【ルフティガルド戦乱/29話】

――今、この時代では"レナード"と名乗っている【彼】が物心ついたときに感じたのは、皆、自分のことを『父に良く似ている』と口をそろえて褒めることだった。

大人から見たら当然で些末な事であっても、まだ【彼】は幼かったが故に、疑問は彼の心の大半を占める。

なぜ母親に似ていると言われないのだろう、と、子供ながらに感じてから【彼】は母という存在に対して意識を向けるようになる。

淑やかであり、賢かった母は夫を良く支え、【彼】へも惜しみない愛情を注いでくれた。だから、今まで本当の家族として暮らしてきたことに、何一つ疑問を感じなかった。

母が自分にとって真の母親では無いと知ったのは、彼女の肌、目、髪の色、そして顔立ち……何一つとしてそれらを受け継いでいないと理解したことの他、メイド達が陰ながら父の“元”婚約者の噂――父が幼い頃から将来を誓った女性がいたにもかかわらず、婚姻は許可されず、子を為したという内容――をしていたことが発端だった。


くだらないと思えるならば良かったが――父や母とは違う『色』が、自身にある。

それは、噂ではなく揺るぎない証拠ではないか。

無知であれば、疑問を覚えなければ【彼】は幸福だっただろう。

いつまでも小さな胸を痛ませ、募る悲しみを隠し通すことはできなかった。

『――僕はなぜ、目が金色なのでしょうか。なぜお母様ともお父様とも違うのですか?』

両親の前で口にした際、二人は明らかに――何か苦い物を飲み込んだように押し黙った。

何かがある。これは聞いてはいけなかったのだ。

すぐに強い後悔が生まれ、謝罪の言葉が口をついて出たが、母は弱々しくかぶりを振って屈み込むと【彼】と目線を合わせる。

『いずれ、告げる日が来るとは思っていましたが……わたくしは貴方の本当の母親ではありません』

幼子に実母ではなく、いわゆる義母と呼ばれる者であると教える彼女の心が如何様な物だったのか。未だに【彼】にはわからない。

事実を本人から告げられ、義理とはいえ母親にどこかが似ていたい部分と、やはり違うのだという冷めた気持ちが同等に湧く。

例え血が繋がっていなくても義母の事を家族として愛していたし、父親の事は深く尊敬していたから、これからも変わりは無いはずだと――そう信じて疑わなかった。

いや、信じ込もうとして、他の要素に目を向けなかっただけなのかもしれない。

ただ、母は本当のことを話してくれたというのに、何も言わない父親には疑問と悲しみを覚え、自ら父親へと問いかける。

『――お父様。僕は……違う女性の子供なのですか?』

意を決して聞いたところ、父親は昏い目を【彼】へと向けた。

父の瞳色は美しかったが輝きは無い。生きることの喜びだとか、希望だとかそういった……生への活力が見受けられないのだ。

人として守っていた何かを失ってしまった、そんな目をしている。

『フィーアは確かにお前を産んではいないが、お前の母である事は変わらない』
『……それは、わかっています』

すると、父親は幼い我が子の頬に手を置き、顔を覗き込むようにこう告げた。

『その金の目は、お前を産んだ女と同じ色だ』
『……その方は、どこに居るのですか』

すると、父親は蒼い瞳に湖底のような深い蒼色を浮かべた。

感情によって薄く、そして濃い蒼へと変わるその目の色を【彼】は本当に羨ましいと思っている。

父はそっと手を離し――幼い我が子に背を向け、もう忘れろと口にする。

『お前の母親はもう、あの日から戻らない。どこを探しても、誰に尋ねても……見つからなかった』
『その人の名前は、なんと仰るのですか』
『どうしても訊きたければ……ラーズに尋ねろ』

なぜ父は教えてくれないのか。なぜ自分を産んだ女性は消えたのか。真実が知りたくて生みの親の人となりを尋ねても、両親は口を重くして語ろうとはしない。

実の母親が家族を捨てたのか、父が母を捨てたのか。真実は闇の中。

もしも誰かが全てを知っているのなら、母に再会できるなら、きっと――それも分かる。

『そうですか……あの方がわたしにと……』

父の親友であるラーズ・イリスクラフトに尋ねると、彼は寂しげに笑って懐かしげに目を細めて答えてくれる。

ラーズは妹『シェリア・イリスクラフト』と親友であるカインと共にルフティガルドを目指してアルガレスを出たこと、そしてフィーアと出会ったことなどを大雑把に話して聞かせてくれた。

その妹……シェリアこそが【彼】の母親であること。

既に【彼】は産まれていて、旅に出かける間際、乳母に預けられたこと。

そして――その後、ルフティガルドから戻ったカインとフィーアは無事婚姻の儀を終えたが、もうそこにシェリアはいなかったことも。

『僕は、シェリアさんに捨てられたのですか』
『……シェリアは貴方をとても愛していました。捨てるなど考えもしなかったはずですよ』

穏やかに告げるラーズは自身の伯父にあたる人で、両親が話さない事柄を実によく知っていた。

矢継ぎ早に父のこと、母のこと、そして……シェリアという女性のことも次々と聞いた。

もしも、生みの親が自分を愛してくれているなら、もしも姿を見せたその時――育ての母は、そして父はどうするのだろう、という想像もしてみたけれど。

初めて想像した時も、そして最後に想像したあの日の朝も、想像の中の両親は微笑みもしなかったし、顔も知らない生みの親であるシェリアの影も喜ぶことは無かった。

それでも、一度会うことが出来たら良いと、淡い思いを抱いていた。

そんな幸せはいつ崩れてしまったのか。それとも、元々幸せなど――ありはしなかったのか。


――再会が現実となってしまったあの日、全てが歪に狂って消滅してしまった。


騒がしい城内。悲鳴と破砕音。

【彼】が見た物は地獄の様相だった。

血塗られたアルガレス城。返り血で深紅に染まるドレスが、数多の命を吸った重さを感じさせずにひらひらと優雅に舞う。

アルガレスの戦旗を手にし、呪詛を紡ぎ魔法の矢へと変えて兵士の一団へと投げ込み、爆破する。

伯父と同じように青みがかった銀の髪は熱風に逆巻きながら血と炎によって赤く揺れ、金色の瞳は殺意と狂気に満ちていた。

死神のドレスを纏って、悲痛な声を上げる人々を眺めて微笑む美しい女性。

そこが戦場で、この女性が全てを引き起こしたものではなかったら――まるで一枚の名画のようで、いつまでもその姿を愛でていられただろう。

見知った兵士や大臣が重なるようにして城中至る所に倒れ、広間は濃い血臭と黒煙で満たされている。


『……可愛いあなただけは生かしておいてあげる。あなたも生まれついて呪われているんでしょう?
【あの人】とフィーア様しか解くことが出来ないものを、まだ背負っているのでしょう?』

銀髪の女性が何の事を言っているのかは分からなかった。

身に受けた呪いとは何? そう尋ねたいのに、足はがくがくと震え、声は出せない。

『……フィーア様は、カインにもあなたにも解呪を施して下さらなかったの? ああ、かわいそうに……。
でも、そんなフィーア様もカインも王様も……私が全部殺しちゃったわ。見て? ほら、あそこよ』

斬り払った父の首を愛おしげに抱き、義母の心臓を握りつぶした手で、彼女は満足そうに指し示す。

その先には、身体に無数の長槍が刺さって既に絶命しているアレス皇帝があった。

はらはらと涙を流す【彼】の横顔を、恍惚の表情で眺めているのは……実の母だった女、そう、シェリア・イリスクラフト。

何故こんなことをするのか、どうして帰ってきたのか、何があったのか。

様々な罵声や疑問も口にしたかったのに、自分はただ涙を流すことしか出来なかった。

そんな我が子を愉快そうに見下ろし、シェリアはくすくすと笑う。

『誰も――私を知らない。あなたも、私の事をほとんど知らされず……私がいた証さえ消し去ってしまった。
許せなかったわ……私は大事にしていた全てを失って、あんなところでずっと絶望を味わったのに……なんでも父様やアルガレス王家の思い通り……それって、不公平だと思わない?
私は、カインとあなたと一緒に暮らせたら、カインがフィーア様が婚姻しても構わなかった。
だけど……私の願いって、王族にとっては邪魔でしかないものね。もう誰も反対する人はいないけど、願いも二度と叶わない』

シェリアは自嘲するように【彼】へと語りかけていたが、もちろん返事はなかった。

そんなことは期待していなかったのだろう。無言も意に介さず、シェリアはいたずらを思いついた子供のように笑う。

『ねえ【リエルト】……私が憎いでしょう?
だったら、特別にやり直し方を教えてあげる――どんな手段を使ってでも、私を早く殺しにいらっしゃい』

シェリアの指先は【リエルト】の頬を滑る。血に濡れたその指は愛した義母の命を奪ったものであり、父の首を拾い上げて腕に抱いたものでもあった。

女の胸に抱かれた父の首は、真実を語らず無言を貫いている。もう、その唇が動くこともないのだが。

恐怖と悲しみと憎しみであふれる涙の上を、両親の血が、母の指がなぞっていく。

『――ふふ……過去へ行くと良いわ。兄様なら行き方を知っているでしょう。
運命って、普通の人間では変えることが出来ない。カインも、兄様も、私もできなかった。
過去に出向いて、あなたが私を殺せたなら……この日は訪れない。
でも、私を殺せなかったら――私【   】に、なってしまうわよ。あなたに、運命を変えることが出来るかしら……?』
【リエルト】は、突如襲い来る眠気に抗うことは出来ず、薄れゆく意識の中でシェリアの笑い声を聞いていた。

何になると言ったのか、紡がれた言葉は思い出せなかったけれど、【彼】……いや、【リエルト】は決意した。


――全てが壊れるこの日が来るのなら、望み通り、貴女を殺す。

例え痛みが心に残ろうとも、この世界の誰に憎まれようとも……何も知らない貴女を消さなければいけない。

貴女を失ったとしても、なお守りたいものがあるのだから。




そして、それは――レナードと名乗っていたリエルトの思うとおりに事は進んだ。

未来のことなど何も知らないこの世界のシェリアは――コートの合わせ目から長釘を力の限り自身の胸へと突き刺し……ゆっくりと地面に伏した。

「…………」

いくら釘が錆びていても、それは心臓を傷つけるに十分だったようだ。

即死ではなかったのは幸いか不幸か、シェリアは荒い息をつき、唇から赤い鮮血を咳き込みながら吐き出す。流れ出た血液の量は少なくない。

彼女の状態は不明。どちらであろうと――シェリアは自ら、死ぬ道を選んだ。

「…………」

これはリエルトが望んだ結果だった。その成就が来たはずなのだ。

だというのに、身体は震え、事実を拒絶したい気持ちしか湧き上がらなかった。

彼女はまだ何もしていない。本当にこれで良かったのか?

もしや、未来で出会ったシェリアは、助けを求めていたのではないか?

殺して欲しいというのは、変貌してしまった自分を……壊すことしか出来ない自分を止めて欲しかったのでは。

ふと浮かんだその仮定は、リエルトの心を揺さぶるに十分だった。

――どうしたらいい? 僕は、間違った答えにたどり着いてしまったのでは?

シェリアを助けなければいけない、とも、このまま逃げ出すことも選択肢にあったが、身体は全く動かない。

握っていたはずの光剣ウィアスを取り落とした音で、リエルトは金縛りから解かれたように一歩、足を踏み出すことが出来た。

シェリアの身体が上下しないので、呼吸をしているようには……見えない。


死んだのだろうか。


倒れているシェリアに歩み寄り、緩慢な仕草でその身体に手を伸ばそうとした瞬間、リエルトは予測しなかった衝撃を受けて後方にはね飛ばされ、立てかけられた木材に突っ込んだ。

派手な音を立てながら木材はリエルトの上に降り注いでいくも、大した痛みを与える事はなかった。

それがルァンの祝福によるものだとしても、この状況ではありがたいとも思えず、リエルトは木材を押しのけながら上体を起こし――動きを止める。


そこに立っていたのは、見知らぬ人物。まず、シワだらけでよれよれの灰色の外套が目についた。

無精髭を生やした細目の男は恐らく四十に届かない程度の年齢だろう。

足早につかつかとシェリアの横に歩み寄り、肩を掴んで仰向けに転がす。

人を扱うというよりも、物を転がすようなぞんざいな手つきで、シェリアの胸に突き刺さったままの長釘に目を留め、迷うこと無く手を掛ける。

「――やめろ!!」

リエルトは制止の声を上げて男の行動を阻止しようと駆けだしたが、男は釘を握る手とは逆の掌を開くと、目に見えない力でリエルトを再び壁へ打ち付ける。

そこで、この得体の知れない男が魔術の心得がある者だと――尤も、クライヴェルグでそんなことは珍しくないことも――ようやく気づいて歯噛みする。

「邪魔しないで貰えねえかな……まったく、こっちにとっては大事な大事なシェリアちゃんなんだから……よっ!」

不機嫌そうに声を発した男は、気合いと共に一気に釘を引き抜いた。

シェリアの身体から引き抜かれた釘から血液が滴る。

当の本人は一切の悲鳴も反応も示さず、ぐったりとしたまま動かない。

「あ? こりゃ手遅れか?」

男はシェリアのコートを乱暴に剥ぐと仏頂面で胸元に耳を押し当て、目を閉じた。

その耳は僅かな鼓動を確認したらしく、仏頂面だった表情に、満面の笑みが浮かんだ。

「おー、生きてる生きてる! そうそう、まだ死んでもらったら困るんだよねぇ……大事な身体なんだし、早急に治癒しとかないと」

そう言って男は傷口では無く彼女の乳房へ無遠慮に手を置き、二度ほど掌を開閉して感触を確かめている。

こんな時に女を求める浅ましさとおぞましさを目の当たりにして、リエルトは隠しようもない嫌悪の情を抱いた。

「その人を……連れて行くつもりか」
「そうだよ。こいつの親父はそういう約束で、女を産ませたんだぜ?
貰える予定が何回も狂ってさ……うちらがアルガレスをどれほど疎ましいと感じてたか分かる? カイン皇子」

男はリエルトの顔を眺め回し、ふん、と不快そうに鼻を鳴らす。

どうやら、カインとリエルトを勘違いしているらしい。

それも当然だ。話を立ち聞きしていたのではないなら、光剣ウィアスを手にしていた青年がよもや未来から来たカインの息子だと微塵も思わないだろう。

「その言い方だと――ベルクラフトの手の者か……アルガレスがどれだけ、ベルクラフトとイリスクラフトの間柄を疎んじたかも……そちらには分からないだろう」

あえてカインだと思わせるように会話をしながら注意深く相手を観察し、リエルトは素早く周囲に気を巡らせる。

他に誰かが潜んでいる気配は無い。一体いつからこの男は自分たちに気づき、この場所まで来たのだろう?

「仰るとおり、俺は――オルフェオ・ベルクラフト。
当主デルフィノ・ベルクラフトに代わり、シェリアちゃんを引き取りに来た」

シェリアを抱きかかえたオルフェオは厭らしい笑いを浮かべ、それではと一礼する。

「待て」

リエルトは取り落としていたままのウィアスを拾い上げ、その切っ先をオルフェオへと向ける。

「その人を置いていけ。お前達に連行されては困る」
「おあいにく様。こっちもね、これ以上猶予は無いんだよ。この女が死んじまったら、我が一族の再興が叶わない」
「そちらにどんな理由があろうと、首を縦に振ることは出来ない!!」
「……やっぱり、簡単にはいかないもんだね」

剣を構えたリエルトと対峙したオルフェオは苛立たしげに舌打ちし、もう一度掌をリエルトへ向けた。

だが、相手が魔法を放ってくるというのが分かっているのなら。

「――風よ集え(ウィルケルテス)!」

リエルトも腕を振るい、目の前に防御魔法を展開した。

彼は忘れているのだろうが、防御術の速唱は――シェリアの得意としたところだ。

リエルトが持つ魔法の素質は、間違いなく母親の才を……イリスクラフトの血を受け継いでいる。

アルガレスの皇子は魔法を使用しないと聞いていたオルフェオは、目の前でかき消された呪文と強大な魔力の迸りに狼狽し、一刻も早い撤退を決定づけた。

「もう一度言う。その女を置いていけ」
「痴話喧嘩でブッ殺そうとしといて、よく言うよ。もう要らないんだからもらってもいいだろうさ」

重ねたリエルトの言葉に、オルフェオは否定の意を乗せて首を横に振る。

「……【憂いは螺旋の運命(さだめ)】。捻れば強く糸は撚れる」
「なに?」

怪訝そうな表情を浮かべたリエルトは、オルフェオの足下に出現した魔法陣を見て……全てを察した。

オルフェオは、移動したのではない。何らかの手段でシェリアの存在を感知し、転移魔法を使用してここに現われたのだ――!!

そうと気づいても……リエルトには転移を解除できる魔術など習得していない。

為す術がないと見て取るや、オルフェオは安堵の表情を浮かべた。

「確かに、シェリア・イリスクラフトは受諾した。さようなら、皇子。ルドウェルによろしくお伝えください」

慇懃な礼をするオルフェオと、その腕に抱えられたままぐったりしているシェリアの姿は――かき消えた。


――これはまずい。

早く追いかけなければ、と剣を収め、兜を拾うと装着しながら通りに出るために路地をいくつか抜ける。

ベルクラフトの屋敷は何処か。

建物の尖塔は至る所に立ち並び、それぞれに家の紋章らしきものが施されている。

イリスクラフトの紋章と似たものがないか目で探っていると、側面から強い殺意を感じ取り、反射的に振り返った。

「あ……」

声を漏らしたのは、リエルトだけだった。

そう、大通りに出るということは、彼らに目にも留まること。ましてや、自分の魔力など……伯父ほどの魔術師ならば探知が出来るはずだ。

彼の目の前には伯父のラーズが当然のようにそこにいて、鋭い殺気を放つカインと、神妙な顔つきのフィーアといった……今まで旅を共にしてきた者が揃っていた。



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