【ルフティガルド戦乱/38話】

「なんで俺、主人以外の護衛なんかに駆り出されてるんだ……?」
「上に誰か居たら困るし。あたしみたいにか弱い魔術師が、敵と出会ったら死んじゃうかもしれないじゃん」

悪びれもないイルメラの応答に、レティシスは『隠密行動が得意じゃなかったのかよ』と納得できないものを感じながらも背を押されて階上の廊下を歩いていた。


こうなってといるのは簡単な理由で、カイン達がベルクラフトやランシールらと対峙している間に、イルメラはレティシスの袖を引いて階段を上らせたのだ。

敵に等しい存在を前にしていたにしろ、なぜフィーアが側を通る自分に気づかなかったのかがとても不思議だったため、イルメラが術を使って自分たちの気配を消しているのだろう……と思う事にした。

確かに一人で未確定な領域へ踏み込むのは心細いのだろうが、シェリアの奪還を一番に考えていたレティシスにとって、自分が選定されたのは残念でしかない。

階下のラーズやカインがきっと上手くやってくれるはずだと信じ、気を取り直して暗い通路の先に目を凝らす。

そこには全てを覆い隠すような闇の広がりばかり。しかし、レティシスとイルメラが互いに見えているものは違うようだ。

「……あそこ、何かある」
「えっ、どこだ?」

あそこだとイルメラが指す方向を見るが、暗すぎて何がどこにあるのか全く分からない。

何せ光源がないのだ。一歩、また一歩と警戒しながら前を進むレティシスに痺れを切らしたか、イルメラは掌に収まる程度の灯り……【ライト】を唱え、進行方向に飛ばす。

イルメラの指先から離れ、レティシスを追い越して先を行く光はまるで蛍のよう。

移動しながら進むので光は上へ下へと僅かに動く。その度に照らされる範囲はぶれるが、足下を確認するのに十分な光量だ。

レティシスは魔法で生まれる光を何度見ても不思議だと思う。

「まるで生きてるみたいだよな、あれ」
「そぉ? 普通すぎてなんとも思ったことないなぁ」
「……『普通』ねぇ……ま、使えたらそんなもんなのかねぇ」

やはり、文化の違いは価値観も変わって然りなのだろうと自分で納得したレティシスは、再び辺りを警戒して歩こうとし、はたと気づく。

「……明りつけたら隠れて行動とかできないじゃないか」
「あたし一人なら、暗いとこでも見やすくなる魔法とか出来るもん。剣士のお兄さんは暗いところ見えなかったから、ちょっと危険度アップみたいな」
「俺のせいで危険になるなら、一人で行けよ……」

毒づいてみたものの、もしこんな少女が自分たちを快く思わない魔術師と出会う可能性があるのなら、やっぱり一人で行かせるわけにはいかなかった。

その結果から、先ほどまでは疑問に感じていたことだったにしろ『自分を選んで連れていったのはもしかすると正しい判断である』――と、レティシス自身そう思うことにしたようだ。

「しかし、なんか……変な匂いするな」
「うん……。家の中の匂いにしては生臭いというか、カビっぽいっていうかとりあえず臭い」

余程環境に頓着しない住人なのか、あるいは……掃除より優先するべきことが他にあったのか。

建物としての外観はそこそこ立派だったというのに、本当に居住者がいるのだろうかと思わせる程度に荒れている。

そして何よりも、窓がないという閉塞感と気味の悪さ。毎日このような状況で暮らすのならば、とても正常ではいられない。

床板が丈夫で良かったと思いながら、レティシスは更に歩を進ませる。

階段を上るときに聞こえた話の内容は、シェリアの母親が魔獣となってしまったこと。そして確か――自分も息子を失ったとデルフィノが言っていたこと。

その際、デルフィノはちらりとこちらを見たが……レティシスは見逃して貰えたのか、イルメラのおかげでこちらに気がつかなかったのか、までは定かでない。

数歩進んだところで、レティシスは漂ってくる匂いの中に、血液の匂いが混ざっている事に気づいて剣を握りしめる。

「そっか……失った、って……死んだってことか……おチビ、あんた一人で来なくて本当に良かった。俺から離れちゃダメだからな」

イルメラはレティシスの顔を見上げようとしたが、急に歩くのを止められたためレティシスの背にぶつかり、よろめく。

「痛……ちょっと」
「誰か、倒れてる」

緊張に硬いレティシスの声音は、イルメラの悪態を塞ぐ。レティシスの背から、そっと通路の先を覗くイルメラ。

通路の上に、イルメラよりも少々大きい『なにか』……いや、人間が死んでいるらしいのを発見した。

らしい、というのは遠目から見て、血だまりの中で動かない人間が生きているとは思えなかったからだ。

死体を見たのは初めてではないが、何度見ても気分の良いものではない。

身体が強張るのをイルメラ自身でも感じたが、レティシスが再び歩き始めるので置いていかれぬよう慌てて後に続く。

が、先を急ぐかと思われた彼が遺体の側で屈んだので、少年の顔まではっきりと見えてしまい、イルメラは顔を不快そうに歪めた。

それだけでも嫌だというのに、レティシスがそっと遺体に触れたのを見て、イルメラはとうとう小さく引きつった声を出す。

どんな罠が仕掛けられているかも分からないのに、注意もせず感覚的に手を出すなど、自死を誘発するだけだ。

「触るとか何考えてんの……?! 信じらんない、罠だったらあたしたち……!」
「……まだ死んでから長い時間は経ってない。傷は……胸に穴みたいなのが……」
「ね、聞いて。注意もなく何でも勝手に手を出さないで。あたしの命もかかってるんだよ」

レティシスの肩に手を置き、ぐいと外套を引っ張るが、レティシスは肩越しに真面目な顔で少女を見据える。

「この国って、人が死んだりしても何とも感じないのか?」
「そうじゃなくて、あたしが言いたいのは罠の配慮とか」
「死体に罠や仕掛けを……魔術ギルドとか盗賊ギルドは平気でやるわけ?」
「……他のギルドは知らないけど、たまに仕掛けがあったり……」
「家の中で人が血を流して死んでるんだぞ。確かにおかしい。でも、罠だとか勘ぐらなけりゃいけないの……そんなのも嫌だろ……」

レティシスにも不快感はあるのだろうが、嫌、などとそんな言葉を告げられるイルメラのほうも戸惑いを覚えた。

自分よりも年上のくせに、彼は感情で物を言う。そして、誰なのかも分からない少年のために怒っている。

本当に何かあったら、この男は『仕方ない』で済ませてしまいそうでもある。

何をしたのか知らない他者の死でも、心は痛む? いや、本来そういうもの、なのだろうか?

ふと湧き上がる疑問を、慌てて打ち消す。

イルメラは、誰かに命を奪われるものは悪しき行いをこれ以上させぬため、天災で命を落とすものは神の寵愛を受けたため。自分から命を終えたものは、選定の場へ行く。

死ねば魂は光と闇の神に選定され、生前の行いにより転生するか草木や精霊などに生まれ変わる――そう教えられてきた。

異国での死という概念は、この国よりも重いのだろうか。イルメラはレティシスがなぜ見ず知らずの者に対し、悲しげに悼むのかが分からない。

そして、それが『わからない』ということは何かを欠如している寂しいことのように思えた。

レティシスは少年に僅かな黙祷を捧げ、立ち上がると先を促す。

二人は無言のまま部屋を幾つか見て回り、見取り図に載っていない部屋――先ほど、シェリアが異臭を感じた部屋――へとたどり着いた。

「うぷ、くっさ……、ッ!?」

両手で思わず鼻と口を覆うイルメラだったが、柔らかい【ライト】の光が照らす室内の様子に、恐怖を感じずにはいられなかった。

部屋中至る所に数十、いや、百を越えるだろう数の篭が天井に届きそうなほど高く積まれ、その篭一つ一つには鼠が入っている。


鼠は鳴きもしなければ篭の中を走り回ることもなく、イルメラやレティシスをじっと見つめている。

そこが異様さを際立たせる一因にもなっているが、もっと恐ろしいことに……【ライト】の光を受け、鼠たちの目が爛々と赤く輝いている事だ。

赤い目というのは、この世界で『ある種族』しか持たないと言われている。

「これ、全部……」

その種族、とは――


――魔族。

二人とも動くことが出来ずに、自分たちを見下ろす魔物を見つめ返す他なく時間は過ぎる。

階下から炸裂音が聞こえ、この階も振動で揺れたことが合図となり、抑え気味にレティシスは息を吐いた。

「冗談……って思いたいよな、これ」

なぜベルクラフトが魔物を飼育しているのかという理由については不明でもあったし、考えたくもなかった。

ただ四方から黙して自分たちを見つめ続ける鼠達を前に、もしもこれらが一斉に動き出したら、対処できるか……いや、イルメラを庇いながら小型で機敏な魔物の群れを相手取るのは無理がある。

レティシスはこの鼠たちをどうするか考えたが、焼き払う他合理的な解決手段が浮かばない。

だが、これを処分するとなれば手間とリスクが大きい。

簡単なのは屋敷ごと燃やす手段だが、それは外で結界を張っているらしいミュリエルの頑張りが無駄になるのではとも考える。

「この屋敷は危ないよ、想像を超えてた。ギルドに報告したら大騒ぎに……ん?」

周囲を見渡していたイルメラは、部屋の片隅にある謎の壺を目に留め、じっとそれを観察してみる。

土をこねて作られたらしき陶器の壺には蓋がついておらず、赤茶色の液体がなみなみと入れられていた。

粘っこい水面は時折ぼこぼこと何かが泡立ち、ぱちんと破裂する。その毎に部屋の臭気が上がるような思いがし、イルメラは吐き気がこみ上げたのか、口元を強く押さえる。

この液体は何かは分からないが、異様だということだけは理解できる。歪んだ妄執の家と謎の液体は、何か関係があるのだろうか……。

正体を知りたくなった彼女は、探究心につき動かされて壺へと近寄る。

「おい、勝手になんでも触るなって自分で言っただろ!」

レティシスが制止の声を上げたが、イルメラは大丈夫だというように手を振り、ポーチから硝子製の棒を取り出すと謎の液体をかき混ぜてみる。

内部を探りながら上げるを何度も繰り返すうち、棒に手応えを感じたため、意気揚々と引き出す。

……と、中から出てきたのは半分が溶解している鼠の身体だった。引き上げた瞬間から、脆くなっている骨格が重さを支えきれず、肉片がぼちゃぼちゃと音を立てて壺の中に戻っていく。
「ぎゃあ! 気持ち悪いッ!!」

硝子棒を放り投げたイルメラに、一部始終を見ていたレティシスも引きつった表情を浮かべた。

「な、なんだそれ……もしかして、ここにいる全部の鼠……まさか」
「――その通り。
【グラナトコープス】……たくさんの魔族の死体を液状化させ、死霊術・魔術・錬金術など幾つかの術と呪詛を加えたもの。生きる呪いよ」

突如レティシス達の背へ向けて女の声がかかり、驚いた二人は勢いよく振り返った。


「尤も、ベルクラフトは大漁の鼠を使ってそれを濃くしていったようね……壺に放り投げては溺死させ、その液体を投与する。
投与された鼠や何かの死骸をまた放り込む。呪詛と共に……。そして呪いは凝縮していく。教えてもいないことを、三流魔術師がよく見いだしたものだわ」

薄暗い部屋に溶け込んで謎の液体を解説する、黒く長い髪と黒い瞳の女。風貌にはレティシスにも見覚えがある。

「あんた……確か船の上で、カインさんと……」
「あら……皇子様のお仲間? ごめんなさいね、必要じゃない人の顔なんていちいち覚えていられないの」

悪びれも無く女はレティシスへ言い放つと、イルメラを見据える。

「濃密なグラナトコープス……ベルクラフトの怨念の詰まった壺。
いいえ、落ちぶれたベルクラフトだからこそ作ることが出来た逸品……お嬢さん、そこをどきなさい。
ギルドが持って帰ろうなんて思わないほうがいい。人間の欲望は恐ろしいもの。これが摂取されたら種族も、身も心も関係ない……いずれ人の何もかもを変えてしまうものよ」
「こ、これは……なんかよくわかんないけど、おばさんに渡しちゃいけない気がするんだよね!
ね、ねえ、剣士さん、パッと追い払ってよ、やっちゃって!」
「やっちゃえって気軽に言うけどな……カインさんの剣ですら当たらなかったぞ。
ええと、こっちは取り込んでるんだ。あんたもとりあえず引いてくれないか?」

そうぼやきつつイルメラを背にして剣を手にするレティシスに、女はほくそ笑む。

「普通の人間があたしに挑むの? どう? 勝てそう?」
「……正直、カインさんですら手こずるあんたは恐ろしい人と思ってる」
「ふ、ふふ……――彼が強いと思っているのなら、全然見当違いね。
あの皇子様は、本来の実力の半分も出せていない。だって……あのとき【そうした】から今、皇子様として生きていられるのだから」
「何言ってんだか分からないけど、あんたは俺達にとって良くない人だってのは分かってる。
カインさんにも……シェリアにも、笑顔をくれはしない。だから、シェリアを不幸にするなら……俺の敵だ」
「彼女を守ろうとするその志はとっても素敵……。
忠実な剣士さん、あたしの前に立つには――貴方は弱すぎる。だって『ただの人間』なのだから!!」

言うや否や、女は指をレティシスへと向け、電撃を放つ。

何かをしてくるだろうと予測していたが、レティシスはその場から動けない。避けられるかどうかということよりも、その場を動けばイルメラに当たる。それが頭をよぎり、彼の足を止めさせた。

「あああぁぁッ……!」

身を固くして衝撃に耐えていたものの、痺れるという感覚よりも焼けるような痛みが全身を駆け巡り、堪えきれぬ呻き声が上がる。

イルメラは声も出せず、その状況を見つめる。防ごうと手を出せば、女は更に強力な魔術を放ち、自分も攻撃を食らうだろう。

何より、この一撃で魔術師として実力の違いが見て取れた。そう、自分の力量では何もすることは出来ず倒れるしかない。

「お嬢さん、それでいいの? 彼、死んじゃうかもしれないわよ。
あたしは殺すのも見逃すのもどっちでも構わないけど……貴女のそれも生きる手段ね。この剣士、別に友達じゃないものねえ?」

電撃を何度も食らい、堪えきれずに片膝をつくレティシス。彼もただ電撃を受けるだけではなく活路を見出そうとするのだが、女には隙がなく、自分をいたぶるのを楽しんでいる様子だ。

「く、そっ……!」

指一本でも動かせば、女は即座に術を撃つ。その早さたるや、ラーズを凌ぐかもしれない。

――このままじゃ、マズい、けど……!

自分が斬りかかったとしても、その刃が届くよりも速く、この女は自分を殺すだろう。

せめて、イルメラだけは無事で返さなければならないと歯を食いしばるレティシスを見つめ、女はため息を漏らす。

「双方動くつもりはない、ということなら……時間の無駄ね」

吐き捨てるような言い方をして腕を大きく頭上に振り上げた女の姿を見て、イルメラはとうとう、いや、ようやくというべきか――壺から一歩下がり、床に膝をついた。

「こんなものが欲しいなら……とっとと持って行きなさいよ! でもあたしたちは見逃して」
「おいっ、何を……!」

言葉の途中で激しく咳き込むレティシスの背中を慌てて掌でさするイルメラ。

「だって、しょうがない……見逃してもらえるの、これしかないんだから。何よりあたし、まだ死にたくないよ……」

青年の背中にかかる焦げ臭い外套が、体力を相当消耗してしまった持ち主の無念さとイルメラの所行を無言で攻めてくるように思え、彼女は言い訳をするように理由を述べる。

「――お利口さんね。それでいいのよ」

女は指を鳴らすとイルメラに近づくことなく壺を回収し、宙に浮かせる。

「やろうと思えば簡単に回収できたのだけど、人の気持ちを揺さぶる方が好きなのよ……屈辱に歪む顔もいいわね」

余裕の笑みを浮かべる女を前にして、イルメラは試されていたのを感じ、目を伏せる。

「お嬢さん、見逃してあげてもいいけど……勘違いしないで。ここで二人を殺してあげることだって造作もない。
だけど、下にも用があるから、貴女たちはここで泣いていたらいい……邪魔をするなら本当に殺すわよ――ああ、思い出したわ」

立ち上がれないレティシスに近づき、女はレティシスを見下ろすと赤い髪を掴んで顔を自分へと向けた。

緑の瞳と黒い瞳はかち合い、互いの思考を読もうとするかのように見つめ合う。

「……貴方、シェリアの頼られない従者さん。
使えない剣士と、愛する者すら救えない王族……本当に無駄だわ。いったいあなたたちの集団ってなんなの?
自分たちの仲間は秘密ばかりを抱えているくせに、助け合おうというの?
だいたい、貴方いつまでシェリアの側にいるつもり? 邪魔でしかないと自戒したことはない?
魔王をどうにかするだとか大きな理想だけ掲げて、能力も無いくせに、大事なときに側にいられないとか滑稽だわ。ねえ、恥ずかしくないの?」
「……ッ……俺の理想があんたから見て恥ずかしいことは、俺に関係ない……!
人に笑われようと、やらなければならないからやるだけだ。誰かを守るのに弱ければ、俺はもっと強くなる!!
あんたこそ、なんの目的があってカインさんの前に姿を現すんだ……! 仲間のことを悪く言うのは許さないぞ!」

動けなくとも意思の強い眼光を見せるレティシスに、黒い女は愉悦そうに嗤う。

「皇子様? うふふ……そうね、彼は大事。とーっても大事よ。シェリアも皇子様も、あたしはどちらも必要不可欠。だからこそ、忠告して見守ってるじゃない」

女はうっとりと囁いて、レティシスの髪から手を離すと、宙にふわふわと浮いていた壺に手を伸ばす。

「……だから、精々シェリアだけじゃなく、皇子様も守ってあげてね? 剣士さん?」

そう告げて、黒い女はイルメラとレティシスを目に留めた後、煙のように消えていった。

再び静寂と鼠だらけの異質な空間が戻ってきたが、イルメラはえも知れぬ女に抱いた恐怖と羞恥に震えて俯くばかり。

『ねえ、恥ずかしくないの?』

今し方、女が嘲笑混じりに呟いたことはレティシス自身も理解していたことだけに、その棘は深々と彼の心に傷を付ける。

「ちくしょう……! 俺だって、そんなことくらい……!」

レティシスは悔しさに毒づき、荒れた気持ちで拳を床に叩きつけた。



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