数日ぶりにルエリアと面会ができる。
その知らせはアヤを喜ばせると同時に、今後の不安も胸中に膨らむ。
何せ、アヤの滞在理由というのが、本来夜襲が起こるかどうかというところだったため、逃げ出さないようにするための処置でもあったのだ。
もう戦争は起こってしまったし、アヤはこの【姫】という役割も終えて構わないはずだ。
おそらく、ルエリアに呼ばれる事はそのあたりのことだろう。
身支度を済ませ、ピンク色のドレスを着用したアヤは、支度を手伝ってくれたリネットへにこやかに微笑む。
「今日もありがとう、リネット」扉の外にはレスターが待っていることだろう。
リネットが頭を下げてアヤを送り出し、寝室の扉を開けると――予想通りレスターが待っており、アヤに手を差し出した。
「もう支度は済んだのか?」アヤは小さく頷いて、差し出された手のひらに、自身の手を軽く乗せた。
いつものように、足を組んで玉座に腰掛け、頬杖をついてこちらを見つめるルエリア。
騎士の礼を取りつつ、申し訳ございませんと謝罪するレスターだったが、隣で同じように跪くアヤも……同じように、表情を硬くしていた。
それもそのはず、広間には大臣はおろか、リスピア有数の諸侯達までずらっと並んでいたのだ。
アヤが連れてこられるや否や、その視線が集中的にアヤへと向けられた時には、緊張のあまり、快方に向かっているはずの体調が悪くなりそうだった。
「アヤ、気持ちは分かるが……そう縮こまらずともよい。おまえがそれだけ物珍しいだけだ」顔を上げることもままならず、アヤはガチガチに緊張している。
見ている方は楽しいらしくルエリアは目を細め、艶やかな唇の端が弧を描いていた。
「アヤ。今日おまえをここへ呼んだのは、重要な話があるからだ。およそ一週間前、おまえはこのリスピアに初めて訪れた日のことを覚えているか?」空から落ちてきたとき。中庭で初めて出会ったのは、ルエリア本人だった。
「そこで、おまえは余に重大な話を打ち明けたが……その内容をここで申してみよ」どういう意図なのかはわからないが、ルエリアの命令とあらば従わないわけにはいかない。
アヤは頷き、エルティア戦記のことは黙っていた方がいいのかなと思いつつ、語りだした。
「私がルエリア様にお会いしたのは睡龍月の23日のことでした。そこで、睡龍月の26日に……クレイグとゴヴァンが魔族と手を組み、反乱を起こす――そうお伝えいたしました」そこで言葉をいったん切って隣をちらりと伺うと、レスターはルエリアへ跪いた姿勢のまま、アヤへ視線を向けていた。
その視線は冷たいものではなく、見守る暖かさがあったので、アヤは言葉を続けた。
「……その戦いで、今私の隣にいる聖騎士レスター・ルガーテが皆の出陣準備や避難の時間を稼ぐため、ルエリアの言葉にざわざわと騒がしくなる室内。
ある者はアヤがティレシア王家と聞いて驚いており、またある者はルエリアの口から謝罪じみた言葉があったことに驚いている。
「お静かに」トリスが右手を前へ出して皆を静かにさせると、ルエリアがそれぞれの顔を見渡しながら厳かにいった。
「姫の予知は回を重ねるごとに、正確になっていった。実はヒューバートに調査を任せていたのだが、とも告げ、ちらりと涼やかな目を大臣から諸侯等に移す。
「まさかとは思うが、反逆者を匿うような奴はおるまい?嘘だ。と、この場にいる全員の心が一つになる程度に、ルエリアの言葉には空恐ろしいものを感じ取れる。
「恐れながら陛下。お伺いしたいことがございます」そして、貴族らしき格好をした中年の男性が軽く手を挙げ、意見をする。
ルエリアが無言で頷き、許可を出すと男は額に浮いた汗をハンカチで拭き取りつつ、アヤのほうへ胡乱げな視線を送りながら慎重に言った。
「陛下のお言葉を疑うわけではないのですが……ぎくりと顔が強ばったアヤだが、ルエリアは心配ないというように穏やかな笑顔を向け、すぐに先ほどの貴族へ視線を送る。
「結論から言えば、その黒い目と髪以外に、形有る証拠を貴公に見せてやることしか出来ぬ。そうまで言われてしまえば、男にもこれ以上ここで追求も出来ない。はいと答え、再び椅子に腰掛けた。
――来た。
アヤは身を固くして、言い渡される処置を考えながら、絨毯の上に流れる自分の黒髪を見つめていた。
ルエリアはトリスに羊皮紙の書状を持ってこさせると勿体ぶったようにゆっくりそれを開き、一同の顔を見渡した後読み上げる。
突然の申し出はアヤとって青天の霹靂だったというように、目を見開き、ルエリアを見つめて固まってしまった。
これには――文句が諸侯たちから噴出するかと思いきや、苦い顔をするものも居るというだけで、不満はあるようだが文句をいうものは居なかった。
恐らくルエリアが根回しをしたのか、何か弱みを握っているのか……ともかく、レスターがほっとした顔をしているようだから、アヤが寝込んでいる間に何かしらの悶着があったのは事実だろう。
ルエリアに話を振られて、混乱した頭でいろいろと言いたいことがあるのかを考えてみる。
(不満はないけれど。現状が飲み込めません……一体どうなっちゃってるの? 私に聞き覚えのない苗字ついていたし、義妹、とか……。必死に色々考えているのはルエリアにも分かったが、暫し待っても答えは出ないようなので、勝手に問題ないとした。
「国民への報告も考えねばなるまいが、今は時期ではないな。それは追々話を詰めていくとしよう。そうして、各自の『仕事』に戻るため、退出していく彼らを見送り……再びがらんとした、いつものような空間。
しんと静まり返った広間の中で、ルエリアは突然笑い出した。
「どうした、アヤ。久しぶりの会見で何か言い出すかと思ったが、借りてきた猫のように大人しかったではないか」トリスが苦い顔をしてルエリアにそう進言したのだが、まぁそうだろうなとルエリアもさらっと口にする。
「おまえに話さずに物事を決めてしまったのは、致し方無いと思ってくれ。アヤは人々が退室したこともあって、ようやく息をつくことができるというように深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「ルエリア様のお心遣いは大変有り難かったのですけど……これは、辞退することはできませんよね……?」辞退出来ないことはないのだがとルエリアは言って、トリスにその場合どうなると訊いた。
そこまで言われて、流石にアヤも顔を青くした。
「理解したか、アヤ? おまえは余と出会えたことを好運に思うがいい」どこか勝ち誇ったような顔をするルエリア。アヤも、自分の立場を考えれば拒否は出来ないのも理解できたらしい。
「今後とも宜しくお願いします……」深々と頭を下げたアヤに、ルエリアはわかれば良い、と鷹揚に頷いた。
「では、アヤ。もう下がって良いぞ。レスターは離宮まで送り届けた後、再びここに参れ」レスターがキビキビとした動作で立ち上がり、アヤに手を差し伸べると、彼女を伴って退室する。
広間を出て離宮に向かう道を歩いていると、アヤは大きなため息をついてしまったのでレスターに笑われた。
「心中は察するに余りある。だが、アヤが陛下の庇護の元にあるのは安心だ。苦笑するレスターに、その気持ちが非常に嬉しいとアヤが感激するので、レスターは少々照れたように頬をかいた。
「……そうできれば、良かったんだが。当面ゆっくりとアヤの側にいる事はできないし、わたしとしても心配事は山積みだ」ヒューバートやレティシスの身体は、魔法治療士の手によって傷口を塞いだものの……
今後一切の支障が残らぬように、ゆっくり時間をかけて傷内部を癒すため、見積もって二ヶ月程度の治療期間が掛かりそうなのである。
「レスター様もお怪我をされたのに、歩きまわっては……」レスター様がその任を引き受けることになっているから、ロベルトさんはまたうるさいのだろうな、とアヤは考えて苦笑した。