【ルフティガルド戦乱/17話】

目的である洞窟へカイン達が到着したのは、既に昼を過ぎた頃。

リフラムの街からさほど遠くなく、道のりはかなり平坦。

二つ程分かれ道があったものの、その度に恭介が道を示すので迷う事はなかった。

容赦なく照りつける日光と砂地から上がる熱を帯びた体には、洞窟の中のひんやりした空気が心地よい。

ラーズは【ライト】という明かりの魔法を使用して皆の周りにそれぞれ浮かべると、一つを進路のやや先へ向けて指先で押す。

押されてほわほわと進む【ライト】の光を受けて、洞窟内に生えていた光苔が、自らの存在を示すようにきらきらと輝いている。

適度な水分と湿度があり、一年を通して気温差が少ないこの環境は、生物にとっては過ごしやすいようだ。

複数枚の翅を左右不規則な動きで羽ばたかせ、飛行する奇妙な虫も飛んでいる。

レティシスは顔の近くに飛んでくる虫を、嫌そうな顔をしながら手で払うと思わず悪態をついた。

「だあぁっ、もう……! 俺は獲物じゃないっての……!」
「……特別、洞窟内に危険な雰囲気を感じませんが、ここには魔族が棲んでいると聞きました。気をつけて行きましょう」

ラーズが注意を促し、恭介にこの先の道を知っているかを尋ねてみたが、恭介もここへ来るのは初めてのようだ。

首を横に振り、いいえとすまなそうに答える。

洞窟内は皆で横に広がる事ができるほどの幅は無かったため、カインとラーズを先頭にし、レナード、恭介、レティシスと続く。

奥へ奥へと進む道は、地面の水たまりへ滴が天井から落ちた際の水音が聞こえる他、虫の鳴き声とカイン達が立てる物音くらいしかなく、魔族どころか怪しい気配すらない。

しかし、奥に向かうにつれ、徐々に靄のようなものが立ちこめてきたのがわかる。

「ガスでも出てるのかな……?」

レティシスがくんくんと空気の匂いを嗅いでみるが、しっとりと土が濡れた匂いくらいで、鼻をつくような異臭を感じる事は無かった。

尤も、この靄が無色無臭であれば、ただただその行為も危険でしかないのだが。

「――カイン様、あれを」

ラーズが指す方、大きくせり出した岩場の陰に……何かがいる。

【ライト】をその場に留め、ラーズ達は注意深く目を凝らしながら、それが何かを判別しようとした。
「……人、みたいだな?」

レティシスが小声で誰にともなく告げ、レナードも頷きながら音をなるべく立てないよう気を配りながら剣を鞘からゆっくり抜く。

カインもウィアスを引き抜き、そろりそろりと物陰へ近づくと一気に走り寄り、相手へ剣を突き付けようとしたが……途中でその手が止まる。

「……これは、探していた女だったもの、か?」

カインの言葉にただならぬものを感じ取ったラーズ達は、彼の側へ駆け寄る。


鼻腔に入り込んでくるのは、ガスなどの異臭ではなく……もっと身近に嗅いでいる、血臭。


そして……カインの視線の先にあったのは、原型をある程度残す、女の惨たらしい死体。

身体の至る所に無数の裂傷が刻まれ、黄色の麻服は血液で所々染まっている。

絶命してから時間が経っていないらしい。

主の体を守るなめし革の胸当ては、中心部に拳大の穴が開いており、円形の孔周辺からは血がぽたぽたと流れ落ちていた。

どうやらこの傷が致命的……いや、即死だったのではないかというラーズの見解だが、物言わぬ屍と化した彼女の周囲には、自らのものであろう赤い髪がまばらな長さで散乱している。

女の手には短剣が未だ握られていて、これにも血がべったり付着している。

「戦闘があったとして、髪を切る、あるいは切られるってのは……どういうことなんだろうな」

冷たい床の上へ散らされた血痕と赤い髪を眺め、レティシスは困惑した様子で自らの髪に触れる。

記憶を辿ると、リフラムまでの道中で会った女と髪の色や背格好は似ている気がしなくもない。

しかし――遺体には傷や欠損もあり、記憶の中のイメージと重ね合わせるには正直足りない部分が多すぎた。

「殺されて喰われたようだね……。心臓部分はもとより頭の半分に、右腕と、脇腹が……」

ない、という言葉をすんでのところで飲み込み、恭介は思わず手で口元を押さえた。

死体を見るのは初めてではないが、こうも無惨なものは初めてだったせいで、吐き気がこみ上げてきた様子だ。

「……とにかく、彼女がイェルマだったか……それは分からないが、肝心の宝珠が見つからない」

フィーアから宝珠の詳細な大きさを聞かされていた恭介達は、遺体の体の近くや周囲をくまなく探してみた。

宝珠は中心に飾られている宝玉部分を覆うような銀製の台座が付いているらしいし、細身の女が身体に隠せる大きさでもないそうだ。

仮に台座を外したとしても売れば多額の金額になるはずだから、捨てずに持ち去られた可能性は高い。

「宝珠を持っていた腕ごと奪われた……とも考えられます。
それにまだ、追いかけて行ったらしいブレゼシュタットの兵士の姿すら見えません。
我々と同じく彼女の遺体を発見し、宝珠の捜索をしているかもしれない」

地面を見つめていたラーズは、赤い滴の後が奥へと続いている事を指摘し、【ライト】の光が届かない洞窟の先を見据えてゆっくり立ち上がる。

「そうだな……兵も奥でこうなってる可能性もあるが、行ってみるか」

カインも頷き、マントについた泥を軽く叩いてから歩き始めると、ラーズ達もその後へ続く。

通路の奥へ進んでいくと、行く手を阻むように靄が更に立ちこめて、一段と濃さを増す。

ラーズに靄は何かを感じるか、と尋ねてみたが――魔力や罠のような反応はないという。

先に進むたび、この靄は徐々に視界を覆うようになっていく。

途端、急な突風が洞窟の奥から吹き荒び、溜まっていた靄を風に乗せて拡散する。

「う……っ?!」

思わず腕で顔を覆ったカインは、数秒ほどそうしていたが後方を振り返る。

靄はカインを包むかのように広がっていて、近くにいた仲間の姿は見えず、すぐ側にあるはずの【ライト】の光すらぼんやりとしか確認できないほどだ。

――この先に進むのはまずいのではないか?

そう思い、カインはラーズの名を呼んだ……が、返事はない。

「……ラーズ?」

もう一度呼んでもやはり、返答がなかった。


――まずい。

カインが来た道を引き返そうとした時、靄の中から忙しなく周囲を見回している、レティシスが現れた。

「……うわっ!?」

突如誰かの姿が見えたことに驚いたらしく、レティシスは機敏な動作で剣の柄へと手をかけたが、相手がカインだと分かるとほっとしたように武器に触れた手を離した。

「カインさんか……よかった、急に靄で何も見えなくなったし、みんなとはぐれたのかと」

レティシスは苦笑しつつも自分が出てきた方を見やり、ラーズ達はどうしたかと聞いたが、カインもはぐれたので今戻ろうとしたところだと答える。

「え……? いない……?」

そんなはずはない、と言いたげなレティシスの雰囲気。

カインとてレティシスが並びの一番最後だった事は知っているので、彼がここにいるという事は皆を追い越した事になる。

「……レティシスは、ラーズ達をなぜ見失った?」
「なんで、って……すぐ靄がかかってさ……みんなを見失ったから俺、走ろうとして……」

靄はまだ濃い。ここでラーズ達を待つ事と、戻る事はどちらが得策だろうか。

「この靄のせいならば仕方ないと言いたいが……風が吹いてきたときオレは一歩も動いていない。
ほんの少しの距離で互いに仲間を見失うものだろうか。追い抜いてきたのでは?」

冷たさのある瞳でレティシスを見たカインだが、その言葉と仕草はレティシスの感情を刺激するに十分だったようだ。

「なんだよ、それ。自分が後ろも見ないで勝手に先行くからこうして見失ったんだろ……」

ムッとした顔で、レティシスはカインを睨め付ける。

文句を言っても涼しい顔のカインを見ていると、更に腹が立つのか、はたまたこれまでに思うところが多かったか――レティシスは『だいたい』と口火を切った。

「カインさんは俺たちだけじゃなく、シェリアに冷たいよな。
婚約者が他にもいるみたいだけど、また違う国でも次々出てくるんじゃないのか?
もうちょっとシェリアの気持ちも配慮してやれよ」
「貴様が心配する事ではない。部外者が口を挟むな」

淡々と、しかし厳しく拒絶するカインに、レティシスは吐きすてるようにいい加減可哀相だろ、と声を張り上げた。

「そりゃ、あんたはいいよ。シェリアもフィーア王女もどちらだって選べる。
でも、シェリアはそうじゃない! あんたがフィーア王女を選んだら、自分は捨てられたんだと思うんじゃ無いのか?」
「…………」

カインの視線はだんだんと鋭くなるが、レティシスの口撃も止まない。

それどころか、更に苛烈さを増していく。

「皇帝との話に出たベルクラフトの事、バレるまで黙ってるつもりなんだろ?
きっと何でも隠して、最後にブチ切れてうやむやにするつもりだろ、どうせ。絶対シェリアだって幻滅してる。そんなんじゃ……信頼なんかできるわけない」
「――!」

瞬間、カインはぎろりとレティシスを睨み、無言のまま剣を抜く。

靄の中、レティシスにはカインの心のように冷たく、不穏に煌めく白刃が見えた気がした。

「なん……」

さすがにレティシスも狼狽し、剣の柄に再び手をかけたが、彼が抜ききるより早く、俊敏に間を詰めたカインがレティシスの胸を突いていた。

「あんた……仲間を、躊躇なく……?」
「仲間? 貴様は違う。
どこでオレの身辺やベルクラフトの事を知ったかなどはどうでもいいが――レティシスは父が話した内容はおろか、ベルクラフトの件など知らん。うまく化けたが、喋りすぎたな」

すると、レティシスの顔が嘲りに歪む。

「……チッ……うっかり『読み過ぎた』なぁ……。
だが、あんたが見破れても、ほかのヤツはどうだと思う……?」

レティシスの形をしたものはニタリと嗤っているが、カインは不快そうにそれを見て剣を翻し、胴を切り裂く。

断末魔の叫びを上げながら、レティシスに似たものはカインを睨み……どさりと背中から地に伏した。

その身体からは紫色の瘴気が漏れ、だんだんとレティシスの姿から掛け離れた緑色の人型になる。

型抜きで作ったような簡素なフォルムの人形は、胸元に人の頭ほどもある巨大な目玉を持っていて、カインが斬りつけたのはちょうどそこだ。

目玉には幻覚を見せる作用があったのか、あるいは靄を発生させていたのかは分からないが、カインの周りに立ち込めていた靄はすっかり晴れている。

倒した敵の様子を見つめながら、カインは口を開いた。

「……よりによって、あいつの姿に化けたのか。
その姿で事実を突きつけられるのは、誰に言われるより腹立たしいものだな」


当のレティシスも、カインと同じように靄の中で皆を探していたが……やはり誰の姿も確認できない。

「どうなってんのかな……」

思わず愚痴が零れたが、後退してみても靄は晴れないし、いつ魔物が出るかもしれないこの状態では先にも進みたくはない。

仲間の事も心配だ。特に、前を行っていたはずのカインやラーズはどうなっただろうか。

手をこまねいていても仕方ないと思った矢先、レティシスの前――靄の中で人影のようなものが動いた。

「……! おーい!」

手を挙げ、大きな声でそれを呼ぶと、人影はこちらに気づいたらしい。ぴたりと動きを止める。

振り返り、レティシスの場所を確認すると、足早に近づいてきたのは――ラーズだった。

「ああ、良かった。急にはぐれてしまったようなので、心配しました……」

この靄では仕方ありませんが、と言い肩をすくめてレティシスへと笑いかけたラーズだが、その顔はすぐに曇る。

「……お一人で?」
「そうだよ。みんな見えなくなっちゃってさ」
「それならば早くカイン様とも合流しなければいけませんね。レナードも、あのキョウスケという方も心配です」
「えっ、みんなバラバラになってるって事? この靄は魔法でなんとかならないのか? 風で吹き飛ばすとかさ……」
「この先に魔物がいないとは限りません。
不用意に魔法を使い、視界不良の中で戦闘になるのは避けたいです」
「それもそうか……」

レティシスが、どうしようかと相談しようとした矢先、ラーズは『このメンバーでの旅に慣れましたか』と訊いてきたので、面食らいながらも頷く。

「あ、ああ……まあね。
野宿は何度かやってるし、旅も嫌いじゃない。こうして大人数になったのは……大変だけど楽しいよ」

そうしてはにかんだ笑みを見せるレティシスに、嘘をついているような所は見受けられない。

ラーズはレティシスに『そうですか』と頷いて相槌を打つが、その目は急に冷めた光を宿す。

「この旅にカイン様がいなければ、もっと楽しい……と思った事はありますか?」
「な、何言ってんだよ!? そんなこと考えて無いし、ラーズさんにとってカインさんは大事な友達だろ!?」
「まあ……そうですね」

曖昧に返事をするラーズに、レティシスは困ったような顔で、どうしたんだよと聞いた。

「確かにカインさんは、あんな感じだから偉そうだけど……喧嘩でもしたのか?」
「いえ……カイン様がフィーア王女とご結婚されるなら、シェリアはどうなるのかと思ってしまいまして」

シェリアとフィーアは、決めた相手が違えど双方カインの婚約者で、いったいカインはどうするつもりなのかとは、レティシスも思っていた。

しかし、レティシスよりもシェリアの兄であるラーズが日々胸を痛めるほど危惧するのは当然のことでもあるだろう。

「……それは……カインさんが決める事だし……」
「確かにカイン様が決定されます。
しかし、個より国を考えれば……フィーア王女を優先するでしょう。
そうなれば、仕方が無いと分かっていてもシェリアは悲しみます。これ以上共に旅をするのも辛いはずです」
「…………」

事実、今日のシェリアは元気がなかった。

カインの様子は特に変わらないようだったが、二人の間に漂うぎこちない雰囲気はレティシスにも伝わってくる。

このままではラーズの言う通り、シェリアはカインの側にいる事を避けるのではないだろうか。

シェリアは旅を止めると言うだろうか。そうしたら――自分は、シェリアの側にいることが出来るのだろうか。

「……レティシス。貴方は、シェリアが好きですか?」

そう思った矢先、ラーズは真面目な顔で、レティシスに妹の事を尋ねた。

「はあ?!」

突然の質問に、レティシスは素っ頓狂な声を上げてラーズを見つめる。

「何かと妹のことを気にかけているので」

確かにシェリアのことを考えていたレティシスの顔は見る間に紅潮し、手と頭をぶんぶんと振りながら否定し始めた。

「いや、そんな、シェリアは確かに美人だよ!?
だけどほら、剣を捧げたから! 俺の主みたいなものでさ、別に変な気持ちを抱いてるわけじゃ無いし……そりゃ、シェリアが悲しむのは、見たく、ない……けど」

語尾がだんだん弱くなり、しまいには小さく唸りながら俯いた。

「……特別な感情かどうかはわからないけど、好きか嫌いかで言えば……す、好き……かな」

すると、ラーズはニヤリと笑んで、レティシスに『であれば』と耳打ちする。

「お互いの利益のため……カイン様を、亡き者にする手伝いをしてくれませんか……?」

投げかけられた殺意ある言葉が胸を衝き、レティシスは首を振って弱々しく否定するのがやっとだった。

ラーズは妹のために、親友を……一国の皇子を殺そうというのか。

「あんた、なんて事を……!」
「わたしは本気です。カイン様がいなければ、ルフティガルドなど目指す必要はない。
そしてこのまま行けば……あの方の行動で誰かが傷つく。肉体も精神も、そして命すら失われるかもしれません。
わたしはカイン様の振る舞いや選択で、これ以上シェリアを悲しませたくない。
それに、貴方のように普通の生活を営んでいる方なら……シェリアを幸せにしてくれるのではないかと思っているのです」

ラーズの甘言は、レティシスの胸に淡い期待を生む。

シェリアに普通の――たいした危惧もない、平穏に幸せな暮らしをさせたいとラーズは望んでいるようだと。

レティシス自身、家に戻ればシェリアが笑顔で迎えてくれるのは……とても素敵な生活なのだろうな、とも想像した。

「……ここは魔物のせいにしてしまえば、大丈夫です。
一国も早くカイン様と合流し、わたしが話しかけて油断したところを……貴方の剣で後ろから刺してください。
今は鎧をつけていない。心臓を狙えばすぐに殺せます。
そうすればルフティガルドにも行く事はない。皆、普段通りの穏やかな生活が送れるのです」

さあ行きましょう、と歩き出すラーズの背へ、レティシスは『嫌だ』とはっきり告げる。

すると、ラーズはぴたりと足を止め、肩越しに振り返ってなぜかと険呑な顔で聞いた。

「……カインさんは頑固だし短気で、基本初対面の奴には厳しいけどさ。
あの人は、悪い奴じゃないんだ。
シェリアの事だってよく労ってるし、いつも必ず姿が確認できる位置にいる。
決して無責任なんかじゃない……そんな事、出会って少ししか経たない俺ですらわかる事だ。
あんたのほうが、よほど分かってると思ったのに」
「……レティシスは、シェリアが欲しくないのですか?」
「人を物みたいに言うな!!
俺は一度死んだようなもので、あんたやシェリアのおかげで一命を取り留めた。それは本当にありがたい事だと思ってる。
だけど、いくら恩人とはいえそんな誘いに乗りはしない。
ラーズさん……誰よりカインさんの事も、シェリアの事も分かってるはずなのに。
誰よりその二人が幸せなら、って思ってるんだろ? なのに――あんた親友と妹を信じてやれないのかよ!!」

重い沈黙が、二人の間に流れる。


「……貴方なら理解してもらえると思っていたのに……残念です」

それを破ったのは、ラーズの方だった。

「計画を知られた以上、貴方も消します」

悪く思わないでください、と言って懐から短剣を取り出して握ると、レティシスへ斬り掛かかってきた。

「ラーズさん……?!」

いったい何が彼を思い詰めたのか。

面食らいながらも身を翻し、レティシスはラーズの凶刃を避ける。

ラーズの体捌きは鋭く、とても魔術師のものとは思えない。

かといって剣を扱う者の動きではなく、どちらかといえば獣の爪のように頭上から振り下ろしたり、横に凪いだりするだけという単調な動きだ。

「……ごめんっ」

レティシスは幾度目かの剣を避けるとラーズの手首を掴み、後方に強く押すようにして力をかけた。

ふらりとバランスを崩したラーズの鳩尾へ、鞘に入ったままの剣を叩き込む。

「ギャアアァッ!?」

鳩尾に深く入ったので、予想では気絶するはずだったラーズが魔物のような悲鳴を上げて悶絶したため、ひどくレティシスは驚く。

「そ、そんな痛くしてないぞ……? いや、痛いのか?」

叩き込んだ場所が悪かったかと心配したが、ラーズの姿が不意に歪み、緑色の人型をした……謎の生物になった。

胴というか腹というか、体の中心に大きな目玉が埋まっており、レティシスの一撃で痛めたのか、目玉には血液のようなものが混じっていた。

「まっ、魔物かよ……! 人に化けるとか悪趣味なやり方しやがって!」

レティシスは剣を鞘から抜き放つと力強く踏み込んで、魔物の胴に力一杯剣を突き立て、切り裂く。

夥しい血液が飛び散り、レティシスの白い外套をびしゃびしゃと濡らした。

「……借り物、汚しちゃったじゃないか」

魔物の血は洗って取れるだろうかと考えながら剣に付いた血を払い、今しがた二つに斬り裂いたものを見る。

既に絶命したようだが、今にもこの目玉の怪物は動き出しそうだ。


――嫌な魔物もいるんだな。

仲間に化けて自分を狙ってきたが、もしこれがラーズではなくシェリアの姿だったら、自分は剣を抜かなかったかもしれない。

同じ事を――いや、或いは抱きつかれて囁くように言われでもしたら、はたして内容を冷静に判断できただろうか?

カインの姿だったら、もっと酷い事を言ったかもしれない。

自分の意志で剣を抜き、カインの偽物だと気づかずに殺し合ったかもしれないし、殺される可能性もあったのだ。

先ほどのラーズに化けた魔物の後ろをついて行って、本当のカインに剣を向ける事になったのではないか。

そう考えると、握った剣が酷く重い物であるかのように思えて、レティシスは剣を鞘に収める。

「……最悪だよ、本当……」

レティシスは未熟な自分の心を恥じ――苦い顔をした。



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