【ルフティガルド戦乱/25話】

フィーアがカイン達と共に行くと告げてから四日が経ち、恭介が受けた傷もほぼ癒えてきた頃。

中庭から外の景色を眺めていたカインは、あれは何かと荷運びの列を指し示す。

「何って……物資ですわ」
「それはオレだってわかる。あんなに大量な物資をどうするのかと聞いているんだ」

ベッドに腰掛けてシェリアに魔力安定の術を施していたフィーアが当たり前のように口にした言葉へ、カインは思わず冷たい突っ込みを入れてしまった。

なぜカインと同じ部屋にシェリアとフィーアがいるのかといえば、カインとシェリアを一緒の部屋にして、フィーアが昼夜問わず毎日遊びに来ている……いや、入り浸っているからだ。

その甲斐あってか、フィーアとシェリアは少しずつ親しくなり、カインとしても安堵しているところ……なのだが、肝心の本人がフィーアと距離を置いている事には気づいていない。

「当然、わたくしたちが使うんですのよ。
ここからミ・エラス方面以外の他国へ渡る場合、どうしても船が必要なのです。
ですから、港町に停泊させた船まで運ばせています」

ブレゼシュタットは、海を隔てて国が南北に分かれている。

北側の首都エガムトやここリフラムは非常に栄えているが、海を渡った南側のペレンスポートやパーヴァストゥはこちらほど栄えてはいない。

それに、ペレンスポートには犯罪者を収容する施設……いわゆる刑務所がある。

塀に囲まれている場所だといっても産業は漁業か交易程度しかなく、海を渡るもの以外はあまり好んで近寄ろうとしない。ゆえに寂れた場所なのだ。

「操舵や航海士が必要とはいえ、他に何を詰め込もうとしているのか」
「船員四十名に加えて何らかの襲撃があると困りますから、我が国の兵を五十名と医者一人。
貴方がたの乗ってきた馬、そして彼らの使う馬、人間と動物用の食料や衣類の生活物資を二十日分。そして医療品、調合用の薬草数種類です」
「それは確かにとても助かるが……」

内容をすらすらと答えてまだ足りないかと言わんばかりのフィーアに、カインは渋面を作る。

「少人数で忍んで旅をするのも理解できますが、人々への説得力に欠けるのです。
アルガレスの皇子が兵も挙げず、国を彷徨っているのではただの旅行記です。
それならまだしも、そこにイリスクラフトの兄妹、ミ・エラスの剣豪の孫、ブレゼシュタットの王女が加わるとなれば――どうしても見栄えは必要なのです」

カインにもフィーアが言わんとする事の意味は分かるし、自分が理想を掲げ、ラーズ達に付き合わせてしまっている事も理解していた。

「……オレのやっている事は、偽善でしかないのだろうか」

カインがそう漏らすとフィーアとシェリアは顔を上げ、カインを見つめる。

「民が絶望を抱き、疲弊していくのは見たくない。他国でもそれは同じこと。
しかし、オレは停戦を希望しているにもかかわらず……魔族と闘い続けている」
「カイン様は皇子であり、王ではない。法的抑止力が弱いことは理解の上でここまでいらしたのでしょう?
なら、構わないじゃありませんか」

フィーアは悪戯っぽく笑うと、ご安心くださいませと言った。

「まずは魔王を引きずり出す事からです。同卓に着かねば何もできません。
仮に魔王が停戦を拒否するのなら、その時は――いかがなさるおつもりか、決めておくしかないですが」
「王女はハッキリしているな」
「悩むのは無駄ですから、やるべき事を手早くやるだけです」

そうして見つめ合うカインとフィーア。シェリアもそれを微笑ましく見守るが、そこへ丁度女官がやってきた。

「フィーア様。アルガレス帝国より、ルドウェル・イリスクラフト様が参りました。
カイン皇子に言づてがございまして、ラーズ様、シェリア様のお二人も同伴するようにと希望されております」
「面会……という事は、既に執務館へいらしているのですか」
「はい、国家証がありましたので、火急の用であると判断致しました」

女官の告げた通り、国家証というものは各国の王より賜るものであり、王の言葉と考えても差し支えない命令を運ぶ。

その折、国境や手続きなどの手間や時間を省くため作られたものだ。

それを持って現れたルドウェルの要件とは何なのか……。

「……わかりました。すぐ参ります」

フィーアは女官にそう告げ、扉を閉めるとカインとシェリアのほうへ歩き、大丈夫ですかと声をかけた。

フィーアはちらとシェリアを伺ったが、彼女は先日のカインと王の会話詳細を知らない。

「カイン様、申し訳ありませんが、ラーズ様を呼んでいただけますか」
「分かった」

カインは即座に部屋を出て行ったが、シェリアはルドウェルの名前が出てからずっと困惑した様子である。

「カインやフィーア様だけではなく私達まで呼ばれるのは、一体……」
「……国家の問題であると思いますが、実際は分かりません」

シェリアの手を包むように握ると軽く手を叩き、わたくしがついていますから大丈夫ですわ、と微笑んだ。



応接の間に通されていたルドウェル・イリスクラフトは、フィーアの後ろに三人の姿が見えると、革張りのソファから腰をあげる。

「こうしてお会い出来るのは嬉しい事ですな、カイン様」
「イリスクラフト……国家証を所持してとの事だが、父上は我々に何か用向きがあるのか」

暗になぜ来たのかというカインに、ルドウェルは忠告と助言を持ってきたという。

「では早速……先日からベルクラフトより、早くシェリアを引き渡して欲しいという旨の催促が止みません」
「えっ……?」
「それは貴様が勝手に行った約束だろう。オレは承諾した覚えなどない」

理由を知らないシェリアを前に、ルドウェルはそう話すが、カインは話し合いを拒絶しようとする。

だが、シェリアが驚きの声を上げたのをルドウェルは聞き逃していなかった。

「皇子はこの話を御存知のようですが、うちの娘は知らないようですな」

そう言いつつ、ルドウェルはシェリアに視線を向ける。すると彼女は怯えたように肩を震わせ、父親の意味ありげな表情を見つめた。

「当人が知らないのはおかしなことだ……シェリア、お前はベルクラフトへ行きなさい」
「父上!! ベルクラフトとは……わたしたちが幼いあの日に、話は終わったのではないのですか!!」

日頃穏やかなラーズが怒鳴るように荒い声を上げるが、シェリアは衝撃に声も出ない様子で、そのまま立ちすくんでいる。

「おや、ラーズも知らなかったのだったか?
確かに一時反故にしようとしたのだ。しかし、ベルクラフトは約束は約束だとして譲らない。
だから『子を産むまで』だと妥協案を出したまで。
神の加護を持つ王族は、その強力な力の代償か、普通の人間よりも子宝に恵まれづらい。
しかし幸か不幸か――カイン様とシェリアの間にはリエルトという世継ぎを早く授かることが出来た。
アルガレス帝国にはそれで充分貢献できた。ゆえに、もうシェリアはカイン様の婚約者ではないのだよ。王もそれを承知されている」

リエルトを素直に王家の者だと認めてくださっているのだ、それで十分だろう。

淡々としたルドウェルの語りは、より一層の生々しくシェリアの心に刺さり、抜けない。

「父様」

僅かな可能性に縋るような表情でシェリアはルドウェルに話しかけたが、その言葉は無理矢理に絞り出したかのように細く震えていた。

「最初から……私はベルクラフトの元に『行くようになっている』の……?
どんなことをしても、私は――……」
「その通り。お前が女として生まれ落ちた瞬間から、それは運命として決められている」

ルドウェルの断定的な言葉は、シェリアの心から希望を奪い去っていく。


フィーアはそれを歯がゆく見つめながら、このような父親もいるのだと苛立ちを覚え、怒りや侮蔑の言葉を発さないよう努めるために掌へ爪を立てた。

シェリアはそれ以上言葉を継ぐことなく俯き、力なく項垂れる。

ラーズは真っ青な顔をして立っているシェリアの側へと寄り添うと肩を抱き、父親を責めるように見つめた。

「……父上、シェリアは道具ではありません。わたしたちの大事な家族です。
わたしにとって血の繋がった妹であり、貴方の実の娘なのですよ……!」

しかし、ルドウェルは『知っているよ』と告げ――だから、とも続けた。

「だから、父親が娘をどこへ渡そうと、構わないのではないかな。全ては家のためだ」
「ふざけるな……!」

そこにカインが割って入り、ルドウェルにあからさまな怒りを見せる。

「先ほどから黙って聞いていれば……よくも抜け抜けと。ベルクラフトの件も、シェリアの婚約破棄も貴様が全て父へ吹き込んだだけだ!
オレは先日フィーア王女の一件を知ったぞ。しかも、もしシェリアをこうして旅に連れて行かなければ、貴様は勝手にベルクラフトへ送ったのだろう!!」
「仰る通りですな」

弁明もなく肯定したルドウェルに、カインは更なる怒りを覚えていた。

僅かな静寂の合間を縫い、シェリアは囁くような掠れ声で『どうして』と漏らす。

「どうして……父様もカインも、そんな大事なことを黙っていたの?」

と問うが、ルドウェルは鼻で笑い、カインは答えない。

いや、答えることができなかった――というほうが的確だろう。

シェリアに知らなくて良いことだと言って、黙ってきたこと。むしろ、知って欲しくなかったからだ。

だが、ここへ来てルドウェルが全て話してしまった。

シェリアがどれほど心に傷を受け、自分たちへの信頼を失ってしまったのか――その可視できぬ痛みは考えるにも恐ろしいほど、深いはずなのだから。

婚約者――『だったはず』のシェリア。そして唇を噛むカインの表情を見ながら、ルドウェルは一人ほくそ笑む。

「……シェリアをこのまま引き渡して頂けるなら話は早いのですが、まだ今後も連れて行こうという気があるのでしたら、クライヴェルグに赴いてベルクラフトと話し合うが良いでしょう。
とにかく彼らは一日でも早くシェリアを手に入れたい様子……何か事を荒げる前に、決着を付けて頂きたい」

貴方にそれが出来るのならばとルドウェルは言い、カインは憎々しげにルドウェルを見据えた。それは敵意と言い表しても良いほどに鋭く、強い。

「……わかった。クライヴェルグに向かおう」

その決断に、反応を示したシェリア。はじかれたように顔を上げ、はっきり行くと言いきったカインを見つめる。

「オレは、シェリアを自らの意志で選んだ。だったら――オレはその問題に向き合う必要がある」
「旅の途中だというのに、ですか? 皇子の選ぶべきは国民の安寧でしょう。シェリアの人生ではないはずです」
「人を一人守れぬ者に、多くは救えない」

すると、ルドウェルはなぜか神妙に頷いた。

「……つまり、シェリア自身もその信念に至る過程の一端でしかない。それならば良いのです。
皇帝陛下は、ご自身から三代に続く【呪い】について大変胸を痛めておいでですからな」
「――イリスクラフト!! それ以上喋る事は許さない!」

カインの鋭い口調に、失礼いたしましたとわざとらしく頭を垂れるルドウェル。だが、言葉とは裏腹に反省した様子は伺えない。

「……父様。クライヴェルグには……ベルクラフトの屋敷には、母様もいらっしゃるのですか」

シェリアがそう尋ねると、ラーズはハッとしたような顔をして腕の中の妹を見つめる。

だが、表情一つ変えず、まるで興味が無い様子でルドウェルは『恐らくな』と告げただけ。

ラーズはそんな父親の様子を見て悲しいとは思わなかったし、心が徐々に冷えて硬くなっていくような感覚に陥る。

「陛下からはベルクラフトとシェリアの関係を、これ以上王家に波及させぬよう完了させろとの仰せ。
シェリアをどうするかは、皇子に一任いたしましょう。
しかし――必ず、ベルクラフトとの関係を終わらせるようお願い致しましたよ」

ルドウェルは一礼し、険しい表情をしたままのカインと無力感に苛まれるシェリアを一瞥した後、その姿は光の柱に覆われ――消える。

転移魔法を使用してここまで来たのだから、帰りもその魔法で帰還するのは分かっていたのだが……フィーアは暫くルドウェルが立っていた場所を見据えていた。

「……フィーア王女、我々のことで……不快な思いをさせて本当に済まないと思っている」

黙って立ったままのフィーアが怒っていると思ったのか、カインは彼女へ近づくと軽く頭を下げた。

「だが、もう少しだけわがままを許して貰えないだろうか。オレは、やらねばならないことがあり――」
「構いませんわ」

カインの言葉を遮り、フィーアは強い語調で告げる。

「わたくしの国で、あのような振る舞い。そして……なんて不甲斐ないのでしょう。わたくし、腹が立って仕方がありません」

一息でそう言い切ると、フィーアはキッとカインやシェリアの方を向き直り、貴方達の事です、と指を突きつけ指摘する。

「……黙って聞いていれば。カイン様、貴方は皇子です。
王の勅命といえど、イリスクラフトは何もかも黙って決めて良いわけではない。
それを貴方は怒鳴り散らしているだけで、まったくなぜ一発食らわせて黙らせようとなさらないのです!」
「殴って解決することでは……」
「解決しなくとも、ああいう駄犬を野放しだからこそ陛下も言うなりになっているではありませんか!」

まくし立てるような剣幕に、カインは曖昧に頷くのがやっとだった。

しかし、フィーアはそれで終わらない。その矛先は、シェリアにも向けられる。

「シェリア様、貴女は一体どうされたいの? 貴女はカイン様を愛しておられるのでしょう。
このままカイン皇子の側にいたいのか、全てを捨てて、ベルクラフトへと引き渡されて彼らのいいようにされたいか……。
それすらもハッキリ言えぬまま、貴女は何をいじけているのです。全く以てだらしない」
「フィーア様……」
「本当に情けない、としかいうことがありません。
貴女にわたくしが手を貸して試練の場に立たせたのも、無駄に終わりそうです。
シェリア様、もう役立たずの貴女はこのままベルクラフトにお行きなさい。
わたくしがカイン様とご子息の面倒を見て差し上げます。幸せに暮らしますわ」

突然そう言い放ったフィーアにカインは抗議の声を上げかけたが、フィーアは片目を瞑って合図を送る。

それを見ていないシェリアは、雷に打たれたかのように全身を大きく震わせたが、言葉と涙を堪えるように掌を強く握り、口を固く結ぶだけ。

三人のやりとりを見ているラーズは、眉を顰め、行き着く先を見守るしかないようだ。

「カイン様も最初はわたくしとぎこちない新婚生活を送るでしょうが、まぁどうということはありません。
そのうち心を開いて下さいましょう。その時、貴女は光も差さない場所で野獣じみた男共に嬲られていることでしょうけど、わたくしの知ったことではありませんし」
「…………」

嘲笑するような言葉に、シェリアは全身を震わせて耐えている。妹の肩が震えだしたのを見て、ラーズはもうこれ以上は、と声を発した瞬間。


「……いや」

シェリアはぽつりと呟き、ラーズが彼女の耳に声を傾けようとしたが……シェリアはラーズの手をふりほどき、絶対いや、と吐き捨てた。

「私だって、カインの側にいたい。リエルトの成長を見守りたい……!
イリスクラフトに産まれたから、約束だからって――そんな言葉で片付けたくない。
やっぱり私は、私の意思でカインとリエルトと暮らしたいの!! ベルクラフトに行って生きていたくない……!」

涙と共に思いの丈を告白するシェリア。フィーアは肩をすくめ、それでいいのですわと笑った。

「ほら、きちんと貴女にも自分のしたいことがあるではないですか。
本当は、ちゃんとイリスクラフトのいる前でそう言って欲しかったのですが……貴女には刺激が強い真実ばかりでしたものね。
処理が追いつかないときに、こんなことを言って本当にごめんなさい」

シェリアの側へ歩み寄ったフィーアは、相手の頬に流れる透明な涙を指で拭い、ぎこちない動作で謝罪する。

そしてシェリアもこちらこそ、また助けて頂きましたねと恥ずかしそうに笑ったが、フィーアはそれを艶っぽく見つめて、こう言ったのだ。

「本当を言いますとね、わたくし……カイン様の婚約者なのですが、男性に触れるのがたまらなく不快ですの。
カイン様と床を共にする? 唇を重ねる? ……とんでもない。想像だけで吐き気を催します。
わたくしはね、女性しか愛せないのです」

シェリアの涙が付着する指先をぺろりと舐め、とんでもないことを告白するフィーア。

「え……」

それを聞いて、カインもシェリアも――思わずこの王女を凝視する。

ラーズはなんとなくだが、そうではないかと感づいているようだった。こめかみを押さえ、小さく息を吐いている。

「だから、シェリア様に居なくなられると、凄く困るんですの。汚らしい男しか居なくなってしまいますでしょう。
カイン様の婚約者ということは、一周回ればわたくしの婚約者でもあります。ですから、婚約者の危機を見過ごすわけに参りません」
「……えぇと……?」

どうしたらいいのかとカインの方を見つめるシェリアだが、カインもこの状況にどう対処するか思案しているようだ。

「安心しろ、シェリア。フィーア王女は完全にお前の味方だ。心強い」
「お褒めにあずかり恐悦至極に存じますわ」

弾む口調でカインに笑顔を向けるフィーアだが、よく見ればその顔はシェリアに向けるほどに輝いていない。

「シェリア様、ベルクラフトに怯える必要はございません。けれど、油断召されてはなりません。
彼らの魔術量ならばラーズ様の足下にも及ばないでしょう。しかし、時に思いや感情は力を生み出すのです。
思いは力になる。それは、覚えておいてください」

シェリアは素直に頷き、フィーアも頑張りましょうね、と優しく言葉を掛けた。



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