【ルフティガルド戦乱/16話】

カイン達がリフラムの街を出た頃、シェリアはフィーアの部屋で――なぜか一緒に茶を飲んでいた。

花を乾燥させて煮出したという濃い赤色の茶はブレゼシュタットでは好んで飲まれるが、アルガレスという異国の地に生まれたシェリアにとっては初めての味。酸味が強く飲み慣れない。

まずくはないが、美味しいかと言われると酸味の味が勝ちすぎているせいで、風味はあまりよく分からないようだ。

だが、砂糖菓子などと併せるのであれば甘みが酸味を和らげてくれるため丁度良い。

多量の砂糖にまぶされた乾果を摘み、少し齧っては茶をちびちびと飲んでいる。

「こちらの食は、シェリア様のお口に合いますかしら?」

隣に座っているフィーアはシェリアの様子を穏やかな笑顔で見つめる。一緒にいるだけでもシェリアに若干の重圧を与えているのだが……気づいていてフィーアはわざとそうしているのだろう。

「は、はい……美味しいです」
「それは良かったです。わたくし、女性には優しく接するよう心がけておりますのよ」

などと言いながらフィーアは花咲くような笑みを見せる。同性であっても見惚れてしまうほど優雅で女性的な所作であるが、男には厳しいという自覚はどうやらきちんとあるらしい。

厳しいというより、もはややり過ぎの域に入っているが、はたしてその自覚を持って行動しているのかは不明である。

同意も否定もしづらいためシェリアは曖昧に笑って、目の前にどっさりと置かれた果物や茶請けを指し『すごくたくさんありますね』などと当たり障りのない感想を述べた。

「シェリア様はどんな食べ物がお好きなのかわかりませんでしたから。とりあえず幾つか持ってこさせました」

などと優しく微笑まれては、シェリアも応じないわけにいかないだろう。それに、ここに並ぶのはアルガレスにはない果物だらけで、充分に興味はそそられていた。

果物籠から名も知らぬ濃いピンク色の果物を手に取り、しげしげと眺める。

魚の鱗を思わせる扇型の果皮が無数に張り付いており、鋭そうな緑色の突起が至る所から伸びていた。

「随分と変わった果実ですね」
「それは半分に割って、中身の柔らかい果肉を種と共に食べます。甘くて美味しいですわよ」

フィーアはそう言うと、既に割られて銀の皿に盛り付けてあるその果実――ラワルマというらしい――を差し出す。

「……ありがとうございます」

シェリアはおずおずと受け取り、スプーンで柔らかい半透明の果肉を掬い、口に運ぶ。

「あ……すごく美味しい」

とろりと口に溶け、爽やかな甘みが広がる。

種も小さいので気にならないし、噛むとプチプチと弾けるような食感が楽しい。

「想像していたよりも、食べやすいですね……棘も痛そうでしたけど、触ってみたらそんなに硬くない」
「ブレゼシュタットではよく採れますの。さあ、たくさん召し上がれ」

シェリアの表情に明るいものが見えた事に気をよくしたらしいフィーアもくすりと笑って、同じようにラワルマを手にした。

「ふふ、この果実……瑞々しくて甘くて、とても良い香りでしょう? まるでシェリア様みたいですわね」

自分が引き合いに出される謎の例え。シェリアの手はピタリと止まり、どういった意味かを図りかねてフィーアの顔を注視する。

「言葉通りの意味ですわよ。ああ、美味しい……」

気にした風もないフィーアは嬉しそうにそれを口にし、シェリアに意味深な表情を向けているではないか。

壁際にいる侍女二人は、アイコンタクトで何やら共通の認識を示しているようだが、シェリアの視線が自分たちに移動した事に気づくと、サッと顔を背けた。


――なんだろう。ちょっと、怖いな……。

落ち着かない気持ちで、シェリアはラワルマの果肉をつついていたが……フィーアはスプーンを置くと、濡れたタオルで手を拭きながら『ところで』と話題を変える。

「貴女と、カイン様の出会いは……どのような?」
「えっ」

突如気にかけていたカインの事に触れたため、危うくラワルマを取り落としそうになり、シェリアはあからさまな動揺を見せている。こうして二人きりになったのだから、何かしらのアクションはあると思っていた。が、完全に油断していたのだ。

すでに無駄なことだが、気を乱したのを悟られないようそっと皿の上へラワルマを置くと、一つ咳払いをして――カインと初めて出会った日を思い出しながら語る。

「……幼い頃の事です。
所用でイリスクラフトの屋敷にやってきたアレス皇帝とカインが馬車より降りるところを、私は窓から見ていた。
その姿をカインからも見られていて……兄様へ、あれは誰なのかと聞いたとか……」
「なるほど、ある種運命的な出会いでしたのね」
「偶然ですよ。ただあの頃、私は遠縁に養女として出されることが決まり、二度とイリスクラフトの家には戻れないことは聞いていました。
私が男なら、アルガレス王家の為に魔術師となる勉強ができた。
でも、イリスクラフトに女子が産まれる事自体すごく珍しくて……、本当は兄様がいるから、子供も……必要なかったはずです」

自分の想像だけであって欲しいのだが、どのような形であれど自分はあの家に不要だった。

ベルクラフトのために自分はこの世に産み落とされたのだと――そう感じている。

「アレス様から伺ったお話ですと、カイン様は、その時貴女を選んだという事ですね」
「あれは……」

ただの同情から招いた事。

そう言いたかったが『当時は幼かったにしろ同情だけで現在まで共にいる訳ではない』と、以前彼ははっきり口にしてくれた。

「本人にしか真意はわからないでしょうけど……現在、カインは息子のリエルトをとても大事にしてくれます。ああ見えて子供は好きみたいです」
「それは……意外ですわね」

あの仏頂面で子供をあやすのかと思うと、フィーアには奇妙でしかないのだが、自分が想像できないだけで彼は子供に屈託ない笑顔でも向けているのだろうか。

……あの青年に、どうにも家庭的な印象は感じない。フィーアはそれを頭から追いやって、想像するのを断念した様子である。
「カインは、自分の事をあまり話してくれません。
私になんでも相談してほしい。そう思うのに、時々距離を感じます」
「誰でも迷う事はありますわ。一人で抱えておきたい事もあるでしょう。
わたくしの個人的な意見ですが……シェリア様はもう少し強さが必要なのだと思いますの」

自分への指摘に、シェリアは表情を引き締めてフィーアの目を見据えた。

「強さ……?」
「そう、自分の為の心の強さ。今のままでは、貴女は前に進めなくなってしまう……そんな気が致します。
心に薄氷の大地ではなく光の道標を。一体なんのために旅に出たのか。為すべきは何か。
その目標に向かって何を補うべきか? それを考えませんこと?」

にこりとフィーアは微笑み、シェリアの頬にそっと手を当てる。しなやかな指先は冷たく、それでいて柔らかい。

「昨日のカイン様は、恐らくとても――苦悩されていた。貴女も、わたくしの前で本心を打ち明けてくださる程に悩んでいる。
ラーズ様はあなた方お二人を見守っておられますが、あの方も胸に秘めた何か強いものがある。
それぞれがそれぞれの悩みを払拭しなければならない……。
その為に貴女がたを分け、カイン様達には嘆きの洞窟に行ってもらいました」
「嘆きの……洞窟?」
「姿を自在に変える魔物がいるのです。一人ずつ仲間を離し、心を読んで荒ませる。
仲間同士、争う事にもなるかもしれませんわね」

すると、シェリアは驚きと恐怖に目を見開き、なんてこと、と呟いた。

「そんな場所に、カイン達を……!」
「カイン様はどれほど仲間を信頼されているかは分かりませんが、ここで死ぬならその程度の方です」

フィーアはまるで興味がないかのように冷淡に告げたが、シェリアはキッとフィーアを見据え、彼女の手を払うと原色の糸で編まれた敷物の上に手をついて立ち上がる。

「カイン達を死なせるわけにいきません。私、洞窟に行きます」
「残念ですがシェリア様、貴女をそちらに向かわせるわけにはいかないのです。
言いましたでしょう、貴女は心を強く持たなければならないと。
最初から死なせようとして洞窟へ向かわせたわけではありません。そうでなければ、キョウスケさんを同行させる必要もありませんでしょう?」

フィーアはシェリアの手を取り、自分の方へ体ごと向けさせると、良いですかと厳しい声を発する。

「この先……何が起きるかわかりません。相手を信じることも強さのうちです。
でも、カイン様の手はいつでも貴女の前にある訳ではないのです。
自身で心と精神を強く保つ事。それが……いずれ必要になるのです。貴女にも、精神の修行をお願いしたいの」

精神の修行、とおうむ返しに聞いたシェリアは、口の中で呟いてから項垂れる。

夢の中で、見知らぬ女性が『アルガレスの皇子に騙されている』と言ったこと。それは夢であるのにまだ心に引っかかったままだ。

「私は守られているばかりではいけないと思うし、カインを支えたい……みんなを守りたい。
それは本当の気持ちです。
これからも仲間として共にいられるのなら……そうですね、信じる……うん。心も強くありたい」

すると、フィーアはよく言えました、とシェリアへ拍手を送ってから、毛先を緩く巻かれたピンク色の髪をかきあげた。

「貴女には特別なお部屋をご用意致します。心の中の世界から生還できる事を、嘘偽りなく願っていますわ」

そうして、フィーアも立ち上がると、行きましょうとシェリアの手を引き笑顔で優しく声をかけた。

フィーアは、自らも体感したその部屋の恐ろしさを知っている。

その中でシェリアがどうなるかも分からない。ただ、彼女が自らを奮い立たせてくれさえすればいいのではないかと――そう思っていた。



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