【異世界の姫君/92話】

睨みあう二人の間を遮るものは何もないというのに、10年という歳月は既に双方の立っている世界を全く別の物へと変えてしまっていた。

片方は、かつての仲間を守るために。

もう片方は、主君の為に。

ともに戦った『仲間』を、傷つけようとしているのだ。


レティシスの剣を、ラーズは幾度も見てきた。

その間合いも、振るう際の力強さも知っている。

ちらり、と周囲に転がる魔物の残骸に目を走らせる。無残に斬り伏せられているものもあるが、剣に迷いはないようだ。

彼は守るべき者のために腕を磨き続けていた。そしてその腕前は、もはやラーズの識っている『レティシス』の比ではないはずだ。

剣の間合いに入らせなければ、ラーズの有利に事は運べる――それをお互い認識し、睨み合った。


「ラーズ。あんたはなぜ……一人の人間でいる事よりカインを選んだ? そうしなければならないれっきとした理由があったのか?」
「……イリスクラフトは代々、アルガレス王家に仕える、というのは旧い盟約です。
ですからそうすることが当然でした。迷うはずもありません。家のしきたりに従ったのです」

疑う余地すら無いというような口ぶりのラーズへ、レティシスはくだらないと吐き捨てる。

「シェリアは仕えてなんか――……カインを、そんな主従の目では見ていなかっただろ。
あいつだって……最終的に殺そうとしたけど……」

どういう経緯で彼がシェリアを殺そうとしていたのかは分からないが……それでもレティシスには、あの光景が信じがたかった。

「……俺の知ってるカインだったら、絶対にそんなことしないはずだ」
「――彼こそ人形だっただけです。よく出来ていただけに、最後は役目を果たして壊れました」

だから、余計に。

「シェリアは、カインを魔王になんかさせたくなかったんだ。だから――……」
「……もう昔話はいいでしょう、レティシス。こんな戻らない時間の問答は無駄です。
わたしは早くカイン様に合流し、補佐しなければなりませんから」

もはや、殺し合いは避けられません――それは、宣告のようなものだった。

「あんたの魔王様も今頃、リスピアの騎士と戦っている頃だ。あいつらは女王が大好きだからな。
あんたと違って、傀儡ではなく意志のある忠誠なんだぜ? 少し見習ったらどうだ」
「黙りなさい――!!」

激昂したラーズの指先から稲妻がほとばしり、レティシスめがけて突き進む。

「雷は嫌だな。痛いし痺れるし、ベルクラフトでさんざん浴びて懲りたよ」

跳躍してそれを避けたレティシスの足下を電撃が通過していき、大地の表面に電光を散らして消える。

空中で剣を振りかぶり、頭と胴を狙うレティシス。ラーズは障壁を展開し、剣を防御すると風を操る魔法を唱えた。

嵐に匹敵するくらいの突風が吹き荒れ剣士の身体を押し、体勢を崩して着地したところへ、追撃のように氷のつぶてを見舞った。

「くッ……!」

剣を盾にしてそれを防ぎ、レティシスは歯を食いしばる。

「どうしました? 雷が嫌だというので氷にしましたが」
「そりゃ、どうも……」

氷の当たった箇所が、痛みが走った後は麻痺したように感覚がない。

だが、それもすぐに取れるだろう。レティシスは再び間合いを詰めるべく動き、ラーズは自身の周囲に障壁を張った。

――さすがに、ラーズは厄介だな。

止めなければならないのは百も承知ではあったが、些か分の悪い闘いになる。

かといってカインが相手であっても、どちらかといえば不利な状況ではあるが――近づいても遠のいても、あの魔術師にはそれなりの防御も攻撃方法もある。

レティシスは魔法に対する抵抗が高いわけではない。

長引けば長引くほど自分が不利になっていく。

これでも――ラーズは幾重に魔法を展開出来る多重詠唱を使用していない。随分と手加減されているのだけは分かった。

近づけばラーズは防御の障壁を張り、遠のけば自分が攻撃できる手段はない。

かといって、何か有益な魔法が使えるわけではないし、あったところでラーズは『魔法』の対処法を熟知しているはずだ。

あの障壁を破ることさえ出来れば、ラーズを撃退、あるいは――倒すことが出来るだろう。

斬りこむ際、障壁を張ることが出来ない一瞬があればいいのだ。

もう一度、探りを入れながら斬りかかるレティシスではあったが、再びラーズの障壁は展開され弾かれて、手痛い攻撃を食らう。

次第に体力も削られていく。

「レティシス、あなたではわたしに勝てない」

諦めなさい、と静かな声音で魔術師は諭すように言うのだが、レティシスは諦めたりはしない。

「そういうのは、俺を殺してから言うものだろ。気が早いぞ、ラーズ……?」

それに、約束もあるんでな――と独り言のように口の中で呟くレティシスは、ふっと笑った。

「カインが連れて帰りたがってるお姫様いるだろ。あいつ人使いが荒くてね。
リスピアなんかで暮らしてたら、将来もっと酷くなるんだろうな」

再び蹴立てたレティシスに、無駄ですと言って杖を向けたラーズは――再び氷の魔法を唱えるが、今度は鋭利な氷柱を何本も出現させた。

チッと舌打ちしたレティシス。これはラーズの魔力が尽きるまで無数に繰り出されるのだろう。

どれくらい近づくまで避けられるか――だが、一本でも刺されば、次の攻撃を避けようがない。たちまち身体は風穴だらけになる。

カインに剣を刺される前に、ラーズに穴だらけにされるのだと思うと、笑えない冗談でしかない。


肌の表面へちりちりと迫り感じる死の予感。

圧倒的に――不利であった。

彼を貫こうとする氷柱をぎっと睨みつけたレティシスは、何本叩き壊せるか試算する。

「でも――やるしか、ないよなァ!!」
「勝てないと知りつつ、なお向かってくる気概があるのは素晴らしい……。
だが、それは愚鈍というもの。こんな戦い、無駄にしかならないのですよ、レティシス!」

哀れみの視線を向けつつも、勝利の感触を掴んだラーズの表情は決して暗くはない。

しかし、ラーズが氷柱を向かわせようとした次の瞬間、ぱちん、と指を鳴らす音と――


「――全固定(アクルテ)

謎の言葉が響き渡る。


すると、全ての氷柱はびたりと動きを止めた。

「なっ――!?」

何事かと驚くラーズだったが、そればかりではなかった。

彼の視界を奪うように、虚空から全身を燃え盛らせる巨大な虎が現れて襲いかかってきたのだ。

とっさにその爪を避けたラーズだったが、避けたその場に……再び謎の言葉が響いた。

(ファル)!」

次々と足元に襲い掛かってくる氷柱にたたらを踏んだラーズ。顔に動揺と焦りが浮いている。

――いったい何が。

レティシスに魔法は使えなかったはずだし、別の男の声も聞こえたはずなのだが――?

そう思った瞬間。自分の体から、衝撃と鈍い音が聞こえた。

「な……?」

何事だ、と吐き出そうとした口からは言葉ではなく、鮮血が溢れる。

先ほどの虎はもう消えていた。


「……なにがどうなってんのか知らないが。勝ったような顔をするのは、相手を捉えてからにするべきだったな、ラーズ」

自分の腹部を、レティシスが深々と貫いていた。

そのままとどめを刺すつもりかと思いきや……レティシスは躇った後、剣を引いた。

「……もう帰れよ。治療しないと助からないし、カインもお前を失う訳にはいかないんだろ。
当分傷は癒えないだろうから、もうここには攻めこむなよ」
「……っ、レティ、シス……貴方は、情けをかけようと……いうつもりですか……!
これが貸しにでもなると?」
「そんなつもりはないけどさ。義理に思うならきちんと返せよ」

ぜいぜいと荒い息をつくラーズに、なんとでも思えと言った赤毛の男は、追い返すような手振りをする。

ラーズは暫し彼を睨んでいたが、すぐに彼の身体は光の柱に飲まれ、消えた。


「あーあ。逃しちゃった。殺してくれないと、うちの国がまた苦労するんだけど。そちらさんのせいで戦争してんだからね」

戦闘に不釣り合いな間延びした声に、後方を振り返るレティシスは怪訝そうな顔をする。

銀髪に赤い瞳。右手で左肩を押さえているが、この顔は見覚えがあった。

「……レスター・ルガーテ……?」
「それ弟だよ。俺はイネス。アヤ様の執事で――罠師」

訊いたことのない職業に、眉を顰めたレティシスだったが……さっきの虎もあんたか、と尋ねれば首を横に振られ、何やらびっしりと文字の書かれた札を見せられた。

「アニス様だよ。彼女に術符を作ってもらったのさ。
マイスターは、罠を張って敵を揺さぶるのが仕事。上手くいくかは五分だったけどね」

城壁に居たイネスは、赤い光を見た瞬間に嫌な予感を覚え、素早く退避したようだった。
しかし爆風に煽られ肩を強打したようだが、それ以外は大した怪我もなかったらしい。

それから物陰より機会を伺っていたのだが、絶好のタイミングだったとイネスは笑みを零した。

「マジックマスターの魔法を止めることもできるなんて、自慢になるよ」
「まぐれだろ、あんなの。あんたに意識が向いてたら、ラーズの精神力のほうが勝っただろうぜ」

意地悪く言ってやったが、助かったことは事実である。


「……命拾いした。ありがとう」
「どういたしまして」

にこりと微笑んだイネスは、激戦であろう執務室の方を見上げた。

「あちらのほうは、俺では手伝えないからね……」

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