【異世界の姫君/94話】

カインの気迫は、もうがらりと変わってしまっていた。

光剣ウィアスの能力を解除し、分身を消したカインは猛攻ともいえるヒューバートの剣を迷うことなく躱し、その隙間を縫うように突き出されるレスターの槍も難なく弾いていく。

カインの剣がレスターの胴を狙って振られたが、咄嗟に縦に構えた槍で防いだ。

しっかりと体重を軸脚に乗せているはずだというのに、強い衝撃を食らったレスターの身体がよろめいた。


(なんて力だ……!)

一瞬レスターの顔に焦りが浮かんだが、そこへヒューバートが左方……カインの利き腕側より突出し、自分の間合いへと踏み込んだ。

「レスター、下がって!」

ヒューバートに言われたとおりに後方へと跳ぶレスター。


(皇子はまだ剣を振っていない。本気で打ち込めば、傷を負わせることはできるはず――!!)

そう思ったヒューバートだったが、だめ、とアヤが叫んだ。

「――それ以上踏み込んではダメです!」

その言葉に反応し、思わず踏みとどまったヒューバートが見たものは――いつの間にかカインの剣が、自分を斬り裂いた瞬間だった。

「どう、し……!?」

魔法鉱石で鍛えられているはずの自分の黒い鎧が、一振りの剣によって砕け散っている。

裂かれた胸から噴き出す鮮血が宙を舞い、執務室の白い壁や絨毯に飛び散って、緋い彩りを添えた。


(そういえば何も視えなかった……! どうしてだ、昔の彼ならきちんと視えていたはずなのに……!)

ルエリア以外に初めて、心が見えない人間と出会ったが――ヒューバートは信じられないという顔をしたまま剣を杖代わりにし、倒れるのだけは耐えた。

――いま、いったい何が起こったんだ……?!

「……ヒューバート様!!」

後方に跳んでいたレスターも、カインからは目を離していなかった。

カインが自分に剣を当て、間髪入れぬ所で、ヒューバートは左方から攻めたのだ。

剣を持つ方向から攻められたなら、持ち替えて振るうだけでも――間に合うはずはない。

カインも焦った様子はなく、それどころか……ヒューバートを見ようとすらしていなかった。

その後、何故かカインの身体が揺らめいたように見えた瞬間、ヒューバートはカインに斬りつけられていた。


「レスター!! 避けろ!」

どうしてなのかと思考している一瞬がまずかったのか。

ルエリアの注意が飛び、何事かと目を見開いたレスターの後方――何もないはずの場所――既に、カインが立っていた。

「なっ……!?」

ヒューバートの近くにいたはずだ……そうして再びそちらに視線を向ければ――そこからカインは動いていない……!!

(どういうことだ!?)

もはやそれ以上考えている時間はない。

クウェンレリックの力で自分の背後へ氷の壁を瞬時に作り出すと、それを思い切り足で蹴った。

その刹那、厚い氷の壁を砕きながら、カインの剣が遠のこうとするレスターの背を斬りつける。

とっさの判断に救われたのか、斬りつけられても氷の影響で威力は低減されており、鎧は切っ先によって削れる程度の損傷で済んだ。

破損するほどの被害は無かったのは僥倖だろう。

肩から絨毯にぶつかるようにして着地したレスターは、即座に起き上がるとぴったりと壁に背を付け、周囲に注意を配る。

アヤは傷も殆ど無かったレスターの様子に安堵したようだが、その表情はまだ強張ったままだ。

彼女のもとに、カインが行く気配は……今のところ、ない。レスター達を倒してからにするつもりらしい。

ヒューバートはといえば、まだ己の身に降りかかる危機が去ったわけではない。

彼は再びカインと交戦している。

とはいえ、傷のせいで防戦せざるを得ないようになってしまった彼は、カインの剣を受ける度に衝撃で、胸元から血を滴らせる。

その端正な顔は痛みを堪えるために歪められていたが、それ以上の攻撃を食らわぬのは流石だった。


レスターもなんとか助けに入りたいところだったが、目の前に現れたもう一人のカインがレスターの前で殺気を放っており――これを避けてヒューバートのところへ行くことは困難だ。いや、むしろ不可能に近い。

行ったところで、前後から斬撃を食らうされるのが関の山だ。

そうしているうちにも、カインは目にも留まらぬ速さでレスターへ接近し、剣を薙ぐ。

恐ろしい速度で迫る切っ先を、半ば勘で避けたレスター。瞬きをする余裕もない。

(わたしが、もっと強ければ……! ヒューバート様のご負担になることはなかったのに……!!)

悔しさと無力さに歯を噛みしめ、カインの剣を押し返そうと伺いながら捌き続けるのだが、ヒューバートでさえ防ぎきれなかったものだ。

ましてや騎士らしく正々堂々と戦おうと常に心がけている――いわば正攻法を好むレスターなど、あらゆる行動を駆使して闘ってこなければならなかったカインの敵ではない。

彼の甘さを見て取ったのか、カインは鼻で笑うと、レスターの頭上から振り下ろす剣に思い切り力を込めて槍の上から打ち据える。

「くっ……!」

抗えず片膝をついたレスター。

すかさずカインの右足が、床についたレスターの大腿部を踏みつけた。

(しまった……!)

逃れられなくなった騎士は、せめて槍を突き刺そうと振り上げたのだが――……それは軽々と躱され、腕を掴まれる。

レスターが腕を引っ込めようとしても、振り払おうとしても魔王の手からは逃れられなかった。

「正攻法だけでは、争いに勝てんぞ」

カインはそう言い聞かせるように呟き、クウェンレリックを剣で打ち払う。

跳ね飛ばされたクウェンレリックは床を転がるように滑り、再び消えた。

「ん……貴様は魔族か? ……フッ、仕える主を間違えたな」
「違う……混血であっても心まで魔族ではない……!
わたしは人間だ! そして、貴様のように闇の力に屈したりなどするものか!」

その言葉が癇に障ったのだろう。ぴくりとカインの眉が動き、不快そうな顔を形作る。

「――誰にも理解されぬような、どちらつかずの分際で何を高尚なことをほざく!」

カインはそうして剣を振り上げた。

このままでは、レスターが殺されてしまう……!

そう思ったアヤは、思わず叫んでいた。

「やめて……! やめてくださいっ!!」

悲鳴じみた声で制止するアヤ。

「どいていろ! おまえではここで何も役に立たん!」

駆け出そうとしたところをルエリアが腕を掴んで阻止し、乱暴に後ろへ突き飛ばすように押しのけた。

踏ん張れぬまま、どさりと受け身も取れずに絨毯へ倒れ込むアヤ。

「待ってくださ――……」

痛いだとかを感じる間もなく、上半身を起こしてはいずるようにしながら立ち上がって、レスターのほうに視線を送ると――……。


「…………」

レスターは悲鳴と痛みを堪え、苦悶の表情を浮かべつつ床に転がっていた。

大腿部を突き刺されたらしく、周辺の絨毯も――銀の鎧も血に塗れている。


「――レスター様ぁあっ!」

「だい、じょうぶだ……! 来るな!」

わたしは大丈夫だから、と言っているのだが、そのようには見えない。

しかし、その身体も生命も無事だったのは――レスターの身体を両断しようとしたカインの剣を、ルエリアが介入して押し返したからだ。

全ては押し返せなかったが太ももを刺される程度で済んだのだから、命拾いしたというところだろう。


「レスター……おまえはまだ――クウェンレリックの力を引き出し切れぬのか?
きちんと信頼すれば応えるのだぞ、あれは……。
まぁ説教は後だ。四肢が離れていないだけありがたく思え、レスター」
「…………申し訳ございません……」

そこはありがたき幸せ、だとかにしろ、とルエリアは告げ、アヤにヒューバートとレスターを連れて医務室に行けと命令した。

「しかし……、陛下! こんな時に何を――」
「ばかもの。おまえたちを庇いながら戦っていたら、ヒューバートが失血死するだろうに」

レスターはまだ止血できるとしても、戦力としては期待できまい。

それに、ヒューバートは立っているのもやっと、という状態なのだ。

「余の事は心配ない――もう一人の英雄が来たのでな」

ルエリアがそう呟いた瞬間、ベランダを軽々と乗り越え、涙で頬を濡らしたアヤの隣に着地する者がいた。

アヤが振り向いたとき、頭の上を軽くこづかれる。

「サボってないで、騎士どもを医務室に連れて行って働けよ。寝転がられても邪魔だ」

その声の主は、相変わらず感じが悪い。

ルエリアとカインは今しがた入ってきた者へ目を向ける。

アヤの隣には、『もう一人の英雄』……レティシスが立っていた。


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