【ルフティガルド戦乱/43話】

カインは甲板の手すりに軽く身を預け、髪が風に悪戯されるのを厭わぬまま海を見つめている。

クライヴェルグを出航して、既に三日。航行は順調で、あと十日もあれば目的地に着くだろう、と船長が言っていた。

彼の地では厭わしい様々なことが起こったというのに、今この視界に広がるのは果てなく続く青い水平線。

陽光を受けてまばゆいほどに煌めく水面を見つめていると、それらは全て遠い幻想であったかのようにすら思えてくる。

無論、それは幻想ではなく紛れもない真実だ。だが、イリスクラフトとベルクラフトの間だけではなく、アルガレス王家にとってもクライヴェルグでは何一つとして喜ばしい収穫がなかった――と言ってもいい。


カイン達がデルフィノを引き渡したその日の夜、魔術ギルド内で事件が起こった。

デルフィノは魔術師用の文様が施された手枷――魔法を封じる効果がある――をされ、地下にある個室に拘束されていた。

次男セルージョも同様に別の部屋へ移し、翌日から長い尋問を予定されており、ベルクラフトのおぞましい研究の事実が明るみになるだろうと期待されていたはずなのに。

収監後二時間と経たぬうちに、デルフィノの部屋から突如叫び声が聞こえたらしい。

何事かと駆けつけてみると、胸に短剣を突き刺されて絶命しているデルフィノの姿があり、次いでセルージョの部屋に向かった者からは、苦悶の表情に満ちたセルージョが氷漬けの状態で発見されたという。

一つは武器による殺人、そしてもう一つは魔法。

誰にも気取られぬ急所を狙った刺殺と短時間詠唱が可能である事……その二点と、この一族と強い因縁があるカインとラーズが容疑に上がる。

そのため船の乗員全てを含め、数日に及ぶ取り調べが行われることとなったわけだ。

デルフィノの死因は刺殺によるものと思われたが……僅かに刃先が急所からずれていること・自分の装備品と切っ先が違うことを指摘され、新たに検分が行われた結果、死因は刺されたものではなく刃に塗られた猛毒によるものだと判明した。

かたやセルージョの死因は紛れもなく魔術による凍死であり、否応なくラーズが疑われた。

カインはギルドにベルクラフトを引き渡した後、船から港内に出たことはあったが街やギルドには立ち入っていないこと、ラーズも魔術を使えば必ずギルドに関知されることを何度も説明した。

結果、港湾関係者やギルド員などによる証言から、事件が起こった時間帯はその二人を含め、仲間達の誰一人として港湾外に出ている者はなかったという確証が得られ――関与は否定された。


そして結局、真実は語られぬまま闇に葬られてしまった。

事件の中心であろうシェリアはといえば、勿論何もない等ということはない。

取り調べを受けた後、彼女は【グラナトコープス】を投与された者として、数日に渡って身体検査を受けた。

彼女の身体は魔術師であっても魔力を蓄えられず、魔力を回復させる道具を使っても瞬時に吸収してしまうが、魔力の枯渇は変わらない。

嫌がる彼女から血液を採取し、同じように魔力を与えてみても変化はない。

魔術師は身体全てに魔力を行き渡らせる……つまり、血液にも魔力が含まれるのが確認できるはずなのだが、シェリアの血中魔力濃度は一般の人間よりも低い。

その体内で吸収を阻害している『何か』があるとしか思えなかった。

ギルド側はシェリアを保護――という名目の実験観察――を申し出たが、あの事件の後だ。カインとフィーアから激しい抗議に遭い、それは断念せざるを得なかったのである。

シェリアを取り戻して胸をなで下ろす暇はなく、カイン達は魔術ギルドよりの使者……なんとイルメラとミュリエルの口から、行動を監視する命を受けたと伝えられた。

『殺人を犯さなかったとしても、あなたたちが今回の諍いに何らかの影響を及ぼしたのは事実です。
そして、特にイリスクラフトは完全に疑いが晴れたわけではない。
あろうことか魔術ギルド内で、誰にも知られずに魔術を使った殺人が起きた……なんてことはギルドが存在している意味の根底を揺るがすことにもなりかねず、公表なんてとてもできません。
発動を感知させないという恐るべき技量……それはイリスクラフト一族……いえ、少なくともそれに準ずる、あるいはそれ以上の魔術師が関わっていると我々は見なしました。
それに、イルメラが持って帰ってきた【グラナトコープス】も、調査が出来るほどの量ではない。
用途や謎の女魔術師の存在。そして、何より……【グラナトコープス】を投与されたシェリア・イリスクラフトの経過は無視できません』
『……何かをしようというのか?』

カインの言葉に、ミュリエルはそうです、と隠すことなく頷いた。

『調査と監視。ギルドはその両方を執行させて頂くことに決定しました』
『拒否はできるか?』
『き、拒否をするならギルドに拘留されるでしょう……不利になると思いますよ』

カインの強い眼光に気圧されつつも、ミュリエルはイルメラの肩を抱きつつカインと視線を合わせ続ける。

だが、カインは一度頷いただけで了承し、フィーアに説明をするので付いてくるよう二人に伝えるだけだった。



そういう経緯もあって、イルメラとミュリエルはこの船でカイン達の動向を報告し、シェリアの観察と検査を――行っているはず、だったのだが……。

「レティシス様ぁ〜? お腹空いてません?」
「別に……っていうかさ、ベタベタ引っ付いてくるなよ、おチビ」
「や~ん、イルメラでいいですぅ~~~」
「ちょっとイルメラっ、やめなさいよ……みっともない!」

レティシスの腕に自身の手を回し、抱きつくような格好で甘えた声を出すイルメラ。

それを引き剥がそうとするミュリエル。だが、イルメラは邪魔されるまいとレティシスへ取り縋る。

「やめてよー! ミュリエル、あたしとレティシス様の間を邪魔しないでっ! 二人は強い絆で結ばれてるの!」
「何言ってんだ、結んだ覚えなんかこれっぽっちもないぞ! ていうか服破れるから、離せッ……!」
「照れなくてもいいのにぃ!
あの日、あたしに『俺の側を離れるなよ……』って囁いた事忘れてないから!」
「あれはそういう意味じゃない!」

後方でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てた三人に、カインは煩いと言いたげに眉を顰め、ひと睨みする。

が、彼らはカインの事を気にせず騒ぎ続けていた。


「なんというか……数日でこの光景も見慣れてきたよ」
「そうだね」

船室から苦笑交じりにそれらを眺めているのは、恭介とリエルト。

「まさか彼女たちが同行するなんて思わなかった」
「いろいろとあちらにも捨て置けぬ理由があったからじゃない?
またカイン皇子が怒り始めるかと思ったけど……拘留されては困るから受け入れる他なかったし」

そう説明しつつもイルメラとミュリエルを見つめるリエルトの顔は半ば呆れている。

「あの二人は監視って事だけど、何かあればギルドに報告……するんだよね。
レティシスさんの側にばっかり居るけど、肝心の観察は良いんだろうか」
「そのほうが僕らにとっては都合は良いでしょう? あの人を引き渡すなら……カイン皇子は旅を続けていたかどうか」

恭介の投げかけた言葉をぞんざいに返すリエルト。それを聞いて、恭介は嬉しそうな笑みを向ける。

「なに」
「君、実はシェリアさんのこと気にしてくれてるよね」
「……何言ってるんですか? 僕はカイン皇子の心配をしているだけです」

ぷんとむくれるリエルトの顔を見つめながら、恭介はシェリアがリエルトに話しかける姿を思う。

会話自体は本当に他愛ない……季節がどうだの、今日の食事は美味しかったかとか、そんなことばかり。

それに対して彼は一言二言素っ気なく応じると、シェリアは朗らかな笑みを見せる、ほんの些細な触れあい。

以前のように彼女の事を拒絶はしないだけ、彼も成長したのだろうと恭介は思っている。

それが勘違いだったとしても、あんなにもシェリアは嬉しそうなのだ。

「あ。そういえば、シェリアさんは?」
「知りませんよ。なんで僕にいちいち振るんです? 伯父と一緒に魔術式を考えてるんじゃないですか?」
――充分知ってるよ。

そう言いかけて、恭介はリエルトの答えに疑問を抱いた。

「……魔術式?」

言葉自体は聞いたことがあるが、それが何かというのは門外漢である恭介には分からない。

リエルトに訊いてみると、本人にとって効率的な魔法の発動術のことらしい。

「僕らは精霊の力を借りて術を行使するのですが、精霊に『自分が今から魔法を使うので、自分が持っている魔力と引き替えに力を貸して欲しい』ということを知らせるわけです。
どの精霊に呼びかけ、どの程度力を出すか、などを全て組み込んだ契約書のようなものです。
自分の名前を術式に当てはめたり、学んだ魔術師系統を告げたりと様々な発動がありますが、できる限り短い方がいい。
そこを二人で考えているのだと思います」

流石に、一流の師によって魔術の経験があるリエルトはさらっと答え、恭介は感心のあまり『へぇー』と声を漏らす。

「ですが、あの人は今自身の魔力を媒介に使えない。だから、どうするのかは興味がある」
「一緒に手伝えばいいじゃないか」
「絶対に嫌だよ。身体が不安定なんだから、魔法陣を身体に刻印することも出来ないし、結局術符になるだろう。
短縮式は伯父さんに教えて貰ったのが数個しか分からないから、僕のじゃ長くなる」

だけど、未来の方が技術は進んでいるだろうしあれを応用すればこの式は変わるかも、などと独り言のように呟くリエルト。

――そこまで考えているのは、手伝うことを考えてるからじゃないの?

そう口にしてしまえば、リエルトはへそを曲げて恭介と話してくれなくなるかもしれない。

それは寂しいことでもあるので、恭介は別の話題に触れることにした。

「……『本来の』リエルト皇子も無事のようだった。ラーズさんの奥様のところに居るんだってね」
「この間話したでしょう。確か僕の時代でもそうだったと……同じである確証もなかったけれど」

そうして難しい顔をするリエルトは、御爺様と父があんな話し合いをするなら聞きたくなかったし、あの人の耳に入れなくて良かっただろう、と寂しげに漏らす。


カインがフィーアの水晶を借り、アルガレス帝国のアレス6世に通信を行ったとき、皇帝は何事もなく元気そうで、ホッとしたのだが。

皇帝はカインとフィーアが共に居ることを喜び、カイン達の活躍を労っていた。

ベルクラフトが殺害されたことは知らないらしい。

ギルドが漏らすわけはないのだから、普通はそれが当然であるにせよ、カイン達は足止めされていたのだ。

だからこそ耳に入っていると思っていたから、違和感を覚えずには居られなかった。

シェリアをベルクラフトに引き渡したかどうかを尋ねられると、フィーアは『彼女は諍いに巻き込まれ、重傷を負いました』と答え、皇帝は予想し得なかった答えに驚いたようだった。

『イリスクラフトの娘は、して、どうなった……!』

思わず身を乗り出した皇帝の眼を、フィーアはじっと見つめる。

『……危険な状態です。できれば、他国の医者に頼りたいのですが』

そう辛そうに話すフィーアに、皇帝は低く唸る。

『フィーア王女……ッ』

シェリアは生きている。何を言うのか――と反論しかけたカイン。フィーアは黙っていろという意味を込め、座卓の下でカインの足を踏みつけた。

暫し遅れてカイン達の元へやってきた恭介とリエルトは、その瞬間、ついにフィーアが他国の男の足を粉砕したのだと思って軽い目眩を覚えたほどだ。

『クライヴェルグを離れて、一番近い国は……リスピアになるのだったか……かの地は医療も進んでいるかは分からぬ。止せ』
『いつも……いつもそうだ。何をどうすれば父上の気は済むのです!
見殺しにしろと仰るつもりですか。シェリアがアルガレス王家に命を奪われて良いと?!
彼女はリエルトの母であり……オレの愛した女性なのです!』

カインは声を荒げて皇帝に詰め寄ったが、水晶の向こうで険しい表情をした父の姿が見える。

『愛している? なんということを……カイン、お前は【亡国の呪い】を発動させるつもりか!!
良いか、お前にはもうフィーア王女が』
『王女もオレも、いつかは国の意向に沿うしかあるまい。だが、【亡国の呪い】は解けないでしょう。
父上、あなたもそれによって愛する人を失ったのならオレの気持ちが分かるはずだ……オレは、シェリアを失いたくない』

真摯に気持ちを告げるカインに、皇帝はだからこそだ共に居られぬと冷酷に告げる。

『愛する者を失うか、国が滅ぶか。それが【呪い】だ。
お前は愛する者を失いたくないという。それはイリスクラフトの娘を得る代わりに、国が滅びることを選ぼうとしているのと同義だ。
この国の幾千という命、歴史、全てを無に帰そうとしている。そんな勝手が許されると思っているのか』
『では、シェリアを国の存続のために犠牲にしろというのですか? 彼女はあの国の贄ではない!』
『――贄で良いのです、皇子』

皇帝のそれではない冷たい声音が水晶から届き、カインはグッと表情を引き締める。

皇帝に許可を得たのか、痩せぎすの男……ルドウェル・イリスクラフトが姿を見せる。

『【亡国の呪い】……お話はラーズが産まれる以前から伺っておりました。
そして、あの日……幼い皇子がベルクラフトにシェリアを渡さないで欲しいと仰ったとき。
その【呪い】が娘に降りかかるならば良し、と思ったのです』

それを聞いたカインは、愕然とした表情をし……拳を強く握りしめ、水晶の向こう側へ激しい怒りを乗せた目を向ける。

『王家のため? 違う。貴様は……ランシールやシェリアを、ただの道具としてしか見ていない!
父上。この男の心根は人間(ひと)のそれではない……! そんな男をいつまで側に置かれるつもりか!!』
『カイン、いい加減にせんか!! お前の方こそ、王族でありながら必要な取捨選択が出来ぬ愚か者だ。
国を治めるというのは、時として非情にならなくてはいかん……全てを救えると思うな。お前は神ではないのだぞ』

諦めろ。棄てろ――そう一国の帝が言うのは簡単なことなのだろう。恭介は悲しげに眉を寄せ、成り行きを見守る。

歴史というのは、綺麗なものばかりではないだろう。血生臭く、陰湿で、理不尽な行為も行われてきたのだろう。

人の屍の上に成り立つ王座もあっただろう。こうして、その土台が築かれるかもしれぬ瞬間に立ち会っている。

『利用価値がある者を……死なせるには惜しいと思うのです』

冷えた声音でフィーアは告げる。いつも優美な笑みを浮かべていたはずの彼女の顔が、今はまるで陶磁人形のように無表情だった。

『彼女は何故か高位の魔族に狙われているのです。
魔族が彼女を欲する理由や、入手後の行動を知る必要があります……ここで見殺しにするのも可能ですが、切り札になるのなら死なせてはならない。
それに、生きていても死んでいても……皇子が彼女と結ばれることが叶わぬなら、ブレゼシュタットとアルガレスの関係に亀裂は入りません』

そうではありませんか? とルドウェルに投げかけるフィーア。

ラーズとシェリアの父であるこの男には、二人のような優しさと温かみを感じられない。つくづく父に似なくて良かったとすら思う。

『フィーア王女。あなたが皇子を愛してくださるなら、シェリアの存在は疎ましいのでは』
『……わたくしはブレゼシュタットの王女です。いずれ棄てると分かっている貴族の娘に妬くような、程度の低い女ではございません』

フィーアはカインに視線を向けながら、そう答えるとアレス皇帝は大仰に頷いた。

『フィーア王女……こんな愚息に理解を示してくださっている事をありがたく思う。
イリスクラフトの娘はあなたにお任せしよう』
『ご理解いただき、恐悦至極に存じます……』

にこやかに微笑むフィーア。そして、そういえばと再びルドウェルを見つめた。

『ルドウェル様。この間我が国においでになりましたが……まだ国家証はお持ちですの?』
『ええ。火急の用向きの際はわたしが出向きます故、お預かりしております』
『あの時は何もおもてなしも出来ませんで……失礼を致しました。
再びブレゼシュタットへいらっしゃるならば、その時は大きな宴を致しましょう』
『王女のご厚意、誠に感謝致します』

我が父にもそのように申しておきます、とフィーアはその場でブレゼシュタット王家式の礼を行い、別れの挨拶をすると通信を終えた。



「フィーア王女の機転もあったけど、アルガレスははっきりと立ち位置を示したね」
「そうですね。結局、あの人はアルガレスの歴史から消される人なんだ」

そして母の名も顔も知らぬ、リエルトという皇子が出来上がる――そう考えて、彼は思い出に引き込まれそうになった自分に気づく。

「……今のリエルト皇子が成長したら、母のことを疑問に思わなくなるだけでしょう」

その身体に膨大な魔力と【呪い】を受け継いで、将来どんな人間になるのだろうか。

アレス皇帝のように全てを割り切れるのか、カインのように全てを否定したくなるのか。

「……今の僕に出来ないことを、リエルト皇子は出来るようになるのかな」
「ないよ」

即答する恭介に、リエルトはなぜそう言い切れるのかと言いたげな顔で彼の言葉を待つ。

「君の心根は、シェリアさんと同じく優しい人。むしろお人好しだ。
戦えなかったくせに、傷ついたレティシスさんを放っておくことは出来なかったんだからね。
もし、シェリアさんをこれから先知る人が居なくなっても。
カイン皇子やラーズさんにとっては、君は愛しい面影を感じられる唯一の人だ。だから、きっと大事にするよ。
そんな人たちに囲まれて育っているんだったら、君は絶対冷酷にはならない」

僕の勘は当たるよ、とにこやかに笑う恭介に、リエルトは泣きたいような気持ちになって口を噤むとそっぽを向く。

「泣き虫なところも受け継いだんだね」
「うるさいな……泣いてないよ。そういえば、日記のことだけど」

恭介の気になるカインの手記の話を振ると、彼の目は期待に輝いた。

「どうだった?」
「……記述は変わらない」
「なんだって?」

意外そうな声を上げる恭介の黒い瞳を見つめながら、リエルトは視線を逸らさずにもう一度同じ言葉を告げる。

「父の日記は、あの人を失った日も……リスピアに着いてからの問題も、記述は全て変わらない。
出航の日数は現在とズレている。ただそれは『今』が変わってるだけで記述は当時のまま。文章も日付も増減はない。
どういうことなのか僕にも分からないけれど、一度書いた物は変わらないのでは?」
「そんなことが……? じゃあ、なぜぼくの本は燃えてしまったんだ?」
『恭介のは歴史の本だからさ』

直接頭に響いてくる声。二人の視線は迷うことなくこちらにゆっくり歩いてくる羽猫で止まった。

羽猫は笑うように眼を細めてから、くるくると喉を軽く鳴らす。

『リエルトが持つ手記は、いわば一個人の主観のみ。ただの日記や詩と同じだと思えば良い。世界の流れには何も影響しない。
だが、恭介。君の本はこの世界の流れだ。この国の誰それがこの国に立ち寄り、何かを起こした。そしてルフティガルドで何かをした。
その結果がどういうわけか反映されていたのだよ。本が燃えたのは……綴りきれぬ大きな変異が来るからだ』
「大きな……変異」
『運命を変える――、言うのは簡単だが誰にでも出来ることではない。
特殊な力を持つ者がいなければ変わらないのだよ。
君たち二人には、それがあった。だが、カインやシェリアにはないものだ。
例えこの間、クライヴェルグでカインがシェリアの居場所を突き止めたとしても――彼らだけでは救出することは出来なかったに違いないのだ』

一呼吸置いてから、ルァンは更に言葉を重ねる。

『……シェリアがこうしてカインの側に存在しているという結果……それは運命が変わったから起こったことだ。
本来の運命から物事が変化すればするほど、それは何らかの形となって跳ね返ってくる。
今回シェリアがああなったのも、その反動だろう。そして、残念なことに歪みはそこに留まらぬほど大きくなってきている』
「どういう……?」
『星回りが変わってきている。恭介、お前は星が読めるだろう? 気づいたことはないのか』
「星読みは観察し続けないと変化がわかりにくいんですけど……ちょっと南の空に、流れ星が多いですね」
『観察不足だ。青白いイタチ星が黒ずんできているだろう……あれは不吉な蝕が来る前触れだ』
「しょく……?」
『月と太陽が重なる。その間、世界は魔の力が強まり、人間達の活力は減少していくが魔族は活性化してしまう。
本来、蝕は創造神が人間への縛めとして行うことだが――創造神は此度そのようなことをお考えではない。
そもそも、蝕自体この世界が形成されてから片手で足りる程度にしか起こっていない。
創造神が起こさぬ事象が起こる……それはこの世界に多大な混乱と悲しみを引き起こすだろう』

リエルトも恭介も言葉を失い、ルァンは二人の反応を確かめるようにじっと見つめている。

『運命は幾重にも原因と結果が組み合って出来ている。一つの綻びでさえも、それが要であれば形にならなくなる。
我々も、シェリアは危険な存在だと思っていた。
封じることを最善と判断し……もう一つ注意しなければならぬ存在があるのを分かっていながら、危険性が低いため見逃していた。
もはや真に危険なのはシェリアではない――カインだ』


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