【ルフティガルド戦乱/18話】

魔物に出会ったのはカインとレティシス二人だけで、ラーズ、レナード、恭介の三名は何事もなくその場に佇んでいたらしい。

カインと合流できた事をラーズは素直に喜んでいたが、カインは暫く彼らをじっと見つめていて、少しの間訝しんでいた気配がある。

レティシスは靄に巻かれた際、自分がどう歩いているのか分からなかったと告げた。

外套に血糊がべったりと付着していたせいで、また怪我をしたのかと周囲に心配されていたことにも苦い顔をし、普段通りのラーズの様子を確認すると『やっぱり普段通りが一番だな』とほっとしたような笑顔を見せる。

「出会わなかった……? 人間大の魔物だったのだが……」
「確かに靄は出たのですが、キョウスケさんが魔符を使ってわたしたちを守ってくれたようなのです」

魔符、とカインが呟く。

「そっち側から見たオレ達は……いや、全体的には何が起きた?」
「ぼく達は特に何も……ううん、靄はぼくらを一度覆うように包んだけれど、魔符のおかげか、すぐにぼくらを避けるようにして周りに広がっていったかな。
そちらでは何があったの?」

恭介は素直に起こった事を話し、レティシスは、魔物が仲間に変化した姿でやってきた事などを語った。

流石に、ラーズの姿でカインを亡き者にしようと語りかけてきたとか、シェリアの事といった仔細は語らなかったが。

同じように姿を偽られたカインは、レティシスの話を黙って聞いているだけだったが、その表情には苦いものが含まれている。

「仲間が無事なのは良い事だけど、姿を変えて近づくとことか、心の隙を突いて来るのはやり口が汚いと思うんだよな!」
「仲間の姿……ですか」

顎に手を置きながらレナードが硬い声音で呟き、恭介もまた難しい顔をしている。

「奴らを倒したからか、靄は消えてきたように思うのだが」

カインが顎で進路の先を示すと、あれほど立ち込めていた靄はその量を著しく減らしており、風に流されて床を薄く這う程度しか残っていない。

魔物が敵を騙すために靄が必要だったとするなら、ほぼ効力は発揮しないと見ていいだろう。

「何の根拠もないけど、まだ奥にそんなものがいるなら嫌だね。十分注意しなければ……」
「あの靄、幻覚作用があるのかもしれません」
「魔物自体の目も怪しかったな。靄との相乗効果もあるんじゃないか?」

そんな話をしながらも周囲に気を配る。しばらく進むと、カインは恭介のほうを振り返った。

「そういえば、準備よく魔符を所持していたようだが」
「魔除けなんだ。
この洞窟だけではなく、国内に魔族やアーディ神の様々な逸話がある事くらい、ブレゼシュタットに暮らす人ならみんな知ってる。
だから御守りがわりに魔除け札を持っていただけなんだ」

そう聞いても、カインは彼の顔をじっと眺めて懐疑的であるし、レナードも同じように思ったのか、恭介とカインの事を静観していた。

仮面で隠された目元であっても、視線を感じるようだ。

「ブレゼシュタットの人間は大概持ってるものなんだ。本当だよ?」

恭介はレナードの方を向き、人懐こい笑みを浮かべるのだが、友好的な態度とは真逆にレナードの表情は今の状態からピクリともしないままで、何一つとして変わることは無い。

その微妙な空気の中で、また疑問が湧いたらしいカインが口を開く。

「それで、だ。
靄が立ちこめた時オレは先頭だったが、レティシスは君らの後方にいたはずだ。
なぜ、後方にいたにも関わらず……靄に巻かれたのか?
そこが少々解せん」

もしも恭介の札が有効ならば、側にいたラーズとレナードだけではなく、後ろのレティシスにも有効だったのではないかとカインは言うのだ。

「はっきりと断定は出来ませんが、魔法に対する抵抗力の問題ではないかと思うのです。
靄にはわたしたちも覆われました。が、わたしは魔術に対して、この中では一番抵抗力が高いかと。
レナードは……血縁に魔術を体得した者がいるはずなので、ある程度はその身体の血脈に受け継がれているはず。
キョウスケさんは、ご自身が何らかの術士であるか、またはその魔除け札のおかげではないでしょうか」
「……つまり、オレとレティシスはそういった類の抵抗力が無かったから、幻覚を視せられたのか」
「カイン様の御身に魔力は備わっているはずです。しかし、一度も鍛錬されていないのでそれが発揮されぬままなのだと」

初代ラエルテ王の孫にあたるアレス一世には魔術師の素質があり、当時のイリスクラフトと非常に親しい関係であったという王家の記録が残っている。

しかし、その後アルガレス王家に魔術を使用する者がいたという記録は無い。

イリスクラフトという誰よりも魔術に長けた者がいるのだし、王家の者は末端であろうとも多忙だ。

魔術を体得するに必要な時間を捻出する暇があるわけもない。

それよりも、カインは先ほどラーズが述べた『レナードの血縁に魔術を使用するものがいるはず』という言い方に引っかかりを覚えていた。

ラーズと縁があるというし、イリスクラフトの血縁ならば一族にそのようなものがいても不思議はない。なのに、ラーズはそこを断定しないのだ。

そのほか、レナードはシェリアと親しくはない様子どころか、一方的に嫌っている気配がある。つまりシェリアにも面識があるとみていいだろう。

あの露出の高い格好によるものか、イリスクラフト家に生まれた女だからなのか――レナードがシェリアを厭う理由など、カインは微塵の興味もなかったが――彼の目的が不明である事のほうが、カインにとっては余程気がかりだ。

本当に、この男は密使なのだろうか――? その警戒心がいつまでも解けないのだ。

「カイン皇子?」

どうしましたかと当のレナードが尋ねてきたが、答える気もないカインは何でもないと言って背を向けた。

レナードに魔術師の家系か、目的は何かと素直に疑問を投げかけたとしても、十中八九適当にはぐらかされるのが目に見えている。

それに彼が魔術師であろうと無かろうと、自分たちの邪魔さえしなければカインには何の問題も無い。

「……先に進もう。まだ宝珠は見つかっていない」

カイン達は【ライト】の明かりを頼りに洞窟の中を進んでいくが、暗闇……進路の先より突如、何者かの長い叫び声を聞いた。

叫び声は恐怖によって漏れたような……男の甲高い声だったが、悲鳴の最後は苦痛に絞り出された断末魔のようなもの。

聞く者の歩みを止め、心を強張らせるに十分な悲鳴だった。

「……急ごう。走るが、付いてこれるな?」

カインは後方のレティシスへ話しかけ、赤毛の青年も任せろと優しく頷いた。

「しっかりついて行くけど、珍しいな、カインさんが気遣ってくれるの」

冗談半分で投げかけたはずだったのだが、レティシスにはそう聞こえはしなかったようだ。

他意のない心配として捉えられたらしい言葉への嬉しそうな返答は、カインの表情を曇らせる。

「……お前に正論を言われるのは、腹が立ってしまうな」
「な、なんだよそれ! ひどくないか!」

失礼な物言いに当然レティシスは反発したが、既にカインはその声を無視して駆けだしていた。その後ろを、ラーズや恭介が続く。

明かりも満足に照らせぬ暗い道をひた走った一同が見たものは、絶命したブレゼシュタット兵の――死体。

壮年の男で、恐怖に引きつったままの表情を張り付け、焦点の合わぬ橙の目は、もう何も映さないのだろう。

「間に合わなかったか……」

カインがそう呟きながら、外傷を確かめる。やはり、この男にも最初の死体と同じように、胸部中央が丸く穿かれている。

「……なんだ、これ?」

レティシスが死体の孔周辺を指し、付着している細いものを嫌々指先で摘むと、顔に近づけてみた。

「……毛、だなあ……なんだろ、兎とは違うし、猫じゃないな……」

毛と一概にいうが、正確には……獣毛のようだ。毛長であり、先端から毛の中央部まで灰色がかっている。

レティシスは難しい顔をしながらも毛に触れて弾力を見て具合を確かめているが、ぴんと張りのある直毛に首を何度か傾げていた。

「犬、ってほど毛が硬くない。でも狼よりも艶がある……もしかしたら狐かな……?」
「……へぇ、なかなか良い目利きが出来る坊やじゃないか」

レティシスの呟きに応えるように、機嫌の良さそうな女の声が洞窟の闇から響いてくる。


一同は誰が促すでもなく一斉に声が聞こえたであろう方角――通路の先を見据えた。


「しかし、やんなっちゃうね。こりゃあ……ゴチャゴチャゾロゾロと来たもんだ」

あーあ、と面倒臭そうな女の声が暗がりから徐々に近づいてくる。カインは剣に手をかけたまま、いつもより低い声音で誰だと闇へ問いかけた。

「人の名前を聞くときは、自分から名乗るもんじゃないのかねェ」

足音だけではない……ずるずると何かを引きずる音も奥から近づいてくる。

「怪しい者には名乗るものではない、不用意に近づくな……と言われなかったか?」
「はっ。どっちが怪しいんだか。そのセリフ、そっくりそのまま返すよ。
でも、こちらはアンタの事を知ってるんだ……アルガレス帝国の皇子様」

声が近づいてくるにつれ、刺々しい闘気の風が肌を撫でていくような、ちりちりとした気配が広がっていく。

【ライト】が照らす範囲に、かかとの高い紫色のサンダルと、スリットの入った同色のドレスが踏み込んだ。

そして女は――その姿を灯魔法の前へと晒す。

年の頃は二十代後半から三十代前半というところだろうか。つり目がちな茶色の瞳には敵意と挑戦的な色が映る。

若草を思わせる緑色の髪は少年のように短く切りそろえられていて、前髪の一部だけが彼女の右目を覆うように耳の下程度まで伸ばされている。

「皇子……アンタは我らが敬愛する、魔王カリヴンクルサス様を討伐しようなどと考えているんだっけね?」

そう問いかける女の白い脛にはまだ鮮やかな緋色が付着しており、ラーズ達は彼女が負傷しているのではないかと思ったが、もう一歩進み出た彼女を見て――彼らはそうではないと理解した。

女の右手には奪われた宝珠の特徴に限りなく近いものが握られており、白い毛並みに覆われている左手――肉食獣のような鋭い爪は人間の顔面を掴んで、その体を荷物のように引きずっている。

「あんた、まさか……宝珠を奪って、この兵士達も……!」

殺したのか、とレティシスが厳しい口調で訊くと、獣のような腕を持つ女は『そうだよ』と事もなげに言って、掴んでいた兵士の体を彼らの前に放り投げる。

ドサリと重い音を立てて地面へ投げ出された兵士の男は、この洞窟で見た全ての亡骸と同じように心臓部をくり抜かれて絶命していた。

「宝珠はこっちも必要だったのさ。
この国の神殿へ取りに行こうと持ってたら、なんだか知らない盗賊が先に盗み出してくれちゃって。
ったく余計な手間ァしてくれたモンだよ。
どうせ金目当てで盗んだんだろうから穏便に話し合って解決してあげようと思ったのに、魔族めー、って急に斬りかかってきたからムカついちゃってね。じわじわ傷つけて殺したわけ。
女の心臓は食ったけど、男共のは使い魔にくれてやったよ。アンタたちも会ったんじゃないかい? 目玉の化け物に。
誰も死んでないなら、一体誰が化けて出てきて、誰が仲間に化けたヤツを殺したんだろうね……アハハハッ!!」
「笑うのを止めろッ! この兵士達にもあんな酷い事をしたのか!?」

愉しげに笑う女の声が癇に障ったのか、レティシスは女を睨んでいる。彼の纏う雰囲気はいつもの柔和なものではなく、怒気を孕んだものに変わっていた。

「……ふふ、坊やは仲間に化けたのを斬ったのかい。どうだった? 心の内でも見透かされたから斬ったの?」
「このっ……!」
「挑発に乗るな。落ち着け」

幅広の剣を抜き去り、女へと斬りかかろうとしたレティシスの肩をカインが掴んで押し留めた。

「でも……!」
「逆上しては相手の思う壺だ」

レティシスは納得いかないといった顔でカインを見たが、すぐに視線を逸らし、分かったよと呟くと余分な力を抜き、半歩下がる。

「ふん……ま、ワタシは殺されそうになったからコイツらを倒しただけなんだし、兵士が可哀想だと思うなら、ちゃんと冷たくて暗い棺の中に入れておやりよ」

自分が物のように投げた兵士の亡骸へ一瞥をくれた女は、悪びれもない口調で仕方がなかったんだよねとも呟いた。

「仕方がなかったと弁解するかのように言うが、どうせ悪いとは微塵も思っていないのは分かっている。
どのみち盗もうとしていたなら、殺人を犯した場所が神殿か洞窟かというだけだ……が、その宝珠はブレゼシュタットにとって大切なものでな。こちらに戻してもらおうか」
「ダーメ。これはワタシたちも使うんだよ。だから盗みに行ったんだから」

カインは宝珠を返せと言ったが、女も応じる気は更々ない様子だ。

「人間が奉っているものだぞ。宗教上の宝を魔族が一体何に使うというんだ」
「本当にそう思ってる? だいいち何に使うか、なんてそんな事……教えるワケないじゃないさ」

秘密なんだよと言いながら、女は自分の持っている宝珠を軽く持ち上げると、何かを思いついたらしい。ニヤリと笑ってカインに『どうする?』と聞いた。

「持って帰って良いならそうするけど、アンタたちはわざわざコレを取り返しに来たんじゃないかい?
ワタシはコレを持って帰りたい、アンタたちはコレを取り返したい。ワタシは返す気がない。なら……奪うしかないんじゃない?
ま、女に剣は向けられないっていう信条があったり、ワタシを倒せると思ってるんなら――無理だろうけどね」

ふんと鼻で笑うと、女はカインの顔を横目で見る。この男はどう出るのかという興味もあったようだが、カインのほうもため息を一つ吐いた。

「オレ達は騎士でもない。そのような信条は持ち合わせていないし、何より宝珠を持ち帰らねば全員揃って指の骨を砕かれる。
それに、まだやる事がうんざりするほど残っている。奪わなければ戻れないのなら、その提案を受けよう」

指の骨を砕かれる、というのは、フィーア王女が自国の兵へ行っていた罪状の一つだ。

それを思い出したのか、レティシスも眉を顰めて自らの指に視線を落とした。

剣を抜いたカインを見ても女は動じることはなく、むしろ戦える事を喜んでいるようだった。

「好戦的な皇子様だねえ。本当に、魔族と停戦をしようって気があるのかね」

そう言いながらも女は背を丸めて猫背の姿勢をとり、腕を軽く体の前に構えて鋭い爪をカイン達へと見せつける。

「譲歩する事と、退けぬ事を秤にかけて考えているだけだ」
「ふぅん。なんであれ御託はいいさ。アンタはワタシに倒されるんだからね! 魔王様に素晴らしい土産が出来そうだよ」
「……魔王? 君は魔王の手の者なのかい?」

恭介が意外そうに聞くや、女は当たり前じゃないかと嬉しそうに答えた。

「ワタシは魔王様直属の部下。
この一帯の魔族を管理する軍長……アダマスさ」
「……アダマス!」

一語一語はっきりと噛み締めるように名を呟いたのはレナードで、ラーズは彼に視線を送る。

「聞き覚えが?」
「はい。魔王の側には、三人の守護……いわば親衛隊がいると聞いています。その中の一人がアダマスだったはず。
まさか……想定よりも早く会う事になったなんて」

そんなはずはない、と一人呟くレナードの声を恭介は聞き逃さなかった。

彼の目には期待と、確信……そして少しの迷いが含まれていたが、足を踏み出しレナードの隣へとやってくると、銀の剣士にだけ聞こえるよう――こう告げた。

「……ぼくも、同じような事を考えてたんだ……【彼女と会うのはここではなかったはずだ】と」
「……?!」

レナードはバッと勢いよく恭介に顔を向け、彼らは数秒、互いの存在が何なのかを探るように見つめあった。

「……ごめんね、独り言だよ。
とりあえず……ぼくらは全員で、ここを切り抜けなくちゃいけないみたいだね」

クスリと恭介は微笑み、体の左側を半歩後方に下げた。

斜に構える姿勢を取ると右の拳を鳩尾の下に添えるように置き、左手は眼前で手刀を形作って何かの武術の構えを取ると、アダマスを見据えた。



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