【ルフティガルド戦乱/2話】

それから装備の手入れと明日の仕度をし、カインがシェリアのもとを訪ねたのは夜遅くのことだ。

にも関わらず、シェリアはきちんと起きて待っていてくれた。勿論――こうして会いに来るのにだいぶ時間が掛かったので、食事も入浴も全て済ませていたようだったが。

「遅くなってすまない」
「ほんとにそう思ってるならいいよ」

軽く怒っているように見えなくもないが、カインを部屋へ招き入れる。

「お茶でいい?」
「ああ……いや、もうそろそろ寝るから要らない」

どう話を切り出すか考えていると、シェリアはカインの向かいに椅子を引いて座り『先に父様と兄様が来たから聞いた』と漏らす。

ラーズはともかく、イリスクラフトの当主までがやってきたのか、とカインは苦々しく思う。

「ルフティガルドまで行って……魔族と人間の停戦を求める旅に出るって……」
「まあ……そうだ。すぐに戻ってこられる旅ではない」
「どうして……カインが? 今まで他国だって、停戦どころか討伐の為に……今まで出陣していった人が数限りないのに?」
「ああ。そして、誰も目的の達成などしていない。無事に帰還できた者自体が少ないからな」
「そんなあっさり……」

そんな無駄死といっても過言ではない旅に、シェリアだとて『あらそう、いってらっしゃい』などと軽々しく言えるはずも無かった。

「旅に出るってさっき教えて貰ったけど、まさか……そんな重大なことだなんて……今もし初めて聞いていたら、私信じなかったよ」

無論、今だってあまり信じていないのだろう。シェリアの狼狽は、カインにも伝わってくる。

「オレだって、きっとシェリアやラーズが言い出せば止める」

自分が彼女の立場なら、頭ごなしに反対し、監禁してでも旅に出ることを止めさせているだろう。

「そうは言っても……どれくらい兵を連れて行くの? 皆慌てた様子はなかったけど」
「連れて行かない。オレとラーズの二人だ」

すると当然のようにシェリアは絶句し、目に見えてオロオロとうろたえてから……何言ってるの、と震える声で苦言を呈す。当然といえば当然の反応である。

「二人って……。何千人という派兵がいても、国内と隣国の魔物討伐だって苦労している状況なのは、あなたもよく知ってるはず。いくらカインや兄様が人よりも腕が立つからといって、立ちふさがる全部の魔物や困難をたった二人で斬り伏せて乗り切るつもり?
きっと、ルフティガルドにはここと比較にならないほどの魔族がいるのに……無茶とかいう次元じゃない。無理よ」
「無理なことだとはわかっていても、この国……いや、世界はやがて魔族の手中に堕ちる。
搾取と強力な圧制政治に、奴隷同然の扱い。そうなれば、人間は立ち上がることはできなくなるかもしれない」
「……それは、いいたいことは分かるけど……その、カインはこの国にとって重要な人なんだよ?
妨害に動く人や、魔族が襲いかかってくることだって――」
「わかっている。しかし、国の内政を変えることが出来ないばかりか、帝国民が助けを求めているのを無視し続けることはできない」

すると、シェリアは悲しげに首を振った。

「リエルトは……どうするの?」
「父はリエルトを愛でている。悪い待遇には処さないはずだ」

カインとシェリアはまだ婚姻の儀を執り行っていないため、正式に夫婦と認められたわけではない。

今まで数度シェリアとの婚儀を行おうとしたのだが、期日が差し迫ると王の命令で延期され、いまだに聖堂で夫婦としての署名が出来ていない。

当初予定した日程が延期と言われた頃、シェリアは既に懐妊していると医師から聞かされた。

子を早く欲しいというのはカインの意思であったし、流石に子がいるとなれば再度延期も出来まいと思ったのだが――先日で三度目の延期が言い渡されたのだ。

カインは王の通達に多大な不満を持ったのだが、生まれてきた子に罪はない。既に彼らの子供であるリエルトは婚外子ではあるが、アルガレスの王家の子であると王直々に認められている。

「……いつか三人で暮らせることを認めてくださるならそれで……構わない、けど……」

そうして、シェリアは視線を自分の手元へ落とす。

カインは王族として、国を守る立場の者として行動を起こそうとしている。

彼はこの国をとても愛しているし、自分のわがままで彼を留める事は出来ない、とも分かっていた。しかし、カインのほうこそわがままが過ぎるのではないかと、僅かばかり腹が立ってくる。

だが、こう聞かざるを……得ない。

「……いくら反対しても。止めても、行くのでしょう?」
「…………ああ」

少しの沈黙の後にカインが告げたのは、意志のある重い返事だった。

「死んでしまうかもしれないことも想定している?」
「当然だ。覚悟している」

シェリアも、カインならそう答えるであろうと予測していたようで小さく頷く。

「では」

言葉の後に告げるには、少々心苦しい問いだった。

「……もし、あなたが帰還した時。私やリエルトがここにいなかったら……?」

その言葉に、カインは思わずシェリアを睨みつけるように強い眼光で見据えた。

試すような口調のシェリアも、カインの視線を悲しげに受け止めている。

「どういう意味で言ったのかは知らんが、追い出されたのであれば探し続ける。
誰かに奪われたのであれば必ず連れ戻す。
逃げたのなら……とりあえず探し、その後理由を問う。いないから死んでいる……とは考えたくない」

シェリアたちを置いていこうとするのなら、その可能性を考えていなかったわけではない。

しかし、この国にも自分と同じように守るべきものを、愛する人を抱えた者は数え切れぬほどいる。

このまま目に見えて増え続ける犠牲を、少しでも食い止めたい。それだけは揺るぎない想いだった。


シェリアは気を落ち着けるように目を閉じてから、深い呼吸を一度する。
「あなたの気持ちは、よく分かりました……」

再び眼を開いたシェリアは、カインに優しく、それでいて儚く微笑んだ。

「ちょっと乳母の所へ行ってきます。当分会えなくなるなら、明日お見送りにでも……」
「だめだ。会うと心が揺らぐ」

決心したことであっても、我が子を置いていくことに罪悪感と寂寥感を覚える。顔を見れば尚更苦しい。

シェリアとリエルトを置いてラーズと旅に出ると言えば、シェリアになじられてるものと思っていた。

それを甘んじて受けるつもりではあったのだが、シェリアはカインの気持ちをできる限り理解しようとしている。

「……怒らないのか」
「怒ったら、行くのをやめてくれる?」
「……それは……できない」

そうでしょうね、とシェリアは肩をすくめ、大丈夫よとぎこちなく微笑む。

「大丈夫。私たちがいなくても、王は乳母や……リエルトを追い出したりはしない。必ず守ってくださると仰ったわ」

シェリアの言葉に、そうだといいな、と零した後……カインは僅かな違和感に気付く。

「今『私たち』と言わなかったか」
「言ったわ」

怪訝そうな顔をするカインへ、シェリアは羊皮紙に書かれた証書を二枚を、眼前に突きつけるようにして見せる。


「兄様達から話を聞いた後、私は王のところに行ったの。王から直々に書いていただいた。私の通行許可証と、リエルトの保護を確約する署名」

「ばっ……!」

珍しく動揺したカインは、手を伸ばして書状を奪い取ろうとしたのだが、気づいたシェリアのほうが素早く一歩下がる。

シェリアが大人しく引き下がったわけではない。むしろ、自分たちと共に行くことを選択したのだ。

「バカな事を考えるな! リエルトに母は絶対に必要なんだ……それに、こんな……通行証などを持ってどこに行くつもりなんだ!」
「急に何の相談も無く決めるのが悪いでしょう! ひどいじゃない!
リエルトを連れていくわけにはいかないけど、私は最初からあなたに仕える約束で許嫁になっていたのだから、その約束は果たすわ!」
「そんな、昔の条件なんか……! 許嫁という点でイリスクラフトとの約束は果たされている! ラーズも同行するから心配はいらん!」
「たった二人で何が出来るっていうの!」
「お前が来たところでそう変わらん!」

思わず声を荒げた二人だったが、怒鳴り合ったところでどうしようもない。

今度はカインが大きく息を吐き、努めて冷静に会話を続けることにした。

「……あの後……どういう行動を取ったんだ?」

話を聞くと――どうやらシェリアはラーズ達から話を聞き終えるとそのまま乳母の元へ行き、リエルトを連れて謁見の間を訪れた。

カインと兄が行くのなら自分も約束通り行く。

だがリエルトを残していくのは不安だから連れて行ってもいいかと聞くと、王も大臣も全員一致での大反対だった。

『未来の王になるお方ですぞ』だとか『跡取りを無駄に殺させるわけには』など言いたい放題だ。

無論それは想定内の反応だったため『それならリエルトを乳母に預けるが、もしも亡き者にしようとした場合や、カインの子として認めないというのなら、カインと兄、そして自分が立ちはだかるのをお忘れなきよう』――と条件を突きつけ、シェリアがイリスクラフトの血統だという事を再認識させられた大臣たちは震え上がる。

王ですら、彼らの婚姻を延ばそうとも孫は可愛いらしい。

シェリアとカインの子であり、不在時はアレス6世の名において万全な保護を約束する。心配は不要だと優しい口調で告げた。

書状と通行証をしたためてもらい、王家の紋章印を押させると……シェリアはありがとうございますと礼を言い、帰ってきたそうだ。

「…………信じられん」

カインはシェリアにそんな行動力があったのかと目を見張り、そんな騒ぎにあった中でもすやすや眠り続けていたらしい息子にも一種の尊敬を向けた。

「ともかくリエルトは心配要らない。乳母のマーナはとても優しくて、心根が素直な人だもの。
とても寂しがってくれたけど、絶対リエルトに寂しい思いをさせないようお預かりしますって、言ってくれた。
兄様の奥様の実家でお世話になる予定よ」

それでも、と言いかけたカインを、シェリアは『だめ』と阻んだ。

「子供が可愛いのも、一人にされる悲しさも、誰より私が一番よく分かる。
だけど……まだアルガレス王家には父様が……現マジックマスターがいる。
父様は、私たちの子を絶対に死なせるはずはない……」

シェリアとラーズの父であり、イリスクラフト家の当主……ルドウェル・イリスクラフトがアルガレス帝国王の側に控えている。

リエルトが生まれた時にはとても喜んでいた。

たとえ、その腹中に何かを抱えていたとしても……今はリエルトを危険には晒すはずはない、とシェリアは言うのだ。

カインは昔からルドウェルの事をあまり好いてはいなかったが、その部分にだけは同意できた

「というか……そこにイリスクラフトはいなかったのか?」
「ええ。謁見の間には居なかったから工房だと思うけれど……きっと何が起こっていたのかは把握している」

カインが視察に行ったことも、旅に出るのも、シェリアが書状を受け取ったことも知ったはずだというのだ。

「……内密の話も聞かれているかもしれんな」

言いながら天井を見つめるカインに、シェリアは肯定しないまでも、同意に近い返事をよこした。

「じゃあ、私もまだ仕度があるから……また明日ね」

カインにそう言うと、絶対置いていかないでねと念押しして――シェリアはカインを部屋から追い出す。


大いに予定が狂ったカインはぱたんと閉められた扉を見つめながら、眉根を寄せる。

彼の脳裏にはラーズが『そうなるのではないかと思っていました』と苦笑しながら告げる姿が幻視され、自らの読みの甘さを少しばかり嘆いていた。



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