【ルフティガルド戦乱/24話】

指をさされたカインの胸にこみ上げてきたのは『不快』よりも――『不審』だった。

どちらにせよ好ましい感情ではなく、カインは恭介を睨むばかり。

「本当なんだ。ぼくは一読者で、その本の主人公や登場人物と共にこうして話をしている。
この本の物語はカインが旅に出るいきさつから始まって、登場人物もカインだけではなく、ラーズやレティシス、シェリアも出てくる。
これは君達の軌跡が書かれている本だったわけ。
だけど、ぼくがエルティアという世界に降り立ったのだと理解したのは、それから数ヶ月後の事だし……。
しかもだよ。本の中の時間より数年前に来てしまったみたいで、君たちも子供というより幼児だから、すぐ旅に出るわけないよね」

その後に続いた『無事にお会い出来て嬉しい』という言葉をかき消すように、カインの怒気を含む声が重なる。

「その本が予言の書だとして、お前は一体何を言いたい? オレたちの軌跡がそこに書かれている?
現段階で既に未来が確定しているとでも言うのか!? ならば――この世界の未来はどうなってる!! 答えろ!!」
「――あんなこと、言えるわけがないだろ!!」

大声を出すカインのそれよりも恭介の声は悲痛に響く。

「……せっかく、何かの糸口が見いだせたのに……、そんなこと……!」

悔しげに声を絞り出しながら恭介は机の上に手を付く。

その衝撃でカップとソーサーが微かに揺れ、震えるように音を立てた。

しんと静まりかえった場の空気を和らげるよう、フィーアは紅が鮮やかに引かれた唇を開く。

「……わたくしも、彼の噂はカイン様の婚約者になる前より聞き及んでおりました。
ブレゼシュタットでは、彼は有名です。中でも、アーディ教会は喉から手が出る程に彼を欲していた。
だって、予言の書を持つ黒髪の青年なんて、これ以上ない神秘の存在でしょう……難を言えば、美しい少女ではない事が唯一残念でしたけど」

小さく笑うとフィーアは指を組み、恭介を改めて見つめた。

「それで、キョウスケさん。一人で怒ったり悲しんでいてもあの方々には話が掴めませんわ。
まだ続きが……おありでしょう? 貴方がきちんとお話しするから、この場を設けたのですからね」

叱責するでも励ますわけでもないフィーアの声音は、恭介の気持ちを幾分落ち着けたようだ。

「……はい」

一呼吸おいて、恭介は再び口を開く。


「……混乱させて申し訳ない。
あなたたちにしてみたら、自分たちが本の中の住人なんて実感もあるわけないし、信じることも出来ないと思う。
ぼくも初めは、本の中の世界が実際にあるわけないと思って……架空だと思われた世界が実在していることなんて信じられなかった。
だけど実際本に載っていた国や街がある。呼吸をし、血を流し、怒ったり笑ったりする人物がいる。
同じ名前の人が居て、魔法と呼ばれる技術を使う。魔族という敵まで存在している。
どうしてぼくがこの世界に来たのかはわからない。
けれど、ここがエルティアだと示す証拠ばかりが出てくるんだ。だから信じる他になくて……。
そのために君たちにも会いたかった。もしも出会うことが出来たら、ぼくは君たちと共に往きたい。
それをずっと考えていたんだ。そのきっかけはこの本の記述が……最初と変わったんだよ」
「変わった……?」

不思議そうな声を上げるシェリアに、恭介は頷く。

「旅の始まりから最後まで物語は綴られて、終了している。
でも、最近ね……その話の内容が少しずつ変わってきているんだよ」

ぱらりと表紙を開き、本の序盤であると思われる手頃なページを開く恭介。

彼には白い紙に書かれている謎の文字は読めるのだろうが、カインはおろか、魔法文字の類を熟知しているラーズにさえ読み解くことは出来ない。

「あの、私にも読めない文字だからなんて書いてあるか分からないけど……あなたのいう中身が変わる、っていうのは……本文が変化しているという……の?」
「そう。その通りだよ。
本の物語がこの旅の歩みだとするなら、君らの足取りはぼくが今まで読んでいたものと少しずつ変わってきている事になる。
原因は分からないけど、変化する部分が白紙になってね、新たな文字が滲むように浮かんでくるんだ。
だから……これはぼくの仮説だけど、今後も記述が変わる部分が多くなるなら……この本に記されている歴史の顛末が変わるかもしれないんだ。
そして、ぼくはそれを望んでいる」

なおも本のページをめくっていく恭介は、すり切れたしおりが挟まれた部分にさしかかると、急に悲しげな顔をし、本を閉じる。

「ぼくの予知は……この本は当たるんだ。自分で見る内容や時期をコントロールできないけど、見た内容が外れることは無かった。
……あの洞窟に行くまでは、一度も外れた事がなかったんだよ」

アダマスが現れることなど恭介も予知できなかったことだし、本の記述にもなかった。

彼はその衝撃を思い出しながら、カインに微笑みかけた。

「ぼくが絶対だと思っていた予知もこうして外れるなら、世界や未来がなぜか変わる可能性があるなら。
ぼくはそれを見届けたい。君たちと一緒に――憤ったり、泣いたり、笑い合いたいんだ」

それも恭介の本心ではあるのだが、はたして彼ら……特にカインには、その気持ちは汲み取って貰えるのだろうか。

すると、カインは仕方がないというように口を開く。

「全く、行動を共にしたいと勝手に言う奴らばかりしかオレの周りには集まってこないのか?
……先ほども聞いたが、その本にはどんな未来が書かれているんだ。
君が変えたい未来とは何なのか。オレはそれも知って、判断したいのだが」
「…………それは」

言い出しにくいことなのだろうか。俯いて口を閉ざす恭介と、彼らの会話にじっと耳を澄ませ、視線を向ける一同。

そこに割って入ったのは、またもフィーアであった。

「皆様、そう急かさないで差し上げて。キョウスケさんにも節制があるのですわ。
……視た内容を口にすると本当に起こる可能性がある。
事実と異なること………いわば嘘をつくと、事実よりも大きな影響が出てしまうそうです」

その言葉に恭介も頷くが、それでもカインは引き下がってはくれない。

「しかし、我々にはこの文字は読めない。
この男が独自に編み出した記号や文字かもしれん。言っていることが真実であるとは言いがたい」
「……キョウスケさん、貴方大変に不審がられていますわよ?」
「そうですね……ぼくがカイン様ならうさんくさい男の意見に耳を傾けたくはない気持ちも分かります。
実際やってみろと言われても実際出来ることじゃないので否定はしづらいですが……うーん……」

埒が明かない、と判断した恭介はそこで、事実の一部を伝えることにした。

「修正される前の本の中では――二人が……永遠の別れをすることになっていました」
「……!!」

一同に緊迫した雰囲気が満ちて、誰ともなしに仲間の顔を伺う。

もちろん、カインも例外ではない。珍しく、その表情には焦りと動揺があった。

「永遠の別れ、など……それは一体」
「……誰の生死、出来事についてかは、キョウスケさんは今まで答えることはしませんでした。
実はわたくしも知りません。それだけは頑なに教えて頂けなかったのです。本当になっては嫌だからと。
確かに悲しい出来事が起きては困りますもの……わたくし自身、キョウスケさんの話……つまりは予言を聞き、何度か実際にその通りの出来事が起こるのを確認しました。
ただ、歴史が変わっているというなら誰かの別離も変わるかもしれない。
かもしれないという希望ですが、結果として悲しみが減るのならば、それはどんなに喜ばしいことなのでしょう。
仮に彼が嘘をついていたとしても、わたくしはその目標に向かって進むことが出来る。悔いはありません。
ですから、わたくしも……ブレゼシュタット王国も、彼に協力は惜しみません。
キョウスケさん共々、よろしくお願いしますわね、カイン皇子」

にっこりと微笑み、可愛らしい声でそう言ったフィーアにカインは軽く頷きかけたが――ふと、動きを止めて眉根を寄せる。

「失礼……今、なんと」
「ふふ、わたくしとキョウスケさんも一緒に旅に加わると申し上げたのです」
「ええっ……!?」

そう驚きの声を上げたのは、カインだけではなくシェリアとレナードも一緒だった。

「……国政の手伝いはどうされるのですか?」
「そんなもの、お父様や義兄様がどうとでも致しますし……何より世界と婚約者の一大事ではないですか。
共に寄り添って助け合わなければ、ね?」

フィーアは柔らかく微笑んでいるだけのはずなのに、なぜかシェリアにはその笑顔にすごく威圧的なものを感じる。

「シェリア様、それとも……わたくしがご一緒するのは嫌ですの? 悲しいわ」
「う……うぅ……そんなこと、ないですけど……お姫様に何かあったら危ないかなって……」
「おほほ、心配ご無用ですわ。わたくし乗馬は普通に出来ますし弓も魔法も扱えますの。
自分の身は守ることが出来ますし、何よりわたくしよりお姫様体質であるシェリア様の一人や二人は庇える余裕もありますのよ、凄いでしょう?」
「それは……すごく心強い、です……」

後ろめたいことは何もないはずなのだが……シェリアは返事に窮し、カインの顔を見て、フィーアの笑顔を見てから――沈黙した。

「フィーア王女はともかく……キョウスケさんという方をお連れになるのは、僕としては好ましくありません。
何かを企んでいるかもしれないですから……」
「密偵ごっこの君に言われたくはないけど」

レナードの言葉にも棘はあったが、恭介はあっさりそれを躱すと、同じようにレナードへ言い返す。

「君は一体『誰』なんだろうね?」
「…………」

何かを含む言い方の恭介と、ギリッと唇を噛んだレナード。

二人は黙って相手を見つめていたが、カインにとっては怪しさも信用に足るかという具合も大差ない。

「ここで来るなとお断りしても、無駄なのでしょう」
「……ええ。むしろお断りされたらブレゼシュタットの兵を挙げ、後をついて行くつもりですわよ」

カインは一同を眺め回し、額に手を置いてから『わかりました』と告げた。

「仲間が増えるのは心強いと思うことに致しますが……兵を大漁に率いるのはおやめ下さい」


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