【ルフティガルド戦乱/42話】

クライヴェルグ王国で足止めされている恭介達は、今日も船上で幾日目かの朝を迎えた。

航海に出るため用意された大型帆船は、繊細かつ豪華に金色の船飾りが施されていて、陽光を浴びると黄金の光を反射させてきらきらとまばゆく輝いている。

魔法を当たり前に使う住人にとっては動力がほぼ風力という普通の船であっても珍しいもののようで、船体の美しさも相まって連日多くの人目を集めていた。

「今日もたくさんの人が見てるね。何日も居るからすっかり見慣れたとばかり思ったけど」

船のへりに肘をついて港内を眺める恭介は、船を見上げては指をさし、ざわめく人々をぼんやりと眺めた。

歓声や指先が恭介に向けられているものもちらほらと見受けられる。

「珍しいのは船だけではないのでしょうね」

異国の船に黒髪の男が乗っているのだから、話題にもなるだろうとフィーアは思ったが、あえて口には出さなかった。

恭介は有事のとき以外は黒髪である事をあまり気にしない。

彼のいた『ニホン』という国はほぼ皆生まれついて黒い髪を持つ人種のため、黒以外が逆に珍しかったり、地味だからとわざわざ染髪する人もいるのだという。

老化とともに黒い髪は黄色がかった白になり、銀髪にもならないと言っていた。

勿体無いと口に出したら、恭介は笑っていたけれど――彼の両親は多忙で、思い出と言えるほどのことはもう思い出すことも難しいらしい。

こっちの世界は黒を珍しがるし、たまに命懸けだけれど楽しいですね、などと寂しげに話していたのも印象的だった。

「……流石に取り調べも飽きてきましたし、毎日おなじようなことを聞かれてばかりでは……あちらも足止めが限界ではないかしら」

ベルクラフトに関する事件は、デルフィノを引き渡して終わりではなかった。

更に問題が起こり、カインやフィーアは何度もクライヴェルグ城に足を運ばされ、仲間達も取り調べを受けた。

リエルトはどういう手段を用いていたのか、レナードという人物のアルガレス籍を旅に出る際入手していたらしく、ただの雇われものだと嘯いて難を逃れている。

船内も立入検査をされたが、粗雑そうな兵に『貴方達が引き上げた後、一品でも破損・紛失していたら、クライヴェルグとブレゼシュタットの国交問題に致しますよ』などとにこやかな笑みで言うものだから、彼らは縮こまって検査もそこそこに引き上げていったほどだ。

「検査が短時間で済んだのはフィーア様のおかげでしたけど、あれはただの嫌がらせだったのかなあ」
「魔術ギルドのからの正式な要請ではなく、急にやってきた兵達です。船に乗っている人物は道楽で航海していると踏んだのではなくて?
商品の強奪でも考えていたなら、体の骨を幾つ踏み折っても足りませんわね」

いやだわ、とため息をつくフィーアを見て、恭介は苦い顔をする。

自分の目の前で何人もの兵がフィーアのヒールによって骨折してきたか思い出したくもない。むしろ数えるのをやめたほどだ。

しかも恐ろしいことに、負の経験を積んだせいで的確にどの関節部分が折りやすく、過不足ない力加減でいけるかという要領をも習得したため、彼女の『骨を折る』は、爪を切る程度の気安さなのだ。そんなことを他国でやって貰いたくはない。

「でも、意外だったなあ。クライヴェルグ王家が、フィーア様達に謁見しようとしないなんて。一応アルガレスやブレゼシュタット共に歴史的交友はあるのでしょうに」
「王家の正式な来訪ではないのですから驚くことでもないでしょう? 
なによりこちらにイリスクラフトがいる。余計な口出しをされてもこじれるだけですから、何かが起こるのは必至……と考えて、見て見ぬ振りをするのも致し方ないのではないかしら。
見逃して頂けるのですもの、何があっても関わらないなんてありがたい限りじゃないですか」
「ふむ……言われてみればそんなものでしょうか。じゃあ今取り調べをされているのは……なんだろ……」
「魔術ギルド的にも、国家的にも……『けじめ』的なことです。わたくしたちが関わっていないのは明白ですから、すぐ済むと思ったのですけど。
あぁ……でも、こう続くと……暇ですわね。何か面白い話はお持ちでなくて?」

空を見上げて退屈だと漏らしたフィーアへ、恭介は自分の趣味の話で良ければと持ちかけると、フィーアはなんでも宜しいです、どうぞ、などと言う。

なので、恭介は誰にもまだ話していないことを語り始めた。


「……ぼく、子供の頃から本が好きでした」
「貴方が本を好きなのは存じておりますが、幼少からお好きな本はどんな本でしたの?」
「ねずみがね、二匹でいろんなことをする絵本が好きでした。料理を作ったり、セーターを編んだり、大きなカステラを作ったりね。
読了後も楽しい気持ちになる、本当に素敵な本でした。あのシリーズって、まだ続いているのかなあ。
……あとはお気を悪くされないでほしいですが、この世界の本『ルフティガルド戦争』です。
まだ見ぬたくさんの本を読みたかったけど、気がついたらこちらの世界に居て。
文字を覚えてから本を読んでも、この世界は神話をもとにした本が多いんですよね。
絵本も英雄譚が多いし、嫌いじゃないけどもっと可愛い話が読みたかった……あ、勿論、嫌いな本もあったんですけどね」
「そういえば、この世界は貴方が読んでいた本だとか。
この身体も、どこまでも広がる海や空も、誰かの考えた世界なのかしら」
「創造神が、いわゆる【創世の力】を使って基礎を作り、気の遠くなる時間を経てこうなったのでは。
この世界が何らかの作用で本として記述されていても、あなたはあなただし、海も空もこの世界のものだ。作り物じゃない」
「そうですわね。わたくしはきちんと親から生まれました。嬉しいことも悲しいこともありましたし、好きな人だって……」
「ええっ? 好きな人の話って聞いたことないですよ」
「男性ではなかっただけです」

そう微笑まれ、恭介はフィーアという女性が、同性しか恋愛の対象にしないことを再認識する。

「それって、シェリアさん?」
「……ふふ、どうかしら。彼女以前に愛した人が居るかもしれませんわよ」
「ぼくじゃないですからどうでも良いです」
「あら。なんで貴方を愛さないといけないの? 自意識過剰過ぎないかしら」
「あなたが自分から触れて平気な男なんて、ぼくしかいないじゃないですか。だから割と好かれていたのかと」
「思い上がりと一緒に今すぐ全身の骨を折って差し上げても構いませんわよ。ラーズ様のお仕事が増えるだけですわね、お可哀想」

かつん、とわざとらしくヒールを鳴らすフィーアに、恭介は恐ろしいと言いながらわざとらしく震えるそぶりを見せる。

「それで?」
「え?」
「嫌いな本とは?」
「……人魚姫という童話です」
「聞いたことありませんが、そちらの世界の本? 題名は素敵そうだけど」
「ええ、ざっくりお話しすると、ある嵐の夜、難破して溺死しそうだった王子を人魚の姫が助けます。
浜辺に連れていき、介抱していたところ、女性が出てきて彼を発見する。
その後王子は目覚めるのですが。人魚姫は女性が出てきたとき物陰に隠れてしまったため、その女性を恩人だと思ってお礼を言います。
人魚は人間と関わってはいけない。自分が助けたとも言えず、悲しみを抱いて海に戻っていった人魚姫。
でも王子が忘れられず、魔女に頼んで人間になる薬を自身の声を引き替えに貰いました。
ただ、王子が別の人と結婚したら、人魚姫は海の泡となって消えてしまうと教えられるのです」
「長い」
「あぁ、すみません……結論から言うと、王子は介抱してくれた女性と結婚し、
人魚姫は王子を殺せば人魚に戻れたのに、あえて殺さず自分が海の泡となって消える方を選ぶという話です」
「……悲恋なのですね」
「ええ。ぼくはこの話が凄く嫌いで。なんで王子は気づいてあげられなかったのか。
彼女は王子様の幸せを願って消えて……どうして努力しても報われないことがある、っていうのを美談として描いたのかと、いつも疑問に思っていました。
それで、ぼくはルフティガルド戦争を見たときにも、人魚姫はここにも居るんだなって」
「……わたくしのこと?」
「あなたは別に王子を殺そうが殺さなかろうが、泡にならないと思うので違いますよ」
「分かってますわよ……シェリア様のことでしょう」
「人魚とは違いますが、愛した人と結ばれなかった彼女。愛情は憎しみに変わって皇子とお嫁さんを殺してしまったけど。
時々、思うのです。リエルトが居た未来、シェリアさんはあの後どうしたのかと。
愛した人の幸せを願いつつも、海の泡となって消えることも出来ず、魔女に囚われて暮らしているのかな、って」
「――人魚姫は、努力を怠ったわけでは無いと思うのです。
人魚であったから、相手が人間だったから、それはたまたま。やれるだけのことはやったのでしょう。
……ただ、足りなかったとすれば彼女は字が書けなかった。想いを伝える手段を他に持たなかったのだとわたくしは思います。
ですから、人魚姫とシェリア様の印象が似ていると思うなら、きっと過去のシェリア様も抗ったのだと思います。
でも、彼女は打ち勝てる手段が無かった。だから狂うしかなかった。
未来と今が違うなら……きっと、貴方たちの介入のお陰でしょうし、カイン様も運命に抗う覚悟を持ったのでしょう。
幸せな結末に変えるため、シェリア様もカイン様も手を取り合っていけるはずです」
「そう願いたい」
「なら、絶対に変わります。ルァン様と我が主神、アーディのご加護があるのですから」

優しく微笑むフィーアに、恭介も朗らかな笑みを浮かべて頷きを返す。

これからルフティガルドへ近づくにつれ、困難は多く訪れるだろう。だがきっと、うまくいくはずだ。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり、ですね」
「なんですの、それ」
「ぼくのいた世界で、偉い人が詠んだ歌です。
やればできる。できないのは、その人の意思が足りなかったからだ……という意味だったと思います。
間違っていても、確認する術がないからうろ覚えです」
「確かに成し遂げようとする意思が強ければ、信念にもなりますわね。
自分の出来る範囲を把握する事も大事ですが、それだけではここぞというときに力を発揮することも出来ませんもの。
わたくしも自分のため、シェリア様のため、そして民のため……この旅の結末を決して無駄で悲しいものにしたくはない。
一人では出来ないことも、きっとわたくしたちが一丸となれば成し遂げられるはず。そう思っています」

そう誇らしげに語るフィーアの自信に満ちた表情を、恭介はしばし見つめていた。

フィーアの強さと優しさを再認識し、彼は照れたように『少し惚れ直しました』とも告げる。

「あらやだ。貴方わたくしのこと好きだったの?」
「人間性を、ね」
「ああ。それなら宜しい」

そう言いながら、フィーアのほうも恭介をしげしげと眺める。

適当にいつも切りそろえているらしい黒い髪は左右で長さが違う。旅を続けていることもあり、少しその差が大きくなってきた。

切った髪は売って生活費の足しにしているそうだから、こまめに切るよりは一度に長く切って済ませたいのかもしれない。

フィーアは知り合った当初から彼を側に置いていた。だから、互いに些細な変化も見逃さないだろうと思っている。

勿論、彼に過去や未来を視る力があったからこそ、側に置いておこう……という欲もあった。

彼に恋愛的な好意を持っていないが、穏やかな物腰はまるで大木の元にいるかのような安心感があり、カインの事よりは人間的に好いている。

肝心の顔の造形もカインやレティシスのほうが女性の好む顔立ちだろうが、恭介も決して劣っているわけではない。

「……ふぅん。貴方、目立たないだけでそこそこ頑張っていますのね」
「え?」
「こちらのことです」

フィーアが何を言いたかったのかを図りかねた恭介は、数度首を傾げてみるが……やはり彼女からヒントになるような言葉が発されることはない。

何だったのかと思いながら、恭介は再び港を見下ろした。

すると、足早に船へ近づいてくる、金髪の男。白い鎧と風になびく青いマントは、否応にもその人物を目立たせる。

「あ。カインさんだ」
「もう終わったのかしら。あの方なら、知っていることも知らないと平気で仰るでしょうし、調べようも無かったのでしょうね」

今日のカインは最終的な確認に出向いているだけなので、手早く終わったのだろう。

「明日にでも出航できたら良いですね」
「本当にそうですわね。まあ、どうなったかはカイン様にお話を伺ってきましょうか」

二人はどちらからともなく手すりから離れ、甲板を歩く。

この地を離れたら、再び新しい出会いや事件があるだろう。

皆が血や涙を流し、苦難を強いられても、その先に待っている輝かしい未来を得るためならば――きっと乗り切っていける。

「必ず、良い話のはずです」

恭介は新たな決意を胸に秘め、フィーアに笑顔を向けたのだった。



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