【異世界の姫君/96話】

ウィアスを左手に構え、鋭くレティシスを見すえるカインの正面から挑みかかる。

「はッ!!」

振るわれたカインの剣を躱し、喉元を目掛けて自身の剣を突き込む。カインが立ち位置をずらし、身体の向きを剣と平行にした。

白い長衣を裂きながら、鎧と剣が擦れる金属音が鈍く響く。

僅かにカインの身体が膝から下がり、レティシスの剣は下へ引かれる。まずい、と思ったが間に合わない。

カインは自ずから、がら空きになったレティシスの胴へ一歩踏み込み、心窩へと肘を刺すように突き入れる。

機動性を重視し、上半身を覆うような鎧を着用していないレティシスにとっては、この肘一発は予期せぬ相手の動きでもあった。

「ごふ……っ……!」
「貴様らの仲間にいた奴の技だ。見よう見まねだったが、うまく入ったな?」

めきりと骨の軋む音が聞こえ、レティシスの視界にはカインの濁りのない金髪と、対照的に昏い色合いに見える蒼い瞳が映る。

「――もう貴様の顔も見飽きた。死ね」

地の底から響くような声を出したカインはレティシスの頸を掴み、指の一本一本に力を込めた。

「……う、ぁ……!」

引き剥がそうとしてみたものの、カインの指は凄い力で喉を絞め上げてくる。

首を絞めるというよりも、首の骨を握りつぶそうとしている、というほうが正しいようだった。

「レティシス!」

ルエリアは、もう一人のカインと戦闘中であり、阻まれてこちらに向かえない。

――まずい……!

次第に、レティシスの思考が鈍ってくる。ぐらりと視界が揺れた。

剣を握る指の感覚が次第に抜け落ちてくる。だが、レティシスはそこで自分がまだ剣を握っているのだと思い至る。

指を剣の刃まで寄せて直に握ると――カインの腕にそのまま突き刺す。

「貴様……!」

苦痛に顔を歪めたカインだったが、ほぼ同時にレティシスの腹には、ずぶりとカインの剣が突き刺さっていた。

「ぐ、うぅ……ぁああっ!!」

灼けつくような痛みにのけぞるレティシス。赤く点滅する視界では、ルエリアの剣が閃き、避けたカインの腕も赤く……いや、視界も赤いので、黒ずんで見えていた。

ようやく解放されたため息を吸い込もうとしながらも咽せ、腹部の痛みに耐えながら熱い呼気が漏れた。

「レティシス、気を散らさずに集中しろ。おまえより、レスターのほうがまだ使えるぞ?」

隣に立ってカインを牽制しつつ、ルエリアが比較対象にレスターを選んだので、レティシスは痛む脇腹を押さえながらよせよ、と不機嫌そうに呻く。掌がぬるついて、じくじくと脈動する痛みが気を削いでいく。

「……あんな坊やに劣るわけ無いだろ」
「その『坊や』は、3つ4つしかおまえと変わらんはずだが。そしてカインが昔と同じものだと考えているようでは、おまえも程度は変わらぬ」
「そんなことするわけ……こっちは殺されかけてるっての」

図星を指されたような顔を浮かべ、視線を外したレティシス。ルエリアはまぁいいと笑って、その程度の怪我で医務室に連れて行ってもらえると思うなよと意地悪く告げ、カインから無数に繰り出される突きを剣で弾いていく。


「ふん……おまえでも血は緋いのだな」

腕を刺されたせいか、白かった服の一部は出血で赤く染まり、カインの攻撃は明らかに鈍っていた。

「貴様こそ、血が流れているのなら見せてもらおうか……!」

負傷していてもカインの膂力は強く、半神半人とはいえルエリアもれっきとした女性である。

剣の腕はあっても、力と技両方を備え持つものに関しては、受け流すことはできても押し返せない。

攻撃を避けようと身を翻したところで白いドレスが剣を絡めとり、派手な音と共に斬り裂かれる。ルエリアの引き締まった白い太ももがあらわになった。

「くっ……!」
「貴様の血も赤いようではないか」

一文字に切り裂かれた脚に、つぅ、と血が伝う。ルエリアの恐ろしいまでの美貌に、冷や汗が浮いた。

「女の身体に剣を掛けるなど無礼者が……恥を知れ」
「ほざけ。貴様のなど見たくもないわ」
「即答されてる」

思わず口に出してしまったが、レティシスもカインと同感だったので無言の肯定だけを示しておいた。

ルエリアとて見た目は若い。十分男のあれこれを刺激してもおかしくないほどの美女なのだが――男二人が全く興味を示さないのは、戦闘中であること以前に、ルエリアをそういう目で見ていないからに他ならない。

「レティシス。後でおまえは吊るす」
「なんで俺なんだよ!」

ルエリアは鼻で笑ってから、致命傷ではなくて残念だったな、と告げてドレスが裂けた分動きやすくなったのか、負傷しているとを感じさせぬ素早い動きでカインの狙いを僅かに逸らさせる。

脇腹の痛みを懸命に堪え、レティシスは先ほど突き刺したカインの腕を執拗に狙い続けた。


「……貴様ら程度に、俺の望みを阻まれてなるものか……!!」

カインも狙われた腕を庇うようにしながら、分身を出現させて片方にあてがった。

「力の入手があんたの望みだとしても。シェリアの一縷の望みは――世界の運命を変えるほどのものだ!!
そんな力を……、渡す訳にはいかないんだよ!!」

レティシスが力強く言い放ちながら、カインの剣と自身の剣を交差させて抑えこむ。

「――ルエリア!! やれ!!」

もう一人のカインが、その気配を察知して駆けてくる彼女へ斬りこむが……ルエリアは身を低くして、するりと剣をくぐる。

カインの剣はルエリアの身体を斬る事はできず――かわりに山吹色の長い髪を削ぎ切り、虚空へ舞わせるだけだった。

ルエリアは剣を両手に握り、眼前に迫った、魔王カイン……人類の敵となる男へ、全力で袈裟に斬り――。


「……読み違えたな、女王」
――斬りつけられる瞬間、カインが嗤った。

途端、目の前にいたはずのカインが消え、レティシスとルエリアの視線が交錯する。

押さえ込んでいたカインが消えたのではなく、彼が術を解除して先ほどヒューバートに見せた様に高速で移動したのだ。

「しまった……!」

全てを察知したルエリアは、彼女たちの後方で剣を振りおろそうとするカインの姿をその視界に捉え、唇を噛んだ。

「終わりだ」

勝利を確信したような涼やかな声が、レティシスの耳に届く。

しかし、その時――。

硬き精霊の刻印(ハル・シャルフ)

死を覚悟したレティシスだったが、懐かしい声が――聞こえた。

彼らを包むように展開された魔法障壁が、カインの剣を遮っている。無論、攻撃を阻まれたカインでさえも驚きに目を見開いている。

「なぜ、その術――……」

何がどうなっているのかは解らない、という呆然とした表情を浮かべたルエリアだったが、はっと我に返ると再びカインに斬りかかる。

カインの身を守る鎧を叩き割り、深々と刃は肉に食い込みながらも……途中で刃が金属疲労を起こし、真っ二つに折れる。


倒れさせるまでには至らなかったが、深手を追わせるということには成功したらしく分身は消失し、当のカインも……深く傷つけられた胸を押さえ、溢れ出る血液を眺めていた。

「…………」

止めどなく溢れ、生暖かい感触が自身の服を濡らしていく……久しぶりの感覚に、カインは憎々しげに二人を睨んだが――……剣を収めると、目を閉じる。


「ふ……はは……っ。そうか……あの女【生きている】のか!!」
「そんなはずはない。確かに封じたのだ」

しかし、恐らくアヤが聞いた声も、今発生した現象も。実際に起こった事だ。

カインが来たから起こってしまったのか、それとも本当に――。

「次に会うときは、必ず殺してやる――レティシス。貴様も……楽には殺さん」
「うるせえ……もう二度と、来んなッ……」

既に、カインの足元には――ラーズの転移魔法が働いていた。撤退する気なのだろう。

予め何らかの道具を渡されていたのか、飛空艇からカインを喚んだのかは定かではないにしろ……手を伸ばしても、捕まえることはできそうにない。

ルエリアの悔しそうな顔とは対照的に、カインの嘲笑があった。

せいぜい、それまで楽しく生きながらえることだ……!

そう言って、カインの姿は消えた。


光が収まった後、数秒そこに佇んでいたレティシスは、長くゆっくり息を吐くと、その場にドサリと倒れこんだ。

あの瞬間、攻撃を阻む魔法壁を張ってくれたのが現在のシェリアではない事を……レティシスだけが知っている。

『レティシス、ごめんね』
『あなたの命を、私の魔法が……一度だけ守るから……』

過去に彼女が自分に唱えてくれた魔法。それが今……あの瞬間に発動したのだ。

――やっぱり、シェリアは俺の命の恩人だよ。ありがとな。

まぶたの裏に映る彼女の笑顔。ほんのりと柔らかい気持ちになって、レティシスは微笑む。

「レティシス。そこで寝るな」

だが、背中を軽く蹴られてその気分は霧散する。

「……あんたは、どうしたら俺が無事なように見えるんだ……! いいから、誰か傷を癒せる奴とかいないのか? 正直立てない」
「なんだ、情けないなおまえ。アヤの前では格好つけていた癖に……うちの騎士より根性がないな」

目を丸くして驚くルエリアに、なんとでも言えと不貞腐れたように視線を背けるレティシス。

確かに出血が多そうだが、ルエリアはさほど動じない。

「レティシス、止血は自分でやれ。おまえを医務室に放り込むより、我が騎士たちの手当のほうが先だ」
「……身びいきかよ。協力しただろ」

恨みがましい視線を向けるレティシスに、ルエリアは案ずるなと言いながら、やや短くなった自身の髪に触れた。

「もうすぐ、アニスが来るだろう。体力を使うが、傷口を塞ぐことくらいはできるはずだ」
「最初から呼べば、いいだろ……!」

そう言っても、アニスは彼らより目まぐるしく動いていたのだ。街の結界を張り直し、迫りくる敵を倒すために魔法を唱えたり、味方の守備強化を施したり……列挙に暇もない。

数分後、ようやくやってきたアニスですらフラフラの状態で、レティシスに形ばかりの止血を施し、傷口を塞ぐため残り少ない精神力で回復魔法をかけたのだった。


前へ / Mainに戻る /  次へ


コメント

チェックボタンだけでも送信できます~

萌えた! 面白かった! 好き!