【異世界の姫君/98話】

あの襲撃があってから三日が過ぎた。


アルガレスの双璧が撤退してから――リスピアの騎士たちは、専ら魔族らの掃討戦へと移行した。

飛空挺は再び飛び去っていったし、アルガレスの軍人たちの兵力も僅かだったのだ。

それだけ、あの二人の強さが際立っていたのだろう。

レティシス曰く、カインとラーズが分散せず一緒になって襲いかかってきていたなら、確実に自分たちは死んでいたという。

カインだけでもリスピア主力の騎士たちは相当傷つけられていたから、あながちそれは――嘘ではないのだろう。


アヤはリネットと一緒に医務室で手伝いをしていたが、その日の夜に寒気を訴えて休ませたところ、夜半から高熱を出した。

どうやら疲れが一気に出たのと、雨で冷えたまま長時間いたことで風邪を引いたのだと思われる。

魔法治療士に診てもらって傷口を魔法で塞いでもらったレスターは、アヤの側で看病したいと願い出るも、ヒューバートが動けない今、聖騎士にもそんな暇はない――と髪が短くなってしまったルエリアに一蹴され、城の警護や兵の指示に当たるよう任されている。

アヤが身体を休ませている水の離宮では、まるでレスターのように仏頂面をしたままのイネスが、ペティナイフを握ってせわしなく前後に動かしていた。

「……全くさー、城の男どもはバカなんじゃないの?
いくら姫が好きって言ったからって、毎回毎回差し入れがマルーってなんなんだよ?
子供の好きなものばっかり買ってくるお母さん化しすぎだっての。まだこの間もらったマルーも残ってるんだぜ?」

不満たらたらで、また山のように積みあがっているマルーを睨みつつ剥き始めるイネス。

彼も肩の怪我は内出血が酷く、動かすだけでも痛いのだが、薬草をすりつぶして患部に張る湿布のようなものを使っているため近づくとハーブの匂いがした。

「ありがとう、イネスさん……。色々ご迷惑かけてごめんなさい」

ようやく起きあがれるようになったアヤだが、まだ頬も熱で赤く、だるさの残る身体は完全には良くなっていないらしい。

「いいんですよ、イネスさんはいつも暇なんですから。たまに忙しくさせてあげてください」

アヤの側につき従っていたリネットが、アヤに朝食のスープを出す。

これはアニスが作ってくれたものを未だ持ち込んでおり、注意があってからまだ城内の食事には手をつけていない。

ちなみに、イネスが頑張っているあの山盛りマルーはアヤの分ではなく、ヒューバートが食べる分を剥かされている。

リネット曰く、ヒューバートは割と果物が好きで、マルーは好物の部類だそうだ。

(この前もすごくたくさん召し上がっていたし……見た目より多く食べる方なのかな……?)

それにしては、少々食べ過ぎのきらいがあるのだが。

冷めてしまいますよと促され、色々な野菜が入ったアニス特製スープを口に運んだ。

ほどよい塩味と、かすかな野菜の甘みが溶け込んだスープの温かさが身体に伝わって、顔がほころぶ。

「アニス様の作ってくださるものは、いつも美味しいですね。今度きちんとお礼に出向かなくちゃ」

そのときは私も、と言ったリネットも嬉しそうに微笑み、戸口を見た。


「……最近、レスター様いらっしゃいませんね……」

そう。あれから、レスターの姿を見ることがない。

アヤもレスターがどうしているのか気になってはいるものの、自分の体調も芳しくなく、殆ど寝たきりだったので外がどうなっているのかはリネットとイネスの話に頼るばかりである。

イネスの話だとどうやらレスターは、ヒューバートの代わりに女王の護衛を命じられたり、ある時は城の警護だったりと朝から晩まで働きづめだという。

(……国が忙しい時だから、私にかまっている暇はない事くらいはわかっていても……少しでいいから、お姿を拝見したいな……)

そう考えつつもスープに入っているイモをスプーンで割り、ふとアヤは手を止めた。

「……リネット。そういえば、レティシスはどうしているの?」

あれから姿を見かけないので、消息が気になったようだ。あくまで『ついでに思い出した』のであったが。

「レティシス様は、城下で休養なさっているそうです。
なにぶん城内の診療施設や客間の一部は、急ごしらえの病室ですし」

城下にいる理由としては、ルエリアがレティシスを城内に置くことを認めなかったらしい。

城内はリスピアに命をかけたものが優先的に使うべきである、との意向があるようだ。

しかし、国で治療費用は出してくれるらしく、レティシスはゆっくりとベッドの上で暇な時間を過ごしている事だろう。


「……これからが大変そうですからね……」

リスピアの城下周辺では多大な損害が出ており、城だけではなく国民の生活被害も大きいのだという。

それゆえ、今後リスピアの内政は多忙を極めるのであろう。

ゆっくりと流れる時間の中で朝食をとっていると、扉がノックされて、聞き覚えのある声がアヤの耳を打った。


「……レスターです。失礼します」

半ばボーっと食事をしていたアヤは、今一番聞きたかったその声に過剰な反応を示し、思わずスプーンを握りしめたまま立ち上がって開いた扉を凝視していた。


「…………?」

入ってきたレスターが怪訝そうな顔で、アヤの姿を見つめる。まず――なぜ食事中に立ち上がってスプーンを握りしめているのかがわからない。

相変わらず使用人二人は、ニヤニヤの前兆と思しき顔をし始めているし、レスターはこの状況だけでは物事の判別が出来ないようだ。いや、誰でもそうであろう。


「レ、レスター様。お体の具合はよろしいのですか?」
「ああ。少し痛むが、歩ける程度には回復している……アヤこそ、もう大丈夫か?」

もっと早く訪ねたかったのだが、遅くなってしまったと言って、アヤの隣へと椅子を引いて腰掛けたレスターは、心配そうにアヤを見つめた。

「無事で本当に良かった。高熱を出したと訊いたときは、本当に心配したんだ……」

その赤い瞳は、少しばかり潤んでいるようにも見える。


(ああ……レスター様、今日も素敵っ……!)

暫く見かけていない、という時間は、恋する乙女の瞳を数倍曇らせる効果があるに違いない。

アヤには、少し憂いを込めたレスターの表情が、たまらない格好良さとして映っている。

胸のうちがきゅっと甘く切なく震えるのだが、実際の所――……レスターは連日働きづめだったため、寝不足もあって疲れているだけである。

確かにアヤの事も心配していたのだが、たったこれだけで通常時の数倍の効果なのだとすると、恋というのは世界を素晴らしいものに変える力があるようだ。

しかし、レスターにも彼女はより一層美しく見えているので、ここはお互い様というところだろうか……。

アヤと見つめあい、眩しそうに目を細めるレスター。使用人たちは『フヒッ』と妙な声を出して、この甘酸っぱい空間を堪能している。相変わらず非常に迷惑である。


「……アヤ。もし本日体調に不安がないのであれば……陛下がお呼びだ。一緒に来て貰えるだろうか」
「ルエリア様が……! はい、じゃあ、すぐ支度しますね」

ルエリアが待っているのであれば、急がなくてはならないだろうと思ったらしいアヤは立ち上がったが、レスターに慌てなくて構わないと言われて、途中だったスープを食してから行動を起こすことにした。

それに、レスターが引き留めた理由として、もう少しアヤとゆっくりしたいという私的理由も僅かながら含まれている。

当然そういう事に鼻が利くリネットに看破されているようだったが、もういちいち気にしないことにしたレスターは、山のようなマルーを一つ手に取ると口に運ぶ。

「あっ、これヒューバート様のなんだけどォ~。いやしいなあレスターは。姫様の事も凄くジロジロ見てるし、ああ、いやらしい! いやしくもいやらしい男!」
「マルーの事はともかく、女性と見れば口説きに入るお前にだけは、いやらしいと言われたくない」

もう剥き疲れたよと愚痴を漏らしつつ、またマルーを剥き始めたイネス。

その側から、レスターがマルーを摘むので、拳を振り上げて怒っていた。

二人の間に入ったリネットは、レスターにも紅茶を出してやると、自分もマルーを摘んでイネスに怒られている。


(……またこうして、みんなで一緒の時間を過ごすことが出来た……本当に嬉しい)

こんな『日常』の光景を見て、アヤは満足そうに微笑んだ。


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