その夜、カイン達を歓迎するための宴が催された。
招待などを前もって行なっていないため、ルエリアも限られた者のみで行うつもりだったようだが――どこからか商人や貴族が聞きつけ、是非参加したいと宰相に取り次ぐ者まで現れたのだ。
「……やれ、彼らも人脈作りに奔走するとは熱心なことですな」一通り対応した後、汗を拭きながら現れたトリスにルエリアは苦笑をもって出迎える。
「噂というのはすぐに伝わるものだな。そう言いつつルエリアはワイングラスを傾けた。
金になりそうなものには何でも食いつく精神には感心する。
貴族の会話に名が出るということは、注目されていることを示すのだからかなり重要だ。
しかし、今日これからの事を考慮すると彼らは邪魔でしかない。
ねぎらいもあってトリスへグラスに注いだ酒を勧めたが、折角ですがまだ仕事が残っているのでと断られた。
ルエリアは差し出したグラスを所在なさげに回しながら、やや離れたところよりカイン達の様子を眺める。
カインは白い上下に金の飾りを施し、白鞘の剣を帯剣していた。
温かみのある心地よい波動は、ルァンが作成した創造宝具、光剣ウィアスから流れてくるものだろう。
――あの皇子は、ルァンの祝福が薄いようだが……?半分神の血が流れているルエリアは、慧眼というべきか――通常の人間よりも目に見えぬ『何か』を感じる力が特に強い。カインの祝福が誰から受け継ぐものか、どんな宝具を所持しているのか、そして総合的な能力はどんなものか――感覚で推し量ることが出来る。
それは熟練の魔術師や剣士が、近くにいる人物の力量を見抜くものにも似ている。
カインの隣には銀髪の青年がおり、先ほどラーズ・イリスクラフトと名乗っていたのを思い出す。
この若き魔術師からは苦手そうな属性を感じず、旧くからの魔術一族イリスクラフトの名に恥じぬ、十分な能力を備えているようだ。
そして会場を見渡してみると、紺色の服を着た赤毛の男、レティシスと……珍しい黒髪の男性、恭介が食事に舌鼓を打っている。全員一応正装もあったのだなと感心したが、宴に呼ばれても衣装選びに慌てることがありませんわ、と先ほどフィーアが言っていた。
理由を聞けば、彼女の船はかなり大型で、長期の航海を可能にする優れたものらしい。
船室も倉庫や娯楽や厨房だけではなく、船員それぞれの居室を兼ね備え、船医・航海士はもとより仕立屋まで乗せているという。仲間それぞれに数着ずつ用意してあるというならば、一体どれほどの衣装を作らせていたのか、そちらにもルエリアは興味があった。
部屋の端では銀髪の娘とフィーアが並んで座っているのが見えた。
娘は確か、シェリアと名乗っていた――そう自分の記憶を巡り、ルエリアは再度彼女に目を留める。
シェリアの足下にはルァンが足を揃えて座り、シェリアに撫でられて目を細めているではないか。
愛玩動物のような生活を送っているというのはこの事だろうと理解し、ルエリアは思わず失笑した。
そのシェリアはフィーアと並んでいるからか、大人しそうな娘のように見受けられる。
だが、その身から感じる『良くない』ものが、ルエリアに強い危機を訴えてきた。
少々長く見つめすぎたか。
フィーアと視線がかち合い、にこりと微笑まれる。
隣のシェリアの肩を軽く叩き、ルエリアの方へ向かせたため、内心ルエリアはしまったと後悔する。
「本日は、こんなにも華やかな場に私どもまでお招き頂きまして……誠にありがとうございます」深い青色のドレスを纏ったシェリアは、フィーアに連れられてルエリアの前までやってくる。
裾を軽くつまみ、形式通りの礼を行ったところ、堅苦しいのは止すようルエリアに言われてしまう。
「礼儀は大事だが、そんなに緊張することはない。その一名……レナードは、自分の素性が発覚しては困ると言って辞退している。
今頃は船でイルメラ達と留守番をしていることだろう。
といっても、イルメラやミュリエルもリスピアの魔術ギルドに行っているかもしれないので、彼一人きりかもしれない。そのこともシェリアは気がかりだったが、それ以上に自分がここに来ていて良いのだろうか、という懸念が払拭できないままだった。
「そうか、長旅で疲れでも出たか。リスピアは気候も穏やかで養生にも向いている。ルエリアはじっとシェリアを見つめている。
その心の奥まで入り込んできそうな瞳を避けるように、シェリアは頭を垂れると、僅かばかりの挨拶を述べて元の場所へと戻っていく。
怪訝そうな顔でシェリアを見つめていたが、お気になさらずとフィーアが微笑む。
「――シェリア様は引っ込み思案なので、自分の仰りたいことを相手に伝えられないことがございます。あっさりとそう言ってのけるルエリアに、不服そうなフィーアが口を尖らせる。
「すまぬ、少々戯れすぎた。グラスで背後を指し示すと、フィーアは僅かに嫌そうな顔をしたが『誤解なさらないで、違いますのよ』と弁解する。
「ルエリア様とお話しできるのは大変嬉しいのです。くるりと背を向け、歩み出すものの心持ち足取りの重そうなフィーア。
ルエリアはそのままテラスに出ようとしたところをトリスに咎められたが、内密な話があるのだと伝えてテラスにその姿を見せた。
ルエリアが一言発すると闇の中から男の声がし、まだ若い男の姿が現れた。
姿を見せたというよりは、闇が人のかたちを作ったような――全体的に黒っぽい、無表情の男性だ。
鎧は着用しておらず、黒い外衣と帯剣のみという軽装。
襲撃に備えるというよりも、隠密性を重視した出で立ちのようだ。
「使い魔や斥候はありません。ヒューバートと呼ばれた青年は同意するでもなくルエリアを見つめていたが、足音が近づいてくるのを感じると再び闇に溶ける。
彼の姿が消え、一呼吸置いた程度のタイミングでカインとフィーアがやってきた。
「お呼びということでしたが……」すると、カインはちらと後方を振り返り、仲間達の様子を肩越しに確認してから再びルエリアに向き直る。
「……ここで話して良いことでしたら」ルエリアの思惑を感じ取ったか、カインの相貌が僅かに細まる。
「……伺いましょう」改めてカインに旅の目的を尋ねるルエリア。
カインは当初と変わらず停戦の申し出だと答えた。
「皇子はそう言われるが、アルガレス帝国が出している触れ込みは、魔王の【討伐】だ。そう言い放つとルエリアは鼻で笑い、グラスを傾けた。
白ワインがゆっくりとグラスの縁を滑り、ルエリアの唇に吸い込まれていく。
「確かに仰るとおりではありますが……」ルエリアの言いたいことも、自分で矛盾を抱えているのも分かっていた。
カイン自身、何度も考えたことだ。
「停戦に応じて欲しいなど、都合が良いことだとも分かっています。とつとつと語るカインの言葉を聞いていたルエリアは、ふと、眉を顰める。
「……必ず応じる、とは? 何を根拠にそのような」するとカイン、口を開いたが怪訝な顔で自身の口に手を置き、何かを考え込んでいる様子だった。
「……?」すると、フィーアはカイン様、と驚きの表情を向ける。
「まさか、あの方を交渉の材料に……」そう言ってカインは再び口を閉ざす。
だが、その表情には疑問のようなものが生じているため、フィーアはじっとカインの事を見つめる。
「カイン様……?」その様子に、嘘をついている様子はない。
フィーアの困惑顔をじっと見て、ルエリアはもう良い、と言葉を吐き出した。
「本日は流石に留め置きすぎた。皇子もお疲れなのだろう。そう言ってルエリアは宰相に向き直り、皇子達を頼むぞと命じ、もう結構であると話を切った。
カインとフィーアはルエリアに礼をし、広間の中へと入っていく。
暫くの後、ヒューバートは再び姿を見せた。
「……どうだった」彼の方を向こうともせず、ルエリアはグラスを傾け、僅かに残っていたワインを飲み干す。
「……判断しかねます」淡々と報告するヒューバートに、表情はない。
そこから察するに、この仕事を楽しいとも思っていないし、辛いとも思っていないようだ。
ルエリアは暫し黙していたが、分かったと了承の意を告げてご苦労だったと彼を解放する。
ヒューバートは一礼し、再び闇に溶けるようにして消えた。
もうそこにはもう誰もいない。
ヒューバートにも読めない思考がある人間など、自分以外で初めて聞いた。
それが良くも悪くも、渦中の皇子である。
だが、フィーアの思考は判るという。
ヒューバートの【眼】を妨げる条件が神々の祝福というわけではなさそうだ。
そして、皇子の『確信めいたものがあった気がする』という表現。
そこが要なのだろう。
「……どうしたものか」そう呟き、静かになった室内を見ると、数人のメイド達が後片付けに入っているところだった。
皇子達の姿は見えないことから、トリスが彼らを離宮へと案内したのだろう。
すると、ルエリアの側にトコトコと歩いてくる羽猫――ルァン。
『そろそろ頃合いだと思うのだが』その声に頷き、空を見上げたルエリア。
多少厚い雲がかかってしまっているものの、月の姿は隠れていない。
「では、参りましょう。よろしければ抱き上げましょうか?」意地の悪い顔をすると、ルァンは困ったように低く唸り、どう言ったものかと思案しているようだ。
『……まあ、そう解釈される他あるまい』すると、ルァンはそう言ってくれるな、と告げて、ルエリアの後ろを歩き始めた。
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