【ルフティガルド戦乱/44話】

リスピア王国は、想像していたよりも――自然に溢れた国だった。

豊かな森と清らかな川が国中にあり、他国では共存しないであろう種族が共に暮らしている、まさに理想郷の一つのような場所だ。

このリスピアという王国は、長い歴史があるにも関わらず一人の王が統治し続けた期間が短い。

というのも長い間魔族との抗争が続いていることもあり、王が指揮官となって戦場へ赴き、落命することも少なくはない歴史背景もある。

そのほか、人間以外にもエルフ、獣人、有翼族といった他種族が暮らしているため、種族間での諍いも多い。

異種族がひしめくリスピアにおいて、人間の手から王位を奪おうとする一族も出始め、リスピアは一時期災禍の中心でもあった。

その混乱期に悪しき黒竜が出現した際、英雄ハークレイと意思を同じくする7名の協力により黒竜は討伐され、リスピアは不安定ながらも他種族共存を掲げて歩み出した。

他種族を国民とした共栄。

ハークレイの統治の元、歴史的に類を見ない、新しく生まれ変わったリスピア王国。

だが、突如そのハークレイは行方不明となり、その娘ルエリア女王が治めて30年ほど経つ。

彼女には政治的手腕もあったのか、即位してから亜種族間――魔族は対象として含まないものとしてだが――での大きな諍いは起こっていない。

その結果も『表面上』ということであったとしても、皆穏やかに暮らしたいと願っていることは同じという気持ちの表れだろう。

城下町では様々な種族や言語が入り乱れ、城へと続く大通りは商店もひしめき合い、客を呼ぼうと行き交う人々へ声を張り、活気という喧噪を生み出している。

「凄い……ここが、リスピア……」

目深にフードをかぶり、シェリアは感嘆の声を上げてあちこちへと視線を移している。

カインはフィーアと共にルエリア女王への謁見のためリスピア城へ向かったため、ラーズ達は合流前まで街を散策することにしたのだ。

最初、出歩くことを渋っていたシェリアだったが、レティシスが気分転換はした方が良いからと必死に説得し、半ば無理に連れ出した。

が、暫く経つと、シェリアは興味を引かれるものに近寄っていくようになり、レティシスもラーズも苦笑交じりで着いていく。

店に所狭しと広げられた商品を冷やかしつつ、それなりに楽しんでいたシェリアだったが、やがて一つの露店で立ち止まる。

「……なにか、欲しいものでもあった?」

ラーズにそう告げられ、シェリアは顔を兄へと向ける。

笑いかけようとしたラーズだったが、シェリアの表情に陰りがあったのを見て取り、どうしたのかと尋ねた。

店に並べられた商品は、値の張らない魔鉱石やドライハーブ、香木など術師が好みそうな触媒を扱っているようで、危険そうな物も見当たらない。

シェリアが魔法を使用できないと悩んでいるから、気になったのかと思ったラーズだったが、シェリアは思いも寄らぬ事を口にする。

「……兄様、いつかアルガレスの夜祭りに三人で行ったのを覚えてる?」

問いかけられたラーズは瞬間、意外そうな顔をしたものの、柔らかい表情でもちろんだと頷いた。

「懐かしい事を思い出したんだね」
「夜に出かけたの初めてだったから、忘れるわけないよ。とっても楽しかったもの」

その頃を思い出したのかシェリアも僅かに微笑み、店主に声をかけてから一つの石――透明度も高く、質の良さそうな緑色の魔鉱石――を手に取った。

「私達はまだ子供だったから、当時の兵団長さんが護衛しながらだったけど……。
見るもの全てが煌びやかで、新しくて……カインと兄様が一緒で。まるで夢の世界にいるみたいだった」

思い出を重ねているのだろう。

どこか熱っぽく、だが寂しげに目を細めて石を見つめるシェリア。

あの日、カインはシェリアに蒼い石を手渡した。


『シェリア、この石を身につけていて』
『この石の色は俺の目の色と似てるから。
自分の目の色と似たものを贈るとお守りになるって聞いたんだ』

あの日手渡されたものは、一つ失ってしまったけれど今も変わらずシェリアの耳を飾っている。

カインはそれについて未だに何も言わないが、身につけていることは彼の望みでもあるはずだ。

だが。


『え……俺も貰って良いのか?ありがとう。
もちろんだ。きちんと身につけておくよ』

あの日手渡されたものと、自分が手渡したもの。

それは――今も彼の手元にあるのだろうか。

「……忘れないでほしい、っていうのは……自分勝手なお願いなのかもしれないね」
「シェリア?」

怪訝そうなラーズの声に応じず、シェリアは石を元に戻すと店を離れる。

『リスピア王国に立ち寄った頃から、あなたは記憶に障害があると悩んでいて……』

頭をよぎるのはリエルトの言葉。

昔のことが、と言いかけた彼をカインは黙らせたが、その先に続く言葉が気にかかる。

思い出せないのか、忘れてしまったのか、曖昧なのか。

どれであっても、カインは誰にも相談しそうにはない。

そう、シェリアにさえも。

そして、もしかすると――忘れているほうが幸せなのかもしれないとすら思えた。

クライヴェルグで見た母のように、いつか自分もああなってしまうのだろう。

限られた時間しかないのなら、今を大事にしたい。

後方を振り返ると、ラーズの側にリエルトがいて、その左にレティシス……の腕にイルメラが絡みついていて、ミュリエルがそれを叱っていた。

「……? あれ、キョウスケさん、いない……?」
「彼もフィーア様達と一緒です。一応あの人はフィーア様の側仕えですから」

最近はこうしてリエルトが素っ気なく話してくれることも多く、シェリアはそれも嬉しい。

「そうなんだ……。あ、リエルト、お腹空いてない? 何か食べたいものとかないかな?」
「お気遣いなく。何か欲しければ自分で買います」

すげなく断るリエルトに、レティシスはもの言いたげな視線を送るが、リエルトはその視線をも無視している。

レティシスとリエルトの二人は、シェリアから見ても仲が宜しそうにない。

カインとレティシスも仲良さそうではないが、それ以上にこの二人は険悪である。

「……レティシス、カインとリエルトが嫌いなの?」
「えっ!? ……いや、そういうわけじゃ……出来れば普通に接したいと思ってる、けどさ……」
「あんたにカンケーないでしょ……だいたい誰のせいで……痛っ」

困ったように言葉を濁すレティシスを見ていたイルメラは、キッとシェリアを睨み付けて文句を言うが、即座にミュリエルとレティシスからおでこを叩かれる。

「おチビにはもっと関係ないだろ」
「そうよ。言っとくけど部外者だよわたしたち。あんた図々しすぎるのよ」
「だって……あの人ちょっと分からなさすぎじゃ……痛った……!」

不満を口にするイルメラに、もう一度ミュリエルのおでこ叩きが入った。

ぱちんという小気味よい音が喧噪に消え、口を尖らせるイルメラにへ言い聞かせるように、ミュリエルはいい、と強い語調を発する。

「ここにわたしたちがいるのは、監視任務ってだけ。
命の危険があったら彼らを置いて逃げるし、彼らだってわたし達を守る義務はない。
そういう決まりなの忘れてないわよね」
「忘れてなんか……ない」
「あと。彼らと……特にあんたは、レティシスさんと距離を詰めないこと」
「……」
「返事ィ」
「……努力、するってば」


その頃、カインとフィーアは女王ルエリアと謁見中であった。

英雄ハークレイがリスピアの王となったのはかれこれ百年ほど昔。

その娘……女王は高齢で、もしくは宰相に政治を任せているとばかりカインは思っていたのだ。

だが、いざ面会してみると……女王は非常に若々しく、内心カインは驚愕していた。

実際の年齢は不明であるにせよ、外見だけで判断するならば恐らく三十代程度の若さで、妖艶な美しさを持っている。

「――お初にお目にかかります、ルエリア女王」

カインはそう声をかけ、フィーアはお久しゅうございますと再会を喜ぶ。

「アルガレス帝国のカイン皇子、ブレゼシュタット王国のフィーア王女。
遠路はるばるようこそ我が城へ。歓迎しよう」

柔らかな声質の中にも威厳を感じ、自然と二人は頭を垂れる。

「そう畏まらずともよい、楽に」

くつくつと笑うルエリア女王は、目を細め楽しげに二人……と、なぜかちょこんと彼らと共に佇む羽猫に目を留め、僅かに目を見開く。

「……なんと、あなたは……」
「にゃー」

羽猫は短く鳴き、ルエリアは扇を口元に寄せて軽く咳払いをする。

僅かな間、黙りこくったルエリアにカインらはおろか、側に控えていた宰相や騎士総長も主君の顔色をうかがった。

「なんでもない……ときに、カイン皇子。
そなたの噂はここリスピアにも入ってきている。魔王討伐に出たとか」
「……それについては、少々尾ひれの付いた噂として出回っております。
わたしは魔王の討伐ではなく、魔族と人間の停戦を魔王に望んでいるのです」
「……ほう」
「魔王と停戦を結ぶ。そんなことは夢物語であると笑うものもおりましょう。
自分自身困難を極めることは誰よりも理解しております。だが、それでも……国を、民を救いたい」

カインの言葉に耳を傾けていたルエリアは、ほんの一瞬不快そうに眉根を寄せたものの、すぐにその表情を消し、そうか、と相槌を打つ。

「ときに、こちらをいつ離れるのか?」
「それについては、その……船員達も長旅の疲れもありますし、他の問題もあり、二週間ほど滞在許可をいただければと思います」
「ふむ。港の方へ使いを出させよう。本日は歓迎の宴も催すつもりだ。同席してくれるか?」
「ありがたい申し出に感謝致します」

二人は再び頭を下げると、ルエリアはカインをじっと見つめる。

「……?」
「ふむ……余が応じていたら、皇子くらいの息子が居た可能性も……と思った次第だ。
少々感慨深いな。まぁ、実現は不可能だったかもしれんが」
「……父は申しませんが、風の噂でルエリア女王に求婚されたと聞いたことがあります。
このように聡明で美しい方ならば、父が求婚したのも頷けます」
「ふ、世辞は下手だな、皇子」

ルエリアは首を横に小さく振ってから、左隣の初老の男性へ耳打ちする。

「カイン皇子、フィーア王女。
少々別室を用意させて貰った。トリスに案内させる故、先に行っていて貰えぬか」
「は……」

トリス――モノクルをかけた男性は、二人に恭しく礼をすると、こちらですと案内をする。

カインとフィーアが後に続くのだが、羽猫はその場を動かない。

「あ……」

それに気づいたフィーアが、羽猫を呼ぼうとするが、なぜかルエリアが大丈夫だとそれを制する。

「構わぬ。後に合流されるだろう」

妙な言い回しのルエリアに、フィーアはまさかと疑念を抱いたが、まず羽猫に危険は及ばないだろう。

二人が出ていった後、ルエリアは人払いを行う。

この謁見の間に、ルエリアと羽猫のみが取り残された。


おもむろに玉座から立ち上がるルエリア。

長いドレスをふわりと揺らしながら壇上から降り、羽猫の前にひざまずく。


「――お久しぶりです、太陽神ルァン様」
『……あの小さかった娘が随分大きくなったものだな。数十年ぶりか』
「ええ。母エリスより地上に降臨されたとお噂は聞いておりましたが、まさか……フ、随分と愛くるしいお姿でいらっしゃる」

思わず笑ったルエリアに、ルァンは小さく喉を鳴らすようにして自身も笑う。

『小動物の姿でいた方が、今回は便利なのでな。
対象に気配を気取られる事は困るし、何より力の消耗も最小限で済む』

すると、ルエリアはやはり、と口にする。

「普段下界に降り立たぬあなたがやってくるということは、この地に重大な事が起こる前触れ。
なぜラエルテの末裔と共に行動を?」
『……複雑な話だ。それについては、エリスと三人で話を進めたい。
して、ルエリア。エリスはいつ呼べる』
「本来は満月の夜に喚ぶと応じて降臨します。
急を要するのであればご一緒に召喚の儀に立ち会ってくだされば、あなたの気配を感じ、母もやってくるでしょう」
『それならば本日喚んでくれ。
エリスの力を借りなければならぬ程度に、危機が迫っている』
「分かりました。今夜そのように取りはからいます」

そう言いながらも、ルエリアは疑念を感じていた。

聞きたいことは山のようにある。

特に、カイン。

「……ルァン様。彼らに聞いてはならぬ事などありますか」
『カイン自身の事を問うのは控えて貰おう』
「差し支えなければ、理由をお伺いしたい」
『……彼は今、自身のことについて精神的に不安定だ。
ルエリアは遠慮がないものだから、今回は配慮を貰おう』
「皇子は繊細なのですか。
ふん、あの父もそうであったが、アルガレスの王族は打たれ弱そうだな」
『アレス6世がお前を娶りたいと言った話のことか? あれは、どう考えても無理なものだったろう。
腕にさほど覚えもない男が、この国歴代最強と謳われた神格騎士を打ち負かせるわけがない』
「それでも多少抗ってくれるかと思いきや、戦う前に辞退したでしょう」
『致し方ないというものだ。して、ユムナーグは健在か』
「あれはもう、森へ戻りました。現在は神格騎士などおりません」
『森に……エルフの村に何かあったか?』
「魔族が大群を結成し、エルフの里を襲いました。
元々エルフは好戦的ではありませんので、抗うには力が足りなかったそうです。
ユムナーグが駆けつけたときには、里は酷い有様で、女達はほぼ攫われたのだとか。
男は惨殺されていたそうです」
『……霊樹の力で隠されていたエルフの里の場所が、魔族に知られたということが驚きだ』
「ともかく……この20年、様々なことがありました。現在もまた、この国は面倒ばかりです」

自嘲するように息を吐くルエリア。

労るように前足を伸ばしたルァンに、ルエリアはやんわりとその手を握る。

「フフ……まったく愛くるしい。このままでは愛玩動物が欲しくなります」
『そうか。まあ、我も現在そのようなものだよ』


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