離宮へ続く通路に差し掛かると、レスターは静かにそう告げた。
その言葉に、アヤも様々な出来事を思い出し……ゆっくりと頷く。
急に姫になってしまい、レスターが護衛につき、襲撃にあったりもしたが……本当に、たくさんのことがあった。
「今は……そうですね。戦争の犠牲になった方も、失くしたものが多くあるのはわかっています。レスターも沈痛な面持ちで湧き上がる噴水を見つめる。
確かに、命があることはありがたいのだが――城と兵士の犠牲も多かった。
それでもやはりレティシスの活躍はことのほか大きく、大きな敵や強力な魔物を優先的に斬り倒してくれていたため、死傷者は通常の戦と比べかなり抑えられているはずだ。
一人で大丈夫と言っただけのことはある。
街の方も、ラーズとレティシスが戦いを始めてからアニスが結界を張り直して、民の避難を完了させたアンジェラ達が敵を駆逐したそうだし、城ほどの被害はないそうだ。
現に城のあちらこちらでは、外壁の修理や室内の清掃といった作業が続いており、修復にも数年単位だろうとルエリアが予想し、執務室が大破したので玉座で見積り書を睨みながら、経費の捻出をどうするか財務と宰相を交え話し合わねばならぬと険しい顔をしていた。
急に真面目な顔になったレスターは、アヤをじっと見つめる。
その表情で一体何を言われるのか、という期待や不安が入り交じって、アヤの心をそわそわさせた。
恐縮するアヤの肩に手を置き、レスターはそっと……いや、かなり慎重に周りを伺ってから、アヤを抱きしめた。
ふわりと鼻に届く香水の香りと、かすかなアヤの匂い。
抱きしめる手に力を込め、その温もりと心に沸く愛しさを噛み締めるレスター。
「……アヤ……アヤ・ヒュムカ・ティレシアス。わたしの誰よりも愛しく、大切な人。耳朶に響くレスターの声は、アヤの心をときめかせるのに十二分な効果を持っているのだが、アヤは気になった事がある。
聞き覚えのない名前で呼ばれているのだが、いったいいつ付けられたのか。
そもそも、ヒュムカって誰でどこから付けられたのか。
それも尋ねたかったのだが、今レスターが醸し出す一世一代の真剣な告白……的な空気をぶち壊してまで尋ねることでもないし、レスターの腕から離れるのは少々惜しいので、アヤは己の疑問は後日ルエリアにぶつけてみることにして……レスターの言葉を促すように、彼をじっと見上げた。
その続きを言ってしまうか、まだレスターは悩んでいたようだった。
一、二度アヤを見つめて切り出そうとして止めるを繰り返し、三度目で――覚悟を決めたらしい。
アヤははっとしたようにレスターを見上げ、彼もじっと見つめる。
じわじわとレスターが婚約を申し出ているという実感が湧いたのだろう。
眼は徐々にうるうると涙をたたえ、溢れてしまった涙を拭いながら、何度も頷いた。
「はい……! 私でいいなら……私もレスター様のお嫁さんになりたいです。力強く頷いて、レスターはアヤの涙を拭うと……どちらともなく唇を寄せ、優しく口付けをした。
「幸せになれるようにお互い、頑張りましょうね」そうして、頼もしいことを言ったレスターは、アヤの頬に手を置き『愛している』と微笑んで、誓いの言葉を囁くと唇にキスをした。
その誓いの言葉は、アヤにしか聞き取れぬ程度だったので――なんと言ったかは、二人以外知らない。