イリスクラフトとベルクラフトの因縁の対決は幾星霜を越え、今再び繰り広げられようとしていた。
ベルクラフト家当主デルフィノ・ベルクラフトと次期マジックマスターとなるラーズ・イリスクラフトは杖を眼前に構え、ほぼ同時に呪文の詠唱を始める。
「燃え盛る炎よ……」双方の周囲には魔力風が生じ、ローブを激しくはためかせる。
魔術の高速詠唱を行うラーズは術の展開が常人よりも速い。
先端に碧玉のついた金の杖を振るうと、魔法をデルフィノではなくシェリアへと向けて放つ。
すると、屋敷内にいた属性種の異なる数匹の精霊たちが集い、シェリアの周囲を取り囲む。
人型の精霊達は術式が刻まれた指輪に触れると、ふぅと息を吹きかけ……指輪を粉々に粉砕した。
驚きのまま精霊を見つめるシェリアとは対照的に……デルフィノは不満そうに口をへの字に曲げる。
「魔消しの術法を、まさか魔具へ適応させるとは思わなかったよ」ラーズは普段と変わらぬ落ち着いた声音でそう告げつつも、内心この異質な状況で精霊が彼に応じてくれたことに安堵する。
明確な【物質】としては存在していないが、精霊の力を利用する魔法の属性であれば彼らの協力は不可欠。霊的存在として、この世界と密接に関わっているのだ。
再び魔術を唱えようとしたラーズだったが、デルフィノの手に短剣が握られているのを見るや、術の詠唱を解除する。
シェリアの指輪は無効化できた。だが、デルフィノはシェリアを盾にして彼らと距離を取っている。
「……下種というのは気分の悪いことばかり考えるのだな」吐き捨てるようなカインの呟きに、デルフィノは薄ら笑いを浮かべ、嬉しそうに答えた。
何か行動を起こせば、シェリアを傷つける気なのだ。
カインはこの状況をどう打開するか考えるが、恭介はフィーアとレナードの援護に回っており、ラーズはそちらも気にかけている。
「兄様、カイン……私のことはいいから、レナードさんを……!」一部の精霊たちは魔獣となったランシールに未だ怯えており、シェリアは目に涙を溜めながら懇願した。
母に狙われているのは我が子であるリエルト。本来であれば、彼の出生を喜んでくれたであろうランシールが、その生命をアルガレス王家への憎しみで刈り取ろうとしている。
「……シェリア。母に止めて欲しいと願うのはわたしも同じ。思わず声を荒げかけたシェリアだが、ラーズの表情は厳しいまま。
「くっ……!」フィーアも弓を引き絞るが、イリスクラフト兄妹の母親だと思うと効果的な手段――目や鼻先などの弱い部分を狙って激痛を与え、あまつさえ機能を失わせるということ――を実行するのも躊躇われた。
それゆえ、大きく振られる手足や胴体といった部分に集中させることになる。
恭介のほうはフィーアとは違い、顎や鼻先に攻撃をあてることは可能だが、彼の場合はほぼ素手である。
鋭い爪や顎にかかれば生命をも失いかねないため、行動を慎重にせざるを得ない。
母はベルクラフトもイリスクラフトも関係なく、やがてこの場にいる全員を見境なく殺すだろう。
リエルトが防御魔法をかけ続け、ランシールの攻撃を耐え、時に避けながら逃げ惑っている。
人間に戻れず殺戮の限りを尽くさんとする母か血を分けた子供、どちらか一方を選ぶしかない。兄の考えを聞くまでもなく彼女自身も導きだし、頭の片隅ではそうする他にないと理解していることだった。
そして、選ぶ余地も時間すらないことも――わかっている。
「……兄様、どうか」沈痛な面持ちでシェリアの言葉を待つラーズ。もう、言葉は聞かずとも分かっていた。
だが――どうしても、言葉を待たなくてはならなかった。
おねがい、と声を震わせるシェリアに、ラーズは確固たる意志を載せた頷きを一つ返すと、レナードへと声をかけた。
「……わたしが貴方に魔術を教えたなら、多重早唱も教えたと思うのですが、扱えますね?」突然尋ねられたレナード。一度ラーズに視線を送り、頷く。
「では、自分の限界まで防御魔法を幾重にもかけ続けて。他の二人はもうその場からお離れ下さい……」言われるとおり恭介とフィーアは離れ、ラーズは杖を両手で眼前に構え、祈るようなポーズを取る。
「……イリスクラフト! 妹が……!」自分など眼中にないというような扱いに激怒したデルフィノがラーズを呼びつけた瞬間、カインは全力で駆けた。
『今回だけ、強制的に力を解放させてやろう』その姿を見ていたルァンは、誰にも聞こえないよう小さく呟くと、カインの握る光剣ウィアスに小さな前足を向ける。
銀色の刀身は輝き――その瞬間から、全ての者がカインには止まっているかのように見えた。
だが、驚くことも考えることも無く、カインはシェリアとデルフィノの間に割り込むと、短剣の切っ先をシェリアから引きはがし、剣の柄でデルフィノの側頭部を思い切り殴りつけた。
「がっ……!?」床に倒れ込んだデルフィノは己に何が起こったか理解できず、頭部から流れる血を掌で押さえ、カインの腕の中にいるシェリアも動くことさえ出来ず、現状を把握しようと考えているようだ。
無論、カインでさえも何が起こったのかは分かっていない。だが、この腕にいるシェリアは本物の筈だ。
「……見つけることが出来て……取り戻すことが出来て本当に……良かった」シェリアを抱きしめてその温もりを確かめたい衝動を抑え、カインは穏やかにそう言うとシェリアは僅かに表情を曇らせて、己の胸元に手を置く。
こうしてカインが側にいてくれる。また、兄や仲間とも再会できた。
本当なら、自分も喜んでいいはずだ。しかし、無くしたものが多すぎた。
シェリアはただ頷き、側に寄ってきた羽猫に視線を向ける。
「にゃー」愛想良く鳴いて尻尾を揺らす猫は、変わってしまった彼女を注意深く観察しているのが分かり、居心地の悪さから逃れるようにシェリアは目を伏せた。
無事にシェリアを取り返したことを知ったラーズは杖を眼前に構え、息を深く吸う。
「我らが光神ルァンよ、我が声に耳を傾けたまえ」ぴん、とルァンは耳を動かし、詠唱中のラーズを注視する。
高速詠唱も可能だというのに、彼がこうして詠唱を行うのは集中力を高め、精霊力をより多く集めようという意志によるものだ。
この館は光が極端に少ない。それゆえ、太陽神であるルァンに呼びかけを行う事で威力を補おうとしているのだろう。
厳密に言えば、ここにルァンがいる事で引き出される力は十分足りているわけだが……猫の正体を知らぬのだから、ラーズの取った行動はこの場合正しい。
「荘厳なる太陽よ、暁に輝く閃光よ。刹那の星よりも速き一条の槍となりて、全てを灼け――!」ラーズの右手は頭上に掲げられ、その掌では覆いきれぬ深紅の光珠が煌々と燃えている。
姿を変えた母を見る、苦痛に歪む顔つき。
リエルトは多大な負荷をかける多重詠唱の連続で脈拍が跳ね上がるのを感じつつ、ランシールの攻撃を耐え凌いでいた。
が、ラーズの眼差しに覚悟を感じ取り、そして自身がシェリアに対して行おうとしていたそれを思い出す。
そして、異様な魔力の昂ぶりをランシールも感じたのだろう。一瞬、ラーズを振り返った彼女の動きが鈍ったようにも見える。
ランシールは『どうされるか』悟ったのだ。
レナードと名乗っていた自分の正体と目的を識ったシェリアがその命を投げだそうとしたときのように、ランシールもまたラーズが行おうとする事を理解したのだ。
「ッ……!」リエルトは何かをラーズへ叫びたかった。だが、何かも分からぬ感情が高ぶったきり、彼の口から零れ出してこない。
ラーズは指を握り込むと、まるで手槍を投擲するかのように、振りかぶってランシールへ術を投げつける。
閃光の朱槍はランシールの背から胸を貫き、大きく見開かれたランシールの瞳は、ぎょろりとラーズを捉えた。
その眼差しを受け止めながら、ラーズは再び声を張り上げる。
「もう一度!」更にラーズはランシールの頭を狙い、放つ。
大きく裂けた口から頭蓋を一条に刺し貫かれ、ランシールは青い血をまき散らす。
シェリアは口元を覆いながらそれを見届け、フィーアは祈りと鎮魂の言葉を呟く。
「……らー……」ランシールが発した声に、ラーズはびくりと身を震わせた。
「――……全て焼き尽くせ!!」ラーズの声と同時に響く爆発に、ランシールの声はかき消され。間近にいたリエルトは爆風の余波を受け、後方へと吹き飛ばされた。
恭介は腕で顔を覆いながらレナードの外れた兜を拾い上げ、床に投げ出されたリエルトを助け起こす。
腕をゆっくりと下ろしたラーズの視線の先……ランシールがいた場所は広範囲の床が焼け焦げて、黒煙を放っている。
もはや彼女がいたという残骸すら残っていない。
「……こんな形でしかあなたを、救う事が……できなかった」ラーズは悔いたように俯いて頭を下げ、ごめんなさいと言葉を紡ぎ、数秒の後顔を上げる。
既にそこにはいつも通りのラーズがあり、ぜいぜいと呼吸を乱すレナードの所へ歩み寄ると軽く治療の魔術を施した。
「すみません、よく耐えてくれました。苦しかったでしょう……」ラーズは何も言わずに微笑み、恭介から兜を受け取るとレナードへ手渡し、デルフィノのほうへ身体ごと向き直ろうとしたその時。
階段の踊り場に、あの黒い女の姿があった。
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