カインとレティシスは、共にアダマスの前に立ち塞がる。
指一本動くのでさえ見逃さんとするよう長く息を吐きながら、女を睨んだ。
この女は見たところ獣人のようだが、なぜ魔族に味方しているのか。そんな疑問も浮かぶ。
「カインさん、気をつけろ。レティシスがカインに小声で告げると、カインもゆっくりと頷きを返して同意を示した。
無論カインも劣勢にはなりたくないが、相手は魔王の近衛。かなりの難敵であろうことは、誰に言われるでもなく理解していた。
距離にして11フェーツ(約11~12メートル)程度で睨み合っていても、相手の瞬発力次第では行動を起こすにも頼りない距離である。
カイン達が自分の行動を警戒して手を出してこないと知り、アダマスは赤い舌を出す。
ぬらりと上唇を舐め上げながら、ゆっくり上半身を屈める。彼女の緑髪が一房、逆立ったようにふわりと浮いた――ように見えた。
「……来ないなら、こっちから行くかァ……!」そう感じたカイン達の体中に緊張が走った次の瞬間、アダマスのヒールが土を蹴る。かぁん、と高い音が洞窟内に反響し、それが戦闘開始の合図でもあった。
アダマスは、手始めにレティシスを狙う。
彼が厄介だから先に……とは思っていない。ただ、彼の身体についた血の匂いが強かったため、手負いであるかも――と考えたのだろう。
迎撃のためアダマスの腕めがけて剣を振るったが、もうそこには誰もいない。甘いような柔らかな残り香があるだけだ。
レティシスの視界の隅。剣の軌道外から、ふっくらとした灰色の尾が揺れ、ぞくりと冷たいものが背を伝う。
「くっ……!」窮地に陥ったレティシスは、押し殺した声を上げた。剣を振るう軌道に重なる瞬間、切っ先を避けたアダマスが彼の右側へと回り込んだのが見えたのだ。
「サヨーナラ。まず、一人ィ……!」腕をしならせ、レティシスの胸部を狙うアダマス。嬉々と弾む声の中に、一握の狂気が滲んでいた。
ラーズが即座に防御魔法を詠唱しはじめたが、最悪の事態も同時に考えた。
なぜならイリスクラフトとはいえ、個人間で魔法属性の向き不向きもあるからだ。
当主ルドウェルやラーズと四大精霊の相性は非常に良いもので、魔術師達の間で【精霊魔法】【古代魔法】と呼ばれている精霊と自然の力を利用し、変質させる魔法は難なくこなすことが出来る。
しかし奇跡とも言われるような神聖な力を必要とする【聖霊魔法】や高位の存在を喚ぶ【召喚魔法】、そして攻撃ではなく身を守るための【補助魔法】というものに対しては専門から外れているため、少々時間がかかってしまう。
シェリアはこの中の【補助魔法】と呼ばれる部分のスペシャリストでもあり、ここに居たのならばラーズよりも早く詠唱を終え、レティシスを守ることが出来ただろう。
カインはレティシスへ手を伸ばしたが、レティシスの身体や服を掴むには僅かに足りず、空を切る。
「レティ――」最悪の展開が脳裏をよぎる。ラーズはまだ間に合うはずだと強い意志を以て活路を探し――至った。
「後ろへ跳んで!!」ラーズはすぐに詠唱を中断すると早口でそう告げ――即座に風の魔法を唱えた。攻撃的な風ではなく、突風と呼べるべきただの強風だ。
何を思う間もなく言われたとおり後方へと跳ぶレティシスは、自身が横からの風に押され、やや斜め後方へ流されるのを実感する。
突風で押された事により、アダマスの凶悪な爪は速度を乗せることが出来ず、レティシスの外套を引っかけて切り裂くことしか出来なかったのだ。
悔しそうに舌打ちし、爪に引っかかっている外套の切れ端を睨む。手首を振って布きれを払い落とすと、着地して安堵の息を吐くレティシスが目の端に見えた。
「あっぶねえ、死ぬところだった……」鼻に皺を寄せ、不快感を露わに歯を剥き出すアダマス。整えられた顔立ちだというのに、こうすると途端に動物味が現れるから不思議だ。
「悪いな。俺は女神様に剣を捧げた身だ。あんたなんかに血の一滴だってくれてやる気も無いね」ニヤリと不敵な笑みを浮かべたレティシスに『ラーズの手助けがなければ、全てあの女へ捧げていたようだが』などと淡々とした口調でカインが口を挟む。
「……気持ちの問題だよ」辛辣なカインの言葉にも慣れてきたらしいレティシスは、はいはいと投げやりな返事をすると再び剣を構えた。
再びアダマスが獣のように身体をしならせ、俊敏にレティシスへ向かっていくのだが、鋭敏な耳が風とは異なる――何かが飛来する音――を捉え、全神経が危機を訴えた。
突進の速度を緩めきれぬまま、アダマスはやむなく左へ身を投げる。身体を丸めたまま数度地を滑るように転がり、爪を地面に突き立てるようにして速度を落とし、止まった。
彼女は警戒を乗せた瞳を薄暗く湿っぽい床へ滑らせると、本来の進路周辺には何本も氷槍が床へ突き刺さり、冷たい輝きを放っているのがわかる。
もしもアダマスがそのまま進んでいたら、その胴はラーズの魔法によって串刺しになっていたことだろう。
「……勘が宜しいことで」薄暗い洞窟内。【ライト】に照らされた光と影が幾つも踊り、壁面に揺らめく。
それがふと一つ消え、アダマスの上に影を落とす。はっと顔を上げた彼女が見たのは、翻る白い衣と、黒い髪。
「――その、色……?!」驚愕によって目を見開いたまま動かぬアダマスと、迷いのない恭介の二人の瞳は交差する。
彼女の頭部を狙って拳が思い切り振り下ろされ、鈍い音が衝撃とともに恭介へ伝わる。
細い身体から繰り出されるにも関わらず、見た目からは想像もつかぬ重い一撃を放つ恭介。
ハンマーで思い切り叩かれたような攻撃を食らったアダマスはよろめくが、地へ沈み込みそうになる上体を片腕と膝で支える。
軽い脳震盪でも起こしたかもしれない。アダマスは頭を振り、身体の異状を無理矢理戻そうとしていた。
それを待っていられるほど戦力に余裕はない。すかさず恭介は胸が床へつきそうになるくらいに低く身体を伏すと、アダマスの足首を狙って足払いを繰り出す。
「くあッ……!」側面からの打撃に堪えきれず、彼女の身体が横倒しに――浮いて、床に倒れる。
カインとレティシスが再び距離を詰め、ラーズは地を杖の柄で突くと術を使う。
「縛めろ!」肩から倒れ込むような体勢で地面に転がされたアダマスは、急激な速度で地の精霊力が高まったのが分かった。
アダマスの四肢……手首や足首にはもこもこと隆起した土が覆い被さり、彼女の動きを封じるよう瞬時に硬くなる。
二人の剣士が彼女の喉元に剣を突きつけると、アダマスは忌々しげに舌打ちする。
「こちらにもいろいろと聞きたいことがあってな。暴れられては迷惑だ」淡々と告げたカインへ獰猛な笑みを浮かべるアダマスは、劣勢になったというのに喉の奥で低く笑っていた。
「フフ……これで勝ったつもりなのかい、坊や達……?」問いかけるような言葉に、一瞬だけカインは怪訝そうな表情を浮かべたが、剣をアダマスの喉先から肩へずらし――付け根へ剣の先を滑り込ませた。
「うぐ……あ、あぁおおおぉー……ッ……!」アダマスの喉から漏れる雄叫びのような悲鳴。焼け付くような痛みから逃れようと身を捩るが、土の縛めは解かれず足を無闇にばたつかせるのみ。
その拍子にドレスが乱れ、スリットから張りのある白い太ももが露わになった。
剣が肉へ沈んで骨をかすめた感触も、耳の奥に刺さるような女の悲鳴も、鼻に届く血の臭いも偽物だとは思えない。
カインがアダマスの肩口から剣を抜く際、赤い血液が雫となって数滴彼女の上に落ちるのも見た。
「女に、随分なことをするじゃないか……教育のなってない王族だね」ぜいぜいと荒い息を吐くアダマスに、カインは王族は野蛮なものだと自嘲する。
「男も女も関係ない。敵に情けはかけるものではないだろう……ラーズ、この女と周囲に幻覚の部類が『活きて』ないかを確認してくれ。カインが素っ気なく答えて仲間へ指示を飛ばす間、アダマスへ剣を突きつけたままのレティシスは、血が溢れる傷口を痛ましそうに見ていた。
「ねえ、そこの赤毛の坊や。ワタシも女なんだ、暴れた拍子にドレスが乱れて恥ずかしい……直してくれないだろうかねェ?」媚びるような声に、レティシスは困惑したような顔をしてアダマスの伸びやかな足に目を走らせてから、慌てて視線を逸らす。
そんな彼を見て、アダマスは可愛いものだと笑って。
「ほんと可愛い――その一瞬の隙が生まれれば十分サ」言うや否やアダマスは足を獣化させ、縛めを力任せに解き放つ。
「レティシス! こんな初歩的なことに惑わされるとは……!」カインの怒気を孕んだ声。レティシスも悪いと思いつつ、つい弁解してしまう。
「シェリアはこんな風に裾を乱さないんだから見慣れるわけないし!」カインの言い方に、あらぬ想像をしたのか……顔を赤くするレティシス。
「もう! そんな話をしてる場合じゃありません!」レナードは当然呆れたような顔でレティシスを一瞥し、カインはアダマスに向かって容赦なく剣を振り下ろす。
「フフ、女に慣れてない坊や達なのかネ。初々しいこと」アダマスは足の爪で剣を受け流すと足を高く跳ね上げ、カインを数歩後方へ押しながら、腕も獣化させて縛めから逃れる。
「そう怒ってばっかりじゃ、愛情は育たないよ……たまには女も男も大事にしなくちゃ、皇子サマ?」妖艶な笑みでカインを嘲笑するアダマスと対照的に、カインは不快そうな表情を向けていた。
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