【異世界の姫君/100話】

「……アヤ。この一週間、いろいろあったな。慣れないことも多く、辛かったと思う。
こうして……束の間の安息が訪れた今は、多少なりとも気持ちも楽になったのか?」

離宮へ続く通路に差し掛かると、レスターは静かにそう告げた。

その言葉に、アヤも様々な出来事を思い出し……ゆっくりと頷く。

急に姫になってしまい、レスターが護衛につき、襲撃にあったりもしたが……本当に、たくさんのことがあった。

「今は……そうですね。戦争の犠牲になった方も、失くしたものが多くあるのはわかっています。
それを思うと、私は結局何もして差し上げられなかった。
もっと広い範囲で早く予知を行うことが出来れば、とか……もっと頭が良かったらとか、他の方法もあったのにって色々考えちゃいます。
それなのに、レスター様が助かって良かったと喜んでいる自分もいて……
嬉しい、けれど……嬉しいなんて、今は不謹慎ですから……大きな声では言えないです」
「……そうだな」

レスターも沈痛な面持ちで湧き上がる噴水を見つめる。

確かに、命があることはありがたいのだが――城と兵士の犠牲も多かった。

それでもやはりレティシスの活躍はことのほか大きく、大きな敵や強力な魔物を優先的に斬り倒してくれていたため、死傷者は通常の戦と比べかなり抑えられているはずだ。

一人で大丈夫と言っただけのことはある。

街の方も、ラーズとレティシスが戦いを始めてからアニスが結界を張り直して、民の避難を完了させたアンジェラ達が敵を駆逐したそうだし、城ほどの被害はないそうだ。


現に城のあちらこちらでは、外壁の修理や室内の清掃といった作業が続いており、修復にも数年単位だろうとルエリアが予想し、執務室が大破したので玉座で見積り書を睨みながら、経費の捻出をどうするか財務と宰相を交え話し合わねばならぬと険しい顔をしていた。


「……こんな時期だが、わたしはアヤにきちんと伝えたいことがある。どうか……耳を傾けてほしい」
「はい……」

急に真面目な顔になったレスターは、アヤをじっと見つめる。

その表情で一体何を言われるのか、という期待や不安が入り交じって、アヤの心をそわそわさせた。


「わたしは……アヤに出会わなければ、こんなに人を愛しいと思うことはなかったと思う。
それだけじゃない。アヤがわたしに与えてくれたものは、あまりにも大きい……。
中でも、いろいろな感情を呼び起こしてくれた。様々な形で『嬉しい』ことや『悲しい』事があると理解させてもらえた。ありがとう……」
「そんな……私のほうこそ、レスター様にはたくさん励ましていただいたり、支えていただいたりしました。
もちろん、ルエリア様やヒューバート様も言わずもがな、ですけど……お三方には感謝してもしきれないほどです……」

恐縮するアヤの肩に手を置き、レスターはそっと……いや、かなり慎重に周りを伺ってから、アヤを抱きしめた。

ふわりと鼻に届く香水の香りと、かすかなアヤの匂い。

抱きしめる手に力を込め、その温もりと心に沸く愛しさを噛み締めるレスター。

「……アヤ……アヤ・ヒュムカ・ティレシアス。わたしの誰よりも愛しく、大切な人。
例え陛下に反対されても、もうあなたを離したくはない。わたしはあなたを……生涯愛し続けましょう。
そしてもうひとつ、夢を見させてはいただけないでしょうか」

耳朶に響くレスターの声は、アヤの心をときめかせるのに十二分な効果を持っているのだが、アヤは気になった事がある。


(そういえば『アヤ・ヒュムカ・ティレシアス』って、何なのでしょうか……って、今聞いたら絶対ダメですよね……)

聞き覚えのない名前で呼ばれているのだが、いったいいつ付けられたのか。

そもそも、ヒュムカって誰でどこから付けられたのか。

それも尋ねたかったのだが、今レスターが醸し出す一世一代の真剣な告白……的な空気をぶち壊してまで尋ねることでもないし、レスターの腕から離れるのは少々惜しいので、アヤは己の疑問は後日ルエリアにぶつけてみることにして……レスターの言葉を促すように、彼をじっと見上げた。


「もうすぐアヤは、陛下の妹君になられてしまう。つまり、リスピアの第二王女ということ。
わたしは周知の通り魔族との混血であるし、身分も高くない。
……ただでさえ手の届かないところに居たというのに、ますますもって……気軽に話すことも抱き寄せることも出来なくなってしまう。
だが……。アヤ、必ずわたしは陛下に婚姻の許可をいただくつもりだ。
それがいつまでかかってしまうかもわからない。もしかすると……永遠に戴くことが出来ない可能性もないわけではない。だけれど――」

その続きを言ってしまうか、まだレスターは悩んでいたようだった。

一、二度アヤを見つめて切り出そうとして止めるを繰り返し、三度目で――覚悟を決めたらしい。


「――わたしの妻となってくれる気持ちはあるか?
わたしは、アヤと結婚したい。いや、アヤでなければ、結婚などしなくていい。
騎士は申し出の時、様々な式典と同じように正装をしていく義務があるのだが、いつか必ず、正装でアヤの事を迎えに行く。だから……少し待ってもらっていいだろうか」

アヤははっとしたようにレスターを見上げ、彼もじっと見つめる。

じわじわとレスターが婚約を申し出ているという実感が湧いたのだろう。

眼は徐々にうるうると涙をたたえ、溢れてしまった涙を拭いながら、何度も頷いた。

「はい……! 私でいいなら……私もレスター様のお嫁さんになりたいです。
ちゃんと信じて待っていますから。どうしても誰かと結婚しなくちゃいけなくなったら、逃げてきますから……!」
「大丈夫だ、ちゃんと掠いに行く。例えヒューバート様が阻止するために立ちふさがったとしても、負けはしない」

力強く頷いて、レスターはアヤの涙を拭うと……どちらともなく唇を寄せ、優しく口付けをした。

「幸せになれるようにお互い、頑張りましょうね」
「ああ……」

そうして、頼もしいことを言ったレスターは、アヤの頬に手を置き『愛している』と微笑んで、誓いの言葉を囁くと唇にキスをした。

その誓いの言葉は、アヤにしか聞き取れぬ程度だったので――なんと言ったかは、二人以外知らない。


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