意見を汲むのが最善手であるだろう。

『アルガレスもシェリアのことは興味を失ったようだ。
だから、国家でのいざこざは問題なかろう。ただし、親のイリスクラフト当主が絡んでこなければ、だ』
「イリスクラフト……一介の魔術師が、国との混乱を招くと?」
『娘を自らの野心の道具として産ませる男だ。無論、そんなことはこの歴史上珍しくはない。
しかし、随分と周到な計画を練っていた。今回も事情が奴に知れたら、何か行動を起こすのではないかと思う』
「娘が魔族になると知ったら、それ以上何を望むのやら……ん? ふむ……」

悪態をついたルエリアだが、自らの言葉に何か思うことがあったのだろう。考えを巡らせ始めた。

「実際に会ったことはないが黒い噂を聞く当主だ。
簡単に考えても魔族の娘と皇子を使った選択肢は幾つも出るな。
エリス。これはかなり周到に匿わなければならないぞ。面倒なんて言葉ではないくらいに煩わしいことになる。
女王としても、一個人としても出来れば……嫌だ」
「……ルエリア。
あなたの言いたいことも理解できますが、放っておけば危険なのです。
愛する者が恐ろしい呪いで魔族に変貌し、それを殺さなければならない。
そして、肉親同士が争うのを見なければならない者もいるのです。結果、また運命が変わるかもしれません――もっと悪いものに」

渋面を作ったルエリアに、悲しそうな顔を向けたエリス。

『ルエリア。頼めるか』

ルァンまでもがそうして詰め寄ってくる。

月神と太陽神が自分の許可を求めているのだ。

この嘆願は実質の所拒否できるものではなく、ルエリアはただ肯定を吐き出すしかないのだが――それでも国王としての尊厳を慮ってくれたのだろう。

「…………エリスで留めておける期間はいかほどに」
「本人の状況を見なければ分かりません。
けれど、血の色に青が入っていないなら三月ほど伸ばせるでしょう」
「三月……だが、皇子達も預かるのか?」
『いや。カイン達はルフティガルドを目指させる。アイオラを倒して貰わねばならん』


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