【異世界の姫君/97話】

リスピア城内部、医務室近くの部屋や廊下には――多数の兵たちが倒れるように座りこんで、その順番を待っていた。

看護師や城仕えの女性たちも、忙しく駆けまわって傷口の洗浄や軽い止血などに奔走している。

「――ヒューバート様!」
「レスター様まで……!」

ヒューバートの痛ましい姿を見た一同はざわめき始め、一刻も早い手当てをと、程度の軽い者が道を譲る。

その隣にいるレスターとアヤにも驚きの視線が投げかけられる。

レスターに関しては、皆傷の具合を心配していたということと――アヤのほうへの視線は、こんなところで、噂の黒い姫君を見かけるとは思ってもみなかったためだろう。

「お願いします。ヒューバート様の手当をどなたか! 出血が酷くて、このままじゃ危ないんです……!」

アヤの声に反応したわけではないのだろうが、治療のため開けていた客間の一室から、ぱたぱたと駆け出してくるメイドがいた。

枯茶の髪に、同色の服の……アヤも見慣れた少女だった。

「……リネット!!」

そう、朝まで一緒にいてくれたリネットだった。

呼ばれてぴたりと立ち止まったリネットは、目を丸くした。

「――アヤ様……! っ、ヒューバート様?! ああっ、酷いお怪我……!」

三人の姿を視界に納め、ほっとしたような顔をしたのはわずか一瞬。

ヒューバートの傷を見て、顔面蒼白になったリネットは慌てて医務室に駆け込んでいき、マルティン先生、と泣きそうな声で緊急搬入の許可をもらっているようだ。

「そんなヒューバート様が大怪我って――おや、これは大変だ!! すぐに寝かせて! お湯と清潔な布と……魔法治療師に、即来るようにも言ってきて!」

リネットに腕を引っ張られ、疲弊した顔で現れたマルティンですらヒューバートの出血と傷に驚いている。

すぐにヒューバートはベッドに寝かされ、傷口の洗浄と止血に入った。

レスターは椅子に座らされ、足の付け根部分に包帯をきつく巻かれると、傷の洗浄は自分でやると言った。

アヤも手伝うと言ったのだが、多分彼女は傷など見慣れていないだろうから、それもやんわりと断っておいた。

「……アヤ様、ドレスや髪が随分濡れております。お風邪を召される前に、せめてこれをお使いください」

リネットから大判のタオルを渡され、アヤはそれを受け取ろうとして……やめた。

「私は後でいいです。まだ、怪我をされている方々も多いですから。
そのタオルで止血ですとか、ある程度の防寒や固定にはなるかもしれないし」

周りは、怪我をした兵たちで溢れている。彼らは国を守ってくれた、大事な人たちなのだ。

寒いくらいはアヤも我慢できるし、何より……傷一つない。

優先順位を違えることなど、できようはずはない。

リネットは失礼いたしましたと深々と頭を下げた。

それをすぐに押し留め、リネットの肩に手を置いたままアヤは辛そうな顔で、ごめんなさいと謝罪する。

「……それに、リネット……ごめんなさい。
私がヒューバート様に危機が迫っていたと気づいたときには、遅くて……あんな大怪我をさせてしまって……!」

アヤが視た光景は、もっと――凄惨だった。

もう一歩彼が踏み込み、カインに剣を突き刺されて崩れ落ちる光景だったのだ。

背中まで突き抜けていたから、止めなければ――今よりも危険な状態、あるいは……生きていなかったかもしれない。

血の気の引いたヒューバートを心配そうに振り返って見つめ、大きな瞳に涙を堪えているリネットは、辛そうに目を伏せて謝罪しているアヤへ身体を向けると、肩に置かれた手の上に自分の掌を重ねた。


「……ヒューバート様のあんなお姿を見るのは……すごく辛いです。
でも、アヤ様が……危機を察知してくださったのですよね? だから、だから……あのくらいで済んだんですよね?」

言いながらポロポロ涙を流すリネットは、堪えきれずアヤに抱き着いてすすり泣いた。

その背中をさすり、アヤも彼女の華奢な体を抱きしめて一緒に涙を流す。

最悪の結末を止めることができた。レスターも生きていたことは嬉しい。

それなのに、誰かが傷つくというのはやはり……いいものではない。

こうして、誰かが涙を流すからだ。

「ごめんなさい……!」

腕の中で、リネットが頭を振る。腕の中が熱いのは、リネットが泣いているせいだけではないだろう。


「……リネット」

消えそうな声で、ヒューバートはリネットを呼んだ。

弾かれたように顔を上げたリネットは、すぐにアヤから離れてヒューバートの側へと駆け寄る。

「僕は大丈夫だから、そんな顔をしないで……。
それに、姫に制止されなかったら僕は多分死んでいたんだ。
僕の事で苦しい思いをさせてごめんね。でも、心配要らないから……」
「はい……! わかってます……でも、わたしずっと今まで怖かったです……!
アヤ様は避難していないって聞いて、しかもアルガレスの皇子と同じ場所に居るって……。
ご無事で帰ってきたと思ったらヒューバート様もこんな状態で。
生きているのは嬉しいのに、悲しくて……なんだか分からないんです」

それを聞いたアヤも、そうだよね、としんみりした気持ちになる。

(待っているだけしかできない……リネットも、怖かったよね)

自分には、まだ視るだけではあっても――力があった。

だから、ほんの少しの手助けができるぶん、まだ気持ちが紛れていたのだろう。

ヒューバートはリネットを優しく見つめているが、流石に身体が動かないらしい。

暫し黙っていたが、やがて優しい口調でリネットに話しかけた。

「……怖がらせちゃったね。
ねぇ、リネット。傷が癒えたら、伝えたいことがあるから、ちゃんと聞いてくれると嬉しいな。ちゃんと治ればだけど」
「はい、傷が癒えない間でも何でも聞きますから、なんか弱気なこと言わないでください……!」

それなら頑張って早く治すね、と笑ったヒューバートの傷口を、駆け寄ってきた魔法治療師が覗き込みはじめた。

優しく微笑むヒューバートとリネットを見ているうちに、アヤには視えてしまったらしい。

「あっ……」

小さい声を上げて、ちょっと頬を赤らめると視線を外す。

リネットはどうしたのかと思った程度であったが、ヒューバートにはアヤの心の中が見えてしまう。

「……姫、こんな時に覗かないで」

困ったようにヒューバートがアヤに微笑み、アヤも覗いたわけではないんですが、ごめんなさいと謝ると……唇の上に人差し指を乗せて微笑んだ。

こくりと頷いたヒューバートも、まだ言わないでねと照れたような顔をした。


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